囚われの吟遊詩人と大盗賊
吟遊詩人が囚われて、少年が一人でがんばります。
頼れるのは、どこにいるのかも分からない「大盗賊」。
-酒場での楽しいひととき-
『枯れ沼の要塞』に無事に着いた僕とマリーさんは、一晩を宿で過ごすことにしました。
宿の部屋で、マリーさんは地図を眺めながら僕に尋ねます。
「要塞を出たら、次はどこに行こうか?自由貿易都市まで歩いて2日。街道が整備されているから、馬がなくても安全だよ。多くの場合はね」
しかし僕は…緊張のあまり、彼女の話が耳に入っていませんでした。
何しろ女性と同じ部屋に泊まるのは、これが初めての経験なのです。
頭の中では「マリーさんと同じ部屋…、同じ部屋…」こればかり反芻しています。
そんな僕を見たマリーさんは…。
「ははーん、緊張してるね、キミ!よ〜く分かるよ!」
ドキッ!僕がマリーさんを意識していることが、バレてしまったのでしょうか?気まずい…。
「…旅を始めて一ヶ月で、あんな体験をしてしまったら、多くの人はしばらくは緊張が解けないものさ」
あ、そっちのことでしたか。
安堵した僕の右手を、マリーさんは突然握って、ぐいっと引っ張ります。
「そんな時は、酒場で騒ぐに限る!いっぱい飲んで、パーっと忘れるんだ。行こう!今日は私がおごるよ!」
「えっ!そんんなっ」
マリーさんの柔らかく、それでいてたくましい手のひらを通して、彼女の温もりが僕の手の中に…!
いきなりのことで僕の頭の中は真っ白になり、彼女が何を言ったのか、半分くらいしか頭に入りませんでした。
宿の一階の酒場に僕は引きずり込まれました。
駅馬車で一緒になった、マルクスさんとエンゲルスさんも、すでに宴を始めていました。
彼らの隣の席に座り、マリーさんは赤ワインを、とりあえず僕も同じものを頼みました。
「マリーさんと少年は、これからどうするんだい?」
「やっぱり自由貿易都市に行くんだろう?」
「うーん、そこには行くつもりだけど、少し寄り道するのも悪くないなあ。キミはどう思う?」
マリーさんが、僕に話を振りました。
「そうですね…もともと僕はトルバドールに会うために帝都を目指していて、もう目的は半分叶ったようなものだし…マリーさんについて行きます」
「それじゃあ、急ぐ旅でもないし、街道をゆっくり楽しみながら行こう!」
それを聞いたエンゲルスさん、少しガッカリした様子。
「そうか、私は自由貿易都市に急ぐから、明日でお別れになるな。今日はありがとう、あなたは命の恩人だよ」
「いえ、こちらこそ、お付き合いいただき、ありがとうございます。またご一緒できると良いですね」
「マルクスさんは?」
「私はこの要塞にしばらく滞在する予定だ。やはり、明日でお別れになるな。本当に今日は助かったよ」
「どうも!商いの神があなたに微笑みますように、お祈りします」
「それじゃあ、今日はたくさん飲んで食べようではないか!」
「素晴らしい出会いに乾杯!」
宴会が始まりました。
僕はドロシアさんの話の続きを聞きたかったのですが、マルクスさんとエンゲルスさんが一緒なので、難しそうですね。
ずっと黙っていてマリーさんに気をつかわせても申し訳ないので、何か話題を切り出してみましょう。
「自由貿易都市って、そんなに大きな街なのでしょうか?」
それを聞いたマリーさんが即興で歌い始めます。
「世界の全ての商いは、かの都市に通じる。大きさに並ぶ都市無し、買えないものは無し、手に入らないものは無し、失うものは多し!」
「なんですか、最後の失うものが何とかって」
「商売の才覚のないものは、一文なしにされてしまうってことだな」
マルクスさんが笑いながら答えました。
「詐欺師に騙されて地位も名誉も失うものも珍しくない」
エンゲルスさんが頷きながら呟きました。
「スリにあって全財産を失うものも多い!」
「マリーさんのお兄さんですね」
「そうそう!自由貿易都市に行く前に、都会の心得を伝授しておこう!」
マリーさんは人差し指を上に立てて、僕の方をチラリと見て。
「ひとつ!持ち物は何度も確認すること!常に確認すること!」
「ふむふむ」
「そこのキミ!」
ドキッ!彼女の人差し指が、突然、僕のほうを向きました。
「えっ?なんでしょうか?」
「お財布が無くなってるぞ〜!」
「え?まさか?」
慌てて肩掛けカバンを調べると、本当に財布が無くなっています。
どどどどうしよう!酔いが一気に醒めて、目の前が真っ暗になりました。こんなところで全財産を失うとは!
