一休み日常回
昼休み。雨が降っていた。普段は教室を出てどこかで昼食を取っている連中も、雨が出不精にさせてしまうのか、教室に残っている。
空気は湿っていて、窓を開けてはいるものの、風が吹きぬけることさえなく熱気さえ帯び始めていた。誰かが棚に掛けた傘の下にはポタリポタリと水が垂れていて、例えようない不快感が教室に漂っていた。
さぁ、侵食の時間を始めよう。
机の上にドンッと置いたタッパーの一合飯。そして、取り出したるはコンビニで買った三パック80円の納豆。
「――お、おい……あいつまた」
「――嘘だろ? ……嘘だろ?」
「――そんなこと今の教室でやったら……」
躊躇なく開封されるパック。糸を引く納豆。そしてそれを俺はぐるぐると箸でかき混ぜ始めた。
納豆は好き嫌いが極端に別れる食べ物である。大好きな者もいれば、同じくらい嫌いな者もいる。見た目、粘り、臭い、味、そのどれもが食す者を圧倒的に振り分けてしまう。
故に、大衆の前でそれを食す者はあまりいない。
だが、俺はそれを敢えてしよう。まるで茨城県民であるかのように、平然と振る舞おう。
「――うえっ。俺見てるだけでも無理なんだよ」
教室から一人逃げていく生徒。逃げることが弱者であるのなら、つまり俺は強者ということになる。
混ぜれば混ぜるほどに粘りを強くしていく納豆。よく混ぜきったところで、それをご飯の上にかける。ガタッと、近くに座っていた女子生徒が露骨に離れていく。俺の半径ニメートルには誰もいなくなる。
感謝を込めて……いただきます。
そして、それを口に運んだ時だった。
「なんてもの教室で食べてんだ!」
ペシッと頭を叩かれた。あまりのことに驚く。まさか、このフィールドに入ってくる者がいようとは……。
振り返ると、そこにはファイル片手に仁王立ちする四乃崎がいた。
「あんたさぁ……独り暮らしだからって、さすがにそれやり過ぎでしょ」
「お前……なんで……」
「あぁ、学食混んでたから戻ってきた」
いや、そういうことじゃなくて……。
俺は無視して納豆に専念する。先日のサボりのせいで、彼女は妙ないじられ方をしているのだ。会話をするのはあまり良い選択じゃない。そう思ったのに。
「おい、無視すん……なっ!」
「いでででで!?」
耳を引っ張られた。
「何すんだよ……」
「無視するからじゃん。聞こえてないのかと思って」
「聞こえてないと思うのなら他にやり方あんだろ……」
「じゃあなんで無視するん?」
「いや……それは……」
躊躇ったら、四乃崎はため息を吐いて俺の前の空いた席にどかりと座った。
「この前のことで変に距離取ったら、逆にガチみたくなるじゃん?」
「あぁ、なるほど……」
「だったら、逆に喋った方が、逆に良くない?」
ん? 逆の逆だと逆にダメじゃない? 逆の遣いすぎでもはやどっちが良いのか分からなくなってくる。
「つか、あんたお弁当は?」
「……早起きは苦手でな」
「なる。……なら、買ってくればいいじゃん?」
「金掛かるだろ……そんな小遣い貰ってないから」
「あぁ、そういうこと。そっか……作ってきてあげようか?」
「……へ?」
あまりにも自然に告げられた提案に、俺はすっときょんな声を出してしまった。
「いや、だから作ってきてあげようか? お弁当」
「遠慮しとく」
「なんで!?」
「なんでって……お前そんなことしたら……いや、言わなくても分かるだろ」
「練習練習。ただのね? 別に料理得意じゃないし」
「いやぁ……だが、さすがにそういうのは……」
「それにさ……」
四乃崎は、グッと俺に顔を寄せてきて。
「納豆くさっ」
スッと引いた。それでも、おそるおそる近づけてきてから。
「助けてもらったお礼してなかったし」
と、小声で囁いたのだ。
「そういうの良いから」
「いや、私が納得してないし。取り敢えず私が納得するまでやるから」
「そういうのが余計なお節介なんだって」
「お節介でもいいよ。別に」
その時の彼女は、何故だか怒っているようにも見えた。
「やるって決めたから」
強情が滲む声音に、俺はなんと返せば良いか分からなかった。
やると決めた。その決意には、弁当のことだけじゃなく"他の事"まで含まれている気がする。
「そうか。なら、好きにしろよ。弁当作ってくれるのなら、正直助かるし」
なら、俺から言うことは何もない。弁当の話題に紛れ込ませ、こちらも他の事に対する応援を含ませるだけ。
伝わったかどうかは知らん。そもそも、その含みは俺の勝手な解釈である可能性も捨てきれない。
「うん。そうする」
ただ、嬉しそうに呟いてみせた四乃崎を見たら、もはや反論する気すら失せてしまった。
「じゃあ、私別の教室で約束してるから」
四乃崎は言って立ち上がると、パタパタと教室を出ていってしまう。おそらく、いつものメンバーでダベるのだろう。
途中で止めていた納得を口に運ぶが、冷たいご飯の上では納得の旨味が半減しているように思えた。レンジなんて教室にはないから温めることさえ出来ない。
「……これは、さすがに失敗だったかもな」
料理は温かいうちに食べた方が美味い。そして、世の中に溢れる簡単なインスタント食品もまた、温めることで完成される。
カップラーメンしかり、冷凍食品しかり、お湯や解凍機器がなければ料理として完成はされない。
だが、冷めてしまっても美味しくいただけるものはある。
きっとそれは、形ではない温かいものがあるからなのだろう。
ちなみにだが、納得をつくるにも熱がいる。保たれた温度の中で菌がちゃんと繁殖しなければ、食べられる物にはならない。
……それと同じように、独り腐っていた俺は、四乃崎によって保たれた人間関係の中に放り込まれることになる。
それが、どのような結末にしてしまうのかを、俺は……いや、四乃崎でさえ予想していなかったのだ。
ただ、そういった変化に気づけなかっただけ。
雨の音に掻き消されていたのかもしれない。いろんな現状に目眩ましをされていただけかもしれない。
だが、どんなに注意深く生活を送っていても、気づけないものは確実にある。
だからこそ誰もが後悔をする。
そして、気づいたときにはいつも遅いのだ。




