放課後の些細な事件
「――その友達が自殺した理由って……なに」
久しぶりに聞いた四乃崎の声。感情の起伏は収まったらしく、声音は落ち着いていた。
「理由……ね」
日は傾き始めていて、声を発したのも久しぶりに思えた。
中学の頃、まるでそれが予定されていたみたく平凡な日々の中で突然あいつはいなくなった。廃墟ビル。その屋上から飛び降りたあいつが見つかったのは、失踪してから三日ほど経った時。
とある夜中に、立ち入り禁止の真新しいテープを乗り越えて、あいつが立ったであろう場所に俺も立ってみたことがある。
ここから……。もし、俺がここから飛び降りればあいつは喜ぶのだろうか。そんなことを考えて見下ろせば、不意に吸い込まれそうな気がして焦った。屋上の端から慌てて離れ、自分に起ころうとしたおぞましい未来を想像して……泣いた。
俺には、とてもじゃないがそんなこと出来なかった。
「知らないな。遺書も何もなかったから」
いや、本当はあったのかもしれない。だが、それを知る術はなかった。
「でも……原因は君にあったって言ってなかった?」
「俺がそう思い込みたいだけなんだ。だが、たぶん外れてはいない」
何も分からなかった。何にも気づけなかった。そして、それが原因の一端であるのかもしれない。
――栄進!
その声は既に記憶の中でおぼろいでいる。雰囲気だけが脳裏に過るが、声の再現度は日に日に落ちているような気がした。とても最低な話だ。
「もしかしてさ……あの日、飛び込んでくれたのもそういう経験があったから?」
「ん? いや……普通に誰でもああしたと思うがな。お前……力入らなくなってただろ。本当に死んでてもおかしくなかったぞ」
「……」
返事がなかったから、少し不安になって四乃崎の方を見る。彼女は、驚いたように俺を見ていた。
「……なんだよ」
「だから背負ってくれたの……?」
「だから? ……いや、あの方が早そうだったし。それに密着していた方が体温も逃げないとは思った。俺も濡れてたからな」
「……冷静だったんだね」
「わりと。今にして思えば、自分でも驚く」
彼女はだいぶ落ち着きを取り戻したようであり、いつまでもこうしているわけにもいかない。だから、期を見計らって提案をする。
「落ち着いたのなら……帰るか?」
だが、それに四乃崎は答えなかった。彼女は落ち行く太陽に目をくれ、ただジッとしていた。
「ごめん。殴ったりして」
やがて、そんなことをポツリ。
「別に」
「ごめん。いきなり……その、キスなんかしたりして」
「気にするな。ただ触れただけだろ。挨拶みたいなものだ」
「ごめん。授業サボらせて」
「お前がサボらせたわけじゃない。俺がサボったんだ」
四乃崎は、何故だか「ごめん」を連発した。そんなに謝られると有り難みが薄くなってくる。
「……なんだか、鹿羽くんって優しいね」
そうして、不意討ちの一発をお見舞いされた。謝罪連発で油断仕切っていたために、そういうのは正直ずるい。
「勝手に優しい奴なんかにすんなよ。次も優しくしないといけないと思ってしまうから」
だから、思わず抵抗してしまった。
「なにそれ。次も優しくすればいいのに」
「次も優しくされたいなら、いつまでも殊勝な態度でいとけ。普段のお前には優しくしようとは全く思わない」
「えぇー。そっちの方がモテるってぇ。女の子って優しい男子好きだし」
そうやって四乃崎はクスクスと笑う。
「どうせ、ネットかなんかの口コミだろ、それ? それと、その条件には『ただしイケメンに限る』って書いてなかったか?」
「あー」
「あー、じゃねぇんだよ……。否定しろよ、そこ」
なんで納得しちゃうんだよ……。普通に傷つくだろ……。お前らいつもやってんじゃん。「うち可愛くないからぁ」「えぇ? 可愛いよー」「マジぃー?」ここまで定型文だろうが。だったらそこは「鹿羽イケメンじゃーん」だろ。
ため息を吐き出し、ふと我に変えれば目の前に四乃崎の顔が迫っていた。
「……な、に?」
「いっ、いや、別に顔は悪くない……かな? と思って」
「お……おう」
「ごめん。やっぱ……いや、なんでもないです」
丁寧に謝るなよ……。なんか察しちゃっただろ。それから四乃崎はパタパタと手で顔を扇いた。
「たぶん、熱いせいだ」
それって熱さのせいで俺がイケメンに見えるってことかな? ということは冷静になると違って見えるのかな? ……巧みなディスりかな?
