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その青春は腐り始めていた。  作者: ナヤカ


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神無月家、悟からの手紙。

 慣れ親しんだ風景。

 懐かしい空気。

 もはや目を瞑って歩いても目的地につくことができそうなこの町並を、俺はフードを目深く被って歩いていた。


 顔を見られたくない……というよりは、知っている人に会いたくないという気持ちの方が強い。


 球技大会の件で謹慎となった俺は、母さんが言っていたことを思い出しながら神無月家へと向かう。


 久しぶりに帰省した実家だが、不名誉な帰省に申し訳ないという気持ちが強く、父さんや母さんもそうなのだろう。なるべく温かく迎えてくれた雰囲気の中には、どこかぎこちなさがあった。


 何も変わっていない。


 あの時からずっと。


 俺たち鹿羽家の団らんは、ひどく時の流れを億劫にしていた。


「……はぁ」


 知らず知らずにため息が出て、吐いた直後そのことに気づく。


 何回目だよ……というツッコミさえ何回目だよ。


 そして、なるだけゆっくりと歩いていきた道のりだったが、とうとう俺は着いてしまう。


 見上げた神無月家。立派な表札が、こんなにも立派だったことに今さらになって気づいた。


 インターホンを鳴らし、聞き覚えのある悟の母親の声。


 自分の名前を告げたとき、インターホンの奥から息を飲む音がした。


「――あがって」


 開いた扉。出迎えてくれる悟の母親。その柔和な声は、いつかの俺に向けられていたもの。


 それにどう反応すれば良いのか分からなかったが、「はい」とだけ答えて俺は家の中に足を踏み入れる。


 懐かしい臭いがした。


「今日は学校お休み?」


 何気ない一言に、なんと答えようか迷った。現在は昼過ぎなので、普通なら皆学校なのはたしか。それにも「はい」とだけ答えると「そう……」とだけ返ってくる。


「お線香あげていって。悟も喜ぶと思うわ」


 案内された居間の仏壇には、悟の写真があった。


 それに手を合わせて線香をあげる。


 悟の母親は盆に乗せたお茶を持ってきてくれた。そのすぐ傍には茶菓子もあったが、とてもいただくような気持ちにはならない。


「あなたには、とても悪いことをしたわ」


 彼女はそう言った。それに「なんのことですか?」と、とぼけるようなメンタルはない。


「あの時の私たちはまだ、あの子の死から立ち直れていなくて……それで、あなたにはとても冷たい態度をとってしまった。あなたも同じようにショックを受けていたはずなのに」


「……いえ」


 そして沈黙。部屋の時計の針だけがカチカチと音をたてていた。


「あの子の自殺の原因ね……あなただったの」


 すっと……先ほどお茶を差し出してくれた時みたく、違和感のない言葉。


「たぶん、読んだほうが(・・・・・・)早いわ」


 そう言って、彼女は手紙を俺の横に置いた。


 そこには、綺麗な文字で「栄進へ」とある。悟の文字だった。


 その手紙を取る手が震えた。遺書。間違いなく、それは彼が俺に残した遺書だった。


 その手紙の封は、既に切られている。


「勝手に読むつもりはなかったの。ただ、あなたにとって良くないことが書いてあったなら……渡してはならないと思っただけよ」


 中にある紙を取り出す。


 そこには、やはり綺麗な悟の文字が並んでいた。


「……読んでも良いんですよね?」


「えぇ。それはもっと早くに渡すべきだったわ」


 俺は浅く深呼吸してから読み始める。そして……最初の一文を読んでから、また深呼吸した。


 なんとなく俺が、そうだったのではないだろうか? という予想が当たっていて、読み進めることにとても大きな覚悟がいる気がしたからだ。


◇◇◇◇

――栄進へ。


たぶん栄進は気づいてなかったと思うけど、僕は栄進のことが好きでした。


おかしいよね、僕は男なのに。でも、それが恋だと気づいてから僕は結構悩んでた。栄進には気づかれたくなかったし、誰にも言うべきじゃないって思ってたから、たぶん知っているのは僕だけだと思う。できるなら、この事は家族にも内緒にしてほしい。


これから僕は死ぬけど、それを栄進の責任にはしたくない。


とても勝手なお願い。でも、守ってくれると嬉しいな。


それでね? 一つ言いたいのは、この死は決して悪いことじゃないってこと。


僕がこうすることを決めたのは、前向きな気持ちがあってのこと。


栄進が覚えてるか分からないけど、前に僕が「男が男を好きになるってどう?」って聞いたことあって、その時栄進は「気持ち悪い」って答えたんだ。その時は結構ショックだったんだけど、よくよく考えたら当たり前のことなんだよね(笑)。


