青春偏差値
「お前たち……授業サボってデートとは良いご身分だな?」
放課後の職員室。俺と四乃崎は布道先生の説教を食らっていた。既に帰っている教師もいて、まばらな職員室内での俺たちは少し注目を浴びてしまっている。
「デートじゃないです」
「デートなら、もっと上手くやりますよ」
四乃崎が否定し、俺はそこに信憑性を加えた。反省の色など皆無な俺たちに布道先生はため息を吐き出すしかない。
「テストも近いんだ。あまり露骨なことはしないでくれ。別に怒ってるわけじゃない。私が怒られるのが嫌なだけだ」
「それ教師としてどうなんですか……」
「人としては当然だろう? 私は君たちを怒るために担任やっているわけでも、怒られるために担任やっているわけでもないんだ」
そうして布道先生は、卓上に並べられていた俺と四乃崎の鞄を呆気なく返してくれた。
「だが、何かしらの罰は与えないといけない。授業をサボることを、他の生徒たちに軽く見られてしまうことだけは避けなくてはならない」
そうして布道先生は不敵に笑った。
「テストが終わった後に待っている球技大会。その役員を君たち二人にはしてもらおうか」
「……げぇ」
「マジですか」
「大マジだ。それを以て今回の罰とさせてもらう」
四乃崎があからさまに嫌そうな顔をし、それに布道先生は満足げな表情を浮かべる。
球技大会。それは別名クラスマッチとも呼ばれていた。組別対抗で幾つかのスポーツで試合を行い優勝を争うのだ。日程は朝から放課後までであり、二日間に渡って行われるそれは、テストを終えた生徒たちのための息抜きという名分。だが、その実は教師たちがテストの採点を行うための時間でもあり、球技大会は決まってテスト後に行われていた。
そんな球技大会の役員とは試合の審判をするだけが仕事。この役員は、各クラスから二人選出しなければならず、あまり立候補する者はいない。
「四乃崎はともかく、俺がやったら間違いなく不戦敗続出しますよ?」
「人数が足りなければ君が出ればいいだろう?」
「いや……役員は審判しなきゃいけないんですが」
「何を言っている。審判なんてあってないようなものだろう。去年から球技大会を経験している君なら分かるはずだが?」
そう。球技大会の役員とは、審判という名目で与えられた実質『選手を集める係』である。
この球技大会に燃えている生徒はあまりいない。テストで燃え尽きた生徒たちばかりだからだ。そんな生徒たちが、わざわざ疲れる試合に参加するわけがなく、試合時間にちゃんと集まる保証もない。
故に、球技大会の役員とは、朝から放課後まで試合に出場するメンバーを探し回る係でしかなかった。
「君たちが役員をすることは既に決定事項だ。今日の終礼で役員決めと各競技の選手を決める予定だったからね。みんな喜んでいたよ。毎回この役員決めの時点で揉めて、終礼が伸びに伸びるからね」
「そういうのを決めるときは、先に言ってもらわないと困るんですけどー?」
「話し合いに正当性を感じません。反論出来ない者に役割を押し付けるのはどうかと思います。よって控訴を申し立てます」
「却下だ。言っただろう、決定事項だと」
なんとか四乃崎と共に話し合いのやり直しをしてもらおうとしたが、布道先生は頑として取り合ってくれなかった。
結局、俺と四乃崎は球技大会の役員をすることになってしまう。
「そういえば……鹿羽のことは嫌いじゃなかったのか? 四乃崎」
鞄を受け取ってその場を離れる際、布道先生がしたり顔で四乃崎に聞いた。
ピクリと反応した四乃崎は、振り返るとわざとらしい満面の笑み。
「……嫌いですけど? あれ、もしかしてそれが狙いで私を役員にしました?」
「いや、私の一般的考えでは、嫌いな奴とは一緒に授業サボったりしないと思ってたのでね? 役員決めに他意はないさ」
「そうなんですねっ。鹿羽くんと一緒に役員とか……先生の人間性を疑うところでしたよー」
