トルバドール対マリーゴールド
今回は勧善懲悪もの。
-もう一人のマリーゴールド-
『日の出の町』で、もう一人の『トルバドール』を探すマリーさん。
「でも、彼女?をどうやって見つけるのですか?」と思うのは当然のことです。
するとマリーさんは自信ありげな表情を浮かべました。
「簡単だよ!あんな大男を何人も使って『本物』が街に入ることを阻もうとする輩が入り浸る場所なんか、決まっている!」
「はあ…どこでしょう?」
「この街で一番大きくて豪華な宿屋を探せばいんだよ!」
「そういうものですか?」
「行ってみれば分かるって!」
とりあえずは、自信たっぷりのマリーさんに付いて行くだけです。
日も翳り始めた街中を行き交う人々は、どことなく暗い表情をしています。
一体何が起きたのでしょうか?
単なる思い過ごしでしょうか?
そんなことを考えていると、目の前に大きな屋敷のような宿屋『真っ赤な太陽亭』が現れました。
「カンナさん、ここがその『一番大きくて豪華な宿屋』ですか?」
「そうだね、入ってみよう」
宿屋の扉を開けると、例によってそこは酒場になっています。
建物の規模が大きいだけあり、酒場の広さも格別。まるで大ホールのようです。
本来であれば、こういう酒場は陽気な音楽と、ビールの泡の音やワイン瓶の栓を抜く音、笑い声や話し声で満ち溢れているはずですが…。
聞こえてきたのは、男の悲痛な叫び声、そしてその様子をからかいながら眺めるガラの悪い連中の下品な笑い声でした。
「うわあ、雰囲気悪っ!」と心の中で叫んだ僕。
しかし、悲痛な叫び声をあげている男は、一体何者でしょうか?何が起きているのでしょうか?
マリーさんは、ガラの悪い客の隙間を縫って、ずんずんと奥に進んでいきます。
次第にここで何が起きているのか、分かってきました。
カウンターの前の大テーブル、そこの玉座のような椅子に腰掛けるブロンドの派手な女性、その前で頭を下げている痩せ型の男。
男は一生懸命、何かを女性に訴えかけているようです。
「お金は一生かけて払います!お願いです!賊にさらわれた女房と子どもを助けてください!」
頭を下げる男を見下すような表情で、ブロンドの女性は言います。
「何度言えば分かるんだい?金貨5枚、耳を揃えて払うこと、それが条件だよ!私だってボランティアで人助けしてるわけじゃないんだ!」
女性に泣きつこうとする男を、女性は足蹴りにして笑っています。
「まったく、こいつは礼儀というものがなっちゃいないね」
女性の右に立つ、細身の剣を抱えた大男が、「ガハハ」と笑いながら頷いています。
左に立つ、リュートを抱えた痩せたメガネ男が、「その通り、マリーさんのおっしゃる通りでございます」と相槌を打っています。
ん?マリーさん?この雰囲気の悪い女性が?
『本物』のマリーさんの方を向くと、彼女は近くの男に、雰囲気の悪い女性のことを聞いていました。
「あの女性は、いったい、どなたでしょうか?」
「ああ?旅のもんか?あれはマリーゴールドさんだよ。名前くらい知ってるだろ?」
「いえ…私たちは、東の都市国家群からやって来たばかりで…」
「まったく、面倒くせえな。とにかく、マリーさんは、この街で一番偉いお方だよ、逆らっちゃだめだ」
「どうも…ありがとうございます」
どうやらというか、やはりというか、あの雰囲気の悪い女性が、例の『もう一人のマリーゴールド』のようです。
僕とマリーさんはカウンターに座って、ワインと肉を注文して、彼女の様子を伺うことにしました。
『もう一人のマリーゴールド』は美しいブロンドの髪で、顔立ちは帝国系民族そのものです。
金色の派手なローブを見にまとい、玉座に腰をかけて踏ん反り返っています。
なるほど、確かに知らない人が見たら『トルバドール』と勘違いしても不思議ではありません。
しかし僕には、表情や身のこなしから性格の悪さが滲み出ているように感じられて仕方ありません。
彼女の座る大テーブルには、ガラの悪い男や女が数人座って、ゲラゲラ騒いでいます。
その時、突然『マリーゴールド』の声が酒場の中に響きました。
