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その青春は腐り始めていた。  作者: ナヤカ


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リナリアの花言葉

 半年という日々は、俺が思うよりもずっと早くに過ぎていった。

 まだ肌寒かった季節は夏を跨ぎ、あっという間に冬の足音を鳴らしている。


 これまで、一日一日なんてものがひどく長く感じられていたのが嘘みたいだ。どうやら地球は早く自転することを覚えたらしい。


 まぁ、俺自身が変わったせいもあるのかもしれない。


 変わらないように。そう思っていた俺がだ。


 そんなことを思いつつ帰る通学路。辺りはすでに真っ暗。


 帰宅して直後の手はかじかんでドアに鍵を上手くいれられない。それでもなんとか解錠するが、開けた扉の先は暗く空気はやはり冷えきったまま。パチンと電気を灯せば、男部屋のわりには片付いていた。


 四乃崎が掃除して帰ったのだろう。


 俺が居るときは勉強の邪魔になるからといって、最近は不在中を狙って掃除しにきていた。泥棒と出会したらどうするつもりなのだろうか。危ないからやめろと命令しているにも関わらず、最近の四乃崎は言うことを聞かない。


 とはいえ、彼女自身の危険な行動も無くなっていた。


 無茶をするわけでもなく、狂人じみた行為に走るわけでもなく、以前の彼女はひっそりと息を潜めている。


 そのことに俺は安心すればいいのか、寂しくなればいいのかが正直分かっていない。


 ただ、生徒会の仕事で帰宅が遅くなってしまい四乃崎に構ってやる時間がなくなったことを考えれば、良いことではあるのかもしれない。


 時刻はもうすぐ午後七時だった。さすがに学校に残りすぎたな……。


 これから夕食に風呂に洗濯と勉強……毎日毎日やることは糞ほどあるくせに、生徒会や課題など、雪だるま式にそれらは増えていく。しかも、遅刻などしてしまうと会長がうるさいため、おちおち二度寝すらできない始末。


「はぁ……」


 無意識に吐いたため息。着替えることもせずベッドに倒れ込んでしまうのだが、やはりダメだと気づいて起き上がる。


 ここ最近は、これこそがルーティーンとなっていた。


 そんな時だった。


 ピンポーンと鳴らされたインターホン。誰かと思ってドアレンズを覗くと、寒そうにしている葉連さんがいた。


「どうしたんですか?」


「お裾分けっ。まだ温かいからっ。それに今帰って来たんでしょ?」


「あぁ、ありがとうございます」


 その手には鍋に入ったカレー。彼女がお裾分けと言って料理を持ってくるというこもは……。


「もしかして明日いないんですか?」


「うん。彼女と旅行。というか……これから準備して向かうんだけどね」


「彼女て……」


 迷いもなく言われた単語。さすがにそこは友達か最悪彼氏でいいだろ……。


「二日間いないから。君の隣の部屋は二日間留守になる」


「いや……なんですかその妙な強調」


「えー? わざわざ教えてあげてるんだよ? 明日から私いない。君、二日間、やりたい放題」


 カタコトでにんまり。


「咲夜ちゃんによろしくねっ」


 そして、葉連さんは小さく親指を立てて見せたのだ。


「勉強が捗るんで助かります」


「勉強……ほんとどうしちゃったの? 何かやりたいこと見つけた感じ?」


「いえ、別に」


「何もないのにそんな勉強してるの? 生徒会にも入ったらしいじゃん。鹿羽栄進くんはどこへいくつもりなのかね?」


「勉学こそ学生の本業でしょう。そのことに気づいただけです」


「えぇー。そんな鹿羽くんつまんなぃ」


「つまんないって……」


 もはや呆れて言葉も出てこない。


「咲夜ちゃんが可哀想だよ。さっきも部屋の掃除しにきてたし。あんな素敵な彼女がいて、連れ込めるチャンスすら無駄にして……君は一体何様なんだね」


「何様て」


 だが、葉連さんの言うことは一理あるのかもしれない。


 彼女のため、そう思い無我夢中でやってきた日々……。


 勉強することにウンザリしてしまいそうな時もあったが、俺の評価が四乃崎の評価にも直結することを考えると恐怖心から止められなかった。


 今の自分がしていることに疑問を持ってしまいそうな時もあったが、あの日出した答えが時折夢の中でループした。


 生徒会副会長、その座につけたのは間違いなく彼女がいたからだ。

 頑張るということを思い出せたのは、彼女がいたからだ。


 それまで、俺は無為に生きていた。ただ、命を無駄にすることだけが罰であるのだと決めつけて。


「もしかしてだけど……咲夜ちゃんのこと、あんまり好きじゃなかったりする?」


「それは……」


 ない、とも言い切れない。だが、四乃崎とて所詮は俺が縛り付けた彼女。俺が好きでなくても、彼女が好きでなくても、特に問題はないように思う。むしろ、問題があったからこそ俺たちは付き合ったのだから。


 もし、その問題がなくなったとしたら?