「ふふ〜ん、これは、なーんだ?」
マリーさんはドヤ顔で、見慣れた財布を右手に持って、プラプラと振りました。
「ああっ!僕の財布!マリーさん、いつの間に?」
「ははは、これは少年、いっぱい食わされたな!」
財布を僕に手渡して、「ニターっ」と笑みを浮かべてマリーさんは続けます。
「…というように、油断は禁物!人を見たら泥棒と思え!…なんてね」
もうっ!冗談がきついですよ、マリーさん!
「ふふ、怒らない、怒らない」
「しかしマリーさん、うまいものだな」
マリーさんは「ぬふーっ」と得意顔。
「吟遊詩人は百芸に通じる!歌に躍りに手品に魔法に…」
「え?魔法?あの魔術師が使うという?」
「そうだよー!すでに私はキミに魔法をかけている!」
「え、ええ?」
いったい、どんな魔法を?慌てて体中を調べる僕を見て、マリーさんは爆笑。
「酔い醒めの魔法、なんちゃって!」
なんだ、そりゃー!確かに酔いは完全に醒めてしましましたが…。
「ぷくー」っと膨れる僕の肩を彼女は「ポン」と叩きます。
「ごめん、ごめん。気を悪くしないでね!」
マルクスとエンゲルスさんも、くすくすと笑っています。
「少年、良い予行演習になったと思って、彼女を許してやってくれ」
「そうそう、これが実戦だったら、キミは大変なことになってるよ」
お腹を抱えて、涙を浮かべながら笑い続けるマリーさん。
呼吸を一生懸命整えて、涙を拭いて一言。
「ええと。なんの話だっけ?」
「都会の心得のひとつ目ですよ〜!」
「ああ、そうそう。そうだった。じゃあ、次はふたつ目」
人差し指と中指を立てて、マリーさんは続けます。
「街中で演じられる歌、躍り、手品、それらを楽しむときは、常に背中に注意しろ!」
「どういうことですか?」
「スリが財布を狙っているぞ〜!」
まさか、また僕の財布が?と思って慌ててカバンを探ると、大丈夫、きちんとあるべき場所にありました。
「ふふ、もうキミの財布には手をつけないから、安心して!」
「本当ですか?」
「嘘かもしれない!これが心得のみっつ目だね。人の言うことは信用するな!」
「……もう、なんだか、マリーさんのことが信じられなくなってきました」
僕のほっぺは「ぷくーっ」と膨れて、風船のように見えたことでしょう。
「いや、マリーさんの言っていることも一理ある」
「そうだな。それが自由貿易都市の恐ろしいところだ」
二人は「うんうん」と腕を組みながら、彼女をフォローします。
「いや、ほんと、ごめんごめん!ほら、『木イチゴの情熱』をおごってあげるから!機嫌直して!」
1本で銀貨1枚する、そこそこ高級なワインで、マリーさんは僕の機嫌を取ろうとします。
「…最後に、よっつ目を教えてあ・げ・る」
不意にマリーさんは僕の耳元に唇を近づけて、小声で呟きます。なっ?なんでしょう?なぜか心臓が高鳴ってきました。
「信頼できる情報を得たいときは、情報屋を使うんだよ」
「え?なんですか、それ?」
「詳しくは、後で、二人っきりのときに…ね」
ドキドキしている僕を見て、エンゲルスさんが笑います。
「おい、少年、赤くなってるぞ」
お、お酒のせいですっ!
