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その青春は腐り始めていた。  作者: ナヤカ


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33/35

これまでのこと。そして――

 あの日、月島くんと病院で会ったとき心に在ったのは……清々しさだった。


「大丈夫……?」


 それは身体のことだったのかもしれない。

 あるいは、精神的なことだったのかもしれない。


 でも、そのどちらも私は大丈夫だった。


 だから、返した「大丈夫」は、素直に言えたと思う。


 それから、彼が話してくれたことは球技大会でのドッジボール……それが全て鹿羽くんの提案だったということ。


 それは月島くんも言っていたことだけれど、意味もなく……何の考えもなく……鹿羽くんがそんなことを決行するようには思えない。


 ドッジボールが始まるまでの時間を私と彼は人の少ない校舎で過ごした。会話こそ少なかったけれど、チラリと盗み見た鹿羽くんの横顔は確かに何かを考えていた。


――ドッジボールが始まったら俺の前にいろ。立ち続けるだけでいい。それさえこなしてくれるのなら、あとは俺が何とかしてやる。


 何とかする、それには様々な意味がありそうで、私は何をどう聞いていいのか分からなかった。けれど、それだけで良いという言葉を私は信じるしかなかったんだ。


 結果、彼は謹慎処分を受けた。それも月島くんから聞いたこと。


 そして月島くんは、鹿羽くんからまだ頼まれていることがあると告げた。


 それは、『鹿羽くんが私を春馬くんから奪った』という噂を流すこと。


 正直、もう意味がわからない。何故、そんなことをする必要があるのかを理解すらできない。


 それでも……月島くんと会ったときに気持ちが軽くなっていたことや、彼ですら穏やかな表情を浮かべていたこと……端から見れば、それは悲しい事件だったはずなのに、不思議と最悪は回避されていたこと……。それらを考えると、私なんかには理解の及ばない何かがあることだけは分かった。


 それが少しだけ見えたのは後日。


 あの日のことを誰もが知りたがった。当事者だった私に聞いてくる人は少なかったけど、誰もが目撃していた人の話を聞きたがった。


 そして、そのどれにも……私が触れてほしくない部分がなかった。


 ヒメやエリリンさえ、鹿羽くんに対する怒りとか愚痴ばかりで「あのあと春馬くんとはどうだったのか?」という質問をしてこない。


 それでも、彼らにはもう一つ疑問に思うことはあったようで、それは「なぜあんなことを私がしたのか」ということ。


 だけど、それに対する答えは"既に"用意されていた。


――鹿羽くんが好きだから。だから彼に従った。


 そして、その答えは私がわざわざ言わなくても、既に周知されていた。月島くんが流した噂によって。


 その時に何となく、鹿羽くんが仕組んだ事の全容が見えた気がした。


 それに気づいた時、私は心底驚いた。驚いて……信じられなくて……でも、そうとしか考えられなくて……。


 本当の真実を……私は知りたくなったんだ。


 だけど、彼は謹慎処分期間で実家に帰省しているらしく、私が知ってるアパートの部屋にはいなかった。


 それでも、もしかしたら帰ってくるんじゃないかと思って待ってみた。


 そうしていたら、隣に住んでいた葉連さんと出くわした。


 彼女は私を見つけると何故だかニヤニヤしていて、そんな私は少し気まずくて、彼女が鹿羽くんをどう思っているのか聞きたかったけど、それは止めておいた。

 

「――良かったわ。鹿羽くんにもそういう人がいて」


 顔立ちも綺麗で声も透き通っている。彼が好きになってしまうのも無理ないくらい、葉連さんという人は素敵な人だ。


 けれど、そんな彼女だけが抱える不幸を私は知っている。


 それが、鹿羽くんを通じて伝わってきて……私まで苦しくなる。


 葉連さんは自分の部屋で待つよう提案してくれたけど、それも私は断った。「そう……。じゃあ、がんばってね!」そう言ってくれた彼女の表情は少し悲しそうだったけど、それと同じくらい笑顔でもあった。


 たぶん、その表情を鹿羽くんも見たのだろう。


 そして、この寂れた通路も、この景色も、この臭いも……彼はずっと身近に置いてきた。


 彼を待っている間、そのことを考えて不思議な気持ちになっていた。


 ようやく鹿羽くんが帰って来た時、彼は思っていたよりも元気そうだった。


 その時、私は内心がっかりしていた。


 落ち込んでいたなら励ましてやろうなんて考えていたからだ。


 でも、よくよく考えたら当たり前のことだったのかもしれない。それも彼の想定範囲内だったのだから。


 どこまで彼は見通していたのだろうか?


