過去の呼び声
水の中に沈んでいく。
息はできないが、苦しくない。
下は確認できないほどに暗く、対照的に上は明るいが、その光も朧気だ。
『救世主です! 救世主が現れました! 誰かが、敵の宇宙船を撃墜しています!』
右手は綺麗なようで、赤く見える。
『君のおかげで人類は生き延びた。……しかし、よくわからないな。なんなんだ、その兵器は。私からすると、侵略者が使うそれと類似した技術を使用しているように思える。……どこで手に入れた?』
左手は健康的なようでいて、病的にも思える。
『わかっているだろう? 君は一人なんだ。対して、敵の数は多い。無限である、などという荒唐無稽なことを言い出す者もいる始末だ。そして私は理性でその意見を否定しているが、感情面で思わず同意したくなるほど、状況は絶望的だ。君は一縷の望みだが……人類には、一縷では足りない』
腹部には穴が開いているように見えたが、気のせいかもしれない。
『ありがとう。兵器の解析をさせてくれて。既に量産化計画は始まっている。これで、君が守れなかった人々を、別の誰かが、守れるようになる。君のおかげで人類は……救われる』
死体のように見えて、生きている。
生きているようで、死んでいる。
底から現れた気泡が、全身を覆い隠していく。
※※※
狭間の家に到着した途端、モニカは武器商人に右腕で制された。
「どうかしましたか?」
「ここで待っていてください」
なぜですか、と訊ねる隙も与えず。
武器商人は居間のドアに手を掛ける。
そして開ける前に背後へ飛びのき。
ドアが粉砕された。
「初めまして」
微かな明かりで照らされる居間から一人の少女が出てくる。
いや、少女なのだろうか、と疑問を抱く。
顔は人のそれだが、身体は鎧に覆われている。
パワードスーツ。
黄色の中に白のラインが入った塗装。
右手には拳銃を所持している。
その色彩に負けないくらいの黄色い髪と瞳を持つ少女。ヘルメットを装着しているが、後部から束ねられた髪が露出している。
「ようやく会えたな、クズが」
「同郷の方ですか」
「まぁ、そりゃあ、そうだよな。救世主サマからすりゃアタシなんて下っ端兵士の顔なんて知るわけもないし」
何者かはそんな風に自虐した後に、
「とはいえ、なんでアタシがここに来たのかはわかってるよな」
「あ、あなたは誰なんですか?」
モニカは怯えながらも名を訪ねる。が、鼻で笑われた。
「なんだそいつ。……奴隷か?」
そのワードは禁句だった。モニカは怒りで口を開き、
「武器商人様はそんなこと!」
「いや有り得る。全然あるさ。こいつはな、アタシたちの世界を滅ぼした元凶だぞ」
「何をッ!」
「まずは自己紹介。アタシは“ライトニング”……フレデリカさ。地球防衛連合軍第八機動連隊所属……階級は中尉……元、だけどな」
「電光石火のライトニングですか」
「おや、知られてたとは光栄だよ、英雄サマ。いや、死神とでも呼べばいいか? おめおめと脱出して、武器商人なんてものをやってるとは。しかし皮肉だよな。お前が拡散させた兵器には、高度な追跡能力と転移システムが備わっていて、それを使ってアタシはここにいる……。因果応報ってことかな」
「何を言っているのか全然わかりません!」
「そりゃあ、そうだ。お嬢ちゃん。あんたは他人。他世界の住民。厳密にはアタシと救世主様も他人だが、それでも、世界規模では繋がってる。何より、あんたが広めた兵器をアタシは装備している。あんたのそれはどこだ? 今は持ってないみたいだが……まぁ別にいいさ」
フレデリカは拳銃の狙いを定めた。武器商人の眉間に。
「文句が山ほどあるんだよ。いや、山なんてものじゃ足りないねぇ。大気圏を超えて、月にすら到達する勢いさ。これでもだいぶ控えめな表現だが……とにもかくにも……殺したいぐらいにはな」
「何の恨みがあって……」
