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強引に婚約させられそうになったので、ちょっと冒険に出てきます~騎士とランプ屋が煌めきを探す旅をした話~

作者: 織糸 こより

 さて、困った。


 騎士フリッツはある豪勢な貴族の屋敷の庭で、人目に付かぬように頭を掻いた。紫紺の髪と瞳に甘いマスクの見目の良いこの男は、今その美貌によって困った立場にあった。

 今日はフリッツの年下の幼馴染みの貴族令嬢ジェナの誕生日で、彼女たっての希望でフリッツは盛大な彼女の誕生日会にやってきたのだ。

 そこで偶然聞いてしまった。ジェナが自分との婚約を勝手に発表しようとしていることに。

 勿論、フリッツはそんな話は聞いていないし、婚約を承諾した覚えもない。しかし、発表されてしまえば、彼女の名誉の為に話を進めざるを得なくなるだろう。


 しかし、何だってそんなトチ狂ったことをしようなんて……。私に気のある素振りを見せていたのは分かっていたけど。


 どうしたのものか、とフリッツは隠れるように庭に出て一人悩んでいると、上からポンッと音がした。フリッツが思わず見上げると、頭上に浮いている金髪の女性の姿があった。

 えっと戸惑う間もなく、落下してくるその女性を咄嗟にフリッツは受け止める。抱きかかえた女性の青い瞳と目が合う。お互いに驚いた顔でしばし固まっていると、はっとその女性は我に返り、顔を真っ赤にして手足をバタつかせた。

 フリッツが地に降ろすと、金髪の女性は恥ずかしそうに弱り顔で頭を下げた。


「す、すみませんっ……」

「とりあえず、君がどこの誰で、何で急にここへ現れたのか聞いても良いかな? ジェナの知り合い?」

「は、はい。私は街でランプ屋を営んでいるリーネと申します。ランプを作る材料を採取に出掛ける為に、傭兵を雇おうと冒険者ギルドへ行こうとしたいたのですが……」

「ここは貴族の邸宅だよ。冒険者ギルドはもっと南にあるけど」

「……そうなんですね、本当にすみません。隣に住んでいる魔女が最近、転移魔法を覚えたとかで、ギルドまで送ってあげると言われて……」

「失敗したってわけだ」

「はい……」


 リーネをがくっと肩を落とした。魔法で唐突に知らない家に飛ばされるなんて恥ずかしいことこの上ない。しかも当然不法侵入である。見つかったら捕まる。


「す、直ぐに出ていきますから。ご迷惑お掛けしましたっ」


 頭を下げ、そそくさとこの場を去ろうとするリーネにフリッツは待ったを掛けた。


「な、何でしょうか……?」


 呼び止められて、びくびくしながらリーネが振り返る。そして改めて自分を受け止める羽目になった青年の姿を見た。金糸が豪勢に刺繍された青い礼服を纏っている若い男性。


 この服装……間違いない、騎士だわ。不味い、捕まっちゃう。

 転移魔法なんか頼まなきゃ良かった、とリーネは激しく後悔した。


「本当に悪気は……」


 言い募ろうとするリーネを手で制し、フリッツが口を開く。


「君が賊の類でないことは認めるよ。本物ならこんなドジは踏まないだろうしね」


 彼の一言にグサッと来たが、ドジなことは事実なのでリーネは項垂れる。


「確か、リーネさんと言ったね」

「はい」

「ランプを作る材料を取りに出掛ける為に護衛を必要としている……」

「そうです」


 フリッツはリーネの縮こまった姿を上から下まで眺めた。

 金髪に青い目、顔は可愛い。白いブラウスに緑色のシンプルな長いスカートも似合っている。背格好は普通、歳はたぶん自分と同じくらいの20代前半といったところか。

 これは使えるかもしれない。


「私にちょっと協力してくれたら、不法侵入の件は隠してあげるよ」

「本当ですかっ!?」


 リーネの顔がぱぁっと明るくなる。


「あぁ」

「それで一体、協力とは具体的に何をすれば良いのですか?」

「それなんだけどね……」


 フリッツが説明しようとしたとき、幾つもの足音が聞こえてきて、こちらに何人かが早足で近づいてくるのが見えた。その先頭にはブルネットの髪に赤い煌びやかなドレスを着た少女がいる。


「見つかったか……」


 困ったように呟き、フリッツは天を仰ぐ。どうやら説明している暇はないようだ。


「リーネさん、とりあえずここは私に任せてくれる?」


 フリッツはそう言って、リーネに向かって軽くウィンクした。任せるって何を、と疑問符を浮かべるリーネの肩をフリッツが抱く。


「えぇっ?」


 リーネは顔を赤くし、増々混乱した。そうこうしている間に、ブルネットの愛らしい少女は二人の前にやってきて、リーネの方をキッと睨んだ。


「やぁ、ジェナ。誕生日おめでとう」

「フリッツ。誰ですの、この人?」

「あぁ。君に言い忘れていたことがあって。私はこれから用があるんだよ」

「何ですってっ? 私の誕生日会に出て下さるのでしょう?」

「少しだけでも顔を出そうと思ってね。プレゼントは執事に預けてあるから受け取ってくれたまえ」


 ははは、とわざとらしい笑みを浮かべ、リーネを連れて去ろうとする。


「その人に一体何の用があるっていうの? 私より大事なの、そんな女が?」


 そんな女……、と一瞬引っ掛かるものを覚えたが、リーネは直ぐに考え直す。


 まぁ、屋敷に見ず知らずの人間が居たら、そう思うよね。しかも、どう見ても招待客でもない、不審者だし。彼女にはそう思う権利があるわ。


「ジェナ。そんな怖い顔するもんじゃないよ。可愛い顔が台無しだ。それはそうとして、この人は大変に苦労されてる方でね」


 苦労って何の話?

