不憫なのはドッチボール
月島への提案を話終えたタイミングで、部室から四乃崎が出てきた。
空気が一瞬にして気まずくなり固まる。
すると、それまで脱け殻だった春馬がヨロヨロと立ち上がって四乃崎の前で頭を下げたのだ。
「ごめん四乃崎……おれ……」
顔面は蒼白のまま。四乃崎は困惑したまま。
ただ、彼女はしっかりと呼吸をしてから彼に告げる。
「ううん。春馬くんは何も悪くない。私こそ……ごめんなさい」
互いに謝罪。そして和解。どちらも悪気はなかったのだ。普通ならこれで終わりで良いのだろう……普通なら。
だが、それを普通で終わらしてはいけない。それは大きな遺恨を残す。
四乃崎は春馬を拒絶した。それは両者にとって無視できない隔たりをつくったはずだ。おそらくもう、恋人には戻れない。
春馬と月島は四乃崎を傷つけた。たとえそこに悪気がなかったにせよ、無かったことにして明日からよろしくなんて出来はしない。
四乃崎の友人である姫川も屋久杉も、まだこのことを知らないだろうが、口ぶりから察するに、何となく知っていたはずだ。彼女たちが、これからの三人の関係に疑問を持たないはずはない。
もし、それを問い詰められた時に困るのはおそらく四乃崎の方。
そして、真相を知ってしまった時に彼女たちは四乃崎をどう思うだろうか……?
人は事故や事件を知った際、「原因の究明」よりも先に「犯人探し」をする。
悪の発端よりも、悪人を探し出そうとするのだ。
何故か? その方がわかりやすいからだろう。
その人全てに悪の原因を詰め込んでしまえば、あとは罰するだけでいいから。……だから、人は悪人を探したのだ。
逆に言えば、今回の事件、悪人がいればいい。
春馬と四乃崎が別れる原因となった悪人。そいつがいれば、少なくとも周りは納得する。
人は納得したがる生き物だ。だからこそ都合よく解釈された噂を……まるで真実かのように語る。
俺はそのことを嫌というほど見てきた。
だから。
「月島……分かってるな?」
問いかけた言葉に彼は、渋い表情をしながらも頷いた。
「次のサッカーの試合……負ければいいんだね?」
「そうだ。延長なんかするなよ? 即効で負けないと間に合わない」
「……わかった」
その言葉のあと、月島は春馬を連れてこの場を離れようとする。
「なぁ、俺には……もうチャンスはないのか」
しかし、春馬が俺に淀んだ瞳のまま問いかけてきた。脱け殻だったみたいだが、話は聞いていたらしい。
まぁ、それを俺に聞いてくる時点で話にならない。それを問うべきは俺じゃないからだ。
だが、問われたからには答えなければならないだろう。
「ない」
俺は、思い切り主観的答えを押し付けてやった。
「行こう春馬。さすがに試合には参加しないと」
今にも倒れそうな春馬を月島が連れていく。彼は最後、俺を悔しげに見ていたが言葉はなかった。
「さて、と……俺たちも行こう」
「行くって……どこに」
「俺もお前も球技大会の役員だろ。仕事が残ってる」
「役員……そっか。今、球技大会だったね」
こちらもこちらで、もうそれどころではない感じだ。だが、そんな四乃崎に優しくする気はなかった。
「俺の言うことには絶対従ってもらうぞ」
「分かってる」
俺も彼女を連れて、取り敢えずバレーが行われているはずの体育館へと向かった。
試合開始時刻はとうの昔に過ぎている。おそらく、もう終わっているだろう。
だが、着いた体育館には、まだ布道先生がいた。
「――随分と遅れての出勤だな?」
「探すのに時間かかって。試合、どうなりました?」
「負けたよ。あと残ってるのは……男子の部のドッチボールかね?」
「そうですね。スムーズに行けば一時間後に一組と準決勝あります」
彼女はため息を吐いた。
「……さすがにその時間は無理だな。仕事に戻らなければならない」
「残念です」
「残念なのはこちらだ。四乃崎も、私が言ったことを忘れたのかね?」
「あっ……いえ……」
後ろにいた四乃崎は力ない返答。それに布道先生は首を傾げた。
「……何かあったのか?」
「いえ」
すると先生の視線がギロリとこちらを向いた。俺は肩を竦めて見せるしかない。彼女はそれ以上聞いてはこなかった。
「まぁいい。追加の罰については、また今度だ」
「まだやるんですね……」
「罪には罰を。当たり前のことだろう?」
「それに関しては同意ですが」
そうして、俺は布道先生との話を終えた。彼女が体育館を出て言ってから、今度は次に行われるドッチボールの試合のために俺たちも体育館を出た。
「グラウンド……行きたくない」
不意に四乃崎が言った。
「なんでだ?」
「ヒメとエリリン……いると思うし」
「今は会いたくないということか?」
「……うん」
「ダメだ」
「……わかった」
そこには、つらそうな声が滲んでいた。