フレデリカはモニカを睨み付けた。
「恨みなんてもんじゃない。これは義務さ。滅びた世界を代表してな」
「なぜ武器商人様のせいで滅びたと」
「言っただろ。こいつが諸悪の根源だ。世界を救うためにとんでもない兵器を武器商人から買ったこいつはな、その技術を軍に売り渡したんだ。戦力増強を果たした軍はその力を持って侵略者共を撃退。まぁ、それはいいさ。で、その後はその兵器を使って内輪揉めさ。それぞれの国が覇権を握ろうと切磋琢磨。そのどさくさで、最終的に世界が壊れちまった。……生存者はアタシとこいつ、二人だけ。もうすぐ、一人だけになるがな」
「よく、わかりました」
抗議しようとしたモニカを下がらせて、武器商人は懐に手を伸ばした。取り出したのは黒色のリボルバー。ピースメーカー。
平和を作るのは武器ではなく、と刻まれた。
「それで撃ち勝つつもりかよ」
と余裕なフレデリカの顔色が変わったのは。
間髪入れずに武器商人自身の顎へと銃口が突きつけられたからで。
「武器商人様!?」
モニカが驚愕したその時には。
既に銃声が響いていた。
※※※
目の前には大海の如き、青空が広がっている。
下にある海も遥か遠くだ。
『対象接近。エネミーと断定。ステルスモードでの攻撃を推奨します』
「ダメ。例の音声を現状と照合。送信して」
『非推奨行動となります。よろしいですか』
「お願い」
独り言のようだが、知る者にはそれがオペレーティングシステムとの会話だとわかる。
少女は空中に浮かんでいた。肉眼では補足できないが、システムでは対象を捉えている。
青い装甲に身を包み、背部のスラスターが静かに火を噴いている。
青い目に青い髪。長髪がヘルメットの後部から伸びていた。
右腕には長砲身のキャノン。フォトンブラスター。
『状況に最適化。翻訳し、対象へ送信します。こちらは地球防衛連合軍所属、スカラ・アドミラ。侵略者に警告する。これより当機はフォトンブラスターによる砲撃を実行する。ただし、貴君らが現任務を放棄し、宇宙へ撤退するならばこれを見逃す。こちらの目的は地球の防衛であり、貴君らの殲滅ではない。返答を待つ』
スカラは相手の返答を待つ。ブラスターのセーフティはオンになっている。
死にたくないし、死なせたくない。
その覚悟は、殺したくないし、殺されたくないという意味も含まれている。
それに、スカラは武器商人の発言がずっと引っかかっていた。
――アンフェアだと思うか? ……フェアなんだ。
フェア。公平。
つまり、他の誰かにも配慮していた。その誰かはたぶん、侵略者だ。
そもそも、自分たちはなぜ侵略者が襲ってきたのかを知らない。
武器商人はこうも言っていた。
戦争の理由を探せ、と。
ただ戦うだけで解決するほど、戦争というものは甘くない。
悪い敵を殺して終わり、というほど現実はフラットではない。
考え続けなければ。模索しなくてはならない。
過度に感情的にはならず、理性だけで物事を判断しないようにしながら。
矛盾と共に生きる。
しばし待つと、返答が返ってくる。
轟音と閃光と共に。
それを難なく右に避け、また左に避ける。
フォトンブラスターを構え、チャージ開始。
『フォトンエネルギー充填率80……90%。91、92、93』
「救いたいだけなのに」
『98、99……充填完了』
「ファイア」
引き金を引く。強烈な光線が一直線に飛来する。
空を切り、雲を裂き、目標に命中した。
『対象撃滅。お見事です』
「……私は……」
矛盾を抱えて、生きていく。
※
初めての戦いが終わった。
多種多様な感覚が全身を巡っている。
敵を倒したスカラは、ボロボロの制服姿に戻っている。
武器商人の銃では倒し切れなかった敵を、スカラは一瞬で消滅させた。
勝利したという高揚感。生存したという安心感。
生きていた命を殺したという、罪悪感。