 リーネはフリッツの言い草に内心首を捻る。


「彼女のご両親は重篤な病に掛かられていてね。それを治すのに貴重な薬草を森まで採りに行かなければならないんだ。でも、森は魔物も居て危険だから、私が同行することにしたんだよ。護衛を雇うお金も無いそうだから」


 ちょっ、護衛を雇うお金くらいはあるし、大体両親は田舎でピンピンしてますけど、と抗議しようとしたリーネをフリッツが横目で制す。


「どうしてフリッツでなければいけませんの? 他の騎士でもよろしいでしょう!」


 ジトっとした目でジェナは、リーネの肩を抱くフリッツの手を睨む。


「そりゃぁ、困ってる女性を放っておけないだろう、騎士として。じゃ、そういうことで。改めて、誕生日おめでとう。素敵な女性になってくれ」


 フリッツは白々しい笑顔を浮かべ、リーネの肩を抱いたまま歩き始める。待って、というジェナの声を聞こえない振りしてどんどん彼女から遠ざかっていった。

 無事屋敷から出られたリーネは後ろを振り返る。誰も追ってきていない。もう大丈夫そう、と思ったリーネはフリッツに声を掛けた。


「あのぉ……そろそろ、手を離して頂けませんか?」

「おぉっと。すまないね」


 フリッツは大袈裟な仕草で、リーネの肩から手を退ける。


「いいえ。助けて頂いて有難うございました」


 リーネは頭を下げてその場を去ろうとしたが、フリッツに止められた。


「ちょっと待って」

「はい?」

「約束したじゃないか。護衛をするって」


 フリッツの言葉にリーネは目を瞬かせる。


「あれは……あの場を切り抜ける為の嘘ですよね?」

「いやいや。騎士は約束を反故にはしないよ」


 彼はそう言って、またリーネに向かって軽くウィンクした。

 さっきから思っていたけれど、この人軽薄そうだわ。口も上手いし。

  

「でも騎士様に払える程の報酬は用意出来ませんけど……」


 冒険者ならいざ知らず、国に帰属している騎士など、そうそう簡単に雇えるものではない。王族や大貴族、高級官僚なら兎も角、街の一介のランプ屋の護衛に騎士を雇うなんて、前代未聞のとんでもない話だ。


「心配しなくて良いよ。費用は勿論タダだから」

「ですが……」


 リーネが躊躇う素振りを見せると、フリッツは頭を掻いた。


「実のところ、このままだとジェナがきっと納まらないと思ってね。騎士団や家に迷惑が掛かると困るから、少し私自身行方をくらましたいところなんだ」

「はぁ……あの女性と何か揉めてるんですか?」

「いや、まぁ……ちょっとね」


 侯爵家の一人娘であるジェナは我儘いっぱいに育った所為か、何でも思い通りにしたがるところがあった。

 

 子供っぽい我儘なら可愛らしくもあるが、勝手に婚約発表するような真似は頂けない。ま、2、3日したら今日のこと、実行しなくて良かったと思うだろうな、とフリッツは楽観的に考えている。


「だから、頼むよ」


 フリッツに念を押されて、リーネは増々困ってしまった。


「でも、騎士の仕事は大丈夫なんですか? えっと……」

「あぁ。紹介がまだだったね。私は騎士のフリッツ」

 

 そう言って、彼は優雅な仕草でお辞儀をする。芝居がかったことが好きなようだ。


「仕事については問題ない。先だって、大規模な魔物の討伐を行ったばかりだから、少しばかりなら自由が効くよ」

「それなら……」

 

 良く考えれば、護衛に支払う報酬もバカにならないし、その分が浮くならそれに越したことはないかもしれない。それに、助けてもらった身だ。次はこちらが助ける番だろう。


「決まりだね。よろしく、リーネさん」


 フリッツが白い歯をきらりと光らせ笑い、握手を求めてくる。リーネは躊躇いつつ彼の手に自分の手を重ねる。思いの外強い力で手を握られ、リーネは何故だかどきっとした。

 





 次の日の朝、街の真ん中にある大きな騎馬像の前で、リーネは不安な面持ちでフリッツを待っていた。昨日、あの後色々と採取の旅について説明し、今朝9時の鐘が鳴る頃集まる予定になっていた。

 

 本当に来るの? それに、剣の腕は確かなのかしら? 何だか騎士っぽくない人だったし。騎士ってもっと真面目な人だと思ってたけど、昨日のフリッツさんは何だかちょっと軽薄そうだったし。護衛として大丈夫かな? タダより高いものはないって言うし。やっぱり断った方が良かった……かも。


 リーネが悶々と考え込んでいると、誰かに肩を叩かれた。


「お待たせしたかな? リーネさん」

「フリッツさんっ」


 リーネが振り返るのと同時に、9時を知らせる鐘が鳴った。今日のフリッツは、旅に相応しい革の胸当てや肩当それにブーツなどの動きやすい装備に、剣を佩いている。にっこり笑う顔が憎らしいほど魅力的で、リーネは我知らずどきっとした。


 ときめいちゃだめよ。フリッツさんはただの護衛。これが終われば会うこともないんだから。


「フリッツさん、おはようございます」


 内心の動揺を抑えて、リーネはフリッツに挨拶する。


「おはよう。その格好も可愛いね」

「は、はぁ……」


 リーネも旅に合うように、動きやすいスリットの入った長衣をウェストできゅっと締めて、下に黒色の厚手のタイツをはいている。さらにその上に灰色の外套を纏っていた。しかも鞄を背負っている。色気のある格好とは言い難い。


 フリッツさんってやっぱりちょっと変だわ。


 二人は連れ立って城郭の門へ向かい歩き出す。商店が並ぶ大通りを進んでいると、フリッツの容貌に街行く女性達が振り返っていく。フリッツ本人もその視線に気付き、軽く手を振ったり笑みを見せたりと、女性達の視線に応える。


 ……女好き、なのかしら?


