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その青春は腐り始めていた。  作者: ナヤカ


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20/35

登校

 ピピピ……ッー。

 セットしていた目覚ましに気づき、起きたと同時に手を伸ばして止めた。部屋の壁が薄いため隣の人まで起こしかねないから。

 時刻は六時半。そっと体を起こすと支度をする。


 ここ数日、俺は忍者のような生活を送っていた。


 というのも、全ては葉連さんとの関わりを薄くするため。


 隣の部屋の生活音というのは、どうしてもそこに住む人を意識させてしまう。俺が彼女を意識してしまうように、向こうも俺を意識せざるを得ない。


 それを極力無くすため……そうやって直接接する機会を減らすため、俺は忍んで生活を送っていた。


 早起きするのは早く部屋を出るためだ。そうすれば葉連さんと出くわす可能性を減らせる。学校が終わってもプラプラと時間を潰して遅くに帰る。そうすれば、物理的に葉連さんと会う可能性を減らせた。


 あの日から、俺はそうやって彼女と会わないようにしている。会えばどんな顔をしていいのかわからず、どんな会話をしていいのかさえ分からない。


 きっと時間が解決してくれるだろうと、淡い期待を持ちながら忍者となりて生活をしていた。


 そうして部屋を出た時だった。


「……へ?」

「……あ?」


 開けたドアの前には、制服姿の四乃崎がいた。


 硬直する表情と見開かれた瞳。たぶんそれはこちらも同じで、何故こんなところで彼女と出会してしまったのかに思考が停止する。


「あっ、その……早くない?」

「いや、まぁ、ちょっと。それより何だよ」

「あぁ、その……お弁当渡しとこうと思って」

「マジでつくってくれたのか。いや、学校で良かったくね?」

「学校だと誰かに見られるかな……って」

「……なるほど」


 見れば、彼女の手には弁当が入ってると思われる小さなバッグがあった。


「これ」


 それを差し出してくる四乃崎。


「お、おう」


 困惑しながらも受けとる俺。


 そして。


「……行こっか」

「お、おう」


 やはり一緒に登校することとなった。


「――なんか悪いな。つくるの大変だったろ」

「いや、練習だし別に大丈夫」


 沈黙。


「そういえばさ、昨日のテレビ見た?」

「いや、部屋にテレビなくて」

「そうなんだ……」


 沈黙。


「なんかさ、早起きっていいね?」

「ん? あぁ、そうだな」

「うん……」


 沈黙。


 俺たちは、喋る言葉よりも歩数の方を多く重ねた。まるで『喋るには一定の歩数を稼がなければならないゲーム』をしているみたく。会話は弾まず沈黙が場を支配する。きっと朝だから頭が回っていないのかもしれない。そんな言い訳を考えられるくせに、話題の一つだって出てきやしない。


 そうやって歩いていると道の端にあるコンビニが見えてきて、俺はようやく安堵した。


「俺、朝飯買うから」

「……食べてなかったの?」

「あぁ」

「いつも?」

「いや、ここ最近は」

「そうなんだ」


 そして四乃崎に対し「先に行ってくれ」とばかりの空気をだし始める。待ってるという選択肢もあるのだろうが、この気まずい空気のまま登校することを考えれば、彼女だって察してくれるだろう。


 そう思っていたのだが。


「いいよ。それ朝ごはんにしても」

「ん? ……あぁ」


 まさか渡された弁当袋が、それらの選択肢すら選ばせないとは思わなかった。……なら、昼飯を買う体にすれば良いではないか。そう囁く心の声もあったのだが残念。四乃崎が本当に弁当を作ってきてくれるとは思わなかったため、鞄の中にはタッパーに入った一合飯と、のりたまのふりかけがちゃんと入っていた。用意周到な俺に惨敗。結局、気まずい空気のまま登校再開とあいなる。