そして、自分たちしか生きていないという悲壮感。
「……もう一つ、忠告しておこう」
戦いを傍で見ていた武器商人の声に、スカラは振り返る。
「まだ何かあるんですか? 戦争の理由を探す以外に?」
黒ずくめの男が首肯する。
「その兵器の取り扱いに気を付けることだ」
「危険物……だから、ですか?」
「それは人類側に存在しない。連中の技術によって作られたものだ」
「異星人の、技術で……」
異星人にとっては既知で、人類にとっては未知。
その知識の差が何を生むのか。スカラは完全にではないが、知っている。
「人とは。あらゆる生命体には、良い部分と悪しき部分が備わっている。もちろん、俺にも。そして君にもな」
「わかりました……」
そのことを胸に刻んで、ふと気づく。
こちらにも知りたいことがあった。
「どうして私なんですか?」
という質問は、虚空に放たれる。
武器商人は忽然と姿を消していた。
まるで最初から誰もいなかったかのように。
※
「ありがとうね、スカラ。君は命の恩人だよ」
「……そうかも。けどね、あなたも私の恩人なんだよ」
専用に用意された部屋の中で、画面越しに会話する。
同年代の女の子。快活そうな茶髪の少女。
名前を不知火エレナ。スカラの数少ない友人だった。
「どういうこと?」
「あなたがいるから、私は戦えてるの」
人々を救いたい。その気持ちに、嘘偽りはない。
しかし人々とスカラの距離は果てしないほど遠い。実態を知らない人々を、中身がわからない人たちを、スカラは救うことになる。
当然、善人ばかりではない。悪人もいるだろう。
老若男女。良い人悪い人どちらでもない人。
黒白灰色。十人十色。
けれども、エレナは違う。
今は物理的にこそ離れているが、精神的には繋がっている。
「あなたのおかげだよ」
「そっか。それなら良かった」
また会おうね、といつかの再会を約束した。
「同時攻撃を仕掛けられた。まぁ、当然と言えば当然ではある」
オズウェル大佐は同情心を垣間見せながらも、淡々と事実を陳列していく。
「君は一人しかいない。なら、囮で君をひきつけ本命を破壊するという単純な陽動作戦で、こちらに打撃を与えられる。向こうの戦力は十全にあるのだからね」
そう説明した後で、俯くスカラに告げる。
「君の友人は残念だった」
「――っ」
泣き叫びそうになりながら、怒りが全身を駆け巡って全てを壊しそうになり、しかし冷静な自分が落ち着けと囁き、逃げ出したい心が騒いでいる。
その結果、何も話せない。感情がごちゃ混ぜになっている。
「そんな状態の君に、こんなことを言うのは酷だと思うのだが。事態は一刻を争う」
オズウェル大佐はスカラの肩に手を触れた。
「君の力を解析させてもらえないか」
目を見開いて、その手を振りほどく。後ずさって大佐を見る。
彼の表情は、態度は変わらない。こちらに同情し、憐れんでいる。
無礼な振る舞いも一切気にしていない。
「だ、ダメです……これは、この力は……」
「そう、だな。そうかもしれない。君の警戒心は正しい」
武器商人は言っていた。兵器の扱いに気をつけろと。
「しかし、事実として……君が我々にデータを提供していれば、君の親友は死ななかった」
その言葉は、敵のブレードに足を裂かれた時よりも痛かった。
「力に飢えているわけじゃない。もし敵がいないとすれば、武器などいらない」
大佐は一歩、一歩と近づいてくる。
「わかっているだろう? 君は一人なんだ。対して、敵の数は多い。無限である、などという荒唐無稽なことを言い出す者もいる始末だ。そして私は理性でその意見を否定しているが、感情面で思わず同意したくなるほど、状況は絶望的だ。君は一縷の望みだが……人類には、一縷では足りない」
大佐はスカラの両肩に手を置いた。
「君が我々を守ってくれている。我々は、守られてばかりだ。……君を、救わせて欲しい」