「まぁ、時間はまだあるから……別の場所で待機しててもいい」
それに揺らいでしまう俺は甘いのかもしれない。
俺と四乃崎は、試合時刻のギリギリまで生徒があまりいない校舎の方で過ごした。
本来なら、役員である俺と四乃崎はドッチボール選手召集のため学校中を奔走しなければならないのだが、それはしなかった。
さすがに準決勝なら勝手に集まるだろう、という見立てもあったのだが、この試合に関しては集まらない方が良かったからだ。
そして二人で過ごしている間、俺は四乃崎にとある命令をした。
それに四乃崎は怪訝そうな表情をしたものの、「わかった」と頷くだけ。
そして――。
「二組……選手が少ないんですけど……」
二年生のドッチボール準決勝。それなりに人数のいる一組に対し、選手を召集しなかった俺たち二組は、数人しかいない。
ここまでくるとドッチボールという競技が不憫でならない。
小学生の頃は圧倒的な人気を誇っていた昼休みの定番競技だったのに、今となっては運動が苦手な奴等の避難競技になってしまっている。
そんな一組の中には、約束通り月島の姿があった。
通常、他の競技にエントリーしていた選手は別の競技には参加できない。
しかし、不憫なドッチボールに置いては、それが度々無視されたりする。
そもそも、球技大会の前提目的が「楽しくみんなでスポーツ」をするというものなのだ。それを満たしていれば、気にする生徒は殆どいない。
「――月島くんいるから最強じゃん!」
「――さっきのサッカー残念だったね? シュート数は向こうよりずっと上回ってたのに」
「――春馬が体調崩して棄権したの痛かったなぁ。そのぶん、ドッチボールで取り返そうぜ!」
一組の奴等は、既に月島を選手として迎えてしまっているし、他の役員も何も言わない。
だから……こちらも、こういうことも出来る。
「仕方ない。役員だが、俺も参加しよう」
「私も……一応、二組だし参加します」
選手でもない役員の参加。そして、男子の部であるにも関わらず女子の参加。
球技大会におけるドッチボールで、女子の参加というのは珍しい。
……そう、珍しいだけで前例がないわけじゃない。
だから、女子が参加した際は、ハンデをつけることも前例がある。
「ハンデだが……女子の当たり有効箇所は背中でいいよな」
その流れのままにガバガバなルールを決めようとした。
だが。
「待ってください! さすがに女子は……」
お固い役員が口を挟んできた。
前例はあるからといって、必ずしも認められるわけではない。もし……一人でも反対する者が出た場合、参加するのは難しくなったりする。
その時。
「別に良いじゃないかな? こっちだってサッカーエントリーの僕が入ってるし。もし、彼女が参加できないなら、僕も参加しないよ」
月島が、その役員に告げた。
「えぇー、月島くんやろうよ!」
「女子いても勝てっから、俺ら一組」
「てか、女子いれないと二組人数少なすぎじゃね? 試合成立しねぇじゃん!」
取り巻きの奴等が一斉に騒ぎだした。上手いな月島のやつ……。集団心理を心得ている。なにより……自分が周りにどう思われているのかを的確に理解している。
そんな勢いに負け、役員である生徒はなくなく四乃崎の参加を認めた。
「手加減はするからね?」
月島が発言する。
「当たり前だろ。お前は普段から運動してるサッカー部なんだから」
「いや、君じゃなくて四乃崎さんね」
「……あぁ」
「男には手加減しないよ。もし、本気で投げたボールが四乃崎さんに当たったらごめん」
「……大丈夫。気にしないで」
そんな会話を終え、ようやく試合が開始される。
グラウンドにいる殆どの生徒たちは、この試合に興味なさげだった。観戦しているというよりは、偶然そこにいるだけ。
反対で行われているサッカーの方がずっと応援している生徒が多い。もはや、ただの消化試合にも等しい。
だからこそ……その卑劣さに気づく者たちはまだ少数。
「……え、おいアイツまじか」
「嘘だろ……恥ずかしくないのかよ」
「人数少ないからって……さすがにあれはない」
囁かれる声。だが、俺は気にしない。
むしろ、もっと視線が集まるよう堂々と両手を頭の後ろで組んで仁王立ち。
そんな俺の前では、四乃崎が構えていた。
「女子を盾にする気か……あいつ」
「きったねぇ……」
「てか、あの女子もなんで協力してんの?」
「……さぁ?」
眼前には二組の奴等。こちら陣営では、仲間であるはずのクラスメイトたちが表情をひきつらせている。
コートの真ん中で陣取る俺の前には、背中しか当たり判定のない四乃崎。
これぞ最強の布陣。
そして試合開始のジャンプボール。
やはりひきつった表情の役員は、それでも時間どおりにホイッスルを鳴らしたのだ。




