夫婦の旅芸人
この話の舞台となる世界では、戸籍の管理なんかは厳密にやってないので、その人物が本物であるかを見極めるのは、とっても難しいのです。
-恋バナ-
『東の岩場の砦』での夜、僕はなぜかリュートの練習を遅くまでやることになりました。
指導したのは、もちろんマリーさんです。おかげで二人とも寝不足です。
朝が来て、あくびをしながら部屋を出ると、そこにはトワイライトさんが「ニタニタ」とした表情で待ち受けていました。
「おはよう、お客さん!昨晩はお楽しみでしたね!」
やっぱりその話、引っ張るのか〜。
「トワちゃん、おはよう…」とマリーさんは応えます。
「おはようございます」と僕も挨拶をして返しました。
が、トワイライトさんは妙にハイテンションで、マリーさんに寄りかかると小声で話しかけました。
「どう?年下の男の子の味は、どうだった?」
「…………」
マリーさんは黙ったまま、顔を赤くして下を向いています…。
「また、そんな、恥ずかしがって!この、この」
僕が気まずくなって部屋に戻ろうとすると、すぐさま呼び止められました。
「少年くん、そんなクタクタになるまで頑張ったんだ!」
「え、ええ…。ある意味、頑張りましたが」
「やるね、大人しそうに見えて、やっぱり男なんだねえ!」
「は、はあ…」
いつまでこの話を引っ張るのだろう?
と思ったら、駅馬車に乗り込んで『枯れ沼の要塞』に帰る途中、ずっとトワイライトさんの『恋バナ』は続くのでした。
「マリーゴールドの花言葉は『嫉妬』。
マリーちゃんと少年の甘い愛は、恋を知らないウブな魔術師を嫉妬させる。
子どもの頃から魔法一筋だった魔術師の前で熱い愛を見せつける二人。
焼けちゃう!
妬けちゃう!
嫉妬しちゃう!」
マリーさんは、ずっと下を向いて、黙ったままリュートを弾いています。
その演奏に合わせて、トワイライトさんが一人でベラベラと歌っているのです。
「黄色いマリーゴールドの花言葉は『健康』。
ブロンドの髪のマリーちゃんは、まさに黄色いマリーゴールド。
元気いっぱいで、少年を照らす太陽のよう。
二人の子どもは、きっと元気な良い子」
あまりに度が過ぎるので、僕も少しお返ししてみることにします。
「カンナの花言葉は『妄想』。
恋を知らない魔術師は、桃色の世界に一人ふける。
吟遊詩人は置いてけぼり。
隣の少年も置いてけぼり。
妄想は止まるところを知らず膨らんでいく」
トワイライトさんは全く気にせずに、僕の後に歌を続けます。
「その出会いは、偶然か、運命か?
駅馬車で出会った吟遊詩人と少年。
恋の花がパっと咲いた。
少年は年上の女性に一目惚れ。
一方の吟遊詩人は少年を頼りない子どもと思った。
ところが彼も男だった、狼だった。
酒場で目にした、吟遊詩人の赤いドレス姿。
少年は彼女のうなじと胸に釘付け。
流す鼻血はほとばしる情熱か。
ある夜、ついに少年の理性が消え失せた。
『マリーさん!身体を見せてください!』
『ひいいいいいい!』
叫び声をあげる吟遊詩人。
しかし身体は熱くほてり少年を欲していた。
見つめ合う二人。
そしてとうとう…」
「ストップ、ストップ!それ以上はダメですよ!」
「え〜、ここからが面白いのに!」
「よくそんなスラスラと歌が出てきますね。吟遊詩人も顔負けですよ」
「女子はみんな『恋バナ』が大好きなのよ〜」
「その先は『恋バナ』を通り越して『猥談』ですよ、トワさん!」
トワイライトさんは「ちぇっ」といった表情を浮かべて、いったん歌を止めました。
ところが数秒後には再び口を開いて。
「近いうちに二人の家を探さないとね!マリーちゃん、どこがいい?」
ずっと下を向いてリュートを弾いていたマリーさんですが、突然演奏を止めました。
「少年、これ代わりに弾いて」と、リュートを僕に押し付けて、顔を上げたと思ったら、ワイン瓶を手に取りました。
中身が半分近く残った瓶を口に咥えると、どんどん吸い取って空にしていまい、「ニコー」と笑って。
「そうねえ!静かで、山賊が出なくて、駅馬車で大きな町に買い物に行ける場所がいいなあ!」