「マスター、ビールをジョッキで5杯追加!」
マスターは、ぶつぶつ言いながらビールをジョッキに注いでカウンターに並べました。
店員さんがカウンターに並んだジョッキを両手に持って、『マリーゴールド』のもとに運んできます。
マスターは僕とマリーさんをチラリと見て、小声で話しかけました。
「あんたら、見ない顔だな?旅のものか?」
「そうです、私たちは帝都を目指して東方の都市国家群から来た、旅芸人です。夫婦でやっているんです!」
「そうか…あのお方のことはご存知か?」
「ええ、先ほど聞きました。マリーゴールドさんだとか…」
「そうそう。ここだけの話、彼女は、あの『トルバドール』なんだよ」
「トルバドール?何年か前に帝都を救ったという?」
「その通りだ」
「でも、トルバドールは男だと聞いていましたが…」
「いやいや、それが違うんだよ。この街では皆知っていることだけどな」
「へえ〜、あの女が、魔族をねえ…」
「それを可能にしたのが、隣の大男が持っている細身の剣。あれが噂に名高い『アリアの歌う剣』だ」
「ええ〜?あの、魔族の女を打ち倒したという?」
「よく知ってるな。さすがに東方の都市国家群まで噂は届いているようだな」
と、そこまで話をしたところで、また『マリーゴールド』の声が酒場に響きました。
「マスター、『吸血鬼の生き血』を瓶で出してよ!」
それを聞いたマスターは、一瞬、険しい顔をしました。
「………マリーさんの頼みとあっては、断れないなあ」
見るからに渋々といった表情で、マスターは奥から瓶を持ってきました。
「カンナさん、『吸血鬼の生き血』って?」
と、僕はマリーさんに聞きました。
「最高級のワインだよ。瓶なら金貨1枚はくだらないね」
「ええ〜!金貨1枚?」
僕が驚いている間に、マスターは瓶を直接『マリーゴールド』の元に持って行きました。
彼女たちは最高級のワインをグラスに注いで、乾杯をやっています。
マスターはため息をつきながら、カウンターに戻ってきました。
そんな彼にマリーさんが小声で尋ねます。
「今のワイン、代金って貰ってる?」
マスターは首を小さく横に振りました。
「え?」と、僕は驚きのあまり声をあげそうになりました。
「酒代も食事代も宿代も、一切受け取ってないよ…」
と、マスターはポツリと呟きます。
「まさか、そんなことが…」
と驚く僕を見て、彼は小声で呟き続けます。
「なにしろ彼女は帝国を救った英雄だからね…。代金は受け取れないよ…」
「衛兵は黙っていないのですか?」
「衛兵は彼女の味方だよ。何しろ帝国の英雄だからね」
「………」
これでは『マリーゴールド』は好き勝手やりたい放題。商売も法律もヘッタクレもありません。
こんなマリーゴールドやトルバドールが許されるのでしょうか?
マリーさんはどう思っているのでしょうか?
チラリと彼女を見ても、黙々とワインを飲んでいるだけで、特に行動を起こす気配はありません。
その時、また『マリーゴールド』の甲高い叫び声が酒場の中に響きました。
「おい、お前!」
「もしかして僕のこと?」と思い、恐る恐る振り返りましたが、彼女やチンピラは酒場の出入り口の方を見ています。
さっき彼女に家族の救出を嘆願していた男が、酒場から出ようとしていたのです。
彼はビクッと体を震わせて足を止めました。
「ここで見たこと、聞いたこと、街の外で話をしたらどうなるか、分かっているだろうな?」
「…は、はい、もちろんです」
「よし、行きな!命は大切にしないとね!」
「ガハハハハハハハハ!」
どうやら『マリーゴールド』は、この酷い有様を街の外に知られないように、出入りする人を脅して口封じをしているようです。
取り巻きは、脅した相手がビクビクする様子を眺めて下品な笑い声をあげています。
実に不快な状況です。
しかし、出入りする人を監視したり脅したりするということは、もしかして、僕たちも…?
そう察した瞬間に『マリーゴールド』の声が響きました。
「おい、お前、カウンターのリュート男!」
きたっ!僕がターゲットにされている!