-ナイトホーク-
酒場での宴会が終わり、僕とマリーさんは部屋に戻ってきました。
「結構おいしかったですね。僕、こういう場所で食べたことが、あまりなくて…」
「でしょう?これで緊張も解けたでしょ?」
あ、そういえば、そんな話もしていましたね。
「バタン!ガチャッ」
部屋の扉と鍵を閉めて、マリーさんは僕に迫ります。
「これで二人っきり…」
あ、ああ、あああっ!マリーさんの顔が、僕の、近くに、どんどん迫ってきて…!
「ドクン、ドクン」と高鳴る心臓。せっかく緊張を解いたはずなのに、これじゃあ元通りですよ!
ま、マリーさんの、唇が、耳元に…っ!
「情報屋の件だ。一度しか言わないから、よく聞いて。『キャプテン・モーティ』という酒場に入り、『スケルトン・クルー』を注文しろ。『スケルトン』と『クルー』の間は、区切って。中点を入れる感じで」
「え?いきなり、なんです?中点て?」
「唯一、信頼できる情報が得られる場所だ。私に何かあったら、そこに行くこと。情報の対価には銀貨が必要だ」
小声で一通り喋り終えると、マリーさんは自分のベッドに寝っ転がりました。
「今日は疲れたから、寝る!明日の朝は、適当に起きて出発ね」
「えっ?ちょっ!今の話って…」
「すぅ〜、すぅ〜」
すでにマリーさんは寝息を立てています。寝るの早っ!これが旅人に必要とされるスキルなのでしょうか。
とりあえず、僕はノートを開いて、今日の出来事を書き留めることにしました。
…『スケルトン・クルー』の件はどうしよう?
わざわざ秘密っぽく話すということは、メモしてはいけない、ということなのでしょうか。
なんてことを考えていると。
「グォ〜!」
と、クマの唸り声のような音が聞こえてきました。
音の鳴っている方向を振り向くと……マリーさん…。
その夜、僕は気が張ってあまり眠れませんでした。
マリーさんのイビキがうるさいこともありますが、昼間のことや、彼女の言葉が頭から離れず、ずっと同じことを考えていました。
「私に何かあったら」って、あのマリーさんの身に「何か」が起こるものでしょうか?
ましてや彼女はトルバドール。
魔族すら打ち倒す力があるのに、怖いものがあるのでしょうか?
そういえば魔族って何者でしょうか?
ドロシアさんの話の続きって、なんなんでしょうか?
彼女のお兄さんがトルバドールだという話でしたが、マリーさんがトルバドールだということは、お兄さんの話は嘘なのでしょうか?
それともトルバドールは二人いるのでしょうか?
気がつくと、外は明るくなっていました。
要塞を出発して、旅の再開です。
とりあえずは、自由貿易都市のひとつ手前の宿場まで、歩いて進むことにしました。
快晴の草原を街道沿いに歩く僕たち。
充分な睡眠をとったマリーさんは、元気いっぱい。
「私は〜荒野に咲く〜一輪の〜華麗な花〜歌えばみんな〜振り返る〜」
リュートを奏でながら、意気揚々と歌っています。
「小鳥さんたち、おはよ〜!」
「タンポポさんたち、おはよ〜!」
目についた小鳥やお花に、彼女は挨拶しています。
「ちょっと、マリーさん、恥ずかしいからやめてください!」
「え?なんで?誰も見てないでしょ」
辺りを見回してみると、街道を歩く紳士や婦人が、こちらを見てクスクス笑っています。
思いっきり見られています。
「いつも、こんな感じなんですか?」
「ふふ、私がゴキゲンなのは、キミが一緒だからだよ!」
…えっ?
「あ、赤くなった!かわいい!」
もしかして、僕をからかったのですか?