その後、彼女はようやく帰る気になったらしくスッと立ち上がる。それに俺も続いた。
「……二人していなくなったから、たぶん噂になってるよね」
「別に構わないだろ」
「私が構うんだけど。あー、なんて言い訳しよう」
「そのまま言えばいいだろ。キスして一緒にいたって」
「うわぁ……なんでそんなこと平然と言えちゃうの? 絶対誤解されるし、それ」
「誤解? 真実ですが?」
「ごめんって……」
少しからかい過ぎたかもしれない。ようやく帰る気になった彼女の機嫌を損ねないよう、悪ふざけはそこまでにしておく。
時刻は既に放課後。校舎裏から這い出てみるが、生徒の姿は見当たらない。鞄が教室にあるため、一度取りに戻らなければならず、俺たちはその足で教室へと向かう。
生徒の居ない校舎内はなんとなく異様で、全ての窓が閉められているせいか独特の臭いが沈殿しているように感じた。
階段を上がって二年生の教室が並ぶ長い廊下。そこへ足を踏み入れた途端、後ろからついてきていた四乃崎が俺を追い越してパタパタと全力疾走をしだしたのだ。
なんだ? そう思ってその後ろ姿を見ていると、彼女は止まって振り返った。
「走っても怒られないが!!!」
小学生かよ……。俺は吹き出して、お前とは違うんだと謂わんばかりにゆっくりと歩く。
「叫んでも怒られないが!!!」
彼女は楽しげに叫んだ。まるで、誰もいない学校を支配したような遊びを彷彿させる。それは高校生がやるような遊びではないだろう。
「私はー!! 一組の春馬くんが好きだぁぁぁ!!」
誰もいないことを良いことに、赤裸々な叫びをする四乃崎。
「あと! 私彼氏いませーーん!! 嘘ついて日々を過ごしてまーす!!」
残念で恥ずかしい告白が廊下に響く。その響きは俺にしか届いていない。
「鹿羽くんは犯罪者でーす!! 昔、友達を死なせましたぁ!!」
おいおい……何言ってんだ。
「あと、私のファーストキスを奪いました!!」
いやいや、マジで何言ってんの?
誰も聞いてないとはいえ、その叫びは俺を不安にさせた。走って止めさせたかったが、それをすると四乃崎と同レベルになるため、なるべく早歩きで距離を詰める。
「だけど!! 彼は私のために授業をサボってくれましたぁ! それが嬉しかったから……ご褒美をあげまーす!!」
ご……褒美?
すると、まだ十メートル先の四乃崎が、おもむろに自分のスカートの端を両手で摘まむ。
それは、一瞬の出来事だった。あまりにも突然で、心の準備すらできていなかった。
あろうことか四乃崎は、スカートを俺に向かって素早く捲り、次の瞬間には素早くおろしたのだ。
瞬間的露出狂。セクシュアル桃色事件勃発。犯罪者は間違いなく四乃崎咲夜で、現場の目撃者は鹿羽栄進。
誰も知らない、俺と彼女しか知り得ない今日だけの真実。
「サブリミナルパンツ! 君の無意識に、私のパンツは刻み込まれた!」
まるで必殺技みたく勝ち気に誇る四乃崎。
それは確かにご褒美だったのだが、あまりにも一瞬過ぎて、おあずけを食らったようにも思える。
だから俺は、少し恥ずかしそうにする四乃崎との距離を詰めてから、更なる要求を申し出たのだ。
「サブリミナルじゃ困る。アハ体験の方で頼んだ」
「じっくり見ようとしてんじゃねーよ!」
コツンと力ない肩パンが入り、彼女の笑いが廊下にこだまする。
「……はぁーおもろっ」
馬鹿みたいな遊び。馬鹿みたいなやり取り。きっとそれは、誰もいない今でしか出来ない馬鹿みたいなこと。
解放感からなのか、そこにいる四乃崎はあまりにも自由過ぎた。
「気がすんだなら帰るぞ」
そんな彼女に言ってから、鞄を回収するために二組の教室の扉を開ける。
だが。
「ん? ……入らないの?」
入り口で立ち止まった俺に、後ろから四乃崎が怪訝そうに言った。
「……最悪だ」
「なにが?」
俺は、教室に入ってから黒板を指差す。そこにはチョークでデカデカと文字が書かれてあった。
――鹿羽と四乃崎へ。鞄は私が預かった。返して欲しければ、言い訳と謝罪を用意して職員室まで。布道より。
「うっわ」
あからさまに面倒臭そうな声を出した四乃崎。正直、俺も同じ気持ちだ。
「やばいかも……持ち物チェックとかされてないかな」
「いや、流石に無断で開けたりはしないと思うが……財布とか入ってんだよな」
「私もスマホいれてる」
互いに見合わせた顔は、まるで苦虫を噛み潰したようにひきつっていた。だが、このまま帰るわけにもいかず、おとなしく出頭するしかあるまい。
「……行くか」
「仕方ないね」
先ほどのテンションはどこへやら。俺たちは沈んだ気持ちで黒板の文字を消し、職員室へと向かうしかなかった。




