さ迷う感情
翌日の昼休み。俺は教室で会話をしていた彼氏持ち三人の前に立った。
「……なんか用?」
三人の会話は途切れ、四乃崎からは二人よりも圧のある視線が俺に向けられた。
「四乃崎を借りたいんだが、いいか?」
それに顔を見合せ疑問符を浮かべる屋久杉と姫川。反して、四乃崎の視線はさらに厳しくなった。
「はぁ?」
放たれた言葉にさえ刺があり、拒否感を露骨にする四乃崎。仕方ないな……。
「この前、夜に散歩してたんだが、その時に――」
「あー! はいはい! 行けばいいんでしょ! 行けば!」
「話が早くて助かる」
彼女たちに背を向けて教室を出る。四乃崎は二人に「すぐ戻る」などと言って渋々着いてきてくれた。そのまま、人目につかない校舎裏まで歩いてから、ようやく振り返る。
そこには、少し怒ったような表情をする四乃崎がいた。
「なに? ……あのことは話さないでって言ったじゃん」
「いや、そうでもしないと話せなさそうだったからな?」
「はぁ。……で、なにさ?」
ため息を吐いて口を尖らせる彼女に、俺は結論から言ってやった。
「あぁ。実は、お前の彼氏を貸して欲しいんだ」
「……はぁっ!?」
一変して驚いた四乃崎は、俺から一歩引き嫌悪感を露にする。
「かっ、鹿羽くん……そんな趣味あったの……」
「違う。俺の為じゃなく、俺の隣に住む人に貸して欲しいんだ」
「……どういうこと?」
小首を傾げる四乃崎に、俺は事の経緯を説明する。
隣に住む葉連さんが大学の先輩に言い寄られていること。その先輩に諦めさせるため、葉連さんが年下の高校生と付き合っていると嘘をついたこと。その高校生像が四乃崎の彼氏と一致していること、を。
「――というわけだ。葉連さんを助けるために、彼氏を貸して欲しい」
「なっ、なによそれ。なんで私が、知らない女なんかに彼氏を貸さなくちゃ……」
「そいつのことは、もう好きじゃないんだろ? お前言ったよな? 今は一組の……なんとかって奴が好きだって」
「春間くん、ね。でも、だからってそんな最低な……」
「最低はお互い様だろ? 付き合ってる奴がいるにも関わらず、別の奴にお熱の四乃崎には言われたくない」
「そんなの……彼氏が承諾するとは思えないし」
「お前が頼めば百パー協力してくれるだろ。最終手段として「協力してくれないと別れる」ぐらいまで言えばいい」
「うわぁ……」
汚いものを見るような視線を向けてくる四乃崎。だが、汚いのはどちらも同じだということに彼女はまだ気づいていないようだ。
「もしかしたら、これが別れるキッカケにもなるかもしれないぞ? そしたら、お前はその春間って奴だけを想える」
「そんなの……」
「嫌か? 嫌ならお前が秘密にしたがっているこの前のことをバラすだけだが?」
「ッッ! ……君、最低だね」
悔しげな表情をする四乃崎。俺の言葉が脅迫めいていることは理解していた。それでも退くつもりなどない。むしろ、卑屈盛りで言ってやるのだ。
「同類だぞ? 俺もお前もな」
「ッッ!!!」
四乃崎が両手で胸ぐらを掴んできた。だが、身長が低いせいでまったく喧嘩腰に見えない。むしろ上目遣いと顔と顔の距離が相まってドキドキしそう。瞳だけが怒りに燃えていた。
だが、やがてその瞳は揺らぎ、胸ぐらを掴む手の力が弱くなっていく。諦めたか?
そう思った時だった。
「……いないの」
その声はあまりにも弱々しく、最初の部分が聞き取れなかった。
「……なんて?」
「だから! 私、本当は……彼氏なんて――いないのよ……」
遠くから、陽気なホトトギスの鳴き声が聞こえた。
「……は?」
「だからぁ、私には彼氏なんていないの!」
「彼氏が……いない? え? いつから?」
「最初からよ……悪い? 彼氏いたことなくて」
頭が真っ白になった。……なに、どういうこと?