マリーさんに攻められてばかりでは悔しいので、僕も反撃することにしました。
「昨日の『私に何かあったら』て、どういう意味なんです?」
リュートの演奏が「ピタッ」と止まりました。
そしてマリーさんは、後ろや周りをキョロキョロと見回します。
「何やってるんですか_」
「ここは自由貿易都市のすぐ近く…奴がどこに潜んでいるか、分かったものじゃない」
「奴って?」
「ナイトホーク…潜入とスリと盗みの達人。いつどこに現れるか分からない、神出鬼没の盗賊。ギルドに属さない、孤高の存在」
「マリーさんの言っていることって、今ひとつ信憑性が薄いんですけど、どこまで本当なんですか?」
「奴は、自由貿易都市で最も警戒すべき人物の一人…会わずに済むなら越したことはないね」
マリーさんのことなので、冗談か何かかと思いましたが、それにしては表情に真実味があります。
ここまで彼女が怯えるとは、一体どういう男なのでしょうか?
「彼のことを詳しく教えてもらえませんか?」
「彼じゃない、…彼女だ」
「女性なんですか」
「なんです」
再びマリーさんは、周囲をキョロキョロと見回しています。
「こうした何気ない会話も、いつどこであいつに聞かれているか分かったものじゃない。壁に耳あり、窓に目ありって言うだろ」
言わないですよ。
「随分と彼女に詳しいんですね」
「…その昔、ちょっとだけ、あいつと組んだことがあるからね」
マリーさんは、右手の人差し指と親指を突き出して「ちょっとだけ、ちょっとだけ」と強調しています。
「腕が良いことは確かだね。神業の持ち主と言っていい」
「信頼できるんですか?」
「全然。まったく信用できない」
「…よく、そんな人と組んでいましたね」
「まあ、色々あってね、当時は…」
苦笑いするマリーさん。あまり触れられたくない過去があるのでしょうか。
「気を悪くしたらすみませんが…その、トルバドールでも、ナイトホークは怖いものなのでしょうか?」
「…できれば会いたくないね」
真顔で答える彼女を見て、僕はただならぬものを感じました。
トルバドールでも会いたくない存在って、どれだけなのでしょうか?
「まあ、あまり言いたくないけど、あいつには借りが2つほどあるからねえ…」
苦笑いしながら、マリーさんは告白をはじめました。
「自由貿易都市で兄さんがスリにあっただろ?あれやったの、ナイトホークなんだよね。もっとも、当時は『クイックシルバー』と名乗ってたけど。あいつが兄さんのお金をスったおかげで、ドロシアさんと知り合うことができたんだよ。おかしな話だけどね」
「スられたことが『借り』なんですね…」
なんだか良くわかりませんが、確かにホークウィンドさんがお金を無くさなければ、ドロシアさんと深く知り合うこともなく、マリーさんの人生は大きく変わっていたことでしょう。人の縁とは不思議なものです。
ドロシアさんと言えば、ずっと聞きたかったことが。
「あの、ときにマリーさん、ドロシアさんの話の続きというのは…」
僕が口を開いたその時!