ついにマリーさんが吹っ切れました。
なんか恐ろしい…。
彼女の機嫌をこれ以上損ねないために、言われた通りに演奏を始める僕。
トワイライトさんは「ようやく話に食いついた」って感じで、続きを話し始めました。
「やっぱり帝都の近くがいいよね」
「そうだね!自由貿易都市の近くなんか、便利かもしれないね!」
「マリーちゃんと少年くんの子どもだから、そこそこ賢い子になりそうだね」
「当然、恐るべき頭脳の子になるよ!大人になったら魔術師ギルドに入れちゃおうかな?」
「あー、いいね、それ!私が師匠になったげる!」
「いやいや、私の子がトワちゃんくらいの年齢になったら、もうハイ・ウィザードになってるよ!」
「やだ〜、それじゃあ、私の立場がないじゃない!親バカねえ」
僕の拙い演奏は全く無視して、勝手にどんどん話を進めていく二人。
まあ、このまま何事もなく時間が過ぎて『枯れ沼の要塞』に着ければ良いかなあ、と。
「少年くんも、ボケーっとしてないで、今から金になる仕事を見つけないとね!」
「え、ええ?」
「物書きって、どのくらい収入があるのかなあ?マリーちゃん、子どもは何人作る予定?」
「そうだなあ、劇団を作れるくらい欲しいなあ!」
「きゃー、こりゃ少年くん、頑張らないといけないね!」
それから『枯れ沼の要塞』に着くまでの半日近くもの間、トワイライトさんとマリーさんはずっと『恋バナ』を続けていました。
駅馬車を降りる頃には、僕とマリーさんの間には13人の子どもがいることになっていて、名前や職業まで詳しく設定されていました。
僕の人生設計も40年先まで出来上がっていました。
ちなみに僕には『ビッグ・ダディ』という名前が付いていました。
駅馬車で一緒になった『観客』さんが、トワイライトさんやマリーさんと一緒に付けたあだ名です。
ここまで来ると、もうついていけません…。
-偽装-
『枯れ沼の要塞』でトワイライトさんとはお別れです。
彼女はここで駅馬車を降りて、早馬で自由貿易都市まで向かうそうです。
「早く魔術師ギルドに火竜のウロコを届けたい」とのことですが、その表情からして僕たちに気をつかった可能性もあります…。
僕とマリーさんはこのまま駅馬車で西に向かい、3日かけて帝都に行くのです。
「それじゃ、マリーちゃん、ダディくん、色々とありがとう!楽しかったよ!」
「うむ、さらばじゃ!」
「お世話になりました」
トワイライトさんは、肩掛け鞄をゴソゴソと探り、僕とマリーさんにプレゼントを渡しました。
「これ、火竜のウロコのお礼ね。マリーちゃんとダディくんに、ひとつずつ。お揃いのペンダント。恋愛成就と安産のお守り。私の魔力が込められているんだ。こういうアイテムが、物語の終盤で二人を救う鍵になったりするんだよ!」
「終盤ねえ…」
「ところでトワさん、なんでこんなものを持ち歩いているんですか?」
「こんなこともあろうかと、いつも鞄に入れていたんだよ!さすが私でしょ?」
「は、はあ…。とにかくありがとうございます」
「トワちゃん、サンキュ!」
こんな感じでトワイライトさんと別れて、僕たちは『枯れ沼の要塞』で一泊です。
ここに二人で泊まるのも久しぶり。
前はマリーさんと一緒の部屋に泊まるのがドキドキでした。良い思い出です。
今はすっかり慣れっこ…と言いたいところですが。
駅馬車の中での『恋バナ』の影響で、なんか妙に気まずいというか、なんというか。
「マリーさん、お揃いのペンダントですね…」
「そうね。まあ、いいんじゃない?変な魔力も込められてるらしいし」
「変な魔力…はは…」
なんかマリーさんに話しかけづらい。
トワイライトさんに延々とイジられる原因を作った僕のことを怒っていても無理はありません。
荷物を置いて、椅子に座り、一息ついて。
「あの、マリーさん、怒ってます?」
「ん?怒ってないよ」
これ絶対に機嫌悪いやつだ…。
でも…マリーさんが恥ずかしい思いをしたことは事実としても…彼女は『恋バナ』のことをどう思っているのでしょうか。
僕なんかと夫婦の設定になったことを嫌だと思っているのでしょうか?
