漫画原作の嘘みたいな最終回のアニメの続きを見たいと思い漫画原作を買って読んだことはある
よく聞く話ではあるのだけれど、世の中にはメディアミックスなるものが存在して、たとえば漫画原作のアニメなんかがそれにあたるらしい。
よく聞く話ではあるのだけれど、そのためアニメだけを見ていると「ここで終わられたらその続きを原作の漫画を買ってでも読まなきゃ」と思わせられることが多々ある。
でも実際にはそれは思うだけでほんとうに買って読んだことのある作品は一作だけだと思う。
めだかボックスというジャンプのやつ。
アニメの終わり方が、もう、ぶった切りって感じのつぎを見させてって思わせるための終わり方にしていたもんだから、綺麗にそれに乗っかって漫画を買わされ読まされた。
まぁ、その体験があったから西尾維新さんに出会えた訳だから別に嫌だった経験談として書いているつもりもない。
西尾維新さんから今度はあの名作アニメ『物語シリーズ』を知ることができた訳だし、さらにはラスト涙なしには決して見られない『刀語』を見ることができた訳だから、まぁ、めだかボックスさまさまだと言うことも出来るかもしれないし。
ただでも純粋にそのアニメ単体で見たときに、ぶった切られたそのアニメがなんか製作者から愛されてないなぁと(いや、ほんとは知らないよ、どんなアニメも製作者にしてみればただの日々こなす仕事でしかないのかもしれないし、またあるいはぶった切られたアニメだってほんとうは製作者は大好きで、少しでも多くの人にその原作を知ってもらいたいという「愛情」で涙を飲んでせめてそこまでは出来るだけ質の高いアニメにしようと努力しているのかもしれないしね、それはわからないよね)思ったのも偽らざる私の感想ではあったのだ。
その際の「製作者」が誰を指すのかまたややこしい話にはなるんだろうけど、とにかく当初から物語を途中で終わらせるという物語に対する冒涜とさえ言えるぶった切りを前提に作られるアニメの製作者の心の中に、やはりそこにどんな思惑や愛情があったとしても、その対象にされるアニメって可哀想だなぁと思ってしまうのだ。