言われた通りにしないと、何をされるか分かったものではありません。
静かに立って、彼女の方向を向くと…。
『マリーゴールド』は、右手を前に出して「こっちへ来い」と、ジェスチャーしています。
取り巻き達は「ニヤニヤ」しながら、こっちを見ています。
震える僕の肩を、マリーさんがポンと叩きました。
「大丈夫だよ、私がついている」
この一言で少し気が楽になった僕は、玉座に座る『マリーゴールド』の元に赴きました。
後ろからマリーさんも付いてきてくれています。
「お前たち、この街のものじゃないな?」
「はい、私たちは夫婦で旅芸人をやっている、カンナとダディです。私がカンナで、こっちがダディ。よろしく、マリーゴールド様!」
「ほう、私の名前を知っているのか」
「それはもう、マリーゴールド様と言えば帝国の英雄ですから!」
玉座にふんぞり返る雰囲気の悪い女は、ニヤニヤと笑いながら頷いています。
「ところでお前たちは自由貿易都市から来たのか?」
「はい、そうでございます」
「そうか。最近、自由貿易都市の近くに偽のトルバドールが現われたという噂があるが、知っているか?」
「いえ、存じません」
「ふむ…。そういうことにしておこう。だが、私を騙そうとするなよ?英雄を騙すと、その代償は高くつくぞ!」
「はい、肝に銘じておきます」
「まったく、有名人は辛いものだな。あちこちに偽物が現れて、本物の私は気が休まることがないよ(笑)」
女はゲラゲラ笑い、そして…僕の方を睨みました。
「そこのダディとかいうやつ、リュートを弾くのか?」
「は、はい、そうです」
「よし、弾いてみろ」
「は、はい!喜んで!」
やはりこういう展開になるのか…と思いながら、リュートを抱えます。
ある程度心の準備ができていたとは言え、手が震えてしまい、頭の中も真っ白で、とにかく演奏らしく弾くだけで精一杯。
「ポロッ、…ポロ、ポロン、ポロロン…」
これを聴いた『マリーゴールド』と取り巻きは、大声で笑い始めました。
「アハハハハハハ!」
「なんて下手くそな演奏だ!」
「お前、全然なっちゃいないな!私がリュートの弾き方というものを見せてやるよ!」
女が合図をすると、横に立っているリュートを抱えたメガネ男が、酒場中に響く声で号令をかけます。
「お前ら、マリーさんが演奏するぞ、静かにしろ!」
店の中が「ピタッ」と静かになりました。
メガネ男からリュートを受け取った『マリーゴールド』は、得意げに弾き始めました。
「ポロン、ポロン、ポロン…」
まあ…僕より上手いことは間違いありませんが、マリーさんの演奏を聴き慣れた僕にとっては、それほど素晴らしいというほどでもなく、まさに「普通」としか表現できない演奏です。
しかし取り巻き連中は「さすがマリーさん!」と言った表情で聴き入っています。
女が一通り弾き終えると、酒場中に拍手の渦が巻き起こりました。
「パチパチパチパチパチ!」
「さすがマリーさん!」
「帝国一の腕前だぜ!」
彼らが本当にそう思っているのか、『マリーゴールド』が怖くてそう言っているのか、僕には判断がつきません。
僕が驚いたのは、女が次に放った一言です。
「ダディにカンナとやら、何をボーッとしている?お代を払いなよ!」
え?
今の演奏、金を取るんですか?
僕の気持ちを察するかのように、女は話を続けます。
「マリーゴールド様の演奏を無料で聴けると思っているのか?お前ら、私をバカにしてるだろ?銀貨5枚、きっちりと払いな!」
銀貨5枚!?
「あのう、一人あたり銀貨5枚でしょうか?」
思わず僕は、聞き返してしまいました。
これには『マリーゴールド』はカチンときたようで
「当たり前だろ!お前、ふざけてるのか!?」
と、頭に響く大声で怒鳴り散らしました。
足をガクガクと震わす僕の横を抜けて、マリーさんが女の前に歩み出ました。
「申し訳ありません、マリーゴールド様。銀貨10枚、お受け取りください」
銀貨を両手に持って『マリーゴールド』に差し出そうと身をかがめたマリーさんですが、彼女の背中をチンピラの一人が蹴りました。
「げしっ!!」
マリーさんは床に前のめりで倒れ込み、銀貨はぶち撒けられてしまいました。
『マリーゴールド』はコップを手に取ると、中に入った水をマリーさんの顔に「バシャッ」とかけました。
取り巻きのチンピラたちが、その様子を見て「ゲラゲラ」と、下品な笑い声をあげます。
「お前はさっきから気に入らないんだよ!ヘコヘコと媚びへつらいやがって!まったくムカつくやつだ!」
これはひどい!