 やはりそれが知りたかったくて、何となくで続けた会話から分かったことは……私が思っていたよりもずっっと先を鹿羽くんは見ていたという事実。


 今を楽しめたならそれで良かった私に比べて、鹿羽くんは未来のことを考えていた。


 ここ数日なんて話じゃない。


 彼は、半年先や卒業に至るまでの話をしたんだ。


 その事にまた驚いた。驚いて……なぜだか納得しまって……それで……部屋に上がり込んでイタズラでもしてやろう! なんて気持ちが、いかに稚拙だったかを思い知らされた。



――そして。



 それから早くも時は過ぎ、日々は移り変わっていく。


 もう、あの日の話題が上がることは少なくなったけれど、鹿羽くんに対する皆の評価、春馬くんから彼に乗り換えた私の評価だけは変わらなくて……たくさんの人たちがいるなか、まるで隔離でもされてしまったかのような私たち二人は……やっぱり二人だけで日々を過ごしていた。


 いろいろ言われることはあったけど、彼が全く気にしていないお陰か、私も平気でいられた。


 なにより、彼が私に気にすることを禁じていたから……それもあったんだと思う。


 そして、彼は私に宣言した通りの未来を現実にしはじめている。


 期末テスト、彼は学年成績で三位を取った。廊下に張り出される上位二十名の名前の中に、鹿羽栄進の名前が上から三番目にあったんだ。


 それに驚いたけれど、彼はとても悔しそうにしていた。


 そして、私しか見てない場所でテスト作成を担当したとある教師を罵っていた。


「――ふっざけんなよ……あれだけ仄めかしておいて、テストに出さないのかよ……詐欺師がよぉ」


 苦笑いした。


 そして期末テスト後に行われた二度目の球技大会、彼は役員になることもドッジボール選手になることもクラスの皆から禁じられ、仕方なくでバスケットボール選手に入れられていた。


 鹿羽くんは運動神経は良かったけれど、それでもバスケは難しいらしくあまり上手いとは言えなかった。


 ……だけど、うちのクラスがバスケで優勝する。


「――まぁ、相手選手の弱みを握ってたからな。苦労したんだ。調べるの」


 何を言ってるのか理解出来なかった。


 けど、その時に一緒だったバスケの男子たちは鹿羽くんに対する評価を見直していたように思う。


 そして夏休み。私は鹿羽くんと遊びたかったのに、彼はその殆どを「勉強するから」で断った。それでも少しは遊べたのだけれど、恋人としての進展はあまりなくて、満足な夏休みにはならなかった。


 そうやって明けた二学期。驚いたのは……彼に話しかける男子生徒が急増していたことだ。


「――なぁ、また企画してくれ。頼む」

「――あの子また呼んでくれ。ドストライクだった」

「――お前……あのあと大変だったんだぞ? 企画者のくせに逃げやがってぇ……」


 彼に話しかける男子たちの言葉は、怪しい臭いがプンプンした。


 それでも、その言葉たちは鹿羽くんに対して好意的なものばかりで……私は本当に驚いた。たぶん、女子たちも驚いていたと思う。


 その事について彼に質問をたくさんしたけれど、返ってきたのは「夏休みはビジネスで忙しかったんだ」という一辺倒。


 ビジネス……? バイトとかじゃなくて……? 


 私は、それ以上聞くのを止めた。


 そして夏休み明けテストで彼は、学年二位を取る。


 何となく……クラス内での鹿羽くんの評価が変わり始めていた。


 そしてその風はクラス外にも吹き始める。


 運動会や文化祭、二学期はイベント尽くしで時の流れは急速に過ぎていった。


 それでも、私と鹿羽くんとの距離はなかなか縮まらず、なのに二人だけで過ごす時間だけが増えていった。


 ちなみに……運動会で彼は活躍もなく出場競技すら少なかったくせに……度々姿を消した。それに呆れていた私だけど、昼休憩では絶対に戻ってくる鹿羽くんに自然と笑ってしまうのだった。