 一抹の疑念が頭を過ぎるリーネだったが、フリッツは若い女性だけでなく、リーネがよく通うパン屋や花屋のおばちゃん達にも愛想を振りまいていたので、単に女性にちやほやされるのが好きなだけかもしれない、と思い直した。

 二人は門を抜け、街道を歩き出す。


「それで、北の森の小さな泉だっけ?」

「はい。そこで今の時期にしかない材料を採りに行きます」

「今の時期にしかないもの? それって何だい?」

「それは見てからのお楽しみです」


 リーネは少し悪戯っぽい笑みを見せる。


「とりあえず、今日は森の入口近くの村まで行きましょう」

「了解」


 街道沿いは先頃騎士団が掃除をしており、魔物や野盗の類に遭遇することもなく、進んでいく。リーネは道沿いに可憐に咲く花を見つけ、足を止める。


「フリッツさん、少し待ってもらえますか?」

「どうしたの? 疲れた?」

「いえ、花をスケッチしたいんです」

「スケッチを? 私は構わないよ。主は君だからね」

「ありがとうございます。フリッツさんも休憩して下さいね」


 リーネは鞄を置いて中から、紙の束を取り出す。そして釣り鐘型の花を咲かせる植物の前に座り込んで、スケッチを始めた。フリッツは隣で真剣なリーネの様子を興味深そうに見守る。


 真剣な顔の女の子も素敵だな。


 しばらくして、リーネが満足したのか紙を鞄に仕舞い立ち上がった。


「もう良いのかい?」

「はい。お待たせしました」


 二人は再び石畳の道を歩き出す。


「そういえば、花のスケッチなんて、絵を描くのが趣味なのかい?」

「いいえ。ランプのデザインの参考にするんです」

「花が参考に?」 

「そうですよ。でも、花だけでなく、木々も鳥も水も、自然なら何でも参考になります。自然は常に答えを知っていますから」


 リーネはそう言って微笑んだ。正直良く分からないが、その顔が可愛かったのでフリッツは頷くだけにしておいた。その後もリーネは興味の惹くものがあれば花でも木でも鳥でも何でもスケッチした。

 その度に歩みが止まったが、別段急ぐ旅でもないのでフリッツも急かさない。彼女を待ちながら、時折すれ違う旅人や商人とフリッツは話をする。リーネが木のスケッチを終えた所で、彼を声を掛けた。


「リーネさん。急かすつもりはないんだけど、精霊祭が近いから商人が増えてきているらしいよ。宿が取れなくなるかも」

「分かりました。急ぎますね」


 リーネは頷き、素早くスケッチ道具を片付けると荷物を鞄を背負い、足早に歩き出した。

 精霊祭とはこの国で一番大きな祭りで、毎年秋、精霊と恵みに感謝するための盛大な催しである。

 街の至るところに花が飾られ、広場や大通りに出店が並ぶ。夜通し旅芸人達の歌や芝居が繰り広げられ、あちこちで食事とビールが振舞われる。飲んで騒いでの楽しい祭りだった。 リーネもこの祭りに店を出すため、ランプの材料を集めているのだ。

 

 歩き通して夕方着いた宿では何とか部屋を取ることが出来たが、生憎と一部屋しか空いていなくて、リーネとフリッツは相部屋になってしまった。


 仕方ないわ。泊まれないよりマシだもの。それに一緒のベッドに寝るわけではないんだし。


 リーネとフリッツは荷物を置いて、夕食を取るべく階下の食堂へ向かう。


「リーネさん、お酒はいけるクチ?」

「少しなら……」


 フリッツに問われてリーネは控えめに頷く。席に着いたフリッツは店の女の子ににこやかに手を振り、食事とビールを注文する。ざわつく食堂内でもフリッツの美貌は有効なのか、女の子はすぐに来てくれた。

 そつのない人だわ、とリーネは感心するのと同時に呆れた。

 しばらくして運ばれてきたじゃがいも料理とビールを楽しみながら、フリッツがリーネに尋ねる。


「こんな風に材料を調達しに行くのは、よくあるのかい?」

「えぇ。そんなに頻繁ではないですけど」

「意外だな。ランプを作るのにわざわざ危険なところに材料調達しに行かないといけないなんて」

「そうですね。少し変わってるかもしれません」


 フリッツの言葉にリーネが苦笑する。


「でも、そういう変わったランプを気に入ってくれるお客さんがいて。だから、やめられないんですよね、ランプ作り」


 嬉しそうに自分の作ったランプを買ってくれる客の顔を思い出し、リーネは頬が緩んだ。


「良い顔してるね。実に魅力的だ」

「えぇっ……」

 