完全に言いがかりです。
怖くて震えていた僕の身体が、怒りで震え始めました。
『マリーゴールド』はこれだけでは飽き足らず、足を突き出して、ヒールのついた靴でマリーさんの顔を蹴ります。
「げしっ!げしっ!」
理不尽な理由で制裁を受けるマリーさんを眺めて、取り巻きたちは「ゲラゲラゲラ」と大笑いしています。
一方のマリーさんは、何をされてもじっと耐えて、一切手を出そうとしません。
そうするうちに、取り巻きの一人がジョッキを持ってマリーさんの近くにやってきました。
ジョッキの中には、まだビールが入っています。それをマリーさんにかけるつもりに違いありません。
「危ないっ!」
僕が叫ぼうとした瞬間、マリーさんの左手がジョッキを持つチンピラの腕をガッシリと掴みました。
男は腕を掴まれたまま微動だにできず、ただ立ちすくんでいます。
マリーさんはゆっくりと体を起こし、『マリーゴールド』の前に立ちました。
男の持つジョッキを奪い取ると、マリーさんは一気に飲み干して、テーブルの上に「ドン」と置いて口を開きます。
「私はいくらバカにされようと、蹴られようと、水をかけられようとも構わない!ダンナをバカにされても気にしない!…だけど、お酒や食べ物を粗末にする奴は許さない!」
ついにマリーさんの怒りが頂点に達しました。
それを聞いた『マリーゴールド』と取り巻きは、一瞬しーんと静まり返りました。
次に口を開いたのは、雰囲気の悪い『マリーゴールド』です。
「許さないだと?貴様!私をトルバドールと知って言っているのか!?」
マリーさんは目の前の女をビシッと指さして叫びます。
「街を恐怖で支配して、あまつさえ酒場で無銭飲食やりたい放題!そんな奴がトルバドールであるはずがない!マリーゴールドであるはずがない!」
「何っ!?お前、自分が何を言っているのか理解しているのか?」
「当然!よく分かっていますとも!なぜなら、私が、本物のマリーゴールドだから!」
酒場の中が静寂に包まれ、誰も何も言わずに数秒の時が過ぎたと思うと、次第にざわつき始めました。
「本物…」
「本当かよ…」
「嘘だろ…」
ざわつきは、『マリーゴールド』の叫び声でかき消されました。
「うろたえるな!こんな薄汚い女が『マリーゴールド』であるはずがない!英雄の名をかたる偽物を、私が成敗してくれる!」
それを聞いたマリーさん、目の前の女を挑発するかのように「やれやれ」といった態度をとり、問いかけます。
「成敗?いったい、どうするおつもり?」
「決闘だ!表に出ろ!」
「一対一の決闘だろうな?」
「当たり前だ、さっさと出ろ!」
「了解、了解。卑怯な真似をするんじゃないよ、ぞろぞろ取り巻きを連れていなければ何もできない『マリーゴールド』さん!」
『マリーゴールド』は、「くそう」と舌打ちした後に、隣の大男から細身の剣(彼女曰く『アリアの歌う剣』)を受け取ると、そそくさと外に出ました。
マリーさんも後に続きます。
あれよあれよという間に、舞台は酒場の外に移りました。
すでに日は落ちて暗くなっていますが、ギャラリーと野次馬が松明やランプを照らし、決闘の場が作られていきます。
リュートは僕が持ったままなので、マリーさんに返そうと思いましたが…。
「リュート?あなたが持っていて。あんな奴、トルバドールの力を使うまでもないよ」
と断られました。
本当に大丈夫でしょうか…。
-トルバドール対マリーゴールド-
酒場の外に作られた決闘場。
地面には松明が立てられ、建物にはランプが煌々と輝き、辺り一帯を昼間のように照らしています。
それを取り囲むように、ギャラリーや野次馬が並んでいます。
この街の人が全てここに集まっているのではないかと思うほどの人、人、人です。
決闘場で向かい合うのは、マリーさん、そして『マリーゴールド』。
マリーさんは武器も持たず、リュートも持たず、一見すると全くの無防備です。
対する『マリーゴールド』は、細身の剣を構えています。
どう考えてもマリーさんに勝ち目はありません。一体何を考えているのでしょうか?