だから、その時に僕の恋は絶対に叶わないんだって思った。


でね? その時に思ったんだよ。


なら、僕はどうして生まれたんだろう? って。


僕の恋は絶対に叶わなくて、僕は絶対に幸せになんかなれないのに、なんで僕は生まれてきたんだろう? って。


もしかしたら、僕が生まれたことは間違いだったんじゃないかって思った。


それで、そう思ったら苦しかった。息をするのも辛かった。


でも勘違いはしないで欲しい。その時は"死のう"なんてこれっぽっちも考えてなかったから。


それを考えられるようになったのは……やっぱり僕は栄進のことが本当に好きなんだって思い始めてからだと思う。


僕の恋は絶対に叶わない。告白なんかしたら、きっと栄進を悩ませてしまう。いや……拒絶されるのが怖いだけなんだけど、それくらい僕は好きだったんだ。


それでも、たぶん栄進も幸せになれて、僕もそれなりに幸せになれる方法が、たぶん僕が死ぬことなんだと思う。


おかしな話だけどさ、もしかしたら僕はその為に生まれてきたのかもしれないって今は思ってるんだ。


だから、栄進には悲しんで欲しくないし、何度も書くけどこれは全然ネガティブなことじゃない。


きっと、これから先、栄進は誰かを好きになって結婚とかしたりするんだろうけど、時々で良いからこの手紙を読んで僕のことを思い出して欲しい。それだけで良いから。


書いてて矛盾してるのはわかるけど、でも本当にそう思っているから仕方ないのかな?


それくらい好きって凄いんだよ。死んで良いって思えるくらい、僕は栄進が好きで幸せなんだ。


それを栄進と共有できなかったことだけ少し残念。


ずっと一緒に居たかったけど、それは僕が辛いだけだからもう止めるね? 自分勝手で本当にごめんなさい。


そして、ありがとう。


栄進は、栄進自身の幸せのために生きて。

僕は死んで幸せを掴むから。


天国で会えたら、どんな幸せを掴んだのか教えて欲しい。


勝手な約束だけど、これが僕の最後の願いです。


――神無月悟。

◇◇◇◇


 ……読み終えてからも、俺は何度も何度も文字を追った。


 何度も何度も追って……そして、ようやく手紙から視線を外す。


「――あの時の私たちは、まるであなたに悟を殺されたような気持ちになっていたんだと思うの」


 悟の母親は、ぽつりと呟く。


「それに、その事は周りに知られてはならないと思ったの。……だから、あなたに手紙を渡せなかった」


 やがて、その声には湿気が帯び始める。


「本当に……ごめんなさい。あなたのせいじゃないのに……私たちはとても酷いことをしてしまった」


 そうして、彼女は俺に頭を下げた。


「頭をあげてください」


 俺は彼女に告げる。


「近くにいたのに全然気づかなかった俺が悪いです。そうとは知らずに俺は悟に酷いことを言ってます」


 手紙に書いてあった内容を……俺は覚えていなかった。


 何気ない会話だったのかもしれない。けど、確実に悟は傷ついたのだ。


 その無自覚さが、よけいに残酷だと思う。


 忘れないように、薄れないように努めてきたのに……俺は肝心なことを最初から覚えてなどいなかったのだ。


 それが、今になってようやく理解できた。


「ありがとうございます。知れて……良かったです」


「ごめんなさい……本当にごめんなさい」


 彼女は肩を震わせて、頭を下げ続けたまま涙を流した。


 それを俺はただ見つめるしかできなかった。


 もし……この手紙をすぐに渡されていたとして、何か変わっていたのだろうか……。


 すぐ近くにいた友人の気持ちにも気づけなかった馬鹿野郎が、少しでもマシになれたのだろうか……。


 いや、そんなことはなかったはずだ。


 どちらにしたって俺は、きっと馬鹿野郎のままだったように思う。


 手紙に書いてあったこと。それを俺は肯定する気にはならない。


 幸せになるために死んで良い人生なんてあるわけがない。そんな命があるはずがない。


 悟は不幸を投げ出しただけだ。それを幸せと勘違いしただけだ。


 そして、それを考えられる俺は……きっと悩み続けた日々があったからだろう。


 もしこの手紙をすぐにでも渡されていたなら……こんな口車に甘えて……それで終わらせていたのかもしれない。そう考えるとゾッとしてしまう。


 だから。


 今の俺が思うことは一つだけ。


 生きて欲しかった。


 たとえその不幸を俺が背負ってやれなくても、彼が幸せになる人生はきっとあったのだから……。



「――長居しました」


 俺が神無月家を出るとき、彼女は随分と落ち着きを取り戻していた。


「こちらこそ。来てくれてありがとうね」


 彼女はなるべく笑顔をつくる。


「いえ……それと本当に頂いてもいいんですか?」


 俺は両手に持った手紙を見せる。


「えぇ。もともと、あなたに宛てられたものよ。あなたが持っておくのが、あの子のためにもなると思う」


「……ありがとうございます」


「それと、あの子の分まで生きて……幸せになってちょうだい。こんなことを言えた立場じゃないけれど、今はそう思えるのよ」


 笑顔はつくられたものだったが、言葉に嘘はないように思えた。


「……はい」


 俺はその言葉を噛み締めて強く頷く。


 帰り道、俺はフードを被ることを止めた。


 何故だか、それこそがとても恥ずかしいことのように思えたからだ。


 家に着いたとき、それは昨日と全く同じ景色であったにも関わらず、とても……久しぶりに帰宅したような気分になる。


 いや、その前から……ずっと前から……俺は帰れていなかったのかもしれない。


 玄関を開けたときに言われた「おかえり」を、とても久しぶりに聞いた気がした。


 そして、その言葉に対する「ただいま」を……やはり、とても久しぶりに言った気がしたのだ。

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