価値観の相違
四乃崎はその答えに黙っていた。
日は暮れ、閑静な街の景色に灯りが灯っている。春は過ぎたはずなのに風は肌寒く、気温はみるみる低くなっていった。
「鹿羽くんは……諦めたの?」
静かに告げられた質問。四乃崎の髪が揺れる。
その表情には、俺がわざわざ答えなくても理解している雰囲気があって……。
「諦めて……いや、諦めきれてないな」
素直な一言に、四乃崎は「だよね」と笑う。
「一組の春間明次。去年は一緒のクラスで、私が一番絡んだ友達」
そして、唐突にそんなことを言ってきた。
「……そいつが四乃崎の好きな奴か」
「うん。でも私と付き合うのはあり得ないって言われちゃった。……冗談かもしれないけど」
「冗談でも言うか? ……その気が少しでもあるなら」
「うん。私もそう思う。『言えちゃった』ってことはたぶん、そういうことなんだと思う」
「……面と向かってフラれたわけじゃなかったのか」
「面と向かえてたら……逆にスッキリしたかも。だから、知らなきゃ良かったかな」
「知らないよりは知れて良かったな。諦めるって選択肢が増えた」
「増えたせいで悩んだよ」
「体重みたいだな? 甘い展開ばっか考えてるからだぞ」
「なにそれっ。でも……言われてみればそうなのかも。気づいたら遅かった。ほら、私ってあまり男友達いないじゃん?」
「知らんが……」
「だから、初めてこんな奴いるんだーって思った。私らみたいな女子とも普通に絡める男の子」
あいつか。記憶を手繰りよせ、春間という男の顔を思い浮かべる。誰とでも仲良くなれるお調子者であり、別クラスの教室にも度々出現するATフィールドがない使徒。……いや、もうそれは使徒じゃないな。
その春間という奴が、四乃崎が属する女子グループと話している光景はわりと見たことがあった。そっかぁ。ああいう奴が好きなのね。ふーん。
……ん?
「ちょっと待てよ」
「なに?」
「あれ? 四乃崎って、他校に彼氏いる組じゃねぇの?」
「……あ」
「なんか教室とかでは彼氏の悪口言ってなかった?」
「……あー、うん」
なんだよ、今の間は。
春間という奴の記憶をサルベージした際、そういった情報まで芋づる式に出てくる。というよりも、四乃崎の失恋というのは、普通に彼氏にフラれたとばかり思っていた。
だが、実際は違う……??
「ということはアレか? お前……彼氏いるくせに他の男に手を出そうとしてたのか?」
え、なにそれ怖い。自分で言ってて怖い。
「あー……まぁ、そうなる……かな?」
「おま……」
絶句した。マジかよコイツ。
「……ビッチ」
「はっ、はぁ!? なんでそーなるん!?」
「いや、だってそうだろ。二股しようとしてるんですよね? あなた?」
「二股って……いや、そーなるのだけれども!」
「じゃあビッチじゃねぇか。なに純情ぶってんだ。全然その恋心清くないから」
「いや、いやいや、人を好きになるってこと自体が純情じゃん!」
「一人を想い続けられないのは純情じゃないだろ……。百歩譲って、その彼氏と別れたならまだ許せるが、別れてもいないのに別の男に好意を向けてるのはビッチ以外ないから」
「しっ、仕方ないじゃん……好きになっちゃったんだからさぁ」
辛そうな表情をする四乃崎。だが、ダメだ。
「なら彼氏と別れろ」
「彼氏……」
「そいつのことは今でも好きなのか?」
「……別れたらフリーじゃん」
フリーじゃんってか、フリーガンになった方がいいなコイツ。捨てられた男を拾っていく女の子、その方が合ってるんじゃなかろうか?
そんな思想主義の最低な例えまで頭に浮かんできてしまい、四乃崎が女の子というのを忘れて暴言を吐きそうになる。それでもなんとか理性で耐えた。
「フリーになるのが怖いのか?」
「まぁ……ほら、私らのグループって彼氏いる組だし」
「……なんだよ、その『持つ者、持たざる者理論』は。フリーになったらハブられちゃうのかよ」
「そんなことないけど……なんか――カッコわるいじゃん?」
格好悪いとは……? あまりにも理由がクズ過ぎて、うっかり哲学かと思った。
「それ、重要か?」
「うん、重要」
即答でした。重要なのかぁ~。なら仕方ないね! ……とはならんだろ。
「彼氏がいるかいないかなんて、別に変わらないだろ」
「いる方がカッコいいじゃん」
この子馬鹿なのだろうか。なぜ、そんなものを恋愛に持ち込んでいるのだろうか。
「俺は、これまでの人生で一度も彼女なんて出来たことないし、無論童貞だが、カッコ悪いとは思ったことないぞ?」
「うわっ、それ相当カッコ悪いから。むしろ『俺は彼女居ないですけど気にしてませんよ?』みたいなノリが見え透いた嘘臭くて超ダサい」
えぇぇ……。
「じゃあなんだよ。……俺は彼女メッチャ欲しいけど、いろんな理由でこれまで彼女が出来たことがありません! ……これは?」
「モテないのはカッコわるいからじゃん」
「じゃあ詰みじゃねぇか! 俺はどうすりゃカッコ良くなれんの?」
その言葉に四乃崎はしばらく考えていたが、やがて神妙な面持ちで顔を上げた。
「なんか……これは誰か言ってた言葉なんだけどさ、諦めた方が良いよ。それが一番利口なやり方だ」
「それ言ったの俺だから! お前の質問に対する俺の回答だっただろうがぁ!」
なにビシッと指差しでキメてんだよ。秒で忘れてんじゃねぇよ。
「あれ? そうだっけ?」
体調不良がぶり返したのか目眩がしてきた。何か色々と食い違ってる気がする……。だが、よくよく考えてみれば、昨日のことを俺にわざわざ口止めしてきたのはやはり、あの出来事や失恋という事実が、彼女にとって『カッコわるい』からなのだろう。だから、彼女はそのカッコわるさを露呈しないよう、何時間も俺の部屋の前に居座ったのだ。
うむ。納得した。そして四乃崎がクズだということが分かった。
「もういいや。少し親身になってしまった俺が馬鹿だった」
「……え。いや、ちょっ――」
「付いてくるな。お前が心配しなくても昨日のことなんか誰にも言わないし、話さないから」
どっと疲労感が増してきた。正直、関わりたくない。
「その……」
それでも彼女が不安そうにしていたから、俺は最後の力を振り絞って笑顔をつくってやった。
「安心しろって。だから、お前はお前のカッコよさを貫けよ。じゃあな」
吐きそうになる暴言を堪えて背を向ける。
「ちがうし……本当は……」
背中に投げ掛けられた言葉。……何が違うんだよ。もはや考え方が違いすぎてわけわかんねぇよ。
「本当は――!!」
四乃崎は何か言いたそうではあったが、もはや聞く気にもならなかった。
だから、俺は無視を決め込んでその場から立ち去ったのだ。