 フリッツの唐突な褒め言葉にリーネは顔が赤くなった。


「もう……揶揄わないで下さい、フリッツさん」

「揶揄ってなんかないさ。打ち込めるものがあるって素敵なことだと思うよ」


 道中のリーネの真剣な横顔を思いだし、フリッツが微笑む。


「は、はぁ……」


 こういうことさらっと言うからちょっと軽薄な人に見えちゃうんだわ、この人。


「でも、どうしてランプ屋になろうなんて思ったんだい?」

「そうですね……幼い頃、一度だけ両親に精霊祭に連れて行ってもらったことがあって。そこでとっても素敵なランプを売っているのをみたからでしょうか。その時は買えませんでしたけど」


 いつか自分でも作ってみたいと憧れるようになったのよね。


「なるほど」

「フリッツさんはどうして騎士に?」


 リーネの問いに、フリッツはうーんと少し腕を組んで考える素振りを見せる。


「私は貴族の三男坊だからねぇ。ちょっと刺激のあることしてみたかったっていうのかな。まぁ、家を継ぐわけじゃないし、好きにやらせてもらってるよ」

「貴族の三男坊……」


 リーネは改めて目の前の男が自分とは本来混じり合わない人物なのだと思い出す。


「おっと。別に私の身分のことは気にしないでくれたまえ。騎士団には貴族じゃないのも大勢いるしね。私は爵位を継がないから、ただ貴族の家に生まれたってだけだよ」

「はぁ……」

「今は君に雇われているただの護衛ってことで……あっ」


 そこまで言ってフリッツは何かに気が付いたように、声を上げた。


「どうしたんですか?」

「男と二人旅なんて、嫉妬する奴がいるんじゃないかい?」

「そんな人いませんっ」


 年がら年中工房に籠ってランプを作ってるか、材料探しに冒険に出ている女なんか、異性に好かれるわけないのだ、とリーネは思っていた。


「そうなの? 勿体ないなぁ」

「そういうフリッツさんはどうなんです?」


 さぞかし、おもてになるでしょうから、とリーネは心の中で皮肉る。


「私? 私もそういう心配はいらないな。だから、この身は君の自由にして良いよ」

「語弊のある言い方しないで下さいっ……フリッツさん、変な人って言われません?」

「うーん、調子の良い人、とは言われるかな?」

「っでしょうね」


 思わず、リーネは彼の言葉に深々と頷いてしまった。

 





 夜、リーネはベッドに入りながら、いつの間にか隣のベッドで寝ているフリッツのことを考えていた。


 フリッツさんは今まで頼んできた、どんな冒険者よりも一緒に旅しやすい人だわ。スケッチしていても決して急かしたりしないし、人当たりも良いし。


 冒険者の中には極端に愛想がなかったり、プロだからとリーネの意見を無視して勝手に日程を変えたり、スケッチの度に足を止めるとあからさまに舌打ちしたりする人もいる。しかし、フリッツはちょっと女性に対して口が上手いが、あくまで紳士的だ。

 リーネの脳裏に微笑むフリッツの姿が浮かんでくる。大きく心臓が跳ねたので、慌ててリーネは首を振った。


 ダメダメ、何を考えてるの。確かに物腰柔らかで付き合いやすい人だけど、今だけの人よ。材料を調達し終えたら、もう会うこともないのだから。

 あと、気になるのは剣の腕前だけ。でも、振るう機会がない方が良いけど。

 ……色んな意味で何事もありませんように。



一方、フリッツもリーネとこの旅のことを考えていた。


 今までこんな風に仕事をしたことはなかったけど、悪くないな。要人の警護はしたことあるけど、楽しいものではなかったしな。リーネさんは一緒に居て興味深い人だし、話をするのも面白い。そういえば、市井の女性とじっくり話すのは初めてかもしれない。


 フリッツが普段会う女性と言えば、社交界に出入りする上流階級の令嬢か、騎士仲間と連れ立って行くちょっといかがわしい酒場で働く女性くらいなものである。


 自分の力で稼いで街で生きる女性と過ごすのは初めてだ。新鮮だな、リーネさんも可愛いし。

 ……この冒険、意外に面白いかも。






「今日はいよいよ、街道を外れて森の中へ行くんだね」

「そうです」


 次の日の朝、宿を出たリーネとフリッツは森の地図と目的地の位置を示す小型の羅針盤を持って歩き始めた。

 森の中へ入ると木々の合間から漏れる光がほんのりと辺りを満たし、心地良い気分である。リーネはここでも珍しい植物やキノコや虫などを熱心にスケッチする傍らで、真剣な彼女の邪魔をしないように、フリッツは周囲の様子を油断なく警戒していた。

 しばらくは何もなく散歩気分で歩いていたが、奥に進むにつれて人の手が入った痕跡はなくなり、徐々に木々は密集し下草も伸び放題で、歩き辛くなってきた。うす暗くなった森の苔むした岩や木々の間に垂れる無数の蔓が、否応なく薄気味悪さを演出している。

 

 この様子だといつ魔物が出てもおかしくないな、とフリッツは剣の柄に指を掛けいつでも抜けるように構えた。

 陽が傾き始め、より一層不気味さを増す森の中が急に静かになった。今までどこからともなく聞こえていた鳥や獣の声が聞こえなくなったことに、フリッツは気が付く。

 妙な沈黙が続き、嫌な匂いの風が吹き抜ける。


 「リーネさん、気を付けて。何か来る」


 フリッツが警戒感を滲ませて、隣のリーネに声をかけ、鞘から剣を抜いた。徐々に何か虫の羽音のようなものが聞こえてくる。それは間違いなく二人に近づいて来ており、不快な耳障りに思わず眉間に皺が寄る。

