彼らの青春は腐り始めている。
ちゃぽん。鼻下までお風呂に浸かると、そんな可愛らしい音がした。
「……ふぃぃ」
お湯は心地よくて、全身のありとあらゆる筋がほどけていくのがわかる。
上がる湯けむり。浸った髪の毛が揺らめいて、吐き出した息には疲労が感じられて、身体の隅々からそれが抜けていくような気がする。
私は今日、失恋をした。
と言っても、直にフラレたわけじゃない。いつも通り軽く絡んでいて、いつも通り他愛なく会話をしていて。
そんな軽さのままに放ってみた言葉。
――じゃあさ、ウチと付き合ってみない?
返された言葉は「お前と付き合うとかないって」。
それはたぶん……やっぱり軽い返し。私が本気じゃないと考えての返し。
だけど、傷ついた。軽かったからこそ傷ついてしまった。
その時の顔を見られなくて良かったと思う。彼の後ろにいて良かった。振り返らなくて良かった。振り返っていたら、顔を見られていたら……もうどうしようもなかったと思う。
でも、悪いのは全部私だとわかってる。
昔からそうだった。負けることが嫌で見栄っ張りな私は、いつだって誰かの上に居ようとした。
その結果、とても女の子らしいとは自分ですら言えない性格になってしまった。
黙っていれば可愛いのに。たくさん言われ続けた言葉。その言葉さえもが、私をイラ立たせ、ひねくれる原因になった。
どうしてこうなんだろう。どうして私はこうなんだろう。
考えたってわからない。それが、私だから。
だから自業自得なのだ。彼との関係だって、ただの悪ノリが楽しいだけの友達。そこから先なんて望むべきじゃない。
わかっていたことだ。
だけど、何となくそのままでいる気になれなくて、私は独り夜を散歩する。別に眠れなかっただけ。それだけだった。
なのに、そんな姿を同じクラスメイトに見られてしまった。
鹿羽栄進。教室では、常にぼーっとしている冴えない男子。いつも何を考えているのか分からなくて、別に親しげな友人がいるわけでもない。ふざけるわけでもなく、冗談を言うわけでもなく、楽しくも面白くもなさそうな奴。
眼中などなかった。だから、本当に飛び込んでくれるなんて思いもしなかった。
ただの遊びに似た試しだった。告白も本気なわけじゃない。きっと彼も本気にしなかったはずだ。
彼は私の為に飛び込んでくれて……ふざけた私にきっと怒ると思った。
だけど、彼はただ川から上がった私を背負って黙々と歩いてくれた。
なんなんだアイツは。浮かんでくるのはただの疑問。
そして、罪悪感から何も言えなかった私。最後には謝ったりなんかしてしまって後悔すらしてる。
なんであんな奴なんかに……。
有無を言わさず家へと運ばれて、強い口調で指図されて。
ムカつく。悪いのは私だけど、思い出すとムカついてくる。
「……はぁ」
もう一度吐き出した息は、湯けむりと共に霧散した。
「学校……休もうかな」
私の周りにいる子たちは、ちゃんと恋愛をしていた。それは学校内じゃなくて、別の学校にいる男。だから会話に上がる彼氏に対しての愚痴は、別に声を潜める必要などない。それに共感して口々に出される愚痴の数々。私はそれに参加できない。
私には彼氏なんていなかったから。
だけど、そんなことは私の見栄っ張りが許しはしなくて、つい「分かるぅ~」なんて共感を演じてしまう。それに彼女たちは笑ってくれて、周りの男共は顔をひきつらせて。
学校内での私は、彼女たち同様に『他校に彼氏がいる女子』という扱い。
そして真実は、彼氏などいないただの女の子。でも、それを暴露する機会はとっくの昔に過ぎ去ってしまい、私は居ないはずの彼氏の愚痴をみんなに溢し続けていた。
馬鹿な女。惨めな女。それがバレることさえ怖くて、私は演じ続ける。
そして、その嘘に現実を追い付かせるためだけに恋をした。
だけど、彼との関係はただの友達の域を越えなくて、そんな返しをされてしまうのは自業自得で、わかっていたはずなのに……やっぱり傷ついてしまった。
八方塞がり。素直になれなくて、嘘をつき続けて、それを現実にすら出来なくて、どうしようもなくて……どうして良いのかも分からなくて……。
もう学校にすら行きたくない。だから、休んでしまおうかなんて思ったが、私は『しなくてはならないこと』に気づいた。
口止めしないと。
それは、鹿羽に今日あったことを黙っていてもらうこと。
失恋した事実。それで川に飛び込んだ事実。それは常に演じる『ちょっと生意気な四乃崎咲夜』からは想像も出来ないことだ。
彼がそれを話すような奴には見えなかったけど、むしろ、それを話せるような友達がいるのかも怪しいけれど、念には念を。
だから、その為に明日の学校には行かなくては。
そう決意して湯船から上がった。すっと撫でた腕には、まだ彼に背負われていた感覚が残っていた。
なんとなく不思議な感じがして、思わずそのまま立ち尽くしてしまう。それから、体が冷めて寒気を感じたところで我に返った。
「寝よう……」
親が起きないようにそっと風呂からあがる。たぶん、私が帰って来たことも……私がこっそり家を出たことにさえ気づいてないはずだ。
だから、まるでその事実をなかったことにするかのように、私は親を起こさないようコソコソと着替え、濡れていた服を洗濯機の中にあった他の服の下に隠し、忍んで部屋に向かう。
そうしてたどり着いた自室のベッドに転がり込むと、どっと襲ってきた眠気に身を任せた。
今日のこと、全部無くなっちゃえばいいのに。
そんな願望が叶わないことをひしひしと感じながら、私は眠りにつく。
どうしようもなくて、どうすることもできなくて、でも、毎日楽しそうに振る舞うしかなくて……。
きっといろんな事が手遅れ。それでも明日は無情にやってくる。
そんな明日に胸を踊らせることはない。わくわくしていた気持ちを、もう思い出すことができない。
だから、私は腐り始めていた。