「待て。お前……入学当時から奴らと話してた彼氏は?」
「いないんだって! 何度言ったら分かるの?」
「え、だって、勉強教えてもらったりしてるんだろ?」
「あれは……自分で勉強してる」
「お前、成績は良い方だよ、な?」
「……まぁ、彼氏に教えてもらってる……から」
「その彼氏……いないのか」
「……うん」
「そうか」
「……うん」
「いつも話してる彼氏の愚痴とかは……」
「ネットとかで、そういうの見て……」
「そうか」
「……うん」
「なんでそんな嘘を?」
「彼氏いた方が格好良いじゃん……」
「そうか」
「……うん」
もはや可哀想になってきた。今の四乃崎は、彼女的に言うとチョー格好悪い。汚染されていた思考が洗い流されていく。最低な計画が瓦解していく。
その音だけを、俺は呆然と聞いていた。
「……お願い。誰にも言わないで」
力ない拳が震えている。顔はうつむいて表情は見えないが、声も震えていた。
「言うかよ……むしろ、言えねぇよ」
毒気を抜かれ、本心が零れた。
「というか、よく今までバレなかったな」
彼氏がいる。その嘘を突き通すのは容易なことではないはずだ。俺には分からないが、どうしたらそんな嘘を突き通せるのかまったく分からない。
「調べたの。……いろいろと。彼氏がいる女性のこと」
「知識だけじゃ無理だと思うが、な」
「うん。だから乙女ゲームとかもプレイしてみた。思い出話の為に……デートスポットとかも行ったし」
「お前……努力の方向性間違えてるぞ……」
なんで嘘を貫く努力してんだよ、こいつ。
「彼氏をつくろうとは思わなかったのか。お前なら……簡単だろ」
「だって……今まで女の子として見られなかったし」
一瞬、何言ってるんだろうと思った。
「私、高校生になるまで女の子らしくあるのは弱いと思ってたから……だから、髪もすごく短くしてたし、お化粧なんてしたことなかったし……」
うつむいたまま、四乃崎は続ける。
「でも、可愛い方が強いってことを高校生になって知って……そしたら、周りは彼氏いる子ばっかで……なんか私だけ彼氏居ないとか言えなくて……それで……」
「あぁ、もういい。分かったから」
無理やり彼女の話を終わらせてやる。それ以上聞くのは、悲しくなるだけだ。
「……じゃあ、いいや。他の奴にあたってみる」
力ない手を振りほどいて四乃崎から離れる。彼氏がいないのでは話にならない。
だが、彼女は離れかけた俺の腕を掴んだ。
「……なんだよ? 安心しろって。そのことも話さないから」
「違う。……そのことじゃなくて、その……葉連さんって人のこと」
「……彼氏役のあてがあるのか?」
「違う! そういうことじゃなくて! ……なんで、鹿羽くんが彼氏役をやらないの?」
それに俺は、無造作に頭を掻いてしまう。
「俺は……葉連さんが話すような彼氏像じゃない」
「でも、その話を君にしたってことは、可能性はあるんじゃないの? 鹿羽くん、その人のこと……好きなんでしょ?」
可能性。その言葉に、渇いた笑いが出てしまった。そんなもんねぇよ。何故なら……。
「あの人、男には興味ないんだ」
「男に興味ない……?」
「あぁ。葉連さんは同性愛者なんだよ」
「同性……愛」
「だから……俺がどんなに想ったところで付き合うとかないんだ。彼氏役をするだけ……虚しくなるだけなんだよ」
俺も声が震えてしまっていた。怖いわけじゃない。自分の滑稽さに……嗤いそうになるのだ。
「だったら……他の奴にその彼氏役をさせるべきだろ? 叶わない夢なんて持つものじゃない。どうせ成就しない恋なら……諦めた方がいい。それに、他の男が葉連さんと一緒にいるところを見れば……本当に諦めがつくかもしれない」
「だから、他の人に? それで、本当に諦められるの?」
「知らねぇよ。だが……他にどうすりゃ良いんだよ」