正直、僕は「恥ずかしいけど嫌ではない、むしろ嬉しい」と思っていたのですが、マリーさんは違うのでしょうか?
勝手に僕が意識しているだけなのでしょうか。
「気まずいなあ」と思いながら困っていると、マリーさんの側から話を切り出してくれました。
「さて、まだ日没まで時間があるし、明日からのことについて、少し話しとくね」
「は、はい」
…正直「助かった」と安心している自分がいます。
「昨晩に話をした通り、目的地は帝都だよ。明日の朝、ここを発って駅馬車で西に向かう。少年には、私の代わりにリュートを弾いてもらうから、そのつもりで」
「なぜなんです?」
「帝都では私は有名人だからね。リュートを弾きながら駅馬車に乗っていたら、すぐに身バレしちゃう」
「どこまで本当の話なんでしょうか?」
「全部本当だよ。帝都宮殿までは目立たないように、密かに向かいたいんだ」
「はあ、そうなんですか」
「私がマリーゴールドだとバレたら、あっという間に人だかりに囲まれて、身動きできなくなっちゃう」
「今ひとつ信じられないのですが…。つまり、トルバドールがマリーさんだと皆知っている、ということですか?」
「そんなところだねえ。何しろ、帝都のど真ん中で、トルバドールになっちゃったからね。もう5年前の話だけど」
「ええ?なんでそんなことを?」
「んー、当時は勝手が良く分かってなくて、皆の前でトルバドールになる方が『カッコいい』と思ってたんだ。なんかヒーローっぽいかなって」
「え、ええ…」
「でも、すぐに間違いだと気がついたよ。もうどこに行ってもマリーさんモテモテで、迂闊にお花摘みもできない。おかげで私はその後に帝都を離れて、5年間近づけなかった」
「まじですか」
「でも…帝都には定期的に通う用事があるんだよね。しかも今回はファイアストームの件も報告しなきゃいけないし。あまり気は進まないけど」
「用事って?」
「宮殿に着いたら、追い追い説明するよ。何しろ帝国の裏側、深淵に迫る話だからね」
「………」
「そういうわけで、明日の駅馬車に乗ってから、私たちは旅芸人を装うことにするよ。キミは演奏の係ね。名前はダディでいい?私はカンナにする。斜向かいのカンナ(笑)」
「僕の名前は…とりあえずダディでいいです。他に思いつかないし」
「よし、決まりだ!明日から私はカンナさん、キミはダディだ!」
ここまで話をしたマリーさんは、ようやく笑顔を取り戻しました。
1日ぶりに見た、彼女の自然な笑顔です。
「今後の話はこれくらいにして、私の旅の目的を果たすとしよう!酒場に行って、いっぱい飲んで、嫌なことはパーっと忘れるんだ!今日はおごるよ!」
「は、はいっ!」
-偽物-
酒場に着いた僕とマリーさんは、空いているテーブルに座って、ワイン瓶2本と鶏肉とスープを頼みました。
料理が来るまでの間、周りの客の話に耳を傾けていると、ある噂話があちこちから聞こえてきました。
「トルバドールが帝都の近く、『東の宿場』に現れたらしい」
「先日と一昨日、二日続けて見たと言う人がいる」
それを聞いて驚いたのが僕です。
思わずマリーさんに聞いてしまいました。
「どういうことでしょうか?マリーさんは自由貿易都市と『火竜の穴蔵』を行き来してたのに…」
するとマリーさんは「ふふり」と笑って答えました。
「聞いての通りだよ。私の他にトルバドールを名乗っている者がいるようだね」