突然宿場の方向から、馬が走ってきました。
帝国の伝令のようです。
「何があったんですか!?」
マリーさんが大声で叫びます。
「賊が出た!この先の宿場だ!近づくな!」
それだけ伝えて、伝令は要塞の方向に駆けていきました。
「やれやれ、こんなところにまで賊が出るのか。またトルバドールの出番だな」
「でも、遠いですよ?どうやって?」
「ポロン、ポロン」
マリーさんはリュートを奏でると、トルバドールの姿になっていました。
「え?」
トルバドールになったマリーさんは、近くを通った帝国騎馬隊の前に立ち塞がり…。
「トルバドールです!馬をお借りします!」
「これは、これは!トルバドール殿、どうぞお使いください!」
「ありがとうございます!後でこの先の宿場まで取りに来てください!」
「お気をつけて!」
馬に跨ったマリーさんは、僕を後ろに乗せて、馬を走らせます。
「全速力で行くよ!振り落とされないでね!」
-囚われのマリー-
僕は今、一人で自由貿易都市に向けて歩いています。
マリーさんはいません。帝国の衛兵に捕まってしまいました。
彼女なしで僕は自由貿易都市に行って、事態を解決する方法を探さなければなりません。
それは半日ほど前のことでした。
宿場に辿り着いたトルバドールは、賊の大群を一瞬で討伐しました。
「さすがトルバドールだ、ありがとう!」
「英雄トルバドール!」
「人質も全員無事だ、素晴らしい!」
「トルバドール万歳!」
人々は、トルバドールを讃えます。ものすごい声援です。さすが帝都に近い土地だけあります。
マリーさんは人々に手を振って、にこやかに応えます。
しかしこの時、彼女はある意味、限界に近い状態でした。
要塞を発ってからここまで、用を足していなかったのです。
マリーさんは誰も見ていない建物の影に隠れると、元の姿に戻りました。
「あああ、もう我慢できない、そのあたりで…」
そこへ衛兵が通り掛かります。
「あっ!…やあやあ、お疲れ様!」
マリーさんは、彼らに向けて、にこやかに手を振りました。
「不審者がいたぞ!きっとさっきの賊の生き残りに違いない!」
彼女は衛兵に取り囲まれ、一瞬で逮捕されてしまいました。
「ちょっ!待って!リュートはダメ!…あ、おしっこ、漏れる、というか、もう漏れてるしっ…」
両腕を掴まれて、マリーさんは引きずられていきました。
僕は一部始終を、遠くの物陰から眺めているしかできませんでした。
慌てて近くのおじさんに聞きました。
「今、衛兵に捕まった人たちは、どうなってしまうのでしょうか?」
「ああ、宿場の近くの牢獄に入れられて、裁判官の取調べ待ちだろうな」
「その裁判官は、いつ来るのでしょうか?」
「前回は1週間前に来たばかりだから…次は3週間後だろうな」
「それまで、ここの牢獄に入っているのでしょうか」
「たぶん、そうだろうな。牢獄がいっぱいになれば移送されるが、もともと治安の良い場所で捕まる人も少ないし」
これは大変だ!マリーさんが3週間も牢獄の中に!
しかも裁判官の判決次第では、もっと重い刑を言い渡される可能性もあります。
「マリーさんを助けないと!」
僕は決意しました。今まで彼女に助けられてばかりでしたが、今度は僕がマリーさんを助ける番です。
-たった一人の冒険-
自由貿易都市に着いたのは、日が沈む直前でした。
なんとか閉門の前に滑り込んだ僕は、これからどうすべきか落ち着いて考えることにしました。
「わあ、大きな都市だなあ」とか考えている余裕はありません。
どうすればいいのか、どうすべきか、どこへ行けばいいのか。
来たことも見たこともない大都市で、途方にくれる僕。
「そうだ、情報屋だ」と、僕は思い出しました。
マリーさんに「何かあったら」の「何か」が、こんなに早く起きてしまうとは。
道ゆく人に「キャプテン・モーティ」の場所を尋ねます。
「ああ、下町通りの角の店だね」
親切なおじさんが教えてくれました。
下町通り…こう言っては失礼かもしれませんが、暗くてお世辞にも綺麗とは言えなくて…なんだか雰囲気の悪い場所です。
この場所で僕は明らかに浮いています。
他の人とは目を合わさないように、早足で件の店に直行します。
背後から誰かにつけられている気がしましたが、間一髪、店を見つけました。
『キャプテン・モーティ』ここです!