俺はこの気持ちの昇華方法を知らない。どうしたら、それを断ち切ることが出来るのかを知らない。顔を見たくなくても、隣だとどうしてもそれが出来ない。毎日、悶々とした日々を送るしかない。
だから、いっそのこと彼氏がいれば良かったのに……葉連さんはそうじゃなかった。そして、そうじゃなかったからこそ、俺には諦めるしか選択肢がなかった。
だから腐らせるしかなかったのだ。
「あのさ……」
そうやって無言で居続けていたら、不意におずおずと四乃崎は呟いた。それに顔を向ける。
「それでも、私は告白した方が良いと思う」
「……は? お前、何言ってんだよ」
返した言葉には無意識に怒気が含まれていた。
「フラレると分かってて……拒絶されると分かってて……なんで告白するんだよ」
「でも、ハッキリそう言われないと諦めつかないと思う」
深呼吸をして冷静になろうとする。それでも、湧いた怒りはおさまらない。
「お前こそ……ちゃんと告白したわけでもないくせに」
放った言葉に、四乃崎が肩をビクリと震わせたのがわかった。
「そんなっ……私のことは関係ッッ……」
「あるだろ? 付き合ったこともない……告白すらしたこともない奴に言われたくないんだが?」
辛辣な言葉は止まらなかった。その言葉一つ一つが彼女を傷つけると分かっていても、止めることが出来ない。
お前に何が分かる? 分かってたまるか。それは、もう意地みたくなっていた。
「お前には絶対分かるはずがない。分かりもしない奴に何言われても心に響かないんだよ。どうせ……そういうのもネットで見ただけだろ? ありふれた励ましなんかするなよ。生半可な優しさなんて本当の優しさじゃねぇから。お前はそうやって、誰かよりも格好良くありたいだけなんだろ? だが、言っておくぞ? むしろ格好悪ぃから、それ。嘘の彼氏で自分を塗りかためて、自己満足の優越感に浸って、お前は最高に格好悪い。上から物言ってんじゃねぇよ。本当は誰よりも下のくせに、積み上げた嘘でマウント取っても、お前は誰よりも格好悪――」
「うるせぇええええええ!!!」
その瞬間、四乃崎が吠えた。
瞳孔は開き、髪を揺らして、大きく拳を後ろへと引く。
「――ガッ!??」
その反動で突き出された拳は、俺の頬にクリーンヒットした。
「おま――」
痛みを堪え四乃崎の方を咄嗟に向いた瞬間、彼女の顔がすぐ近くまで迫っていて、ガッと顔を両手で掴まれた挙げ句……そのまま彼女は……俺の顔に自分の顔を寄せてきたのだ。
……は?
それは、あまりにも唐突すぎて理解できなかった。
だが、唇にあたる柔らかい感触と近過ぎる四乃崎の顔。
呼吸なんかできなくて、密着した彼女の体で身動きさえとれなくて……為すがまま、されるがまま、止まったかのよつな時のなかで、意識だけは確かにあって……。
スッと、四乃崎が離れた。その顔は真っ赤に染まっていた。
「どうだ……へへっ。これで諦めついたか? へへっ」
恥ずかしさを隠すように洩れでるアホな笑い。
「お前……なにを……」
「どうせファーストキスだったんだろ? どっ、童貞野郎が。へへっ」
汚い言葉に勢いはなく、むしろ彼女もファーストであったことなど聞かずとも分かった。
キス。それを真に理解した瞬間、俺の顔も急激に熱を帯始めた。
「ど、どうせ男なんてキスの一つ二つで簡単に落とせっから。男なんてただヤりたいだけだから、へへへっ」
何故かは知らんが、偉そうにし始める四乃崎。
「男のくせにグダグダ抜かしてんじゃねぇよ。男なら無理やり落として見ろよ、へへへっ」
無理やりキスなんかしてきた四乃崎は、無理やり虚勢を張ってみせた。
そんな破綻した態度で宣う彼女は、何故なのか、とても強気にヘラヘラと笑っている。
