第105話 ロザリエールさんの1日 その1
辰馬、ロザリエール、麻夜、3人の無茶振りでダイオラーデンが陥落し、ギルド支部の支部長、リズレイリアが女王となったことでスイグレーフェンと名を変えた。後処理をなんとか終えた辰馬たちが、ワッターヒルズへ戻った翌日のこと。
ロザリエールが目を覚ますと、まずは洗顔のために風呂場へ向かう。洗顔が終わると、次は辰馬より教わった歯磨き。自然素材でつくられた研磨効果のある粉状のものを、小指と同じくらいの大きさがあるブラシにつけて歯を磨く。
すっとする清涼感のある果実からとられた素材も使われていて、口の中がさっぱりするのだ。これを知って以来、ロザリエールは歯を磨くこの時間が少しだけ好きになった。
これらは、辰馬たちのような異世界を渡ってこちらの世界へ来た者たちが伝えたとされている。毎日使っている清涼感を感じられる石けんも同じように昔から伝えられたものである。
一度自分の部屋へ戻り、服を着替え、姿見に映してチェックを終える。今日も見事に上から下まで漆黒の装い。
ロザリエールの部屋から居間兼食堂はすぐそこ。こことその裏手にある厨房が朝一番の職場でもある。
リビングを覗くとロザリエールはちょっとだけ呆れる。同時に自分の口元が少しばかり緩んでいたことには気づいていないだろう。
朝日がそろそろ昇るかもしれないというまだ薄暗い時刻なのに、彼女のご主人様である、辰馬が座ってお茶らしきものを飲んで寛いでいたのである。
要は困ったことに、ロザリエールよりも辰馬のほうが早起きだったりするわけだ。今日だけでなく、ワッターヒルズの屋敷へ戻っているときはいつもこうだ。
スイグレーフェンの宿に宿泊しているときは例外である。それはこのあと行われる、鍛錬方法にあったのだろう。
「おはよう、ロザリエールさん」
「おはようございます。ご主人様」
「じゃ、麻夜ちゃんが起きちゃう前に、いっぱつお願いしますかね」
「……また、ですか?」
「仕方ないでしょ? スイグレーフェンではできないんだからさ。まぁそのうち、ギルドの建物に住むようになったなら、皆さんに迷惑かけないだろうから、それはそれなんだろうけどね」
「はい。……仕方ありませんね。本当に」
辰馬とロザリエールは屋敷を出る。辰馬の『個人情報表示』画面に出ている時間はまだ6時前。辺りは薄暗く、町中では人も歩いていなかった。
橋の上を歩き川を渡ると、辰馬が以前よく鍛錬していた崖の下へ到着。辰馬がロザリエールのほうへ回れ右をした瞬間。
「じゃ、このあた――」
問答無用に、辰馬の襟首を黒い刀身のナイフでかき切る。辰馬が倒れようとしているその場所へ敷布を敷いて、ふわりと抱くようにして膝枕をする。
辺りとロザリエールの膝の上に少々飛び散った辰馬の血が、時間を巻き戻すかのように彼の中へ戻っていく。
「うげぁ……」
ロザリエールの背後から聞こえる少女の声。
「――見てしまったのですね、麻夜さん」
「あ、はいその、……ご、ごめんなさい」
「いいんです。これはご主人様の悪癖とも言えるのですから……」
辰馬は、自分の回復属性魔法を信じるために、死なせてほしいと願ったことがある。ロザリエールの手腕であれば、辰馬を即死させられると思ったからだろう。彼女は理解できなくはないが、『本当にいいのかどうか』葛藤するのは仕方のないこと。
それ以来なぜかルーティンワークになってしまい、これがないと一日が始まらないとまで言うようになってしまったのだ。心優しいロザリエールは、渋々付き合ってあげていた、それが現状なのである。
そんなことをロザリエールは手短に、麻夜に説明をしてあげたのだった。
「ですよねー、こんなことをロザリエールさんにやらせるなんて、ドン引き以外なにもありませんってば。でも、見ていて気持ちのいいものじゃないからとにかく今朝のは、忘れることにします……」
「そうされたほうがよろしいかと……」
「でも本当に困ったら、麻夜に相談してね? ロザリエールさんと麻夜の仲なんだから」
「ありがとうございます。とても心強いですよ、麻夜さん」
ロザリエールの膝の上で眠る辰馬に、麻夜は呆れたような言葉をかける。そこでやっと意識を取り戻す辰馬。
「……ん? あ、いつもすまないね、ロザリエールさん」
「おはようございます。ご主人様」
ロザリエールに即死させられていたはずの辰馬。彼の目が開いてさもあたりまえのように、労いの言葉をかけるから質が悪い。
「ありゃ? 麻夜ちゃんどしたの、こんなとこに?」
「あ、見つかっちゃった――いえその。ロザリエールさんとおじさんがね、こんなに薄暗い早朝にしけこんじゃってたから、どこ行くんだろう? ……って後をつけたらこの様です。人が死ぬのを初めて見ちゃったってばさ」
「え? 『王家転覆大作戦』そこいら中血まみれにしてた麻夜ちゃんがいまさら何を言うのよ?」
「あれはほらMOBみたいなものだから、ストレス解消でどどーんとね」
麻夜の言う『モブ』とはムービングオブジェクトの略称で、本来はモンスターのようなやられ役を指すのである。
「モブってあのねぇ。時代劇の切られ役じゃないんだから」
実は辰馬も、その程度にしか思っていなかったりするのであった。
「それよりなにより、知ってる人が死んでる姿のほうがありえないってば。それにだよ? ロザリエールさんに何させてるの? 悪いと思わないの?」
「ロザリエールさんだから、こんな無理なお願い頼めるんだってばさ。そんならさ、麻夜ちゃんがやってくれるの?」
「いやいやいや、ゾンビみたいに生き返るの知ってるからって、……あ、あれは生き返ってないから違うかも。と・に・か・く、キショいからちょっと麻夜には無理だから」
もはや辰馬を不死の存在扱い。やれなくはないと、麻夜は否定をしないようなニュアンスを含めていた。
「ゾンビってあのねぇ。でも麻夜ちゃんだって嫌なんでしょ? だからロザリエールさんにお願いしてるんだってば」
「……ほんと、お二人はご兄妹ではないのですよね?」
「ん?」
「ん?」
「違う違う」
「違う違う」
辰馬と麻夜は同時にロザリエールへ振り返ると、顔の前で手を左右に振って否定する仕草をする。
「どっちもどっちでございます……」
その姿はどう考えても、外見は違えど同じ兄妹ともいえる『化物』が中で動いているとしか思えないロザリエールだった。
ロザリエールは現在、辰馬個人に仕える女性版家令でもあり、侍女でもあり、秘書でもあり、辰馬が知る中でも最強の剣でもあったりする。つまり、屋敷のすべてを預かっていながら、ときとして辰馬に同行し先回りをして様々な支援をしつつ、必要とあらば立ち塞がる敵を打ち倒す。
そんな役割を問答無用ごり押しで、辰馬に認めさせたのがロザリエールだったわけだ。ロザリエール本人たっての希望で、辰馬の側にいるのである。
ロザリエールにとって辰馬は、化け物であり、恐怖の存在。始末人として唯一、暗殺に失敗したターゲット。だが、自分と家族を生き地獄から救ってくれた神のような存在のほうが強い。だらしない弟のような存在でもあって、可愛くて仕方がないと思える面もあるようだ。
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