「ギィ…」扉を開ける音です。
「ギロリ…」
入った瞬間に、店の中の客や店員の視線が突き刺さります。
昨日マリーさんと行った酒場とは、明らかに雰囲気が違います。
「おい、なんだよ、あのモヤシ」
「あんた、ちょっとからかいなよ」
「しかしなんて弱そうなやつだ」
ガラの悪い客たちが、僕のことを陰でヒソヒソと言っています。気にしている余裕はありません。無視です。
僕はカウンターに腰掛けました。店員が機嫌悪そうに僕に尋ねます。
「何にする、兄ちゃん?」
「スケルトン・クルー」
「…こっちに来な」
店員は僕を奥の小部屋に案内しました。
その中には相手の顔の見えないカウンターがあり、銀貨をやり取りするための小さな窓がついていました。
カウンターの前の椅子に座ると、向こうから声がします。
「何の情報が欲しい?」
「ドロシア。女性。『魔神の酒樽』のオーナー」
「銀貨1枚だ」…渡します。
「6年前に雪原の国で目撃情報あり。それ以降消息不明。死亡との噂あり」
えっ?ドロシアさんが、もういない?…彼女ならマリーさんを助けてくれると思ったのに…。
「他に何か?」
「ホークウィンド。男性。吟遊詩人」
「銀貨1枚」…渡します。
「6年前に帝都宮殿で目撃情報あり。それ以降消息不明。死亡との噂あり」
まさか、ホークウィンドさんまで、もういない?そんな…。
誰か他に頼れる人は…。
「他に何か?」
「ナイトホーク。女性。盗賊」
「銀貨1枚」…渡します。
「潜入とスリと格闘の達人。自由貿易都市のアジトに大量の金品を保有との噂あり。金貨100枚の賞金首。極めて危険」
「接触するには?」
「追加で銀貨1枚」…渡します。
「市場地区で彼女の情報を聞き回れば、向こうから接触してくるだろう」
「他に何か?」
「いえ、以上です」
僕は店を出ると、急ぎ市場地区に向かいました。
もう日は落ちていますが、モタモタするわけにはいかないのです。
夜に営業している店は、酒場か宿屋しかありません。
手頃な店『踊るヤカン亭』を見つけて、中に入ります。
『キャプテン・モーティ』と違い、雰囲気は悪くなく、昨日の酒場に近いです。良かった…。
カウンターに腰掛けて、ミルクを注文します。
「ほらよ」
飲み物が出てきたタイミングで、店員に尋ねます。
「ナイトホークについて何かご存知でしょうか?」
店員さんは数秒黙った後に「知らないねえ」と答えました。
次はテーブルに座っている客です。
「こんばんは。初めまして、僕は旅の芸人のコピーといいます。同席してもよろしいでしょうか?」
「芸人?そうは見えないけど。何ができるの?」
「歌と踊りを、少々…」
「面白い、やってみせて!」
「その前に、一つ教えて頂けませんが、ナイトホークについて…」
「……」
彼女の名前を口にした瞬間、テーブルの客は立ち上がり、他の場所に行ってしまいました。
「ナイトホーク」…口にしてはいけない言葉なのでしょうか。
僕は『踊るヤカン亭』を出ると、向かいの『笑うフライパン亭』に入りました。
「ナイトホーク…」
「他を当たってくれ」
「ナイトホーク」
「知らないね」
「ナイト…」
「あっちに行ってくれ」
やはり、誰に聞いても、何も教えてくれません。
そんなやりとりを繰り返して、どれほどの時間が経ったでしょうか?
突然、僕は背後から首を締められて、意識を失いました。
-大盗賊-
目を覚ますと、そこは見たこともない豪邸の中でした。
身体を動かそうとしても、自由が利きません。
どうやら手足は縛られているようです。
目の前には、赤い仮面を被った女性らしき人が立っています。
見た感じ、帝国系民族のようで、身長はマリーさんよりやや低いようです。
美しいボブカットの黒髪をなびかせて、彼女は尋問をはじめました。
「お前、何者だ?なぜ私のことを嗅ぎ回る?賞金稼ぎか?帝国の人間か?」
「違います!友人を助けて欲しいのです」
「助ける?私を誰だと思ってるんだい?天下のナイトホーク様だぞ?」
「知っています!過去の名前はクイックシルバー。10年前に旅の吟遊詩人・ホークウィンドから金を盗み『魔神の酒樽』のオーナー・ドロシアとの接触の機会を作った。彼の妹分のマリーゴールドとの知り合い。過去に組んで仕事をしたことあり…」
そこまで言うと、彼女は仮面を取りました。
「…なんてこったい。マリーの仲間か」
「あっ…!」