 ガサガサと草や木の葉が揺れる音がして、姿を表したのは人の大きさの半分はあろうかという巨大な蜂の魔物だった。それも複数、どうやら取り囲まれているようだ。赤く光る大きな目が否応なく危機感を煽る。

 襲い掛かって来る巨大な蜂の一匹を華麗な一閃で撃退するフリッツ。続けざまに二匹目、三匹目と一刀のもとに両断していく。その鮮やかな剣さばきにリーネは思わず見惚れていたが、はっとして鞄を地面に置くと中から緑色の粉が入った小瓶と明かりの点いていないランタンを取り出した。


「一体あと何匹いるんだ……?」


 次々湧いてくる蜂の魔物にいい加減ウンザリしたフリッツが思わず唸った途端、リーネが叫んだ。


「フリッツさん、伏せて!」


 そう言われてフリッツは反射的に身を屈める。それを見計らってリーネは硝子の小瓶に入った緑色の粒子を手に広げ、魔物の群れに向かってぶーっと思い切り吹きかけていった。

 

「!」


 フリッツは驚いて、思わず動きが止まる。

 その粉は霧のように大きく広がり魔物達の体に付着し、直後魔物の群れが悶えるようにぐるぐると飛び回り、耳をつんざくような叫び声を上げ始める。

 思わずフリッツは顔をしかめたが、リーネは素早く次の行動に移る。彼女が六角柱型のランタンを高く掲げると、中から眩い白光が輝き魔物の群れはそれに当てられると方々へと逃げて行った。

 半ば呆然と一連の様子を見ていたフリッツが、困惑した顔でリーネを見る。


「とりあえず聞きたいことは色々あるけど……その前に水貰える?」

「はい。待って下さいね」


 リーネは光るランタンを置き、鞄から水筒を出しフリッツに手渡す。それを飲んで一息吐くと、フリッツはリーネに質問する。


「で、さっきの緑色の霧みたいなのは何?」

「これですか? これは毒霧の粉ですよ」

「毒霧?」

「はい。錬金術で調合した魔法の粉なんですけど、これを吹きかけると相手を毒状態にすることが出来るんですよ。あと、他にも痺れさせるやつとか目潰し出来るやつとか。火炎が吹けるやつもあるんですよ。全部纏めてデーモンブレスの素って呼ばれてます」


 そう説明しながら、リーネは楽しそうに鞄から黄色の粉の入った小瓶や、黒色や赤色の小瓶をフリッツに見せた。


「でもやっぱり私が一番好きなのは毒霧ですね!」

「へ、へぇ……そうなんだ……刺激的だね」


 リーネの満面の笑顔を見ると、何故毒霧が一番好きなのかを尋ねる勇気がフリッツにはなかった。


「そ、それでそのランタンは?」

「これは退魔の光を宿したランタンです。これを掲げれは魔物は近寄れません」

「それ、森に入ったときから使ってたら良かったんじゃ……」

「いやだわ、フリッツさん。ランタンは宵闇の中で光るものです。ですから、明るい内は効力が出ないんです」  

「そう、なんだね……」


 納得出来るような出来ないようなリーネの言葉にフリッツは頭を掻く。あまつさえ、もしかして自分が無知なのか、とさえ思った。

 

「でも、リーネさん度胸が据わってるね。魔物相手に怯まないなんて」

「冒険は初めてではありませんから。こういう展開になるのも何回か経験があります」

「なるほど。意外にワイルドだね」


 ランプ屋だし戦うことはないと思っていたけど、彼女はちゃんと身を守る手段を持っていたわけだ。最初に出会ったときの大人しそうなイメージとは随分違う。意外な魅力っていうことかな。


「もしかしてそのランタンは自作?」

「えぇ、そうですよ。携帯用のランタンなので、それほど凝った物ではありませんけど」

 

 そのランタンは六角形の角を金属で区切られ、頭頂部には網目模様の半円の丸い蓋がのっかている。


「もっと凝ったものもあるんだ。見てみたいね」

「精霊祭にはお店を出しますから、良かったら見に来て下さい」

「楽しみだね」

 

 フリッツがランタンを見ながら微笑む。その顔にリーネはどきっとしながらも本来の目的を思い出した。


「あ、いけない。そろそろ始まっちゃうっ」


 リーネは小瓶を鞄に詰めて、急いで立ち上がった。


「始まるって、何が?」


 小走りになるリーネの後を追いながらフリッツが尋ねる。


「見れば分かりますよ」


 彼女に導かれて辿り着いた先には、背の低い岩壁に囲まれた小さな泉があった。岩壁の一部から泉に向かって一本の細い糸のように水が流れ落ちている。さらに泉の周囲の草地には点々と奇妙に青白く光っている箇所があった。既に暗くなった森の中でその光が幻想的に周囲を浮かび上がらせている。


「間に合って良かった……」


 リーネはほっと安堵のため息を漏らすと、鞄から空の硝子瓶を取り出す。


「これは一体……?」


 フリッツが見たこともない不思議な光景に目を丸くする。


「こんなにたくさん、何が光っているんだい?」

「それは見てのお楽しみです。さぁ、そろそろ始まりますよ」


 リーネが悪戯っぽく笑うと、それを合図にしたかのように地面の小さな光るたくさんの点が明滅し始めた。

 二人が黙ってその様子を眺めていると、光の中から七色に輝く羽根の蝶が現れゆっくりと羽ばたくと、宙へと舞い上がった。他の光の玉からも次々と、まるで蕾から花が開くように、輝く美しい羽根が広がる。そして一斉に宵闇に飛び立った。羽ばたく度に、光る鱗粉が蝶達の軌跡を辿るようにふわふわと宙を漂う。まるで、光る殻の名残を振り払うように。

