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彼女との距離

 目が覚めると葉連さんがテレビを見ていた。画面端に見える時刻は、10時を少し過ぎている。


「……え」

「あぁ、起こしちゃった?」

「いや、そんなことより葉連さん時間……」

「時間? 時間がどうしたの?」

「え? ……あのバイトは」

「あぁ、バックレた。いいよ気にしなくて」


 バックレた? その言葉が頭の中でうねる。もしかして……俺の為に?


「あ、今もしかして『俺の為に』とか思った?」


 あまりにも図星を突かれ、無意識に口走ったのかと思った。


「まぁ、そうなんだけどね? 感謝しなさい? 私は鹿羽くんの為にバイトをバックレたから」

「……まじですか」

「うん。マジ」


 平然と葉連さんは答えた。少し寝たせいか頭はわりとスッキリしている。それでも体の怠さは抜けきれず、この時点で学校に行くことを俺は諦めることにした。


「学校に連絡してきてもいいですか?」

「あぁ、そうだよね。いいよ」


 起き上がって気づいたが、どうやら俺は葉連さんのベッドで寝ていたらしい。彼女がここで毎日無防備に寝ているのだと想像するとドキドキしたが、そんな場合ではないことを自分に言い聞かせ、涎を垂らしていなかったかを確認し、何のシミもないことに安堵した。


 それから、のっそりと立ち上がってスマホがある隣の自室へと戻る。


「……まじか」


 そこには、すっかり綺麗になった俺の部屋があった。仄かに香る葉連さんの臭い。どうやら寝ている間に掃除してくれたらしい。部屋の隅には、片付けたあとのゴミ袋が積まれていた。


 スマホはベッドの上にあって、そこから担任の教師に連絡をする。担任も俺が独り暮らしをしていることは知っているため、連絡するときはいつもスマホだ。まぁ、当然のことながら向こうから三回ほどの着信履歴があった。その履歴から俺は電話をかける。


『――寝坊か?』

「ちょっと死んでました」

『そうか、復活おめでとう。今日はどうする?』

「無理そうっすね」

『明日は?』

「夜連絡します」

『りょ』


 そんな言葉を最後に通話が切られた。俺も画面を戻してからつくづく思う。効率化してんなぁ、と。


 電話の相手は無論担任教師なのだが、その担任教師は教師であって全く教師らしくない。……いや、むしろ反面教師と考えるのなら一番教師らしい教師かもしれない。名前は布道(ふどう)京子(きょうこ)。数学を教えるバリバリの理系人間なのだが、その人間性は効率を重視し過ぎて何もかもが面倒臭くなっているダメ人間である。


 彼女曰く、着信を入れた時点で俺が生きていること。話せる時点で元気であること。何も言わない時点で大したことではないこと。冗談を返せる時点で正気であること……などなど、短めの会話に多くの情報量を詰め込んでしまうため、いつも会話が素っ気ない。だが、俺にとってそれは有りがたくもあった。