「――あれ? 四乃崎じゃね?」


 そんな時だった。まるで、神からの贈り物と云わんばかりに現れた人物がいた。


 そいつは男子生徒であり、髪は薄い茶髪に染まっている。着崩した制服と首元には肩こり軽減のマグネットループが見えた。おそらく教科書なんて入っていないのだろう、鞄は薄くペシャンコになっていて、脇にしっかりと挟まっている。


 どう見ても陽キャの民。そいつの顔を俺はどこかで見たことある気がする。


「……春馬……くん」


 やっぱりか。


 そいつは春馬(はるま)明次(あきつぐ)。四乃崎が想いを寄せている一組の民。どうやら神からの贈り物ではなく、刺客の方が来てしまったらしい。


 俺と二人で登校しているところを見られたのは四乃崎には失敗だったろう。


「そっちは……ん? なに? もしかしてアベック登校ってやつ!?」


 思った通りの反応をする彼は、わざとらしく驚いてみせた。まさかこんな形で出くわすとは……。


「ち、違うって! たまたま一緒になっただけだし!」


 吐かれた言葉は嘘。だが、その嘘にはちゃんとした理由があって、だからこそ、それに対する批判的思考を抱けはしない。


「またまたぁ。浮気ですか四乃崎さん? 彼氏さんにバレたら別れられちゃいますよ?」


 それでも、彼は軽い煽りを四乃崎にした。口調から察するに、ちゃんと騙されてくれてはいるのだろう。


「もう彼氏とは別れたから」


 そんな煽りに対し、四乃崎はまたも嘘をつく。だが、この嘘は俺から提案したものだったため、別になんとも思いはしない。


 改めて思うが、四乃崎って嘘だらけなんだな……。


「え……まじ!? なんで!? 何が原因? え……つかそれって、めっちゃゴシップじゃん!!」


 なおも騒がしくテンション高めの反応。朝からよくそんな演技できるな……。そんな調子で根掘り葉掘り聞きたがる春馬という男は、絵に描いたような陽キャ陣営だった。


「……あまりプライベートな事はやめといた方がいいよ。春馬」


 そんな彼に対し、苦言を呈する言葉が吐かれた。それを吐いたのは俺ではない。彼の後ろからの声。


 気がつかなかったが、春馬は一人じゃなかった。もう一人男がいた。


 彼もまた、春馬と同じようにペシャンコ鞄を脇に抱えている。ただ、顔色はあまり良くなく眠たげな印象。


「えぇー? でも気になっちまうって! あると」


 春馬が退いて彼に振り返る。肩からかけているセカンドバッグが重いのか、そいつは少し猫背ぎみだった。


 あると。その名前もまた、俺はどこかで聞いた覚えがあった。どこだったかな……?


 そうやって記憶を辿っていると、春馬の方が俺に近づいてきた。


「つか、誰?」


 威圧ぎみではなく、あくまでも笑顔。ただ、自分から名を名乗らんとは慇懃無礼な奴。まぁ、知ってるから良いんだけど。


「鹿羽栄進」

「かばね? うーん、どこのクラス?」

「私と一緒の二組ね。隣のクラスだよ?」

「まっじ? やべー。失礼な質問しちゃったかな☆」


 まるで失礼とは思ってない口調。大丈夫、もう既に失礼だったから。


「俺は春馬ね。春馬明次。んで、こっちが月島(つきしま)或十(あると)。俺らは別にデキてるわけじゃなくて、朝練が一緒ってだけね。そこんとこヨロシクな!」


 ズビシッと人差し指をこちらに向けてくる春馬。人を指差したらいけないって教わらなかったのだろうか。もはや怒りを通り越して呆れる他ない。というか、こんな奴のどこが良いの? 四乃崎さん……。