「え?まさか?偽物?」
「さあ、どうだろう?」
「え?だって、僕の目の前にマリーさんがいますし…」
「ふふ、私が本物のトルバドールだと思う?」
「ええ?何を言っているのですか?」
「もしかしたら、向こうの『トルバドール』が本物で、私が偽物かもしれないよ?」
「おっしゃることが良く分かりませんが…」
そこまで話をしたところで「お待たせしました」と声がして、振り返ると店員さんがワインと料理を運んできていました。
ワインをグラスに注いで…。
「それでは、もう一人の『トルバドール』に乾杯!」
「乾杯…?」
マリーさんはぐいっとグラスのワインを飲み干すと、ニッコリと笑いました。
「まあ、何が本物かは、自分の目と耳でしっかり確かめるまでは分からない、ってことだね」
「は、はあ…」
肉を口に入れてもぐもぐすると、マリーさんはフォークを僕に向けて…。
「もしかしたら私は、キミを騙しているかもしれないよ?」
「で、でも、マリーさんは、賊を一瞬で蹴散らして、ドラゴンの炎を防いで、説得して…」
「強さが本物の証?私よりあっちの『トルバドール』が強かったら、どうする?」
「そ、そんなこと、まさか…」
ワインをグラスに注いで、マリーさんはグッと飲み干して「ふぅ〜」といった表情を浮かべて話し続けます。
「もし私が、あっちの『トルバドール』と決闘して負けても、少年は私のことを本物だと信じてくれる?」
「もちろんです。僕にとって『トルバドール』は、マリーさんだけですから!」
「…ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい」
マリーさんは席を立って、僕の横に歩いてきました。
「マリーさん、一体何を?」と言う間もなく、彼女の唇が僕の顔に近づいてきて…。
「ちゅっ!」
僕のほっぺにキスをして…!
「あなたの期待を裏切らないように、私も頑張らないとね!」
と、耳元でささやきました。
「マリーさんのキス………キス………口付け…」
僕の頭はボーッとしてしまい、しばらく意識が宙を漂っていました。
どれだけの時間が経ったのか、ふと気がつくと、彼女は他の客のテーブルで話し込んでいました。
騒がしい酒場なので詳しくは分かりませんが、どうやら『トルバドール』の情報を集めているようです。
しばらくテーブルに一人で座ってワインを飲んで、肉とスープを口にしていたら、ようやくマリーさんが戻ってきました。
「どうやら、もう一人の『トルバドール』は、マリーゴールドを名乗っているようだね」
「え?マリーさんの名前まで?」
「『有名税』ってやつだね。私は早々にマリーゴールドの名前を捨てて『斜向かいのカンナ』にならなきゃダメかな?…ね、ダディ?」
「は、はあ…」
「明日は出発前に、鍛冶屋に寄っていくよ」
「武器でも買うんですか?」
「今後必要になりそうなものを仕入れて行くんだ」
「必要になりそうなもの?」
「詳しくは、後で見てのお楽しみ!まあ、必要にならないに越したことはないけどね」
マリーさんは椅子に座って、残りのワインと料理を味わい始めました。
「何にしても、面白いことになりそうだね!帝都までの道のりを退屈しなくて済みそうだよ」
「そうですか?僕はちょっと怖いのですけど…」
ワインを瓶一本半ほど飲み干して、ほんのりと顔が赤くなったマリーさんが、笑いながら話します。