「いやいや、そんなわけないだろう? 私は仕方なくそうするしかなかっただけだ。別にクラスで浮いている鹿羽と一緒にさせて楽しもうとか思っていない」
「ですよねー?」
「無論だ」
どちらも笑顔で怖い。あと、二人でやり合うのはいいけど、実質傷ついてるのは、この俺だということに気付いてほしい。
「鹿羽もこの機会でクラスに溶け込めると良いな。四乃崎は可哀想な彼を助けてあげてくれ」
「さすがの私でも無理ですよー。それやったら私がハブられちゃいますしー」
「そうか……成仏だけはしてくれ鹿羽」
「骨くらいは拾ってあげてくださいね? 先生の教え子だったんですから」
「それはクラスメイトの役目だろう?」
あっ、これ気付いた上でやってるわ。殺しにきてる上に死体蹴りまでするつもりだ。なんだぁ、てっきり二人とも無自覚かと思っちゃったゾ☆ ……ほんと、争いを終わらせるためだけに犠牲者を出すのは人間の悪いところ。
「……まぁ、誰も拾わないなら私が拾ってあげてもいいですけどね」
ただ、四乃崎が最後に呟いた言葉で俺は救われた気がした。いや、もうそれだと俺は死んでいるのだけれど。
「そうか……。その言葉、奴にも聞かせてやりたかったな」
しみじみと殺すな。レパートリー豊富か。
何だかんだ四乃崎は布道先生と仲だけは良いらしい。なんで普段素行が良くない生徒って、教師と仲が良いのか俺にはよく分からん。デキの悪い生徒ほど可愛いという奴なのだろうか? だとしたら、既に彼女たちの中で死んでる俺はデキの良い生徒ということになる。もはや喜んでいいのか分からんな……。
「もう時間も遅い。冗談はこれくらいにして、二人とも帰りなさい。鹿羽は四乃崎を送っていくように」
「今の会話しておいて俺に送らせるとか……鬼か悪魔ですか」
「鬼でも悪魔でもない。高校生と言えど女の子一人を遅くに返して何かあったら、責められるのは私だからな」
「結局先生の為かよ……」
プレミ覚悟で毒づいてみせたが、布道先生はふふんと笑うだけだ。怒られる怒られると言いながら、簡単にそういうことを言ってしまえるこの人が怖い。
「……まぁ、そこまで家が離れてるわけでもなかったんで良いですけどね」
「……ん? 何故、君が四乃崎の家を知ってる?」
「……あっ」
発言してから気付いたが既に遅かった。
「……ほほぅ。既に家に上がってる程の仲とはな? 先生、ビックリだ」
「ちっ、違うんですけど! 鹿羽くんが勝手に――」
「勝手に? 鹿羽……まさか……君は……」
「四乃崎……もういいから。取り繕うだけ向こうの思うつぼだ……」
「ほぅ……ほぅほぅ?」
嫌みたらしくニヤニヤする布道先生に対し、俺はムキになる四乃崎を制した。
「勝手に想像するのは結構ですけど、別に変なことは無いので安心してください」
「そうか。まぁ、君が軽率なことをするとは思えないのは確かだ」
「……そういうことです。もう帰りますね」
「あぁ。気を付けてな」
「……はい」
そうやって無理やり会話を終わらせ、まだ何か言いたそうな四乃崎を強引に連れていく。手を引いた所でヒュ~と布道先生が口笛を鳴らした。煽り性能が凄すぎる。
「――あー、ムカつく! 絶対変な妄想してるんだけど、あの人」
「いや、あれは俺が悪い。完全に嵌められた」
職員室を出ると、四乃崎はすぐに怒りを露にした。
「ほんと鹿羽くんが悪い。あんなこと言ったら、家知ってるって自分から言ってるようなものじゃん!」
失言度合いでは四乃崎も対して変わらない気がする。ほんと、トバッチリも凄い。というか、純粋に布道先生が上手だっただけのような気もする。先日の呼び出しでもそうだが、あの人は相手を煽って人の本質を引き出してしまうのが上手い。友達少なそう。いや、俺が言うのもアレだが……。
「まぁ、鞄は無事に返ってきたんだし良いだろ。あの様子じゃ本気にしてるわけでもなさそうだし」
「今日は厄日だ。よりにもよって球技大会の役員まで押し付けられて」
