どう話しかければいいか分からなくて、手持ちが少なくて、一本しか買えなくて。
たぶん……そういうことをしてくれるんだろうな、とは思った。
喫茶から飛び出した俺はとくに行くあてもなく歩き、やがて後ろから腕を掴まれた。
「ちょっと! どこまで行くのよ!」
振り返ると、やはりそこにいたのは葉連さんだった。
「すいません……。あんな感じにしてしまって」
謝る俺に、葉連さんはわざとらしく頬を膨らませてみせる。
「ホントよ? しかも鹿羽くん、私のこと名字呼びになってたし。……きっと彼氏役頼んだことバレたかも」
「……すいません」
「別に良いよ。むしろ、そうまでしても遠ざけたかったと思ってくれるなら好都合」
それでも、少しやり過ぎたとは思う。それに……あの言い方ではまるで。
「鹿羽くん。これは……あくまでも私の想像に過ぎなくて、もしかしたらそうじゃないのかもしれないけれど……さ」
葉連さんはそこで一旦言葉を切った。その歯切れの悪さが、俺を不安にさせる。
「ごめんね。辛い役させて……それとありがとう」
それは決定打だった。俺の気持ちがバレてしまった証拠。それを打ち消そうにも言葉は出てこなくて、表情さえも強ばったまま。取り繕うことなど出来ず、黙ったままではそれを認めてしまうことと同義だと分かっていたが、それでも立ち尽くすしかない。
「また今度お礼するねっ? 怒らした先輩放っておけないし、私は戻るよ」
「……あ、はい」
あんな男でも、ちゃんと戻ってあげるのか。ふとそんな辛辣が頭に浮かんだが、口にするのは止めておいた。それは、今の俺にも言えたことだったから。
そうやって優しい人だからこそ、今の俺を追ってきてくれたのだ。
「……その、じゃあまた」
「……はい」
なんとなく気まずい雰囲気のまま葉連さんと別れる。
「あっ……それとさっきの鹿羽くん、確かにやり過ぎたかもしれないけどさ、少し格好良かったよ」
彼女は振り返ると、思い出したように付けたしてから改めて背を向けた。それがフォローであることは分かっている。それでも、そんな事に嬉しくなってしまっている自分がいた。
だから、本当にどうすれば良いのか分からなくなる。
終わらせたいのに終わらせられず、気持ちだけは熟れたまま。
きっとそれは、始まってすらいないから。ただ、その始まりさえも可能性としてはゼロに等しい。
何をする気も起きず、ただ呆然としていた。時間が過ぎていくのをひたすら待っていた。日が落ちれば自然と帰るしかなくなるから、そうなるまでそこに居続けようかと思う。ただ、時刻はまだ昼過ぎであり、途方もない時間に絶望さえしてくる。
そしたら。
「――お疲れ様」
「うおっ!?」
急に首もとで焼けるような感覚がして飛び退いてしまう。
「いや、そんな驚かなくても」
見れば、そこには片手に缶ジュースを持った四乃崎。完全に彼女の存在を忘れていた。
「なんだ、まだ居たのか」
「なにその言い方? 居るよ! 居ちゃ悪い?」
「悪くはないが……見たいものは見れたのか?」
「あー……、いや、期待したものは見れなかったけど、珍しいものは見れたかな」
「珍しいもの、ね」
「投げるよ? ほれ」
四乃崎は缶ジュースを放り、それを受け止める。ホットかと思ったが、それは冷たい缶ジュースだった。
「わざわざ買ってきてくれたのか……別に喉渇いてないんだが」
「あんなに喋ってたじゃん? それに貰えるものは貰っときな」
「まぁ、ありがとう」
それを無理やりポケットに突っ込む。飲んだところで、辺りに捨てられる所はないからだ。何故こんなものをわざわざ買ってきたのか。邪魔にしかなっていない。
「……なんかごめん。私が、彼氏役やりなって言ったから」
「別にお前のせいじゃない。やると決めたのは俺なんだ」
「そっか……」
「そうだろ」
話すことがなくなり、沈黙気味になる。もしかしたら四乃崎は、罪悪感で話しかけてくれただけなのかもしれない。そう思うと、俺は彼女の時間を奪っているような気がしてきて、終わらせることにした。
「じゃあな」
唐突で強引な終わらせ方だとは思ったが、そうやって背を向ける。そのまま帰る気はやはりなくて、どこかで時間でも潰そうかと思案した。
