1 総督とその息子
ある基地内にて、オルグは不服そうな顔で椅子に座り、机の上の資料に目を落としていた。
その机の上にはもう一つ、白い仮面が置いてある。暗がりの中、彼の顔は良く分からないが、年若そうな雰囲気ながらも、尖った気迫さもある。それが不機嫌そうに、机の上の資料を睨んでいる。
「よもや、この私が……片腕を落とされるとは。あの機体に乗っていたパイロット……訓練兵とは思えん。アルツェイト国の隠し玉か? いやいや、それにしては……」
今まで、敵兵から生存されたのは、レイラ少尉1人。それが1人増えてしまったのだから、心は穏やかではない。オルグは、今現在分かっている情報を集め、次の対策を立てていた。
そんな時、部屋に誰かが入ってくる。
「少佐。総督からですが」
どうやら、オルグ宛の通信のようで、それを部下が報告に来たようだった。
嫌味のようなお小言を言われるだろう。そう思いながら、オルグは椅子から腰を上げ、机に置いてある仮面を取り、顔の上だけに取り付けた。この仮面は、目元だけを隠す仮面であり、身分を隠すには打ってつけの物であった。
「分かった。行こう」
そして、黒い軍服を整え、出入口へと向かう。
正直、あまりいい話にはなりそうにないが、それでも行かねばならないのが、兵士の辛いところ。何とか挽回の手を考えねば……と、部屋から出たオルグは、廊下を歩きながらそう考えていた。
◇ ◇ ◇
「してやられたな、オルグよ。黒い凶星の異名は、名ばかりか?」
たった1回のミスくらいで、この総督は非常に立腹していた。
通信機から見える顔は、如何にも不服そうだ。ただ、こちらは軍人。逆らう事は許されない。自分の立場からしたら、尚更だ。
歳を重ねた総督は、もうかつての栄光にしがみつくだけの、厄介な重鎮へと変わっている。
軍帽に付いた紋章も、軍服の襟に付いた煌びやかな勲章も、ただ付いているだけであり、痩せて恰幅の良い身体は見る影も無くなっていた。
ただそれでも、威厳だけは当時のままだ。疲れの見える顔も、自分達がしっかりと成果を出さなかったせいとも言える。
「申し訳ありません」
その横には、総督の息子が立っており、嫌味たらしい笑みを浮かべている。
「あの機体は、アルツェイト国にあってはいけない。あの国は、四皇機の再現を企てておる。何としても、奪うのだ」
「……はっ。その為に、再度作戦の練り直しをーー」
オルグが膝を突き、頭を下げながらそう言おうとした時、総督の息子が声を上げた。
「作戦作戦ってね~こちらとしても、タダで戦ってるわけじゃないんだぁ。分かるぅ? ん~? もっと効果的な作戦の立案と、計画書の提示をお願いしたいものだねぇ~」
金色の髪を後ろに流し整え、高そうな服に身を包んだ総督の息子は、本当に意地悪そうな笑みと言葉で、オルグを責め立てている。
それをオルグは、眉一つ動かす事なく、黙って聞いている。
「ギルムよ。あまり噛み付くな。それだから、未だお主に総督の座は譲れんのだ。実力でなら、オルグの方が上だぞ」
「はいはい。わぁかってますよ~」
総督の息子のギラついた青い目が、オルグを睨む。
彼はその地位に甘んじ、好き勝手しているのが目に見えていた。
それでも、オルグは何ら怒りを覚えることもなく、淡々と話す。
「ギルム様の言う事もごもっともです、総督。ですから、いくつか作戦を立て、計画書をお送りします。宜しいですか?」
実は以前からそういうことはしているのだが、オルグは分かっていた。この息子が、その計画書に目を通していないことに。
それなのにそんな事を言い出すものだから、返答をどうしたものかと考えたが、言い返すのではなく、ただ言われた通りの事を返答するだけで良かった。
要らぬ反論は反感を買う。
オルグの心には、静かな青い炎が燃えていた。
◇ ◇ ◇
