布道先生との対談『前編』
昼食を終え、廊下の窓から外を眺めていると、不意に学食から帰ってくる四乃崎の姿を見つけた。その周囲には二人。姫川雪那と屋久杉笑里。その二人は、一年の時から四乃崎と同じクラスであり、三人揃っていつも学食で飯を食べていた。
ちなみに、学食の席は全校生徒が座れるほど用意されてはおらず、暗黙のルール上では殆ど上級生しか使っていない。
上下関係の厳しい部活動生徒は、そのルールに則っておとなしく教室や部室で昼食を取っており、そうでない者たちも遠慮して学食を使っていなかった。
そんな中、彼女たちだけは一年生である去年から学食に通う猛者たちである。クラス替えによって三人とも教室がバラけてしまったということもあってか、彼女たちがよく屯する候補に学食は急浮上していた。
無論、三人とも彼氏持ち。
このあとはおそらく、三人の内誰かが属する教室でお喋りタイムへと移行するのだろう。
「――ん? なんかこの教室カレー臭くない?」
「ホント。エミリンの教室いこ」
「チッ……誰だよ。カレーなんか食べた奴」
案の定、彼女たちは揃って教室へとやってきた。そして、くんくんと臭いを嗅ぎ、怪訝そうな表情をしてから別の教室へと向かい始める。そのすれ違う瞬間、俺は四乃崎と視線が合ってしまった。
そしたら凄い勢いで顔を逸らされた。それはもう……不自然極まりないほどに。
あの日から、俺は四乃崎と言葉を交わしていない。日にち的には一週間が経っている。にも関わらず、毎回毎回目が合うと彼女はあからさまな態度を示していた。いいかげん慣れろよ……。
「ん? ザッキィどしたん?」
そんな彼女の様子に屋久杉が反応し。
「べっ、別に……」
下手くそな取り繕いを四乃崎がする。
それは本当に一瞬のことだったため、屋久杉はそれ以上追及はせず、三人とも別の話題を話はじめる。
俺は、何もせずに見送った。窓から見上げる本日の空は、実に気持ちの良い青だった。そんな空に校内放送が響く。
『――2年2組の鹿羽栄進は至急職員室までくるように』
声の主は布道先生だった。……なんだ? そんな疑問符を浮かべながら職員室へ向かうと、先生は俺を別室へと案内した。何か大事な用件だろうか。
だが、彼女の口から出てきた言葉は予想だにしていなかったもの。
「――単刀直入に聞くが鹿羽……。君は四乃崎と何かあったのか?」
あまりの正確無比な意見に、思わず「何故ですか?」なんて返してしまう。……だが、それは悪手だった。
「やはりな。点と点は繋がったか」
そう独りでに納得してしまう布道先生。だが、俺は納得していない。
「いやいや、あまりにも不可解過ぎて聞いただけなんですが? 勝手な決めつけは困ります」
「やましいことがあるからそう質問したのだろう? 何もないのなら、そのまま『無いです』だとか、結論から先に答えるはずだ。だが、君はいきなり『何故?』と聞いてきた。それはつまり、君自身が『何故バレたのだろうか?』を咄嗟に考えてしまったからに他ならない」
「先生……担当は心理学でしたっけ?」
「数学だ」
「……ですよね」
「まぁ、推理小説やパズルが好きでね。時折、そういった思考ロジックをしてみることもあるだけだ」
「論理で心を読まれても説得力はありませんよ」
「君を説得する必要はないんだよ鹿羽。大事なのは私が納得することだからね」
「うっわぁ……典型的な自己完結型じゃないですか」
思わず出てきた言葉に、布道先生は少しムッとしたようだった。
「何が悪い? 君も君の世界における最優先順位は常に自分のはずだ。何をしても、己の思考を大切にするということは、それ即ち世界の平和をも意味すると思うが?」
「……教師って生徒に何かを教える側の人間ですよね。そんな人が伝えることを諦めて自己完結してて良いのかって話です」
「……あまり調子に乗るなよ小僧。煽って怒りを買い、論点をズラそうとするのはあまり頭の良いやり方じゃない。もれなく成績が落ちるまであるぞ」
「きょっ、教師失格だ……」
「何とでも言いたまえ。学校という組織図に革命が起きない限りは、君の立場が弱者であることに変わりはない。善悪とはルールの上でしか判定はされないが、そのルールに対し、解釈の余地を挟める権利があるのは、一体誰なのかを君は理解した方が良いな」
鋭い視線が刺さった。この人本当に女性だろうか……。なんで、そんな恐ろしいムーブできんだよ……。過去に何があったんだよ……。
だが、俺は唇を噛み締めてから冷静な頭で反論を繰り出す。
「小難しい言葉でオブラートに包みまくってますけど、要は職権濫用ってことですよね?」
そちらがルールを盾にするのなら、こちらもそれを逆手に取るまで。多少の効果はあったらしく、刃物のような視線は弛んだ。