「あ、あのさ!」
「……なに」
「その、私ももう一度挑戦して……みようかな?」
「挑戦? ……なんのこと?」
「だから、一組の春馬くんのこと! ちゃんと……告白してみようかな? って」
「あぁ……そのことか」
以前は、それについて「まず彼氏と別れろ」と言った。だが、実際のところ四乃崎に彼氏なんていなかった。なら、別に言うことはない。
「良いんじゃねーの? ただ、それをするなら彼氏と別れた前提で話を進めた方がいい」
「……うん。じゃあ別れるね」
意外とあっさりだった。
「良いのか? 彼氏居ないのは格好悪いんだろ?」
「でも、彼氏いたまま告白するのはダメなんでしょ?」
「それは人によるだろ。別にダメなわけでもない。嫌悪感を感じる奴がいるかもしれないというだけの話」
「そっか。うん……でも良いや。別れたことにする」
「まぁ、ワンチャンあるかもな? そいつが四乃崎に対して恋愛感情的なものを感じさせないのは、彼氏持ちだと思ってたからかもしれんし」
「……だよね」
「だな? 頑張れよ。オッケー貰えるといいな」
「うん、ありがと。その……どうやって告白したら、良いかな?」
「……」
「……鹿羽くん?」
「自分で考えろよ……。なんで、そんなことまで俺に聞くんだよ」
「だって、他に相談できる人とかいないし」
「結局やるのは自分なんだ。他人なんかあてにするなよ」
「そっか……だよね」
「そうだろ」
そしたら、また沈黙。
「じゃあな」
本日二度目となる別れの挨拶。今度こそ彼女から去ろうとして。
「あのさ!」
また阻止された。
「……今度は何だよ」
「……気晴らしにカラオケでも行く?」
「はぁ?」
「ほら、歌えば気が紛れるかもしんないし、ストレス発散にもなるじゃん? それにまだこんな時間だよ? 私とか暇でさぁー」
早口でそんなことを言い出し始める四乃崎。その時、なんとなく彼女がしたかったことを俺は分かった気がした。
「それに……カラオケとか久しく行ってないんだよね? 友達が誘ってくれるんだけど「彼氏と昨日行ったからぁ」とか言って断ってるし? 一人で行くのもあれじゃん? 絶対店の人に「こいつ一人でカラオケ来てるなぁ」とか思われるし。でも、二人で行けばそんなことないじゃん?」
俺は、先ほどポケットに突っ込んだ缶ジュースを取り出すと、四乃崎に放ってやる。
「へ? ……っと!?」
危なげにキャッチした四乃崎。
「やるよ。今、喋りまくって喉乾いたろ」
「いや、これは鹿羽くんに渡したものだし……」
「もう伝わったからいいよ。気持ちだけで十分。ありがとな」
それに四乃崎はハッとしてうつ向いた。
「優しくなんかしてくれなくて良い。甘えたくなるから。罪悪感とかも感じなくていい。そういうのは、余計なお節介って言うんだ」
「そんなつもりじゃ……」
「まぁ、それも俺の勝手な解釈なわけだが、気にする必要なんてないんだ。俺はそこまでヤワじゃない」
四乃崎は何も言わなかった。やはり、沈黙は言葉よりも如実に気持ちを表現してしまうらしい。
「暇ならテスト勉強でもしてればいい。俺なんかの為に時間まで無駄にする必要はない」
時間を無駄にするのは俺だけでいい。
何もかもをそうやって過ごしてきたのだ。そうやって、俺は大切にしたかったものを守ってきたのだ。それはとっくの昔に賞味が切れて、噛んでも噛んでも味はしなくて、もはや鮮明に思い出すことさえ難しくなってきている。
それでも、俺がそうしたいからしているだけ。誰かを巻き込むつもりも、助けて欲しいわけでもない。
「自分のことだけに集中しとけ。じゃないと気づけなかったことに後悔するぞ」
助言、アドバイス。少し臭い言い方ではあったが、わりと的確じゃないかと思う。
四乃崎はやはり黙ったまま。
もはや挨拶さえせず俺は背を向ける。むしろ、言ったらまた阻止されるような気さえした。
もう引き留められることはない。それでいいのだ。
俺は、今日やるべきことを終えた達成感だけを抱えることにする。ただ、その達成感は酷く手持ち無沙汰ではあった。