 リーネは瓶の蓋を開け、何か唱えると、その鱗粉が独りでに瓶の中へと吸い込まれていく。


「これで良しっと」


 瓶一杯になったところでリーネは蓋を閉めた。


「リーネさん、これは?」


 フリッツは目の前で繰り広げられた美しいショーに圧倒されてまんじりとも動けない。


「これは月煌蝶の蛹が成虫になる瞬間なんです。水の綺麗な静かなところでしか見られないものなんです。毎年、この時期にここへ採取しに来てるんですよ」

「知らなかったな……」


 リーネとフリッツは最後の蝶が鱗粉を撒きながら夜空へ昇っていくのを見つめ、しばし無言でその余韻に浸った。



「さて、野営の準備をしようか」


 そうフリッツが提案し、リーネも頷いた。

 退魔のランタンがあるとはいえ、森の中は真っ暗で迷子のなる危険性もあるので、下手に動くよりはここで夜を明かした方が良いだろう。

 二人は火を起こし、持ってきたパンやハムなどを炙って簡単な夕食を取った。

 満天の星空の下、水の流れ、風に葉が擦れる音、狼らしき動物の遠吠え、火の中で木が爆ぜる音、それ以外には何もない静かな夜である。

 どちらともなく、火を見つめながら口を開いて他愛もない話を始める。


「最初から気になってたんですけど、あのご令嬢と何があったんですか?」

 

 リーネはフリッツと出会った日に見たブルネットの着飾った少女のことを思い出し、フリッツに聞く。


「あージェナね……」

 

 彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「親同士が知り合いだから幼い頃から知っててね。どういうわけだか、あの日私との婚約をいきなり発表しようとしたんだ。もちろん、私には寝耳に水だよ」

「貴族社会のことは知りませんが、そういうことはよくあるんですか?」

「まさかっ」


 ないない、とフリッツは手を振った。


「普通はちゃんと両家や当人達で話し合って取り決めを交わすものだけど」

「フリッツさんはあのご令嬢と結婚したくなかった、と」


 リーネの直球の言葉にフリッツは苦笑をひらめかせる。


「まぁね。小さい頃から知ってるし、可愛い子だとは思うよ。でも、そういう気になる相手じゃないんだ。それに、私はこれでも騎士としての自分を結構気に入ってるんでね。侯爵家に入るつもりはないよ」


ジェナさんというご令嬢、侯爵家の方だったの? まるで雲の上の話ね。その令嬢と知り合いなのだから、フリッツさんも相当位の高い貴族なんだわ。それなのに、フリッツさんって全然身分を笠に着ない人よね。いくら私が雇い主とはいえ、とても気遣ってもらっているもの。

 ……本当に不思議な人だわ、フリッツさん。


「でも、フリッツさんなら別に領地経営とか社交も上手く出来そうに思えますけど」

「さてね……」


 フリッツは肩をすくめた。

 彼とて別に人付き合いを厭う方ではなかったが、それは仲間内で楽しく飲んだり騒いだりするのが好きなのであって、仕事として領民の陳情を聞くとか、貴族同士の腹の探り合いとしたい、ということではなかった。

 リーネは鼻筋の通った彼の横顔を見つめながら、あの令嬢のことを考える。

 

 幼い頃から、この年上の美しい人が近くにいて、きっと自分はその彼の特別な女の子なんだと思っていてもおかしくないわ。後から出会う他のどんな女の子よりも、幼馴染みの自分が、と。

 けれど、彼は態度こそ柔和で優しいけれど、決して彼女には靡かない。どんなに近くで見つめても振り向いてくれない相手に、とんでもない強硬手段に出てしまうのも、10代の女の子ならあるかもしれない。


 リーネは同じ女性として、その令嬢に少々同情するものがあった。


 だからといって、何の断りもなく結婚させられそうになったフリッツさんも可哀想ではあるけれども。


 美しい、とはそれだけで強い力があるのだ。その美しさに魅入られて、時に人はどんな無茶もやってのけたりする。その逆に、美しさを利用して人や国すらも滅ぼす切欠になることすらある。

 

 まぁ、フリッツさんはそういう人ではなさそうだけど、ご自身の容貌が他の人からどう見られているかは、よくご存知だと思うわ。

 って、何でフリッツさんのことばかり考えているの? もう目的は果たしたのだし、街に戻ったらもう会うこともないでしょうに。精霊祭楽しみにしてると言ってくれたけど、それもきっと社交辞令の範囲だろうし。


「ま、ジェナにはきっと素晴らしい相手が見つかると思うよ。何せ侯爵家の一人娘だし。結婚相手なんて選びたい放題さ。その中の誰かが私よりもずっと彼女を熱烈に愛し、大事にしてくれると思うね」


 フリッツはそう宣ってから、リーネの方を見た。炎に照らされた彼の顔にはありありと好奇心の色が浮かんでいる。


「それより、私はリーネさんの方が気になるね」

「わ、私ですかっ?」


 急に見つめ返されてリーネは動悸が激しくなる。


「私にはフリッツさんみたいに面白エピソードはありませんよっ。田舎から出てきて、錬金術を学んで。それを応用してランプ作ってるだけですから」

「いやいや。嬉々として毒霧吹く女性なんて珍しいと思うよ」

「それはっ、フリッツさんのお知り合いの女性は皆さんお淑やかで、冒険なんてしないからですよ。それに毒霧は深手を負った敵が警戒して出てこなくなるから、よく使うんです!」