「ん?なんだい?私の顔に何かついてるか?」
「い、いえ、もっと強面なものとばかり…」
本当は、彼女が意外なほど美人だったので、一瞬、見惚れてしまったのです。
「で、どうした?マリーが死にそうなのか?魔族にでもやられたか?ドラゴンの洞窟に閉じ込められたか?」
「帝国の衛兵に捕まって、牢に入れられました」
それを聞いた彼女は、突然大声で…。
「あははははははっ!!」
「何がおかしいんです?」
「マリーが、トルバドール様が、帝国に捕まって、牢屋に!これが笑わずにいられるかっての!!」
「彼女がトルバドールって知っているんですか?」
「当たり前だろ、あいつとは10年来の腐れ縁だよ!」
腹を抱えながら、彼女は答えました。
「助けてください!頼れるのは貴女しかいないんです!」
「ははは、ふう、これで貸しが3つになりそうだな」
「助けてくれるんですか?」
「ああ、いいとも。トルバドール様が捕まっている様子を、じっくりと眺めてバカにしてやる!」
動機はともかく支援を受けられそうです。希望が見えてきました。
「今日は遅いから、ここに泊まっていきなよ」
「あ、ありがとうございます…でも、早く助けないと」
「大丈夫だって!1日2日で、どうにかなるものでもなし」
「は、はぁ…」
「ん?どうした?」
「ナイトホークさんって、随分とお優しいのですね。もっと怖い人かと思っていました」
僕が何かおかしいことを言ったのでしょうか。またもや彼女は笑い始めました。
「あははははは!私が優しい人?バカ言ってんじゃないよっ」
「違うんですか?」
「お前、なかなか面白いな。マリーに芸を習ったのか?見どころあるぞ」
「は、はぁ…。ありがとうございます」
ナイトホークさんは、寝床だけではなく、食事まで提供してくれました。
見たこともないような大きな食堂で、巨大なテーブルに二人で座り、ワインと肉を頂くことになったのです。
食堂は見るからに高そうな金品で飾られ、光り輝いています。
「どうだい?これは全部私が集めた戦利品だよ」
「は、はぁ…」
「帝国のノロマどもなんか、私にとってはブタみたいなものさ!あいつらが束になっても、私を捕まえることはできない」
「は、はぁ…」
彼女は突然、宝石と装飾品を無造作に僕の元に投げました。
いったい、どれほどの値段がするのだろう?金貨数枚は下らないはずです。
「それ、お前にやるよ。持っていきな!」
「ええっ?」
「お近づきの印ってやつさ」
「そんな、受け取れません!」…というか、元は盗品でしょう!
「固いやつだな。マリーのアニキみたいだ」
「あ、あのう、ナイトホークさん、ホークウィンドさんのことをご存知なのでしょうか?」
「ん〜、ふふふ!もちろん。詳しく知りたいか?」
「え、ああ、い、いや…」
「そうだなあ、勝手に話すと、あいつ怒るからなあ…」
「あ、あの、ドロシアさんをご存知ですか?」
「魔神の妃だろ?この街で知らない奴はいないよ」
「そういう意味ではなく、今どこで何をしているのか…」
「マリーから聞いてないのかい?」
「聞いていません」
「そうか。あいつにとって辛い出来事だったからなあ…無理もないか」
「そうなんですか」
「詳しく聞きたいか?」
「いえ、結構です。すみません」
「なら、いいんだ」
なんて感じで二人だけの食事は終わり、お風呂にまで入れてもらった上、僕はフカフカのベッドで眠りました。
ちなみにお風呂に入ったのは2週間ぶりです。
-救出-
死んだように眠った僕は、翌朝ばっちりと目覚めて、ナイトホークさんと一緒に馬に乗って宿場に向かいました。
彼女はフードを深く被り、身長を誤魔化すためのブーツを履き、肉襦袢で体型を偽っています。
「金貨100枚の賞金首」という話は、本当のようです。
宿場から自由貿易都市までは半日かかりましたが、戻りはあっという間でした。
適当な物陰に馬を隠し、ナイトホークさんはマリーさんが捕まっている独房の場所を確認しました。
「天下のトルバドール様が、あんなチンケな牢屋に…ねえ」
呆れたような笑みを浮かべて、彼女は救出作戦の説明を始めます。
「私が一人で乗り込んで、奴らに気づかれないようにマリーを見つけ出す。あとリュートもだったな。あいつ、リュートがないと何もできないグズだからな。あとは出たとこ勝負ってやつだ」
そんな、作戦も計画もヘッタクレもない!
