それは身に覚えのない罪
「あー! 面白過ぎた!」
いい気なもので、四乃崎は満足げな表情を浮かべている。
「……良かったな」
そんな感想をくれてやる俺は、彼女の少し前を歩いていた。
壁ドンのあと、さすがに悪いと思ったのか、四乃崎は自分から部屋を出てくれた。もはや後の祭りである俺は、当初の目的通りコンビニへと向かうことにする。
「ってかさ、今日体調悪かったのって、やっぱ昨日のせいだよね?」
「昨日のせいじゃなくお前のせいな? さりげなく昨日に責任転嫁するな。……あと、今絶望的なのも全部お前のせい」
「だよねぇー。さすがに反省してる」
してねぇんだよなぁ……主に声音が。なんで四乃崎みたいな奴等って、言葉だけで伝わるとか思ってんだろ。教師の前で「反省してまーす」とか平気で言っちゃう。それでさらに怒られたあと、仲の良い奴等同士で愚痴ってる。「反省してるって言ったじゃん!」って。反省してる奴は反省してますなんて自分から言わないんだよなぁ……。言ったら負けみたいなところまである。だから絶対に言わない俺の勝ち。ほな、いただきます。
「でもさ、別に絶望的じゃなくない? 隣の部屋から笑い声聞こえただけでしょ?」
「女の子のな。独り暮らしの男の部屋で女子の笑い声。これはもう黒だろ」
「被害妄想が過剰過ぎない? 私だったら何とも思わないけどなぁ」
過剰過ぎってどんだけ過ってんだ……。速すぎて見逃しちゃうだろそれ。しかも俺の被害妄想のせいにして、また責任逃れしようとしてやがるなコイツ……。むしろここまでくると怖い。
「部屋に入れてる時点で黒なんだよ。あと、女子も簡単に入ってきてる時点でほぼ合意。お前は好きでもない奴の部屋に入るのか?」
「友達だったら普通じゃない?」
「……友達」
それから、あぁと納得する。
「四乃崎はあれか。男女の友情はあると思ってるタイプか」
「なるほど。鹿羽くんはあれだね? 男女の友情はないと思ってるタイプだね?」
四乃崎はひょいと俺の前に躍り出て、探偵ドラマの主人公みたく顎に手をあてて問いかけてくる。
「同じ意味の言葉を上書きして、さも自分からの主張みたくするなよ……危うく「それそれ!」って褒めそうになっただろ」
「そんな君に真実を教えよう。なんと男女の友情……あります」
無視された。しかも今度は、長年かけて結論付けた俺の意見に新たな結論を上書きしようとしている。
だが、それはあり得ない。俺は、自信を持ってそれを否定できる。
「ないな。何故なら、男とは、女子といると否応なしにそういうことを期待してしまう生き物だからだ。別に普段はそういう感じじゃなくても、雰囲気がそうなると簡単に友情は崩壊する」
「ケダモノじゃん……それ」
四乃崎は不快感を露にしたが、俺は含み笑いで余裕の態度。分かってないなぁ、お前は。
「紳士と呼んでもらおうか? 俺は男である以上、女性は女性として扱うぞ? つまり、今目の前にいる奴がどんなに最悪な人間であったとしても、女性であるかぎりは大切に扱うということだ」
「しっ……紳士だ」
「よって男女間における友情は存在しない。女性観点からして友情はあり得たとしても、男がそうでないかぎり友情は成り立たない」
「……そうなんだ」
「まぁ、友情というよりは、好きか嫌いかのパラメーターに置いてる感じだな? そのパラメーターが上がれば好きになるし、下がれば嫌いになる。それは友情の枠にはなってない」
「……? よく分からないけど、男子が女子を、そーいう目で見てるんだってことは分かった」
「正解かどうかは知らんが、男は豹変するって思っておけば警戒はできるよな。その方が安全でもある」
「そっかぁ。じゃあ、私って日々危険に晒されてるんだねー」
何気なく吐かれた言葉だったが、その言い方は『私は男子から人気ある』みたく聞こえてきてなんかムカつく。
「一応言っておきますけど……四乃崎の危険度は低いですからね?」
「……可愛いくないって言いたいの?」
「いや、可愛いけど、普段の態度は女の子らしくはないから」
「……お、おう」
「それそれ。その返しが男っぽい。だから安心して日々を送って大丈夫だぞ」
なんで俺が四乃崎の心配してあげてるのか……。改めて考えると俺も相当アホな気がしてきた。そんな考えにため息を吐いていると、彼女がジッと無言でこちらを見つめていることに気づく。
「……いや、なに」
「あー、いや、別に。……ただ鹿羽って、女の子に可愛いとか平気で言えちゃうんだなぁって」
「あー……」
それはたぶん葉連さんのせいだろう。昔の俺だったら言えなかった。だが、言葉にしても絶対に届かない想いを知ってしまったことで、きっと……そういうタガが外れてしまったのだ。
「もっと陰気な奴だと思ってた」
「陰気だぞ。なにせ好きな人に告白すらできず、勝手に失恋してるような奴だからな」
それはあくまでも勝手な失恋。だが、告白しても間違いなく実らない恋。期待してはいけない。夢を抱いてもいけない。それでも、心はそれを許そうとはしない。
頭で分かっていても気持ちはそうじゃない、というのはこういうことなのかもしれない。
そして残念なことに、強いのは気持ちの方だ。だから人はままならない。
それを制御出来たなら、浮気や不倫なんて起こりはしない。だが、現実はそれらが当たり前みたく起こってしまう。本当に残念でならない。
それでも、それを享受して人は生きなければならない。それは本当に辛いことだ。
人は平等に、誰しもが不幸を背負って生きている。それが罪と呼ばれるものならば、生き続けることとはその罪の清算を意味する。そして、清算を終えて初めて人は幸せになれた。
だからこそ、人は生きねばならないのかもしれない。
ふと……俺の人生における最大の友人に想いを馳せた。
あいつは、一体どんな罪を清算しなければならなかったのだろうか。それは、簡単に諦めてしまえるほどの重罪だったのだろうか。
……分からない。分からなかった。
ただ一つだけ言えるのは、そういった『罪』は、意図して犯したものではないということだけ。勝手に始まってしまったこと、勝手に与えられたことだ。
なら、勝手に終わらせたって文句はあるまい。
勝手に失恋したって文句はあるまい。
それでも……。
「――ねぇってば!」
服を引っ張られて我に返る。見れば、すこし怒った表情をする四乃崎がいた。
「……なに?」
「あのさ……。一個相談しても良い?」
「なんだよ」
「もし……。もしも本当に……男女間に友人が存在しないのだとしたらさ……」
彼女は胸に手をあてて深呼吸をした。
「……どうしたら、友達から好きになってもらえる……のかな?」
頬を少し赤らめさせて、上目遣いは少し揺らいでいた。それを口にした羞恥心は、隠す暇さえなく簡単に露出する。
自分を恋愛感情で見てもらうには? そんなの……俺が知りたいくらいだ。
だが、相談された以上は答えてあげるが世の情け。世界の平和を守るため。世界の破壊を防ぐため。
きっとそれは、偽善にも似た悪の考え。
「諦めろ。それが一番利口なやり方だ」
そうすれば少なくとも平穏だけは保たれる。絶望することはない。落ち込むこともない。
ただし。
きっと幸せになることも……ないのかもしれない。