理性と感情が互いを殺し合う。
結末はもう、見えている。
※
「流石救世主様ですね!」
帰還直後、人波をどうにか抜け出したスカラを称えたのは、自分の部下であるミショットだった。彼女は情報分析のエキスパートであり、後方支援に努めてくれた立役者の一人だ。
戦争を終わらせた、英雄の一人。
「どうかな。私じゃなければ、もっとうまく。もっと早く終わらせられたかも」
「そうかもしれませんね」
ミショットは満面の笑みのまま続ける。
「けれど、そんな人はいなかったんですよ。ここには。この世界には! となれば、あなたが最高最良の救世主だったんです!」
「……そうかもね」
そう言われてしまえば、こう返すしかない。
自分はベストを尽くした。もう、終わったのだ。
「あなたじゃなければ、戦争は長引いていたでしょう。侵略者……プラミダ帝国と対話し、見事和平条約を締結した。絶滅戦争とみられていた戦争を旧来の戦争の形に落とし込んだんです。侵略者の妥協点を探し出し、防衛軍の納得する形で、戦争を終結させた……」
「運が良かったんだよ。彼らが欲しがってたのは水資源で、移住先を見つけるまでの必要量を提供する……という条件で、納得してくれたんだし」
おまけに、水を複製する研究を、プラミダの穏健派が行っていたのが功を奏した。
運よく和平に至る道筋ができていたのだ。
もちろん、殺された人は生き返らない。
多くの建造物が破壊された事実は覆らない。
だが、ここまでにしよう。
プラミダ星人もたくさん死んだ。
スカラのヴァルキュリアシステムによる攻撃と、量産型ディースシステムによる作戦行動で。
それでも、いいとしよう。
地球とプラミダ。双方が、争いを止めたのだ。
「これから山のように……いえ、大気圏を超えて月に到達するぐらいの勢いで、多くの問題が噴出するでしょう。けれど、今は」
休みましょう。
案内されたふかふかのベッドに、スカラは身を沈ませた。
※
今、その背中に当たるのは砕かれたアーマーと、抉られた地面だ。
運悪く瓦礫に叩きつけられてしまったらしい。
腹部からは歪んだ鉄骨が生えている。
自身から漏れ出た赤い体液にコーティングされて。
「かふっ」
血を吐き出した。身体の一部が文字通り貫かれた。
ピントが合わない視界の中で、どうにかそれを見ようとする。
――救世主様、今更です。今更なんです。けど、どうしても引っかかっていたことがあって。ディースシステムを開発するために、救世主様がデータを提供しましたよね。その、きっかけの攻撃についてなんですが。
恐ろしい速度で、過去の言葉が聞こえてくる。
焦るミショットがまくし立てていた。
――プラミダの穏健派と接触して、その方面にいたのはアノハモ将軍だったと。そうですよ、あの優しかったアノハモさんです。和平のために尽力してくれた。そんな人が、ですね……戦略的価値のない拠点を、わざわざ攻撃しますかね。
親友が亡くなった作戦。多くの罪のない人が、プラミダ軍の陽動作戦で死んだ。
――当時の脅威はあなただけだったはずです。地球防衛連合軍は、彼らにとって敵ではなく、水資源を回収する時に目についた、そう、害虫でしかなかった。邪魔は邪魔ですけど、無視しようと思えば全然できた。それなのに、他所を攻撃する必要は……僕は、ないと思います。つまり……。
口の中に血があふれてくる。それを勢いよく吐き出す。
ようやく視界が安定してくる。空中に浮かんだその姿を、改めて確認する。
「久しぶりね、スカラ」
「エレ……ナ……」
新型アーマーに身を包み、髪色がグレーに染まった不知火エレナ。
「あなたは……死んだ……」
身体は重症、どころか、昔の自分なら間違いなく致命傷だ。
しかし、身体は全く痛くない。それ以上の苦痛で上書きされていた。
スカラの動揺を見て取ったエレナは笑い出した。
腹を抱えて。ギャグマンガでも読んだ時のように。