 そのことを考えると胸の奥がざわついた。


「ふぅん……」


 何か明確な答えを返したわけじゃなかったのに、葉連さんはそんな声を出した。



「鹿羽くん、私がこのアパートを選んだ理由ってなんだと思う?」



 そして、唐突にそんなことを言ってくる。


「葉連さんが"ここ"を選んだ理由……ですか?」


「うん。正直あまり綺麗とは言えないし、セキュリティに関しても鍵一つだけ。私の親は反対してた。でも、私はここに決めた」


「家賃が安かったから……?」


「んー、まぁ、それもあるかもね。……でも、違う」


 彼女は俺から視線を外し、それは灯りがポツポツと灯る家々へとさ迷う。


「ここの名前、リナリア壮。鹿羽くんは、リナリアの花言葉を知ってるかな?」


「リナリア……さぁ?」




「答えはね? この恋に気づいて」



 その答えに、俺はハッとする。


「……私は女の子しか愛せないし、そのこと公にもできない。私の恋はいつも私の中でしか分からない。でも……それが恋である以上、どこかで相手に気づかせなきゃいけない。そのことを私はとても苦しく思う」


 さ迷う視線はやがて、ゆっくりと俺に戻ったきた。


「だから、なんとなく名前に惹かれたの。私のあるべき場所が、そういった名前であるような気がして」


「そう、だったんですね」


「うん。でもね? その花言葉は、なにも相手に対してだけじゃないようにも思える」


 戻ってきた視線は先ほどとは違い、どこか……強い。


「自分自身に対しても、たぶんそれは同じ」


「自分自身に……」


 そこまで言ってから、葉連さんはパンと手を叩く。


「私からは以上! あとは自分で考えよう!」


 まるで魔法でもとけたみたく視線の強さはなくなっていた。

 そこには、いつもの葉連さんが一人。


 そうして彼女は「さむさむ」と猫背で隣の部屋へと帰っていく。


 自分自身に。


 俺は取り残された部屋で考えてみる。


 この恋に気づいて……。もし、それを俺自身に投げ掛けるのなら、前提として俺は恋をしていることになる。その恋に俺が気づけていないことになる。


 おそらく葉連さんは、俺が四乃崎に対して想っていることを揶揄したつもりのだろう。


 俺が四乃崎のことを好きじゃないわけではなく、俺がただ気づけていないだけなのだと。



 だが、果たして本当にそうだろうか?



 俺がここまで頑張ってこれたのは、たしかに四乃崎のおかげだ。その過程、結果から見れば俺は四乃崎のことが好きなのだと言える。


 それでもやはり、引っ掛かりは拭いきれない。


 俺はこの"好き"を彼女に押し付けているだけのような気がして。


 だから、たぶん踏み出せないのだろう。


 気づいていないわけじゃない。気づかないふりをしているだけ。


 それに……なにより俺にはまだやるべきことがあった。


 成績トップを豪語したのに、いまだ俺は1位を取れていない。

 生徒会長になると宣言したくせに、俺は副会長止まりだった。


 周りからの評価を覆したかったのに、俺はひどく汚いやり方を選んできたように思う。それらは果たして、善いことだと言えただろうか?


 胸を張れることだっただろうか?


 そういった考えが頭を巡り、そしていつも通り、俺はそれらを隅に追いやった。


 そんな時間こそが勿体なかったからだ。


 そんな時間があれば、英単語の一つでも覚えたほうが余程マシだったからだ。


「……くそっ」


 その日、葉連さんのせいで俺は久々に眠りにつけなかった。


 眠れない夜というのは、いつだってあの人のせいだ。


 そして、そんな時は決まって散歩に出かけていた。


 だから、俺はベッドから抜け出して着替える。

 最近は、部活動をしている奴等にも負けるわけにはいかないため、よくジョギングをしている。


 引っ張り出したのは中学生時代に使っていたウィンドブレーカー。


 時刻はもうすぐ零時を回る。気温はかなり下がっていた。


 それでも、余計な雑念を振り払うために俺は部屋を出た。


 人通りは少なく、車も殆ど通っていない。


 そんな夜道だが、月明かりのお陰か視界だけは良好だった。


 

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