会議室から出たオルグは、早速今書き終えている作戦案を数枚、本部の方へと転送した。が、これも無駄な事だと分かっていた。動くのは現場。本部に送った所で、何ら意味はない。
ただ、補給物資等を要求する場合は、作戦書も同時に提出すれば、早くに許可が下り、補給物資が送られる事がある。
「さて……どうなることやら」
実際、先の戦闘でいくつか機体をやられている。修理するにも、部品がいくつか足りない。あの体たらくの息子を立て、尚且つ補給物資の要求も出来るのだから、一石二鳥ではあった。
「お疲れさまです、少佐。しかし、良くギルム様の発言を我慢出来ますね」
「我慢しているのではない。子供の戯言と聞き流しているのだ」
「それはそれは」
一仕事終えたオルグに、部下が話しかけてくる。総督の息子、という地位だけで、やはり多くの軍人には認められてはいなさそうだ。
「それと、先日の作戦での敵機のデータですが。例の『シナプス』に乗っていたパイロットのデータも、戦闘記録から出ました。結論から言うと、訓練兵ではないと出ました。少佐相当、もしくはそれ以上……と」
「ふ~む。それなら尚更おかしい。あの時確かに、私はあのパイロットに若さを感じた。熟練の兵士という感じでは無かったぞ」
コツコツと、長い廊下を歩きながら、オルグと部下は話していく。
先日の戦闘から、自分の勘だとしても、明らかに戦闘慣れをしている様子はなかった。
それならば、何故あのような動きが出来たのか? そう考えた時、オルグは一つだけ、嫌な可能性があることを思い出した。
「まさか……あの技術か? とうに失われ、久しいというのに……誰かが文献から再現したのか? そうだとしたら、新たにそれを持つ者が沢山現れる」
顎に手を当てながら、その嫌な可能性を一つ一つ思慮していく。
「あの技術を……となると、ケモナー発祥の地、東の果ての島国『ヒノモト』が関係しているのか? いやいや、あそこの国内は既に腐敗している。傭兵産業でしか成り立っていない。あり得ないな……」
「少佐?」
「あぁ、失礼。君、後日補給物資が来るかも知れないから、準備の方を」
「はっ! 少佐も、少しは休まれてください。では」
オルグの言葉の後、部下は敬礼をし、そう言い残してその場を後にした。
「休み……か。そうだな、たまには買い物や外食等、するべきだろうが……ふむ」
流石に自分でも、根を詰めすぎていたのは分かっている。それなら丁度良い。どうせ次の作戦を開始するには、補給物資が届いてからではないと無理だ。
オルグは天井を見上げ、ふぅっと1つため息を突き、ボソリと呟いた。
「ニア。君が生きていたら、不甲斐ない私を叱るだろうな。いや、叱って欲しいものだ。らしくない、この私を……な」
亡き恋人の名を告げ、オルグは再び戦士の顔になる。
例えどれだけ理想を並べようと、呆気なく潰されるものなのだ。今の自分はただの戦士であり、軍に所属する1兵士だ。淡い想いも期待も、とうに捨てた。
ただどうしても、時々こうして思い出してしまう。あの時の平和な日々。そして、燃える業火の苦しい記憶。
顔を少ししかめたオルグは、またため息を突き、額に手を当てた。
「……あぁ、いけないな、これは。そうだな、1兵士として、傷を癒しておくとしよう。兵士と言えど、休息は必要だ。部下に言っておきながら、私が実践しなければ示しがつかん。さて……丁度見たい劇場があったな。明日あたり、ニューオーグの街へと向かうか」
そう言うと、オルグは自分の部屋へと帰っていく。頭に先日のパイロットの声を響かせながら。
「しかし、似ていたな……あの声。ニアに」
嫌な予感がもう1つ増えたオルグは、これ以上は何も考えないでおこうと、そう決めてゆっくりと歩いていった。
報告を済ませ、気の重くなる中、オルグは気分転換へと出掛けた。
一方その頃、コノエ達は本部へ向かうため、順調に航行していたが、こちらもまた、コノエの対処に悩んでいた。
次回「2 あなたは女の子」