「私が異星人の攻撃で死んだ? アハハハッ。そんなわけないじゃない! 私たちは地球人が仕掛けた爆弾で殺されたッ! 運よく死に体で生き残った私は、あんたの技術供与の実験体とされたわけ! まぁ、都合が良い、切り札だよね、全てが終わった後を見越したら! 案の定、あんたは、精神的に追い詰められて、動きが鈍ってるからね!」
事実だった。スカラは反応できたはずの攻撃を。
防ぐことも、避けることもできなかった。
その姿にかつての友を見たがため。
ひとしきり笑ったエレナはスカラの元へ舞い降りた。
灰色のアーマーはスカラの知るディースシステムではない。
ヴァルキュリアそのもの。データを元に新しく作られたものではない。
デッドコピー。
完全な複製。
それだけはしないと約束されたはずの。
「けど、安心して。私が全てを終わらせるから。だからそうして、そこで寝てればいいよ。救世主様!」
閃光が視界を埋め尽くす。
スカラの意識はそこで途切れた。
※
『アドミラ検体から接収した、フォトンリアクターのデータ。それを応用し作られたのが、このアルマゲドンです。あなたのご希望通りの性能を発揮できるはずですが』
『異星人の存在が明るみになった今、たかだか街一つ、国一つを滅ぼす程度では、抑止力とは到底呼べない。星一つ崩壊させる兵器。それが次世代の抑止力となりえる』
『左様でございます……オズウェル元帥。しかし、これほどの威力が本当に必要ですか?』
『私は誰かを信用したことなどないのでね』
『で、ですが……これは、核兵器が玩具に思えるほどの性能です。扱いを誤れば、我々の世界が滅んでしまうのでは……』
『もし私が考案した兵器で世界が滅びるのなら、それもまた良い終末だ』
『ご、ご冗談を……』
『私は冗談など、口にしたことはないよ』
「これが、僕の入手した……音声……データです……ぐっ」
ミショットは力なく床に倒れる。腹部の銃弾が致命傷だった。
大して、スカラはしっかりと床に立っている。穴があいた腹は塞がり、全身の裂傷は治り、全身から痛みは引いている。
それでも、恐ろしいほどに痛い。痛くて、痛くて、泣き出しそうで。
「そ、その兵器をですね、こふっ、不知火は奪取しま、した……。このままでは、地球が……僕たちの世界が、滅びます。い、いえ、厳密には、他の惑星系の人たちは生きていますけどね、はは……」
「私が止めるよ」
エレナを殺してでも。
しかしその覚悟を聞いて、ミショットは驚いた様子で。
「あれ? おかしいな……。そろそろ、逃げるって、言ってくれると思ったんですけど……」
「逃げる? なんで」
「だって、あなた、ずっと損ばっかりじゃないですか……あなたのせいじゃないことを、どうしてずっと背負い続けるんですか……。僕はずっと、不思議でした……」
「性分、みたいなものかな。戦うって、守るって、決めたから」
「あなたを裏切って……勝手に、自滅用の兵器を作った人間を、ですか……」
「全員が、そういうわけじゃないから」
「そうですね。今度があれば、見極めないと、いけませんね……がっ。すみません、ぼくは、ここま、で……で……」
「ありがとう、ミショット」
スカラは友人に別れを告げて、会いに行く。
二度と再会できないと思っていた友人に。
「極めて単純な起爆コード。ゆえに、外部介入は不可能。私が生きている限り、カウントダウンは止まらない」
巨大なドームの上で、エレナは語る。風はやかましく吹き荒れているはずだが、スカラは全く気にならない。
ドームの中に例の爆弾が設置されている。
もはや爆弾なんて呼び方がばからしくなるほどに強力な代物。
こんなものをオズウェル大佐は作った。抑止力と言えば聞こえはいい。
だが、実際には抑止できていない。
むしろ暴走の引き金となっている。
「不思議なんだけど」