 説明しながら、リーネは自分が女性としてまったく魅力がないことを改めて確認した気分になった。


 「もう、そろそろ休みますっ」


 リーネは外套をくるりと体に巻きつけて寝転がる。空には輝く星だけが見えた。


 早く動悸が収まりますように、とリーネは目を閉じた。







「フリッツさん、ありがとうございました」

 

 無事に街まで戻って来たリーネは、待ち合わせに使った騎馬像の前でフリッツに向かって頭を下げる。


「いやいや、こちらこそ。すごく楽しかったよ。新鮮だったし。こういうのも悪くないね。次冒険に出るときにまた誘って?」


 そう言ってフリッツはリーネに向かってウィンクした。


「もう……騎士を雇える身分じゃありませんから」

「……君は、特別だよ」

「すぐそういうこと言って」


 半眼になってリーネはフリッツを睨む。そんなだからあのご令嬢も勘違いしたのでは、と思わずにはいられない。


「ははは。嘘じゃないんだけどねぇ。それじゃ精霊祭楽しみにしてるよ」

「はい」


 彼の姿が見えなくなるまで見送った後、リーネも気を取り直して自分の工房へ歩き出す。


 精霊祭まであと三週間しかないわ。頑張らないと。


 工房に戻り、リーネは手に入れた月煌蝶の鱗粉、硝子の粉、金属片、それに様々な色の釉薬、それらを作業台に並べ、厳かに呟く。


「光と火の精霊よ、どうか祝福を」








そして精霊祭の日。その日は朝から市が並び、広場では旅芸人が芸を披露し、楽を奏でる。街中に人々が溢れ、着飾り、老いも若きも、貴族も庶民も銘々に祭りを満喫する。

 リーネも自分に宛がわれた出店のテントの中で出店の準備を進めていた。夕方、あらかたの準備が整い、天幕の開けようとしていたところ、後ろから声を掛けられた。


「リーネさん」


 呼ばれて振り返ると、そこにフリッツが立っていた。刺繍の入った白いチュニックを着たラフな姿もよく似合っていて、道行く女性達の視線を集めている。


「フリッツさん! どうしてここに?」


 リーネが驚いた顔を見せると、フリッツは悪戯っぽく笑う。


「実は気になる女の子がいてね。その人の様子を見に来たんだ」


 彼の言葉にリーネはずきんっと心が痛むが、それをおくびにも出さずにおどけたように返す。


「あらあら。そんな幸運な女の子はどこの誰ですか?」

「それを私の口から言わせるなんて、君はなかなか策士だね」

「えっ?」 

「その人は、金髪の可愛い子で、田舎から出てきて錬金術でランプを作っていて、旅慣れてて毒霧吹くのが好きな女の子なんだけど、心当たりあるかな?」

「……それって私のことですか?」

「大正解」


 フリッツは嬉しそうに破顔した。


「精霊祭楽しみにしてるって言ったじゃないか。忘れてた?」

「あれはてっきり社交辞令かと……」

「嘘じゃなかったろう?」


 嬉しさと戸惑いがリーネの中で綯い交ぜになる。


「まだお店開けてなかったんだ」


 フリッツが周囲を見ながら言った。殆どの出店は幕を開け商売をしている。


「えぇ。だってランプは……」

「宵闇の中で光るもの、だから?」

「そうです」


 どうやらフリッツはリーネがあの夜放った言葉を覚えていたようだ。リーネが思わず微笑んだ。


「でも、そろそろ日が暮れてきましたから開けようと思っていたところです」


 彼女の言う通り、建物の陰に陽が沈みつつあった。リーネが得意そうな顔を見せ、出店の幕を左右に開く。その瞬間、色とりどりの光がフリッツの目の前に飛び込んできた。

 彼女の店には所狭しとランプやランタンが棚に飾られたり、上から吊り下げられたりしている。

 ステンドグラスのように様々な色の組み合わされたキノコ型のランプ、薄紅色の釣り鐘型の花の中にほんのりと光を宿すランプ、澄んだ青の、水の流れを表したような変わった形のものなど、あの旅でリーネがスケッチしていたものと似ている気がした。

 一つ一つのランプはそれほどの光量ではないが、それらが一つの狭い空間に集まっていると、自分がまるで影のない世界に迷い込んでしまったような気持ちになった。フリッツは圧倒されて、しばしの間無言で見つめる。

 

「凄いな……とても綺麗だ」


 ようやく絞りだしたフリッツの呟きに、リーネが満足そうに頷く。こうして素直に感嘆してもらえるのが嬉しい。


「これは……」


 フリッツの目に留まったのは、蝶の羽根を付けた乙女の姿を模したランプであった。乙女の肌は摺り硝子のように白の半透明で、羽根の部分はあの夜見た月煌蝶と同じ七色に輝いている。そしてその羽根の周りに、ふわふわと金色の粉が舞い、ランプの光を受けて煌めいている。それは紛うことなき、月煌蝶の鱗粉である。

 乙女は手と足を思い切り伸ばし、今まさに風を受けて飛び立とうしているような、そんな雰囲気があった。

 一体どういう仕組みになっているのかフリッツには知りようもないが、これが彼女の錬金術なのだろう。

 

