7話 森の影と遠吠え
夜の静寂を裂くように、遠くから不気味な遠吠えが響いた。
低く濁った声――獣とも人ともつかない、底の知れない音。
紗希はスープを飲む手を止める。
「……今の、なに?」
暖炉の炎がパチリと弾ける。
女将が眉をひそめ、声を落とした。
「最近ね、森の方で“何か”が出るんだよ。畑を荒らしたり、家畜をさらったりしてね」
リクは静かに椅子を引き、立ち上がった。
「それが何であれ、放っとくと厄介だな」
「お客さん、強そうだねぇ」
女将が苦笑する。
「悪いけど――それ退治してくれたら、宿代はチャラにしてあげるよ」
紗希が慌てて立ち上がる。
「えっ!? そんな危ないこと……!」
「いいだろ」
リクはあっさりと頷いた。
「ちょうど手持ちも心もとねぇしな」
女将は目を丸くしながらも、「頼んだよ」とだけ言って見送った。
⸻
夜の森は、冷たい霧と月光に包まれていた。
風が葉を揺らし、土の匂いが濃く漂う。
リクの足取りは迷いがない。
まるで、闇の中でも道が見えているかのようだった。
その姿を見て、紗希はふと感じた。
――この人、本当に人間じゃない。
「……ねぇ、リク」
「なんだ」
「魔人って……どんな存在なの?」
一瞬、リクの足が止まる。
振り返ったその瞳が、夜の闇よりも深く光った。
「そうだな……この世界には様々な種族が存在している、その中の一つってところだ」
「人とは違うのね」
「だが、全員が悪ってわけじゃねぇ。俺みたいにな……」
リクは短く笑い、再び前を向く。
その背中に、どこか遠い孤独が滲んでいた。
⸻
その時だった。
草の茂みが揺れ、低い唸り声が響く。
「――来たか」
闇の中から現れたのは、小柄な影の群れ。
十体、二十体。黄色い目が闇の中で光る。
手には錆びた刃物や棍棒。獣臭と血の匂いが混じっている。
「な、なにあれ……!」
「ゴブリンだ。しかも群れで動いてやがる」
リクは前に出ようとする――が、足が止まった。
「……やっぱりな。許可がねぇと攻撃できねぇ」
「ゆ、許可!?」
「そうだ。命令しろ、紗希。お前が“俺に力を使え”って言え!」
紗希は息を吸い込み、叫んだ。
「リク! ――わたしの命令よ! 力を解放して!」
その瞬間――リクの体を淡い光が包む。
テイムの印が赤く輝き、森の空気が一変した。
「……よく言った」
リクの声が低く響く。
その瞳が血のように赤く染まった。
地面を蹴る。
瞬きの間に一体、二体――ゴブリンの首が宙を舞う。
残る者たちが叫び声をあげ、我先にと逃げようとするが、リクの影がそれを許さない。
「っ……!」
紗希は息を呑む。
人間の動きじゃない。速すぎる。重すぎる。
リクの背中から放たれる圧は、まるで獣そのもの。
その姿は“人”ではなく――“魔”だった。
「……やっぱり、魔人なのね」
リクは拳を振り抜き、最後の一体を地面に叩きつける。
「そうだ。猿の魔人――それが俺だ」
土煙が晴れる頃には、辺りは静寂に包まれていた。
リクは血を拭い、肩を回す。
「これで宿代、チャラだな」
紗希はまだ震える声で笑った。
「……リク、ありがとう」
リクはその笑みを見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「メシの途中だったな、腹が減った」
⸻
翌朝。
二人が宿に戻ると、女将が目を丸くした。
「まさか本当に行ったのかい!? しかも夜に!」
リクは肩をすくめる。
「ゴブリンの群れだった。もう片づけた」
女将は一瞬沈黙し、それから破顔した。
「……ははっ、なんてこった。約束通り、宿代はナシだよ!」
「助かります」
紗希が笑って頭を下げる。
リクは窓の外を見つめながら、低く呟いた。
「……いい村だな」
その声は、どこか懐かしさを含んでいた。
朝の光が差し込み、旅の次の一章が静かに始まった。