「わっ、私とキスして自信持っただろ。ほら、「自信持ちました」って言ってみろよ、へへっ」
もはや、何がしたいのかわけがわからない。
「ほら、これで諦めついただろ、へへっ」
もはや、俺に自信を持たせたいのか諦めさせたいのかさえ定かじゃない。
「お前……本当にそれで良かったのか……」
思わず聞いてしまった疑問。それに彼女は尚も照れ隠しの笑いを続ける。
「ば、ばーか! キス程度で何とも思わないから! きっ、キスとか、ぬいぐるみで練習しまくってるから!」
つまり、本番は……。どうやら、やはりファーストだったらしい。
「ほら、私とキスしたんだからお前が彼氏役をやれ! そして告白してフラれろ!」
「どういう理屈だ……」
だんだんと冷静になってきた。しかし、四乃崎は動揺したままだ。
その時、俺は初めて彼女の本質に気づいた。
こいつ危ない奴だ、と。
周りに彼氏がいると嘘をつき、俺を試す為だけに川に身を投げ、無理やり部屋に侵入し、あろうことかマウント取るためだけにキスをしてくる……。
一体何が彼女をそうさせるのだろうか。何が彼女を駆り立てるのだろうか。
ドキドキしていた気持ちは薄れ、目の前でひきつった笑いを浮かべる四乃崎に俺は恐怖を感じ始めていた。
「お前……あとで後悔するぞ」
「後悔? しないよ?」
「いや、絶対するだろ……」
「したら負けじゃん。私の勝ちだから後悔しない」
「それならそれで別に良いんだけど……」
大丈夫かコイツ。たぶん後悔はするだろうし、この様子だと後々死にたくなることは必須だと思う。……いや、本当に死んだりしないだろうな……?
四乃崎の突拍子もない行動が、自分の遥か予想を上回る事実にゾッとした。
取り敢えず、俺は四乃崎の手を掴み。
「なっ! なに!?」
「いいから落ち着け。深呼吸しろ」
強い口調で制してやる。
少し暴れようとした四乃崎だったが、しっかり手を離さずにいるとやがて諦めたのか、言われた通りにスーハースーハーと深呼吸をし始める。
「……落ち着いたか?」
「……あー、まぁ」
息を吐き出したまま、うつむく四乃崎。
「……お前、たぶん今猛烈に死にたいだろ?」
しばらく無言だったが、彼女は小さく「うん」とだけ答える。
それは恐らく気持ちのたとえ。それでも、俺は言わずにいられなかった。
「だが、死ぬなよ? それだけはするなよ?」
「……わかった」
そこまで聞いてから俺は手を放す。四乃崎は、そのままヘナヘナと崩れ落ちてしまった。
「昔、友達だった奴が自殺したんだ。たぶん……原因は俺にあった」
聞こえているのか分からなかったが、それでも俺は語りかける。
「だから……もう、そういうのは嫌なんだ」
「……わかった」
なんで俺が励ましているのか。いきなり殴られて、勝手にキスされて、落ち込みたいのはこちらだというのに……。
そこで、俺は一旦息を吐き出す。気まずくて、立ち去ろうかとも思ったが、項垂れたままの四乃崎を放っておくことが出来ず、ただ立ち尽くした。
「……うっ……ひぐっ……」
しかも、あろうことか四乃崎は泣き出してしまった。
彼女の顔の下の地面にポタポタと涙が染みていく。いよいよどうすれば良いのか分からなくなる。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
だが、彼女は戻れるようなテンションではなく、放っておくのはやはり危険に思えて、仕方なく俺も近く座った。
そのまま俺は何も言わず、四乃崎は感情のままに泣いた。
五限目も六限目の授業さえも、俺たちはただその場にうずくまって何もせず、何の言葉も交わさずにサボり続けた。
それはまるで……彼氏がいると嘘を突き続けてどうしようもなくなった四乃崎と、告白すら出来ずに恋心を腐らせる俺を如実に体現しているみたいで、ひどく……憐れだった。