「……賢い生徒はあまり好きじゃあない。何故なら私の思い通りにならないからだ」
「本音ダダ漏れじゃあないですか。……誰だよこの人を教師に採用した奴は」
「君も漏れているぞ」
「では引き分けということで」
「うむ。そういうことにしておこうか」
ノーガード戦法での殴りあいほど、醜く利のないことはない。退けるときに退く。その大切さを、この教師も分かっているようだ。
それから布道先生は大きくため息を吐く。
「私は君とディベートをしたいわけじゃない。事実確認をしたかっただけなんだがね? それとも君は、確たる証拠を提示しなければ口を割らない悪あがき人間なのか?」
「証拠があるんですか……」
「まぁ、それも私の推測による間接的な証拠でしかない。だからこそ、君からの言質を取りたかったわけだ」
「……さすがに意味が分からないです」
説明があまりにも抽象的過ぎて白旗を上げる。すると、布道先生は一冊のノートを取り出して見せた。
「これは、数日前に行った面談時に使用したノートだ」
「あぁ、面談なんてしましたね」
それは、新しく2年生になり1ヶ月が経った時点で行われた担任との面談である。そこでは、進路に対することや勉強、悩みに関することなど様々な会話が行われた。
「そこで私が聞いた質問を覚えているかね?」
問われて記憶を辿ってみる。たしか……。
「力が……欲しいか?」
「君が私を何だと思っているのかは知らないが、少なくとも教師とは捉えていないようだな」
「じょ、冗談ですって!」
睨まれてしまった……。
「……まったく。まぁ、いい。いくつか質問はしたが、その一つに『仲の良い生徒』と『嫌いな生徒』を聞いたはずだ」
「あぁ……そういえば」
「実は、私にとってこの質問が一番楽しみな瞬間なのだよ」
「楽しいですか? それ聞いて」
「あぁ。楽しいぞ? 好きな生徒を聞くと、いつも笑いを堪えきれなくなりそうだ」
うわぁ……そんなことしてたのか。思い出したついでに、俺はなんと答えたのかも思い出した。たしか「いません」と即答したのだ。それを笑うなんて……ひどいっ!
「鹿羽は確か……」
ペラペラとノートをめくる布道先生。そうしてとあるページに辿り着いた彼女は、途端に目を輝かせた。
「なに? ……鹿羽。お前の思う仲の良い生徒は月島なのか!?」
……は?
「いや、違いますけど。誰ですかそれ」
「む? だが、確かにここには一組の月島或十の文字が…………あぁ、そういうことか」
思い出したように布道先生は呟いた。
「……君の回答があまりにも悲しかったから、私が脳内でカップリングさせてやったんだった」
「……かっ、カップリング?」
「あぁ。君はいつも独りだろう? しかも、中学からの友人すら学内には皆無。ペア決めさせるといつも売れ残ってる上に、女子生徒にすら興味を持ってもらえていない。だから、君とは対極にいるイケメンで人気者の月島とカップリングをさせて――」
「待ってくださいよ! なんですかそれ!? カップリングって……そいつ名前からして男ですよね!?」
あまりのボロクソっぷりに驚いた。この人本当に担任か? というか、そのノートに何を勝手な妄想を書き込んでるんだ。
「男だが? ……嫌なのか?」
「なんで真面目な顔して聞いてくるんですか……怖いんですが」
「ナマモノは嫌いか?」
「二次元ならOKとかいう問題じゃないです。薄い本とか読んだことないんで」
「言うわりに知識はあるじゃないか」
ふふんと目を細める布道先生。……しまった。プレミした。
「妹が……そういうのたくさん持ってるんですよ」
なくなく白状すると、先生はさらに口角をつり上げた。
「ほう。血は争えんな? やはり君の妹も腐っていたか」
「あの……さらりと家族の悪口言わないでもらえますか……。あと、俺が腐ってるのを前提にしないでもらえますか」
「自覚はあるのだろう? 瘴気が漏れているぞ」
「ちょっと……なんで今言いながらマスクしたんですか。それを吸い込んだら五分で肺が腐るとでも言うんですか……」
引き出しから風予防用のマスクを取り出し、さりげなく装着する布道先生。傷つくので止めてほしい。お爺さんたちを安心させるため、ガスマスクを外して笑顔を見せてくれた某女性主人公とはえらい違いだ。
「まぁ、冗談はさておき……」
なら、まずはマスクを外して欲しい。
「この質問は無論、四乃崎にも行っている。君を呼び出したのは……彼女の回答に、私が大きな違和感を感じたからだ」
「違和感……」
「まぁ、聞きたまえ。そして私の推測が正しかったことを証明してみせようじゃないか」
布道先生は不適に笑う。その表情は、まるで楽しんでいるかのようでもあった。
いや、実際は俺をおちょくって楽しんでいたのだが。
取り合えず、マスクは外して欲しいと思いました。
長くなったので一旦切り