俺はふと、先日布道先生が言っていた事を思い出した。
――クラスで話せる人を見つけなさい。
もしかしたら、布道先生はこういった機会を望んでいたのかもしれない。あの人も、あの人なりに俺を気にかけてくれているのかもしれない……と。だが、そこまで考えてすぐにそれを掻き消す。
どっちにしろ、俺は神無月ほどの親友を作る気はない。
彼を忘れて楽しくなんて……してはならない。
「なぁ、四乃崎」
「……なに」
「お前は春馬って奴のことが好きなんだよな?」
「……急になに」
「いや……これは例えばの話なんだが、その春馬って奴と付き合えたとして、他の奴を好きになったとする」
それに彼女は一瞬首を傾げてみせたが「で?」と、先を促してくれた。
「それってさ、やっぱり最低なことだよな?」
「なんで?」
「なんでって……そりゃそうだろ。付きあったってことは、一度でもそいつのことを本気で好きになったってことだ。その気持ちに対しても失礼だし、何より本人に対しても失礼だから」
四乃崎はしばらくうんうんと考えていたが、やがて。
「もしかして……私のこと口説いてる?」
そんな、突拍子もないことを言ったのだ。
「はぁ?」
「春馬くんのことを好きな私が「俺のことを好きにならないかなぁ」って期待しちゃってる?」
「そういう意味で聞いたんじゃないんだが。それ、俺がお前のこと好きってことだろ? いや、俺が好きなのは葉連さんだって言ったじゃん」
「そっ、そっか……そうだよね」
慌てたように言い直す四乃崎。自意識過剰も大概にしてくれ。
「まぁ、それはそれとして……私は仕方ないと思うけど」
「仕方ない……か」
「うん。だって、そういうのって自分でどうにかできるようなものじゃなくない? 好きになっちゃったら、どうしようもなくない? それって失礼とか、あまり関係ないと思うけどなぁ。事実、その葉連さんに言い寄ってきてる人だって、彼氏いるって分かってて寝取ろうとしてるわけだし」
「……確かに」
「両思いのハッピーエンドなんて、たぶん殆どないんだと思うよ。どちらかが一方的に好きになって……付き合うっていうのは、その人を許せるか許せないかを判断する期間。『この人となら一緒に生きて良いかも』って品定めする期間」
急に悟ったようなことを言い出す四乃崎。その言葉はあまりにも完成され過ぎていて、どこからか引用してきた定型文にも思えた。
「それ、ネットで得た知識だろ」
「……あっ、分かった?」
「お前あれだよな。人の言葉を、さも自分の意見みたく言うの上手いよな」
「褒めてるの? それ」
「褒めてる褒めてる。さすがは架空の彼氏取り繕ってるだけあるなと思った」
「やっぱ褒めてないじゃん……」
少し頬を膨らませる四乃崎。だが、俺は本当に褒めていた。
何故なら、俺にそんなこと出来ないから。
「あのさ……」
「ん?」
「私も聞いていい?」
「なんだよ」
「もしもさ……もしもの話なんだけど……」
四乃崎はもったいつけてから。
「……いや、やっぱりなんでもないや」
急にやめた。
「……なんだよ。そこまで言われると気になるんだが」
「ごめん。やっぱり忘れて。もしかしたら、冷静じゃないだけかもしんないし」
「……はぁ?」
こいつは何を言っているのだろうか。
「お前は常に冷静じゃないだろ。川に飛び降りたときも、勝手に俺の部屋に立て籠ろうとした時も、今日だって……お前がいつ冷静だったんだよ」
四乃崎は危ない奴だ。その時の感情に流されて簡単に自分を投げ出す。だから……俺は少し不安になる。授業をサボってしまったのも、そんな彼女を心配してしまったから。
「私、そんなに冷静じゃない?」
「冷静ではないな? むしろ、それがいつも過ぎて、それこそが冷静なんじゃないかって思えるくらい」
「そっか……私、冷静じゃないんだ」
「あぁ。だからお前はもっと自制心を持って日々を――」
その時、不意に後ろから服を引っ張られて俺は立ち止まる。