 それから俺は、葉連さんの部屋へと戻る。


「連絡したの?」

「はい。……あと、勝手に部屋を掃除してくれたんですね」

「トゲのある言い方するんだね? 寝ちゃった君を起こさないよう、ここから出ていってあげたのに」

「不法侵入ですよ」

「泥棒入らないように留守番の役目も果たしてたんだから感謝くらいしてくれてもいいのにぃ」

「……まぁ、そうですよね。ありがとうございます。これで一週間くらいは快適な部屋で暮らせそうです」

「それ……一週間経ったら『また掃除してくれ』っていうアピール?」

「……気づいちゃいました? ダメですよ葉連さん。そういう時は、黙って掃除してあげなきゃ」

「いや、それ君が言うんかい」


 そう突っ込みを入れ、葉連さんはくすくすと笑った。


「なんかだいぶ戻ったね?」

「葉連さんのベッドは、回復効果大らしいです。めちゃ良い臭いしましたし」

「……きっもいなぁ。それ本人の前で言う?」

「言ってくれた方が助かりますよね」

「まぁ、ね」

「あとお腹空いたんですけど」

「うっわぁ……元気になった途端に図々しくなったね鹿羽くん」

「いや、いつものことですよ。ほら、飯」

「彼氏面やめて! この部屋に男をあげたことないんだから」

「女の子ならわりとあるくせに」


 俺はため息を吐いて躊躇いもなく座る。入れ替わるように、葉連さんはキッチンへと向かった。


 それはまるで、本当に恋人みたいな会話なのかもしれない。だが、実際の現実はそうじゃない。


 どんなにそれを願ったところで手に入ることはない。そのことを理解した俺は、いつしか簡単にセンシティブな言葉を吐けるようになっていた。


 葉連さんもそういったやり取りは嫌いじゃないらしく、分かりやすくザックリとした距離感を彼女も楽しんでいる。


 俺と葉連さんが急に仲良くなったのはその頃からだ。きっと線引きが見えてしまったからなのだろう。俺が絶対に入ることが出来ない領域が見えてしまったから……だから、俺はその外でやりたい放題した。そんなことをしても、俺がその領域に踏み込むことはない。


「あと一時間くらいしたら、授業に行かないといけないんだよね」

「そうなんですね……で?」


 その返しに、キッチンに立っていた葉連さんはピタリと止まって振り返ってくる。表情はムッとしていた。


「いや、遠回しに帰るタイミング教えてあげたんだけど?」

「あぁ、そういうことですか。了解です」

「女の子って支度に時間掛かるから、私の言う一時間は十分のことだよ?」

「あぁ……なるほど。十分で帰れと」

「そういうこと」


 言いながら葉連さんは、温めなおしたお粥をお椀に注いで持ってきてくれた。

 葉連さんは、俺に女の子のことをいろいろと教えてくれる。そのお陰で、俺は随分と女の子について詳しくなったとは思う。


 それで分かったのは、女の子とは面倒臭い。そして、面倒臭い面倒臭いなどと口では言いながらも、その面倒臭さをむしろ楽しんでいるまであるのが女の子。逆に言えば、面倒臭いことが好きな人種であるために、面倒見が良いまである。母性本能というヤツなのだろう。そのくせ、マジで面倒臭いことには異常なまでの嫌悪感を示すのだ。一周回ってわけわからん。


 取り敢えず、俺は言われた通りお粥を胃に流し込んだ。火傷しないよう、程々に温められたお粥は弱った体に染みる。葉連さんは簡単にこういったことをしているが、お粥を程々に温めるのはわりと難しいと思う。お粥って冷ますのに時間がかかるから。よく「ふぅ、ふぅ、あーん」なんて甘甘な展開が起こるのは、お粥が冷めにくい料理だからである。無論、彼女にそんなことを期待したところで無駄だ。冷ます前にこの人は温め直す時点でそれをやってのけてしまうから。


 炊事洗濯などの家事については、かなり有能な葉連さん。残念なことは、それが男には向けられていないということだけ。


 この温めかた一つで分かってしまう。あぁ、本当に早く帰って欲しいんだなって……。ここまでくるともはや俺は女の子博士かもしれない。女の子とは、口や態度でそれを示さないくせに、高度なテクニックよってそれを伝えてくる時がある。それを敏感に嗅ぎ取れない男はモテない。つまり、それを感じ取れる俺はモテるのかもしれない。


 だからこそ、俺は敢えてダラダラとお粥を食べることにする。


 別にモテたいわけじゃないのだ。俺が望んでいることは……そういうことじゃない。


「――そろそろ帰ってくれる?」


 だから、葉連さんが分かりやすく口と態度で示すまで、俺は抵抗した。そして、その一言で諦め、素早く食べ終える。


 女の子が分かりやすく示した時点で、それは最終通告も同じだ。だからそれが分からない男諸君は、今一度考え直した方がいい。その最終通告に応じない場合、もれなく最悪の展開が待ち受けているのだから。


「……ご馳走さまでした」

「お粗末様でした」


 俺は渋々立ち上がり、そのまま玄関に向かう。


「一応病院行っときなさいよ?」

「わかりました」


 そう答えたが、たぶん行かないだろう。葉連さんも「一応」と付け加えているあたり、そこまで心配はしてないのだ。まぁ、お陰さまでかなり元気になったから。


 パタンと部屋から出て大きく伸びをする。外は気持ちの良い天気だった。それでも体は万全ではなく、部屋に戻ってから二度寝を実行する。


 今頃クラスメイトたちは授業を受けているのだろう。それを考えると、なんだか優越感だ。そんな気持ちに浸りながら、眠りについた。


 ……そうして起きたのは夕方。


 自然と起きたわけじゃなく、起こされた。部屋のチャイムが鳴ったからだ。


 なんだ? そう思って扉にあるレンズから覗くと。


「……は?」


 そこには、四乃崎がいた。



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