「もしキミが、『枯れ沼の砦』に向かう駅馬車を一本乗り違えていたら、私と会うこともなく、もう一人の『トルバドール』や『マリーゴールド』と会っていたわけだね。そう考えると、人の縁や巡り合わせとは不思議なものだなあ…」
「僕は…マリーさんと会うことは、運命だったというか、必然だった気がします。それこそ『神様』の導きのような…」
「少年は『正確な記録を残すんだ』と意気込んでいるわりに、意外とロマンチストだよね。劇作家を目指しても良いかもしれないよ?」
「まあ、副業としては悪くないですね」
「そうそう、何しろいっぱい稼がないといけないからね、ビッグ・ダディ(笑)」
-夫婦の旅芸人-
次の日は予定通りにマリーさんは要塞の鍛冶屋に寄って、何か探しているようです。
その間、僕は外でリュートを抱えながら、ボケーっと待つだけ。
僕もこのリュートをマリーさんのように弾けたら、トルバドールになれたりするのでしょうか。
そんな簡単なことではないのでしょうか。
もう一人の『トルバドール』も、このリュートのような不思議な楽器を持っているのでしょうか。
などと考えていたら、マリーさんが帰ってきました。
「お待たせ、目的の物も手に入ったし、駅馬車に乗ろう」
そういうわけで、僕たちが駅馬車に乗り込んだ頃には、太陽はだいぶ高くなっていました。
一緒に乗り合わせたのは、旅人ふうの男性と女性、商人ふうの男性です。
旅人の方は僕より少し年上、商人さんはマリーさんよりもやや年上といった感じでしょうか。
当然ながら、このメンツでは、リュートを抱えている僕に注目が集まります…。
「おや、兄ちゃん、楽器を弾くのかい?」
早速、商人のおじさんに尋ねられました。
「え、ええ、まだ練習中ですが」
適当に答える僕。するとマリーさんがフォローに入ってくれました。
「私たち、夫婦で旅芸人をやっているんです!私はカンナ、こっちはダンナのダディです!」
ふ、夫婦!?
夫婦って言うことは、あの、その、いつも一緒に行動して、苦楽をともにして、一緒に喜び、一緒に悲しみ、夜になったらあんなことやこんなことも………。
不意打ちに出てきた夫婦設定に焦る僕を、旅人の二人が笑いながら見ています。
「お兄さん、赤くなってどうしたの?」
「おほん、さっき酒場で軽くお酒を飲んだもので…」
と、適当な言い訳で返す僕。
マリーさんは説明を続けます。
「ダンナはリュートの練習中なんです。私は歌に躍りに手品に、なんでもござれですよ!」
「おもしろーい!手品やってみて!」
「お安い御用ですよ。ダディは陽気な曲でお願いね」
「え?は、はい!」
適当な曲を奏でながら、マリーさんの手品とやらに注目してみると…。
マリーさんは腕まくりをして、両手を前に突き出して、表を向けたり裏を向けたり。
「さて、タネも仕掛けもありません!」
「ふむ、本当に何も仕掛けはなさそうだな」
「そうだねー」
観客たちが納得した次の瞬間、マリーさんは右手を握りました。
「はい!」
彼女が手を開くと、人差し指と中指の間に赤い玉が挟まれていました。
「え?」
観客より僕が驚いてしまい、思わずリュートを弾く手が止まってしまいました。
マリーさんは再び右手を握って、開くと。
「はいっ!」
今度は中指と薬指の間に青い玉を挟んでいました。
「ええ?」
次は左手を握って開くと。
「はいっ!」
人差し指と中指の間に黄色い玉が、中指と薬指の間に緑の玉が!