「このコインが地面に落ちた時が、決闘開始の合図だ」
『真っ赤な太陽亭』のマスターが、レフリー役を努めるようです。
彼は右手に銀貨を握って、親指で弾きました。
「ピーンツ!」
宙に舞った銀貨は、くるくると回ると、地面に向けて真っ逆さま。
銀貨が地面に落ちるや否や、『マリーゴールド』が猛烈な速さで駆け出しました!
細身の剣を構えて目指すは、もちろんマリーさん。
次の瞬間、二人は重なり合って…。
「キンッ!」
甲高い金属音が辺りに響き渡りました。
決闘場の中央には、マリーさんと『マリーゴールド』が、背中合わせに立っています。
「どうなった?」
「どっちが勝った?」
「何が起きた?」
固唾を呑んで見守るギャラリー。
次第に何が起きたのか、ハッキリとしてきました。
「そ、そんな、バカな………」
と驚いているのは『マリーゴールド』。
彼女が右手に構えている細身の剣は、無惨にも真っ二つに折れていました。
折れた剣は、地面に突き刺さり、ランプと松明の光を反射してピタピカと輝いています。
マリーさんがゆっくりと振り向くと、彼女の右手には奇妙な短刀が握られていました。
それを見たどこかのおじさんが、ぽつりと呟きます。
「そ、ソードブレイカー!?」
「なんだ、それ?」と、他のおじさんが尋ねます。
「細身の剣を折るための短刀だよ。ほら、あの姉ちゃんの短刀をよく見てみろ!ギザギザしてるだろ?」
「あのギザギザに剣を挟んで折るわけか!なるほど!」
おじさん達が親切に説明してくれたおかげで、マリーさんが何をしたのか分かってきました。
彼女は懐に隠したソードブレイカーを一瞬のうちに構えて、相手の剣を見事へし折ってしまったのです。
『マリーゴールド』が得意げに抱えていた、トルバドールの象徴とも言える『アリアの歌う剣』。
それを、薄汚い女性(マリーさん、ごめんなさい)が、あっけなく折ってしまったのです!
マリーさんが『枯れ沼の要塞』の鍛冶屋で探していたのは、これだったのでしょう。
こういう事態になることをあらかじめ予測して、周到に準備していたわけです。
さすがマリーさん!
彼女は「ニタア」と笑って、『マリーゴールド』を挑発します。
「あらあ?『アリアの歌う剣』が折れちゃった!これは大変!トルバドールのシンボルが、こんなアッサリと壊れちゃうなんて!」
この有様を見て、決闘場を取り囲むギャラリーや野次馬の皆も、ようやく事態を理解できたようです。
「今までこの街を支配していた『マリーゴールド』そして『トルバドール』は偽物だ…」と。
しばしの沈黙。
その後、彼らは声を張り上げて、マリーさんの応援を始めました。
「いいぞ、姉ちゃん!」
「偽物を追い出せ!」
「何が『トルバドール』だ!」
「よくも今まで騙してくれたな!」
「今までのツケを返せ!」
「トドメを刺せ!」
もう、街は完全にマリーさんの応援ムード一色になりました。
偽のマリーゴールドは「ぐぬぬ」といった表情を浮かべながら、大声を出して配下に命令を下しました。
「ものども、やっちまいな!」
すると決闘場を取り囲む人混みに紛れていた、彼女の配下…つまりはチンピラ…が、次々に本性を現し、手に武器を構えて、近くの人を人質にとり始めました。
もちろん、僕もその人質の中の一人になってしまったわけです…。
偽のマリーゴールドは、勝ち誇ったかのように笑います。
「ははは、バカめ!お前が抵抗すれば、街の人の命はないぞ!もちろん、お前のダンナの命もないぞ!」
野次馬になって決闘を見守っていた衛兵がチンピラを取り押さえようとしましたが、やはり「動くな!」と脅されています。
これだけの数の人質がいては、誰も手が出せません…
本物のトルバドールを除いては!
