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その青春は腐り始めていた。  作者: ナヤカ


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12/35

誘惑と葛藤。そして思い立つ最悪

 もうすぐ中間考査が始まるためか、学校内にはピリピリとした空気が漂い始めていた。


 いつもは怠そうに授業を受けている部活動生徒連中も、顧問から何かしら言われているのか勉強をしている姿をよく見た。

 無論、普段から勉強をしている生徒たちに焦りは見えず、それでも、良い成績を収めなければならないという強迫観念は幾らかあって、そんな焦りも空気の中に紛れ込み始めている。


「今度勉強会しよーよザッキィ」

「あー、ごめん私はパスだ。勉強は教えてくれる奴いるから」

「良いよねぇ、咲夜はッ。彼氏さんに勉強教えてもらえてさぁ」


 昼休み。いつものように学食から戻ってきた彼氏持ちの奴らが、教室の隅で勝手に輪をつくってスマホ片手に会話をしていた。


 やることはなく机でテキストを見返していた俺は、彼女たちの声のボリュームに集中することが出来なくなり、図書室にでも逃げてしまおうか、などと考え始めていた。


 チラリと見れば、屋久杉が項垂れるように机へと突っ伏しており、そんな彼女の前の机に四乃崎が足を組んで座っている。姫川は通路を挟んだ席に座り、そんな二人に体を向けている構図だった。


 実は、四乃崎は成績に関しては悪くない。


 というのも、彼女と付き合っている彼氏はこの辺でも有名な進学校に通う生徒であり、話を盗み聞きする限り、部活動に置いても優秀で、屋久杉や姫川が「ダブルデートしようよ」的な誘いに、いつも「彼氏部活で忙しくてさぁ」と言って断る光景を度々目にしていた。


 勉強については、毎回その男に教えてもらっているらしく、四乃崎自身がちゃんと勉強している姿など見たことないのに、彼女はわりと良い好成績をおさめていた。


 内心、なんでこんな奴とそんなハイスペック男が付き合えているのか疑問に思ってしまうが、やはりそのスペックが釣り合ってしまえる程に四乃崎は可愛いのだろう。


 そんな光景にうんざりして教室を出る。全ては俺に関係のない話。







 学校を終えてリナリア荘に戻ると、自室に入るタイミングで隣のドアが開いた。


「この前はお楽しみでしたね?」


 葉連さんだった。


「いや、それ何回言うんですか……。説明したじゃないですか。ただのクラスメイトだって」

「クラスメイトにしては楽しそうだったね? って話。別に変な意味じゃないけど?」

「"お楽しみでしたね"は変な意味でしか使いませんから。あれですか? 言葉をよく知らずに誤用してしまう人ですか?」

「そんな大層なものじゃないよ。深く考えすぎぃ。私にはそういうの役不足だよ」

「確定でわざとですね……。いや、その使い方は逆に合ってるの……か?」


 多くの人が誤用してしまいがちの『役不足』をぶっこんできた葉連さんは絶対わざと言っている。役不足とは本来、自分の能力よりも低い役を与えられた際に使われるべき言葉だ。ということは、それを理解している葉連さんにとって"誤用してしまう人"とは役不足であり、葉連さんがそれを否定するのは正しいということになる。

 

 つまり、葉連さんは"お楽しみでしたね"の意味を理解した上で言っている!!? やっぱりわざとじゃねぇか。


「もし仮に、あの時の子がただのクラスメイトで、鹿羽くんに彼女とかいないんだったら、相談したいことがあるんたけど良い?」


 突然そんなことを言われ眉をひそめてしまった。


「……なんですか?」

「あのさ……」


 そして葉連さんは恥ずかしそうにして。


「私の彼氏になって欲しいんだよね」


 そう言ったのだ。

 それには……ため息を吐き出す。


「なんの冗談ですか? それ」

「うわぁ。もう少し嬉しがってもいいんじゃない?」

「だってあり得ないでしょう。葉連さんは男に興味なんてないのに」

「そりゃあそうだけど……嘘でも良いからドギマギしても良いのに」


 それは無理な話だ。


 なにせ、俺は少し期待してしまった(・・・・・・・・)から。嘘でも喜んでしまえば、その気持ちに乗せられて本当に嬉しくなってしまう。……だから、俺は嬉しがることができない。真実を知ったときに、ショックを受けたくなかった。


「最近、大学の先輩でしつこく付きまとってくる人がいるんだよね。その人には彼氏がいるって話してるんだけど、諦めてくれなくて」

「……へぇ」

「で、その彼氏っていうのが、年下の高校生ってことにしてるの」

「……まさか」

「うん。隣に住んでて、もはや同棲みたいなものって言ってる」


 マジか。


「そしたらその先輩……彼氏と合わせてくれないか? って言ってきちゃってさぁ」


 顔がひきつっていくのが分かる。葉連さんが俺に、何を相談しようとしているのかを察してしまったからだ。


「だから……彼氏面してその先輩と会ってくれないかな?」


 とんでもない相談だった。


「……なんでそんな嘘ついたんですか」


 パニックになりかけた思考を飲み込み、なんとか質問をする。


「うーん……まぁ、普通の人って「私が男に興味ない」「彼氏なんて作るつもりはない」って言っても信じてくれないんだよね? いや――」


 彼女はそこで言葉を一旦切り目を細めた。


「――信じようとしない……っていうのかな? 『男に興味ないって言っても体は違うでしょ?』とか『彼氏なんてつくらないなんて言っても本心はそうじゃないよね?』とか、自分の考えを押し付けてきて認めようとしない。まるで、自分の考えこそが世界の真理だと思い込んでる。まぁ、だからこそ自信があるのかもね。……その先輩、わりと女の子から人気あるみたいだし」