「すごく良いよ、これ。私が買っても構わないかい?」

「えぇ。勿論良いですよ。フリッツさんが今夜最初のお客様ですね」

「君は自然は答えを知っている、と言ってたけれど、君が自然の中にその美しさを見出しているんだね。これらのランプは全て君の心の裡から出てきたものなんだ」

「……そんな風に言われると何だか恥ずかしいです」


 まるで心の中を見られているみたいな言い方だわ、とリーネは体が熱くなる。


「いやいや。照れることないよ。本当に素晴らしい作品ばかりだから」


 フリッツが思いの外真剣に頷いたので、リーネは増々恥ずかしくなってくる。そうこうしている内に、ランプの光に興味を惹かれた人々が集まってきた。

 リーネははっとして、やってきた客に笑みを見せる。


「ランプ屋へようこそ!」

「素晴らしいランプばかりですよ」


 フリッツも極上の笑みを見せて客を誘う。その結果、ランプはバカ売れし、想定していたよりもずっと早く完売した。



「何かフクザツ……」

 リーネは両手で自分の頬を包む。その表情はやや不満気味だ。ランプが全部売れたのは嬉しいが、ランプが気に入られたのか、フリッツの美貌が効果的だったのか分からないからだ。


「君のランプが良いからさ。お客さんの顔を見ただろう? 皆満足そうに君のランプを見ていたよ」

 

 フリッツは励ますように彼女の肩を軽く叩くいた後、おどけたような表情を見せる。


「それに私も楽しかったよ。騎士辞めてランプの売り子でもやろうかな?」

「またそんなこと。その気もないのに。騎士の仕事がお好きなんでしょう?」


 調子の良いことを言うフリッツに、リーネは呆れた表情で睨む。


「まぁね。でも、君の素敵なランプを売り込む仕事も悪くないと思ってね」

「はいはい」


 リーネは彼の軽口を受け流し、出店の天幕を降ろす。売り物もないので開けておいてもしょうがない。

 天幕の中でリーネとフリッツはほっと一息吐くと、とりとめのないことを話し出した。


「そういえば、あのご令嬢の件はどうなったんですか?」

「私よりも条件の良い相手が見つかったみたいだから、その人婚約するんじゃないかな。なかなか優秀な人らしいから。私も彼女が幸せになるのを切に願うよ」


 フリッツはさしたる興味も無さそうに告げた。


「それより君は? 今までずっとランプ作ってたの?」

「えぇ。この三週間はほぼずっと工房に籠ってました。フリッツさんは?」

「私? 私はずっと騎士団長からお説教だよ」


 フリッツはそれを思い出してうんざりした気分になった。 


「お説教?」

「そう。まぁ、ほとんど事後承諾的に冒険しに行っちゃったからねぇ……騎士の品格とか格式とかについて毎日長々講釈されたよ」


 そう宣って肩を竦めるフリッツに、リーネは唖然とした。


 全然堪えてなさそうなところが凄いわ。勿論悪い意味で。


「でも、ちゃんと好きな女性を助けたかったって言ったら、最終的には納得してくれたよ」

「ちょっ……何でそう変な出まかせをっ……というか、よくそれで納得してくれましたね」


 リーネが顔を赤くしながら怒る。


「何度も言うけど、私は別に嘘は吐いてないよ。君のこともっと知りたいし、もっと一緒にいたいのは事実だし」


 フリッツの思わぬ告白にリーネは耳まで赤くし、口をぱくぱくさせた。


「ダメかな?」


 フリッツの紫色の瞳に射貫かれて、リーネはとうとう観念することになった。


 身分が違うし、フリッツさんは魅力的な人で、きっといつか彼に相応しい令嬢が現れるかもしれないし、この恋の向かう先は分からないけれど……。


「ダメじゃないです……」


 消え入りそうな声でリーネはそう答えた。


「そうこなくっちゃ。嬉しいよ」


 フリッツは満面の笑みを浮かべると、リーネの頬に軽く己の唇を押し当てた。


「ひゃっ!?」


 思わずリーネは叫んで、キスされた頬を手で覆う。


「な、なにするんですかっ、フリッツさん!」

「いけなかった?」


 悪戯っぽく尋ねてくるフリッツに、動揺が収まらないリーネは二の句が継げなくなる。

 そんな二人の様子を七色の羽根を持つ乙女のランプだけがほんのり照らしていた。






そして数か月後。


「ひどいじゃないか、リーネ。私に黙って冒険に行くなんて。しかも、私以外の護衛を雇って!」


 フリッツは広場のベンチでリーネの隣に座り、嫉妬混じりの不満を述べた。


「貴方は騎士なんだから、雇えるわけないでしょう? また騎士団長に絞られますよ。それに今回の護衛は女性です。大体どうしてそんなこと知ってるんです?」

「パン屋の麗しい女性から聞いたんだ」

「……最近情報漏洩が激しすぎるわ」


 リーネは思い切りため息を吐いた。フリッツとリーネが忙しい合間を縫って会っているのは近所の人達には知られていて、フリッツはその持ち前の美貌と人当たりの良さで、近所のおば様方に気に入られていたのだった。

 

「団長に何言われても別に気にしないけど。君が何も言わずに冒険を楽しんだのが気に食わない」

「そんな楽しいものじゃなかったですよ。隣に住んでる魔女が新しい魔法を試したいって一緒についてきたけど、危うく森半分消失させかけたんだから」

「何それ。すごく聞きたい。やっぱり君は面白い人だね」


 不満顔だったフリッツは、リーネの言葉に俄然興味が湧いてきたようで、紫色の目を輝かせている。

 

 こうして昼下がり、恋人達は一時の逢瀬を楽しむのだった。










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リーネが空から降ってくる物語の始まりに一気に引き込まれました。 フリッツがリーネを受け止めるのも憧れのシチュエーションで嬉しくなりました。 女性慣れしているフリッツを勘ぐるリーネからは、すでに恋心の芽…
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