彼女は肉襦袢やブーツを脱ぎ、身体をぴっちりと包む黒いスーツ姿になりました。
「どうだい?これがナイトホーク様のトレードマーク・キャットスーツというやつだよ。覚えときな」
身体の線がハッキリと出たスーツを見て「ぽっ」となった僕の目の前から、いつの間にか彼女は消えていました。
「あれ?どこに?」
少しの間が開いたあと、トルバドールとマリーさんが出てきました。
…え?
マリーさん?
僕の元にやってきた二人。
もう安全です。誰にも見られていません。
マリーさんと思われる人影が、突然、爆笑を始めました。
「ギャハハはは!!」
トルバドールが複雑な表情をしています。
「服…返してください」
「はいはい、トルバドール様!あなたの小汚い服をお返しします!」
マリーさん?が服を脱ぐと、そこにはナイトホークさんが!
どうやら変装していたようです。
「しっかし汚い服だな!うわ、ションベンくせえ!」
放り投げられた服をトルバドールは受け取ると、僕を見ました。
「見ないで…元に戻るから」
「おい、お前、あっち向いてろよ」
ナイトホークさんにまで急かされて、僕は反対側を向いて目を閉じました。
「もういいぞ」
振り返ると、いつものマリーさんがそこにいました。
後で聞いた話だと、ナイトホークさんは牢に忍びこみ、リュートを見つけた上で、マリーさんの牢屋を開けて、リュートを渡したそうです。
そしてリュートで衛兵や他の囚人を眠らせた後に服を脱いでトルバドールになり、脱いだ服はナイトホークさんが着て、牢屋に。
仕上げは、目を覚ました衛兵たちの前に現れたトルバドールが
「この者は無実の罪で捉えられています。解放してください」
とか何とか言って、晴れてマリーさん(中身はナイトホークさん)は外に出られたわけです。
「こうでもしないと、マリーは衛兵に追われ続けることになるからな」
「よく、この短時間で、ここまで思いつきましたね」
「そりゃお前、私とマリーは無敵のチームだからな!」
「……」
黙ったままのマリーさん。
「でもトルバドールの力、相変わらず便利だな!再び聞くけど、私と組まないか?帝国だけじゃない、世界中のお宝が手に入るぞ!魔族だろうがドラゴンだろうが、怖いものなしよ!」
「答えは前と同じです。お断りです」
ポツリと答える、マリーさん。
「ちぇ、相変わらずだなあ!」
ナイトホークさんは、肉襦袢とブーツで変装すると、馬に乗りました。
「じゃあ、またな。いつか会うこともあるだろう」
こうして彼女は自由貿易都市の方向へ走り去って行きました…。
しばしの沈黙。
「あの、マリーさん、大丈夫でしたか?」
「う、うん…」
お酒が入っていないせいか、恥ずかしい思いをしたせいか、元気がない…。
しばらく黙っていたマリーさんですが、やっと口を開きました。
「あなた、一人で自由貿易都市に行って、ナイトホークを見つけて、ここに連れて帰ってきたの?」
「はい、そうです」
「すごいね!あのナイトホークを説得して、ここに連れてきたなんて…」
「そ、そうですか?」
「うん、見直しちゃった」
「…!」
照れ臭そうに褒めるマリーさん。
何だか、僕の身体が熱ってきて、変な気分…。
「あ、顔赤いよ?大丈夫??」
そんなこんなで一件落着!
と思ったら。
マリーさんの所持金は、ナイトホークさんによって持ち去られていましたとさ。
これに気がついた時のマリーさんの表情と言ったら!
ナイトホークさんが彼女をからかう理由が、少し分かる気がしました。