 細めた瞳には悲しげな色が見え隠れした。その感情は分かる気がする。


 言葉で言っても伝わらない。彼らはそれを理解できないから。……理解出来ないからこそ、人は理解できる事に無理やり落としこんで納得しようとする。そしてその答えは、高確率で間違っていた。


 彼らの言葉はいつだって同じだ。


――それは間違ってるよ。

――素直になりなよ。

――本当は違うでしょ?


 優しく甘く、まるで『自分はあなたを理解しているから』みたいな雰囲気を押し付けてくる。そうした肯定的な眼差しで……簡単に全否定してくるのだ。無意識に……無自覚に……。だからこそ、たちが悪い。


「疲れちゃうんだよね? そういうの。だから私は手っ取り早く「彼氏いるから」って答えてる。その方が、向こうも納得しやすいでしょ」

「まぁ、確かに」

「なのにその人諦めてくれないんだよねぇ。なんかもう意地になってる感じ」

「大変そうですね」

「大変だよ、ほんと。だから会ってくれないかな?」

「会っても……俺なんかじゃあ意味ないんじゃないですか? むしろ、「こんな男なら奪える」ってやる気にさせるだけじゃないんですか?」


 それに葉連さんは一瞬ポカンとしてから、クスクスと笑う。


「鹿羽くんはさ、もっと自信持った方がいいよ。私が君に本当の自分を打ち明けている事を、もっとよく考えた方がいい」

「……どういう意味ですか」


「分かってくれるって思うから話したんだよ。だってそれは、多くの人には分からないことだから」


 よく分からなかった。いや、分かりたくなかった。だってそれは、まるで俺が彼女に選ばれた(・・・・)みたいだから。そう……錯覚してしまいそうになるから。


 そうやってイタズラっぽく笑う姿が、思わせ振りな口調が、俺を苦しめる。知らずのうちにドアノブを掴む手に力が入っていた。


 その気持ちが報われることなど在りはしないのに、どうしても心は踊った。


「でも……確かに鹿羽くんには、荷が重いかも。その先輩には鹿羽くんのこと『頭が良くて、部活も優秀な人』って話をしたから」

「盛りすぎですね」

「まぁ、私も少しムキになっちゃった。ごめんね」

「いや、葉連さんが謝る必要はないですけど……」

「一回でいいから。別に心配しなくたって、私が上手くやるし」


 甘い誘惑だった。理由はなんにせよ、それを引き受ければ一時でも葉連さんの彼氏になることができる。それを味わうことができる。


 それは彼女に恋をする俺にとって……残酷なほどに甘い誘惑。


 だからこそ、引き受けてはいけない気がする。それを味わってしまえば……もう後戻りができない気がした。



 その時、俺はふと思い出す。


 頭が良くて部活も優秀。そんな……絵にかいたような男を俺は知っている。


 脳内に、汚染された思考が感染した。それは純粋な恋心を腐らせようと、最低な提案を俺に差し出してきた。


 果たして、そんなことがまかり通って良いのだろうか。瀬戸際の理性が必死に訴えかける。


 だが、その訴えを……俺は無視した。


「その彼氏役……。もしかしたら適役の奴を連れてこれるかもしれないです」

「ほんと!?」

「……はい」


 途端に目を輝かせる葉連さんに、俺は奥歯を噛み締めた。……ほらな? やっぱり『俺である必要はない』。その条件を満たしているのなら、俺である必要なんてないのだ。


「葉連さんを助ける(・・・)と思って、協力をたのんでみます」

「それは助かる!!」

「まぁ、ダメ元ですけど」

「うんうん! それでいいよ!」


 嬉しそうな葉連さんに笑顔を向け、俺は「それじゃあ」と言葉をかけて自室へと入った。


 パタンとドアを閉めて鍵をかけてから、背中をドアに預ける。


 それは本当に最低な思いつき。だが、上手くいけば俺にとっても彼女(・・)にとっても、良い結果になるかもしれない。


 俺は葉連さんへの想いを腐らしたままにできて、彼女も別れるキッカケにできるかもしれない。


 最低最悪なクズのような思考を、全て『葉連さんを助ける為』の大義名分で包み込んでしまう。


 まだ電気をつけていないせいで、部屋は薄暗い。そんな中でチラリと壁にかけてある鏡には自分が写っている。


 そこには、虚ろな瞳で薄汚く笑う鹿羽栄進がいた。


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