「なにしてたの?」

「……布石」

「なんの?」

「……さぁな」


 別に問い詰める気にはならなかった。それがもう、私の為だということに気づいてしまっていたから。


 彼は男子生徒の間では『寝とりの王』という不名誉な名前で呼ばれていたことは後になって知ったことだ。それは悪い意味じゃなく、良い意味でのものだったらしい。


 文化祭でも、彼は特に目立つことをしていなかったけれど、その文化祭を境にして……今度は女子からの評価を彼は覆すことになる。


 文化祭直後に急増したカップル、そのカップルとなった女子の殆どが鹿羽くんにお礼として何かしらの物を渡してきたからだ。


 中には手作りのお菓子とかもあったんだけど。


「――甘いもの苦手なんだよなぁ。四乃崎にやるよ」


 あっさりと横流しする彼に私は引いた。


 やがて……冗談のように思えていた彼の生徒会長宣言。


 無論、彼は立候補していて、評価を覆しつつあると言っても他の候補生に比べたらだいぶ劣勢で……学校内での生徒会選挙活動などろくにしないくせに……放課後や休日になると月島くんを呼びつけて何かしらコソコソやっていたらしい。


「――四乃崎さん大変じゃない? あんな人使いの荒い男の彼氏でさ……」


 げっそりとしていた月島くんの言葉に、私は笑ってしまう。


 その頃には、春馬くんとも少しずつ話せるようになっていて……壊れたと思っていた関係は限りなく修復していた。


 それでもまぁ、気まずさはあったのだけれど……。


 鹿羽くんに対する投票は、わりと望めたように思う。それでも、その望めた票の大半は私たちの学年だけ。


 でも、それだけですら私は凄いと思った。


 彼の評価が変わったことによって、彼を選んだ私の評価すら変わりつつあったからだ。


 そんな生徒会選挙を終えて……。


「――会長!」


 とある放課後の廊下。一人の生徒会役員が小走りで私を追い抜いていく。その先には新しく生徒会会長となった人がいた。


彩芽(あやめ)会長!」


 その人は、白鳥(しらとり)彩芽(あやめ)という他クラスの女子生徒。成績トップ、見た目も美人な……文句のない生徒会長。


 そんな彼女の横には、惜しくも僅差で負けた副会長がいて、その人は私に気づいて手を挙げてくる。


 白鳥会長が、その役員と話をしている間、その副会長は私に近づいてきた。


「綺麗だね……白鳥会長」


 そう言うと、その副会長は苦笑い。


「顔だけな? 仕事に関しては滅茶苦茶厳しくて正直参ってる。もっと適当にやればいいのに」


「――鹿羽くん。聞こえているわよ?」


「地獄耳だ……」


 鹿羽くんは副会長になった。


 それはやはり彼が目標としていた事ではなかったけれど、結果的に見ればとても凄いこと。


 もう、彼を以前の彼として見ている教師すら居ないだろう。


「四乃崎さん……よね? 鹿羽くんの彼女の……」

「はい」

「大変じゃない? こんな男の彼氏なんて」


 吹き出しそうになった。みんな同じ事を言ってくるからだ。


「なんとなく……あなたと彼のことは聞いて知っているわ。今でも、私の直下にいるのがこの男だなんて信じられない」


「あの、会長……本人がここに居るんですが……」


「でも……今だからこそ、あなたは正しかったのだろうと思う」


 そして、白鳥会長は妖艶に笑って。


「別れても大丈夫よ? 彼の面倒は私が見てあげるから」


 などと……面と向かって言ってきたのだ。


 それに私は驚いてしまって、何と答えればいいか分からなかったけれど。


「あぁ、それはないですね会長。こいつが別れようとしても、俺が放さないんで」


 鹿羽くんが私の肩を寄せ、余って伸びた腕を回すと……そっと手を首に添えてくる。


 嬉しかった。幸せを感じた。


 ただ。


「まぁ、卒業までは」


 と付け足された言葉だけが心に引っ掛かる。


「……そう。なら、勝手にしなさい。仕事はちゃんとしてもらうけれど」


「分かってますよ」


 日々は急速に過ぎていく。その一日一日を彼は決して無駄にしない。


 だけど、私と彼との距離だけはなかなか縮まらず……それでもあの日交わした契約だけが私の拠り所となっていた。


 そんな契約の期間が過ぎてしまったら……。


 考えると悲しくなった。


 だから、今度は私の番なのだと……自分に言い聞かせる。


 鹿羽くんは、これ以上ないほどに頑張っていた。


 放課後、休日、学校内での休み時間にいたる殆どの時間を、彼は何かしらの為に費やしていた。


 それを結果にして現実へと叩きつけている。


 だからこそ、今度は私の番なのだ。


 長い長い彼のターンは終わり、少しずつ私に回ってきていた。そのことを無意識に理解しはじめている。


 私と彼との距離が縮まらないのは、やっぱりその契約のせい。


 だから、私はあの日の契約をなんとかしなければならない。


 だけどそれには……まず契約自体を終わらせなければならないのだろう。


 その事を私は感じ始めていた。

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