エレナが訊ねてくる。デッドコピーのグレーカラーは、まさに死人のようだ。
しかし、表情こそ生き生きとしている。この後のことが楽しみで仕方ない、という風に。
「どうして、守るの?」
だが、その瞳には何の感情もなかった。
対して、スカラの瞳には、まだ生気が灯っている。
「そうしたかったから」
それっぽい理屈を並び立てることはできる。賢そうな言い訳を、言い連ねることは可能だ。
しかし、結局のところ、一言で済むのだ。
「そう。なら、私と同じね」
エレナはフォトンピストルに手を伸ばす。
鏡合わせのように、スカラもフォトンピストルを掴んだ。
文字通り、死闘だった。
ここまで苛烈な戦闘経験は実のところ多くない。
ヴァルキュリアはとても優秀な兵器で、誰が使っても達人のように戦える。
そして、生存率の高さは戦闘経験値に直結する。
スカラは戦いの中で成長し、一流の戦士となった。
血を吐き出す。重傷を負ったエレナは森の中で倒れている。ドームから幾分離れてしまった。それでも、フォトンを応用した新世代通信システムなら問題ない。
スカラの左腕のアーマーは砕け、右腕は真っ赤に染まっている。腹部の一部は露出し、左目には血が入ってまともに見えない。
エレナはそれ以上だ。右足欠損、両腕の機能不全、胸部損傷、右目は潰し、左耳もまともに聞こえていないはずだ。
しかし、スカラは警戒を怠らなかった。理由は自身がよくわかっている。
「負けちゃった」
他人事のようにエレナは言う。まともに動かない腕を不器用に広げた。
「撃てば終わるよ。それとも、拷問するのが趣味なんだっけ」
まだエレナは生きている。抑止力のカウントは進んでいる。
すぐにでも撃つべきだった。理性はずっと騒いでいる。
ミショットの死を無駄にするな。
今も必死に生きている人々のことを思い出せ。
「……」
赤くなった右手が握る、拳銃のマガジンを排出する。エネルギー充填がされた予備マガジンを脚部の格納部から取り出し、装填。スライドを引く。
引き金に指を掛ける。後は指を動かすだけ。
そこへ感情が割り込んでくる。
救う価値が人類にあるのか?
こうやって助けたところで同じことの繰り返しではないか?
そもそも、エレナも被害者だ。
加害者は誰だ? プラミダ星人? オズウェル?
こうなった元凶は?
一体誰のせいで、こうなった?
「あ……」
液体がアーマーに付着する。無色透明。
「どうしたの? 早く殺さなくていいの? 全部、吹き飛んじゃうけど」
自分がこの武器をしっかりと管理していれば。
オズウェル大佐の策略に気付いていれば。
液体が口の中に入る。
しょっぱかった。
「無理、だ……」
拳銃を握る手が震え出す。
「嫌だ」
ともだちを殺したくない。
全部自分のせいなのに。
「そっか」
エレナは納得したように笑う。
今度は、瞳に感情が見えた。
「さっきの嘘。実は、逆だったの。私が死ねば世界が滅びるように、してあったの。私は証明したかった。いくら危機的状況にあろうとも、人間はまだ、捨てたものじゃないと」
「エレ……」
銃声が響いた。
慌てて自分の拳銃を確かめる。
未発砲。誤射ではない。
とすれば誰が撃ったのか。
瞬間的に誰の差し金か理解する。オズウェル大佐。元帥。
「どうしてッ!」
「気に病まないでね、スカラ。あなたは悪くない……何も悪くないんだからッ!」
エレナが背部スラスターを起動させ、突撃してくる。
押し倒されて、再びエレナが撃たれた。
否、自分を殺すための弾丸を、彼女が代わりに受けたのだ。
遠くの方で、光が見える。
終末の光が。
「どうしてえッ!」
その叫びは、世界の崩壊でかき消された。
――起きろ……起きろ……。
聞き覚えのある声が聞こえる。男の声だ。
「武器……商人……」
――きて……起きて……起きてください! 武器商人様!
声音が変わった。女の声。
少女の、声だ。