「すごーい!」
「パチパチパチ!」
観客の皆さんが盛大な拍手をします。
マリーさんは「ふふん」と得意顔になって。
「あまりの手際の良さに、思わずダディの演奏が止まってしまいました!では、この玉は彼に持ってもらいましょう!」
「こ、こうですか?」
言われるがままに左手を差し出して、玉を受け取ろうとしたのですが…。
マリーさんが4つの玉を右手に持って拳を握り、僕の手のひらの上で開くと…落ちてくるはずの玉が、どこかに消えてなくなっていました。
「ええええ?」
驚く僕をよそに、観客たちは再び盛大に拍手します。
「パチパチパチパチ!」
「すごい、どうなってるの?」
「大したものだな!」
マリーさんは右手を引っ込めると、観客の前に差し出して、表を見せて裏を見せて、タネも仕掛けもないことを強調しました。
そして右手をくるりと回したと思うと、その手にはバラの花が握られていました。
「お見事!」
「どうなってるの?」
「パチパチパチパチ!」
三度の拍手喝采。
僕はもうリュートの演奏を忘れて、ずっと「ポカーン」と口を開けた状態です。
以前マリーさんは「吟遊詩人は百芸に通じる」と言っていましたが、嘘や冗談ではなかったようです。
彼女は手に持ったバラを旅人の女性に差し出しました。
「この薔薇の花は、そこの美しいお嬢さんに…」
「あら?ありがとう!」
これには商人さんがいたく感心したようで、また「パチパチ」と拍手をしています。
「素晴らしい、プロも顔負けだな!これはほんの気持ちだ」
と、銅貨5枚をマリーさんに渡しました。
「あー、私も」
「俺も」
と、残りの二人も次々に銅貨を渡しました。
「どうも、ありがとうございます!こう見えても私は子ども時代にはマジックの天才と呼ばれておりました!マジックと言っても、魔術の方ではなく、手品でございます!」
マリーさんが帽子を取ってお辞儀をしながら、架空の身の上話を始めました。
やはりトワイライトさんの過去話が元になっているようです。
なんだかんだ言ってマリーさん、トワイライトさんにイジられたことを根に持っているようで、今後もカンナさんネタが続くことになりそうな予感がします…。
-二人のマリーゴールド-
駅馬車は無事に今日の目的地『日の出の町』に着きました。
なんでも、帝都のすぐ東にあって、帝都より先に日が昇ることから、この名前で呼ばれているとか。
あれから乗客は何人か入れ替わりましたが、マリーさんの手品や歌は概ね好評で、馬車を降りて別れる時も盛大な拍手が湧き起こりました。
「パチパチパチ!」
「カンナさん、ダディくん、別れるのが寂しいな」
「面白かったよ!」
マリーさんは帽子を取ってお辞儀して別れの挨拶をしました。
「皆様、ありがとうございます!良い旅になることをお祈りいたします!またご一緒しましょう!」
僕も彼女に合わせて、軽くお辞儀です。
すでに太陽は傾いて空は赤くなり始めています。
「それじゃあ、ダディ、今日の宿と酒場を探すことにしようか」
「そうですね。お腹も空いてきましたし」
などと無難な会話をしながら歩き始めた僕たち。
「ダディの演奏は、なかなか良かったよ。だいぶ上達したようだね」
「そ、そうですか?でも、まだまだカンナさんの芸には遠く及びませんよ」
と、ありきたりな会話をして歩いていたところ、マリーさんが突然小声で話しかけてきました。
「後ろからつけられてる。振り向かないように、自然に歩いて」
「え?」
困惑する僕に向けて、マリーさんは大声で話しかけてきました。
「早く宿を探さないとね。おしっこが今にも漏れそうだし!」
「カンナさんは、いつも飲み過ぎなんですよ!そのあたりで出したらどうですか?」
「レディが人前でお花摘み?無理でしょう!人のいないところを探さないと…」
と話をしたところで、マリーさんが「そこを右に」と小声で指示してきました。
言われた通りに角を右に曲がって、数歩歩いたところで、突然物陰から大柄の男が飛び出てきて、目の前に立ち塞がりました。
革鎧を身につけた大男はボサボサの髪の毛に長い顎髭、太い腕、見るからに凶悪そうな出立ちです。
腰には短剣をぶら下げ、数本のナイフも括り付けてあります。
嫌な予感がしてチラッと後ろを見ると、やはりもう一人の大男が僕たちを挟み込むように立っていました。
