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蒼穹のレグナ  作者: 俄雨
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プロローグ

---

 


 赤。赤、赤……目に見えるすべてのものが赤く塗り潰された世界の真ん中で、彼女は子守唄を口ずさんでいた。

 半ば地面に埋もれかかっているシェルターの、分厚い強化ガラスに打ち付ける赤い粉塵は、触れれば皮膚が侵され、吸い込めば肺が腐敗する、人類がこの地球(ほし)に残していった最後の遺物だった。

 ヒビの入った強化ガラスの線を指でなぞり、防護服がなければ出歩けない荒野を、少女は嬉々とした様子で見つめていた。子守唄を口ずさむ彼女の声はまだ幼く、ゆえに優しい。

 足音がした。複数の、ただならぬ気配を漂わせた足音が、少女のいる部屋の前に集結する。

 一糸纏わぬ姿で外を眺めていた少女は、不自然に長い黒髪を床に擦りながらゆっくりと振り返り、薄く微笑んだ。

「……ねぇ、お母様。あの人は殺さなくてもいいんだよね? だってあの子を助けてくれたんだもの。きっと──大切にしてくれるよね?」

 これからも、と。

 そう続けようとした言葉は、強引に扉を蹴破ろうとした男たちによってかき消されてしまう。

 銃撃の後、思い切り蹴破られた扉が内側に吹き飛び、武装した男たちが次々となだれ込んでくる。

「目標を捕捉ッ! 総員配置に就けぇッ!」

 迷うことなく“少女”に向けられた銃口。

「だから、その他は」

「撃てぇ──ッ!!」 

「殺してもいいんだよね?」

 微笑みながら告げた少女の呟きは、放たれた銃弾の雨音に再びかき消されてしまった。

 

 

「……ごめんね」

 戦闘の音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。戦闘そのものが終わったのか、それとも膠着状態に入っているのか。終わっているのだとすれば、どちらが勝ったのか。

 どちらにしても、凄惨な結果しかもたらさないことを“彼”は知っている。

「きみは……“君達”はただ……奪われたものを取り返しにきただけなのにね……」

 隣室の床に転がされたまま放置されている死体の中に、血塗れの白衣を着た男が所在なさげに蹲っていた。

「私に、できることは……」 

 すでに息絶えて冷たくなった母親の腕から、男は、ひとりの男児を抱き取った。

 赤子は生きていた。死んだ母親の腕の中で、あの耳を塞ぎたくなるような断末魔を聞きながら、それでも無邪気に笑っていた。

「きみを……育てること、かな……」

 水色の眸が、男を見た。男が笑いかけると、赤子はにっこり笑って、その小さな手のひらを男の頬に伸ばしてくる。

「……一緒に、生きてみるかい?この世界で」

 赤子の手が、男の涙に触れた。

「いつか……きみが大きくなったら──…」

 唇を寄せて、なにかを呟く男の背後で。

 赤子と同じ水色の眸をした少女が、満足そうに微笑んでいた。

 

 

---

 

 

 大地の実りから見捨てられた赤い地球(カフェス)が、コックピット正面に配置付けられたメインモニターに映し出されていた。地表を覆う赤黒い雲は不規則に渦を巻き、赤い球体の表面を縦横無尽に動き回っているように見えた。

 画面一杯に映し出される赤を。時折雲の切れ目から覗く、錆色の大地を。人類を宇宙に追いやった地球を。自律型機動兵器アタルヴァを戦力とした編成部隊、レギオン第七小隊に所属するパイロットだけは、そんな世界を作った人間を一番憎みながら、遠隔操縦用トリガーに指をかけていた。

 年若いパイロットが操縦する機体には、けたたましいアラート音が鳴り響いている。ありとあらゆる警告音が一斉に鳴り響き、青年の戦意を削ぎ落とそうとする。

 狙撃手でありながら利き目を負傷していた彼は、それでも座標に敵を捕捉しなければと、懸命にコックピット頭上に備え付けられた高性能スコープを目前まで引き寄せた。

「……アーディン……っ」

 すぐ傍らで自身と共に交戦していた友人の名を、青年は震える声で呼んだ。

 手足をもぎ取られた機体を、サイドモニターの小さな画面に映しながら、何度も、何度も叫んだ。

「アーディン…! アーディンっ!! …っ、頼むから返事をしてくれ…ッ!」

 むしり取られた特殊装甲がいくつも浮遊する空間の真ん中に、その機体はあった。動かせる四肢のない鉄の固まりに、異形の生命体たちがいくつもへばり付き──食料となる“中身”を、必死に引きずり出そうとしていた。

「やめてくれ……」

 助けなければ。そう思い向けた主砲は、鉄屑と化した友人の機体を的とした。

 引き金に添えた指が震える。潰れた右目から溢れだした鮮血が、傷だらけのバイザーを汚す。

 故星を追われた人類が、第二の故郷として造化した人工惑星──救済都市サイリア。

 青年は、その星を背にして戦っていた。

 守らなければいけない星。

 守りたい人がいる星だった。

 サイドモニターに映し出される“それ”は、無残にも半壊し、生命を維持するための動力も、すでに失われているように見えた。

 汚染された地球に蔓延る鉱畜獣(バルディフ)たちは、大気圏を抜けて宇宙には出られない。誰もがそれを信じ──疑わなかったあの時代。

 何者にも侵略されることのない世界で、人類は長い間胡座をかいて生きてきた。安息の地。俗世間を離れた別天地、桃源郷と囁かれるほどに。この宇宙は……平和だったのだ。

 そして──今。

 青年の前には、人類が最も恐れていた光景が広がっていた。

 幼い子供たちを連れてここまでやってきた鉱畜獣(バルディフ)たちは、彼らの主食ともいうべき汚染物質をまだ体内で分解できずにいる幼成体たちのために、最高の食材がある場所を示す。 彼らにとっては“人間の生簀”にしか見えないその星も、泣きながらトリガーを引く青年にとってはとても大切な場所だった。

 愛する家族が暮らす……とても大切な場所だったのだ。


“いってらっしゃい”


 産まれたばかりの子どもを抱いて、自分を送り出してくれた彼女の笑顔が不意に思い起こされた。


“いってらっしゃい、あなた”


 人工太陽の光があまりにも眩しすぎる、そんな青空の下で。彼女は笑う。笑い続ける。幸せそうに、子どもの額に頬を擦り寄せながら。

『──…だ、 ルーエンハイム!!今すぐそこから離脱しろ──ッ!!!』

 アラートの合間に響いた怒号の意味が分からず、青年は撃ち方をやめると、視線を転じてメインモニターを見た。

 これは……なんのカウントだ?

 画面中央に表示された数字は、すでに残り二秒を切っていた。

「まさか……」

 その数字が零に達した時。

 青年の背後に白い閃光が走り、サイリアの姿を遠距離から捉えていたサブモニターの画面も、真っ白な光に撃ち抜かれて何も見えなくなった。

 幸福な記憶も、温もりも、夢も希望も……青年の全てを奪い去るかのように。

 

 

 なにも、見えなくなった。

 

 

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