マリーさんは慌てる様子もなく、笑みを浮かべて偽物に言い放ちます。
「結局は、お前はマリーゴールドでもない、トルバドールでもない、ただの悪党だったわけか!そうと分かれば、もう容赦する必要はない!本物のトルバドールの力、見せてあげるよ!」
次の瞬間、僕が抱えていたはずのリュートが忽然と消え失せて、気がつくとそれはマリーさんの手の中にありました。
「あれ?いつの間に?」
と思う間も無く、リュートの美しい音色が辺りに響き渡ります。
「ポロン………」
久しぶりに(実際は二日ぶりに)聴く、マリーさんの奏でるリュートの音…。
なんだか心が安らいで、体の力が抜けていきます。
僕を取り押さえていたチンピラも、武器を落として、僕を離して、ボーッと良い気分に浸っています。
皆が争いを忘れて幸せに浸っている中、マリーさんの奏でるリュートの音が1つから2つに、さらに3つになり、それらは一つに重なり神秘的な曲を奏でます!
彼女の身体は美しく光る衣に覆われ、頭にはディアラが輝き、リュートも黄金色に染まって…。
そう、それは!
「奏でるは癒しの調べ、七色の声で紡ぐは魂の歌、我が名はトルバドール!」
出た!
本物のトルバドール!
マリーさん最高!
ふと我に帰った街の人々は「うおおおお!」と歓喜に沸いています。
「本物のトルバドールだ!」
「なんと美しい!」
「まるで神様のようだ!」
「これが本物なのか!」
チンピラも我にかえり、人質を取ろうとしましたが、すでに武器を落として無防備になっていたため、衛兵や街の人々にあっという間に取り押さえられてしまいました。
これこそ「多勢に無勢」です。
残ったのは、偽物のマリーゴールド、彼女の右に控える大男、左に控えるメガネ男だけです。
偽物のマリーゴールドは鞭を、大男はハンマーを、メガネ男は短剣を構えます。
マリーさんは、『アリアの歌う剣』を抜いて構えます。
「本物の『アリアの歌う剣』の威力、とくと見るが良い!」
彼女がそう叫んだ瞬間、勝負は決していました。
「ガキンッ」と金属音が響いたかと思うと、大男の構えるハンマーは三分割に砕けて、メガネ男の短剣は粉々に割れて、偽物のマリーゴールドが構える鞭は粉微塵に散っていました。
街の人々は、猛烈に湧き上がります!
「すげえ!」
「なんて強さだ!」
「さすが本物!」
「これは神の領域だ!」
「トルバドール万歳!」
競技場の真ん中で、剣を収めて、人々の声援に応えるトルバドール。
あまりものカッコ良さに、僕は涙を流して感動していました。
偽物とその一行は、残らず衛兵によって捕えられ、牢獄に送られることになりました。
そうそう、彼女のもとに依頼に来ていた男の家族は、偽物の配下が手をまわして誘拐していたことが、その後明らかになりました。
同様の罪も、数多く重ねていたようです。
もちろん、無銭飲食の常習犯だったことも忘れることはできません。
これで全ては丸く収まり、一件落着…と言いたいところですが。
そうは事は簡単に運びません。
「ど、どうしよう…、やっちゃった…」
人々の輪を抜け出して僕のもとにやってきたトルバドールは、小声でこっそりと呟きました。
マリーさんはトルバドールであることをできる限り秘密にしておきたかったようですが、今回は思いっきり皆の前で正体をバラしてしまいました。
「つい、ノリで…」
確かに、後々のことを考えると「やっちゃった」感はありますが…。
「でも…カッコ良かったですよ!これはこれでアリではないでしょうか?」
「でしょう?私が帝都でやっちゃった理由も分かるでしょ?」
「はい!今日のマリーさんは最高です!」
思わずサムズアップで彼女を称えてしまう僕でした。
おそらく僕がトルバドールだったとしても、今日は同じことをしてしまったのではないかと思います。
でも、人々の声援と喝采は収まる気配がありません。
明日から、いったいどうなるのでしょうか?