正直、僕はビビってしまい、足が震えて今にも逃げ出したい気持ちに駆られました。
しかしマリーさんは表情ひとつ変えずに落ち着いた様子で、大男に尋ねます。
「何か御用でしょうか?」
目の前の男が顎髭に覆われた口を開いて、マリーさんに向けて問いかけました。
「お前、何者だ?吟遊詩人…じゃないよな?」
「私たちは夫婦の旅芸人です。私はカンナ、こっちはダンナのダディです。よろしく!」
男は僕をギロリと睨みました。
「そのリュートは、お前のか?」
「え?僕でしょうか…は、はい、そうです」
「よし、弾いてみろ!」
「ええ?」
「聞こえなかったのか?」
脅すように命令する男に足がすくみ、動けなくなっている僕を、マリーさんが肘で軽く突きました。
「ダディ、言われた通り演奏して」
「は、はい!」
僕は震える手でリュートを抱えて、拙い演奏を始めました。
突然のことでしたが、さすがに丸二日練習し続けていたおかげで、何とか演奏と呼べる程度には弾けたはずです。
「…なるほど、嘘ではないようだな」
大男は軽く頷くと、マリーさんを睨んで命令しました。
「次は女、お前が演奏してみろ」
「それは誠に申し訳ないのですが、私はリュートの演奏はからっきしで…」
「いいから弾け!」
「仕方ありませんね…」
マリーさんは、僕からリュートを受け取ると、腕に抱え弾き始めました。
ところが、いつもの華麗な演奏とは程遠い、まるで素人のような雑音が響くばかり。
「すみません、私にはこれが精一杯で…」
と、焦った様子でリュートをいじるマリーさん。
「…よし、分かった。突然すまなかったな、今のことは気にしないでくれ」
目の前の大男は、そう言い残して向こうに歩き始めました。
「助かった…」と僕が安心しかけた、その瞬間!
「兄ちゃん、足が震えてるぜ!」
と後ろから声がして、突然僕の膝が蹴られました。
前のめりに倒れて、地面に両手をつき、後ろを振り向くと…。
「ははは、じゃあな!」
と、もう一人の大男が笑いながら去って行くのが見えました。
「今度こそ助かった…」
安心して力の抜けた僕は、しばらく四つん這いのまま動けませんでした。
マリーさんが心配して、身体の様子を確認しています。
「ダディ、大丈夫?怪我はない?立てる?」
「大丈夫です…。しかしマリ…じゃなくて、カンナさん、あんな状況で良く平静を保てますね。僕なんか、本当に怖くて怖くて、もうダメかと思いました…」
それを聞いたマリーさんは「ふふふ」と笑いました。
「私だって怖かったよ。おしっこちびるかと思った。というか、ちびっちゃった…。臭ったらごめん(笑)」
「ええ〜?またですか?」
「何それ!まるで私が前に漏らした事があるみたいじゃない?」
「いや、前にもあったでしょ!」
「記憶にございませんなあ…」
「カンナさん、ガバガバ飲み過ぎなんですよ、まったく!」
「あははは〜」
「もう、駅馬車の中で漏らさないでくださいよ!」
などと話をしているうちに体の緊張も解けて、何とか立ち上がることができました。
やはり気になるのは大男の正体です。
「あいつら、何だったんでしょうか?」
と、僕は小声でマリーさんに聞きました。
「どうやら、本物の『マリーゴールド』がこの街に着くことをお気に召さない奴がいるようだね」
「それって、まさか…」
「そう、もう一人の『トルバドール』とご対面だよ」
そこまで聞いて、僕は血の気が引く思いがしました。
「ま、まさか、彼女?に会いに行くんですか?」
「当然、そりゃ会うでしょ!」
「大丈夫ですか?さっきの連中を従えている悪党ですよ、きっと」
「だろうねえ…。でも、いずれきっちりと決着をつけないとね。また命を狙われるよ」
そこまで聞いて、僕は身体から血が抜けてしまう思いがしました。
「さっき、命を狙われていたんですか?僕たち?」
「そう。駅馬車から降りてくる連中を見張って、『マリーゴールド』ぽい奴を見かけたら、人目につかない場所に連れ出して、バッサリ」
マリーさんは、首を切られるジェスチャーをして、「あはは」と笑ってふざけています。
「そんな…、笑い事じゃありませんよ!」
「ダディったら、顔面蒼白で、ゾンビみたい(笑)」
本当に笑い事ではありません。そんな恐ろしい人に自分から会いに行くなんて…。
こんなことで、無事に帝都に着けるのでしょうか。