 彼の後ろにいる月島という男は、欠伸をしながら尚も眠たげ。なのに、顔のパーツの一つ一つが整っているためか別に何とも思わなかった。誰が見てもイケメンの民。


 女子から人気ありそう。いや、おそらくあるのだろうな。


 そんな感想を思って初めて、俺は思い出したのだ。


 月島ってたしか。

 ……フラッシュバックしたのは布道先生との対談。彼女が勝手に俺とカップリングさせた男子生徒。その名前が月島或十だった。


 こいつか……。


「四乃崎がフリーになったってことはさ? 或十が挑戦しちゃうってのはどうよ?」


 春馬がそんな提案を月島にした。その瞬間、四乃崎が少しだけ眉を寄せたのに気づいてしまう。だよなぁ……これはキツイ。


 四乃崎の好意なんか知りもせず……いや、知らないからこそその提案は無自覚に彼女を傷つけた。


「……殺すよ?」


 そんな彼に対し、殺意高めの視線を向ける月島という男。声が低いのがなおのこと怖い。


「冗談だって! 本気なら本人の目の前で言うわけねーじゃん?」


 そんな殺意に臆することなく笑う春馬。仲が良いのだろう。心置きなく話すその様は、男同士の悪ノリの会話そのまんまだった。


「つーか、四乃崎なんでこんな早いの? たしか部活してなかったよね?」


 おぉ……なんだこいつ。会話回しのプロなの? いましがた月島をなだめていたかと思えば、今度はくるりと振り返り四乃崎へと質問。その転換はあまりに巧みで、向けている笑顔はあまりに眩しい。


「あー、なんか早起きしちゃって」

「あるある。そういうのあるわー。あれな、めっちゃ爽快に起きすぎて二度寝が勿体なくなるやつな!」

「そうそう! それそれ!」


 心なしか四乃崎は共感してもらえて嬉しそうだった。いや、それも嘘ですからね。


「そっちもそんな感じ?」

「……まぁ」

「マジ? ならここに俺ら四人が集ったのって奇跡じゃん」


 陽キャあるある、すぐ奇跡起こしがち。

 彼らは物事を大言壮語に語る癖がある。そうやって上位互換を産み出し続けるのが彼らの特徴。


 差別という結果には経緯が二つあり、悪とされるのは下位を作り出す差別。だが、彼らの起こす差別は上位を作り出すことにより相対的に下位を作ってしまうため、直接的な悪には当てはまらず、だからこそタチが悪い。

 それはまるで、上位であることこそが常識であるかのような錯覚を起こさせるために、取り残された者たちは酷い劣等感にさいなまれ続けた。


 この仕組みと経緯を理解してさえいれば、自分が底辺なのだと思うことはない。みんな平等で、ただ奴らが勝手に成り上がってるだけなのだから。


 そう。この世は平等なのだ。みんな平等に不幸を背負っているだけ。


 テンション高めの春馬という男は、呆気なくこの現状を奇跡に変えて盛り上がる。それに倣って嬉しそうな四乃崎。


 テンポよく回されていた会話は春馬と四乃崎の間を密にしていき、やがて会話をする春馬・四乃崎と後ろからついていくだけの俺・月島という列に収まった。


「助かった。春馬のやつ、いつもうるさいからさ」


 月島が俺にボソリ。


「いや、こっちも気まずかったから」


 それに俺もボソリと返す。


 そんな感じで登校は続き、こうして誰かと学校へ向かうのはとても久しぶりのことで……懐かしくも思えた。


 前を見れば楽しそうに会話をする四乃崎。その雰囲気、口調、交わすノリは、教室で見る普段の四乃崎そのものであり、なんとなく……寂しくもあった。


 良かったな。それを前向きな事象に変えるため、俺は心の中だけで呟く。寂しく思う気持ちだけを置き去りにすることで、それを劣った気持ちにさせようという試み。先に述べた陽キャ戦術である。


 俺と月島は会話を一切交わさなかった。どうやら彼も無言が気にならない性格らしい。


 そのままの陣形を崩さぬまま、偶然だらけの登校は続いた。

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