振り返ると、そこにはうつむいたままの四乃崎がいた。
「だったらさ? 鹿羽くんが私を制御してよ」
「……なに?」
「私が……変な気を起こさないよう見張っててよ」
何を言ってるんだ? そう思った。
「代わりに私が君の背中を押してあげるから」
「それ、どういう……」
「その葉連さんの彼氏役、やっぱり鹿羽くんがやるべき」
すっと顔を上げ、彼女は言う。
「それに、その気持ちも……君は伝えるべきだよ」
その表情があまりにも真剣で、俺は笑いそうになってしまった。
「だから、葉連さんが俺を好きになることはないんだって」
「分からないじゃん? 好きになるかもしんないじゃん?」
「お前……無責任な」
「無責任でいいよ。責任は……鹿羽くんが取って」
それはもはや訳がわからん。
「それでよくない? 私はあまり後先とか考えたくない。だって今が大事だから。だから、そういうのを考える役目は鹿羽くん」
「どういう理屈だ……」
呆れて返すと、四乃崎は少し眉を潜ませ、浅く息をしてからタンッと床を蹴って――俺に抱きついてきた。
……え。
「ごめん、やっぱりさっき止めたこと言うね? 今の私、鹿羽くんのこと『良いな』って思い始めてるかも」
思わず受け止めた腕の中で、彼女は言った。
「私は別の人が好きなのに、今の私は君のことも気になってるかも」
「なに、を」
「だからさ……?」
そして四乃崎は背伸びをし、俺の耳元で囁いたのだ。
「このまま……私と無責任なことしてみない?」
その声音はあまりにも魅力的で言葉は甘い。麻酔を射たれたみたく脳が鈍感になり、気を抜けばとろけてしまいそう。
だが、俺は息を吸ってから脳に酸素を供給する。そうやって冷静になってから、しっかりと彼女の肩に手を置いて離した。
「何言ってんだ。そんなこと……ダメに決まってるだろ」
思っていたよりも、ちゃんと言えた。
「うん。つまりはそういうこと」
それに四乃崎は、イタズラっぽく笑う。
「君がそう言うと思ったから、私は今みたいなことが出来た。君がそういう奴じゃなかったら、たぶんそのまま処女を捨てることになった」
少し顔を赤らめさせて笑う彼女に、俺は深く息を吐き出すしかない。
「……嘘かよ」
「ごめんね? 試すようなことして」
こいつ、いつも俺のこと試してんな……。
「で、試した結果採点は?」
「30点、かな」
「赤点じゃねーか」
「男としてはね? でも、私を止めてくれた加点10点をあげる」
「それでも40点なのかよ……ガバ採点やめろよ」
「ガバ採点じゃないよ? 鹿羽くんが取れなかった60点分を、私が教えてあげるから。それで100点。どう?」
謎理論を得意気に話す四乃崎。それはもはや謎過ぎて、解く気にすらならない。
「まぁ、一つだけ言っとくぞ」
だから俺は諦めた。諦めて、受け入れることにした。
「お前が60点は気に食わない。せめて俺と同じ40点にしてくれ」
「えぇ? それだと合わせても80点じゃん」
「80点でいいだろ。偏差値は越えてるだろうし」
「偏差値か。まぁ、それなら」
適当なこと言ったらあっさり納得してくれた。
ただ、適当だったにも関わらず、自分でもなんとなくそうかもしれないと思ってしまう。
布道先生が言っていた『青春を謳歌するための公式』、そんなものが本当に存在し、全てを計算出来るのだとしたら……四乃崎が言ったこともそれに当て嵌めてしまえる。そして、彼女とは100点を取ることは出来ない。
それでも、80点なら悪くはない。
悪くないから、諦めてしまえた。
その偏差値を青春偏差値と呼ぶのなら、その計算ですら間違いではないのかもしれない。
「……わかった。お前が言うとおり彼氏役をやってみるわ」
「うん。絶対そっちの方が良い」
それは果たして正解なのかすら分からない。そしてたぶん、正解ではない。
だが、他に選択肢もなかった俺には、今の彼女を信じてみるしかなかったのだ。




