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神様の恋  作者: 橘 弓流
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帰り道

「神社までは無理だけど、中之宮まで送る」

「は?何?中之宮まで?」

 謡の言葉に征四郎は訳が分からず、眉を寄せた。逆に謡は目を細めて笑った。

 征四郎は邸の者に挨拶し、里の入り口である門番に言って手続きを取り、里を下りた。しばらくは朱塗りの塀が続く、そしてすぐに木々が生い茂る林の中の道に入る。だが、塀が途切れるすぐ傍にある杉の木の下で立ち止まった。塀の向う側で気配がする。


「よ……っと」

 塀の上に手が伸び、片手でひょいと飛び越えたのは……謡。さっと袴の裾を払った。飛び越えるのは慣れている。羽が無い代わりに謡は走り、飛び越えていける。それは祭りの時に見せた木々の枝を渡り歩くことが出来るほど。あの時は、さすがに羽のある皆には追いつかなかったけれど。その様子を目を瞠って征四郎が見ていた。

「はあ……すごいもんだな」

 軽々と飛び越えた謡を見ながら、ため息を吐いた。

「こう見えても一応ね……」

 謡は征四郎の隣りに並ぶ。本当は『こう見えても一応神なの』と言いたかったが、征四郎の隣りでは意味のないような言葉に思えた。自分と征四郎……神や人という垣根を作ってしまうのをためらってしまった。征四郎は自分のことを否定しない。それが謡の言葉を濁らせた。


 少し歩くと林の中に入る。ひんやりとした冷たい空気が二人を包む。他愛も無い話が楽しかった。もっと続けば良いと思ってしまうが、だが、あまりにも謡がいないのも変に思われてしまう。皆はいつもの滝に行っているのだろうと思って、誰も探すことはないだろうが、もし、門の外に勝手に出たとすると問題は特にはないが、静には怒られるだろう。

 中之宮は神域なので問題はないが、静は心配ばかりするので勝手に行くことは無かったが、分かった時には煩く言われることだろう。そんな子供でもないのだから心配することないのに。


「ねえ?沢山の荷物もあるし……私の腕に掴まってみない?」

 軽く言ったつもりだった。

「え!大胆なことを言うね」

 征四郎はからかうように、ひゅうっと口笛を鳴らしてにっこりと笑う。

「ええっ!そ、そんなつもりじゃ……」

 謡は顔を真っ赤にして否定する。手を振って慌てたが、征四郎は笑っているばかりだ。そんなつもりで言ったのではないのに。

「分かってるよ。謡どのは真っ赤になっても可愛いな」

 征四郎の言葉に増々顔を赤くする。この前もそうだったが、素直なのは自分ではなく征四郎の方ではないかと思う。というか……可愛いとか、買い被り過ぎだ。

「からかうなんて……ひどい」

 謡は上目で征四郎を見上げた。

「からかってなんかいないよ。本当にそう思ったから言っただけだ。でも……遠慮なく甘えて謡どのの提案にのろうかな」

 そう言って謡の腕に掴まる。そっと触れただけだが、謡の胸はどきんと跳ねた。だが、しっかり掴まってもらわないと、飛び跳ねることが出来ない。

「もっと、ちゃんと掴まってもらわないと落ちちゃう」

 そうすると、征四郎は謡の腰に手を回し、そしてもう片方の手で謡の腕を掴む。かなり密着して髪に征四郎の吐息が掛かった。

 どきんどきんと鼓動が速まるのが分かる。体温も上がってしまっているだろう。でも、今更、自分の提案を取り下げることも出来ない。仕方なくそのままの態勢を受け入れる。

「緊張してるの?」

 再びからかうように謡の顔を覗き込んだ。顔が目の前にあり、謡は大声を上げそうになったが、寸前で声を飲み込む。しかし、いきなりで目を見開いて驚いて身体を揺らしてしまった。動揺も気付かれている。

「あ、あたり前じゃない!もう、行くわよ!」

 半分投げやりのように言うとやはりクスクスと笑っている。からかっているのは間違いないようだ。しかし、その笑いもすぐに消えた。


 謡が風を切るように飛び跳ねたのだ。周りの景色が流れていく。馬なんて比べものにならないくらいの速さだ。時々、地面や枝を蹴り、飛び跳ねていく。

「すごい!謡どの!すごい速さだ!」

 感動したように耳元で興奮している声が聴こえる。征四郎に恐怖はないようなので、謡も嬉しくなり微笑んだ。

「俺、重くないか?」

「大丈夫、平気。力を使っているから、それほど重さを感じないの」

 軽々と飛んでいけるのは、神の力を使っているから。それに今更重いかと訊かれても、すでに重くて支えられないくらいだったら飛んでいけない。

「はは!人の女人だったらお転婆と言うんだけど、謡どのは神だからなあ……この力もその力の一つだから、お転婆とは言えないのかな」

 お転婆とは……ひどい。一応、女なのに。しかし、力を使っているが、謡の羽無しではそれほど長く持続しない。少し疲れてきたなと思い始めた時に、丁度、中之宮の屋根が見えてきた。そして、そっと征四郎と地面に降りた。


 ふわっと二人の周りに風が起こり、消えてゆく。生えていた草が揺れた。征四郎は不思議な感覚に捕らわれる。急に自分の身体の重さを感じて、足を地に着ける。

「ここまでこんな速さで来れるとは……。謡どのはすごいな」

 そう言って、そっと謡の身体から離れる。温もりが離れると、急に自分の身体に寂しさを感じた。

「あ……」

 名残惜しいように謡が声を漏らした。それは、征四郎も同じだったようで、腕がゆっくりと下ろされる。しかし、征四郎は何も言わなかった。

「じゃ、ここで」

 謡は自分の気持ちに気付かれないように、顔を背けた。こんな離れるのが寂しいと思っている醜い心を気付かれたくない。また、里での暮らしが待っている。邸の者が幾ら心を少し許してくれたとしても、疎まれている存在には変わりがない。

 すると、謡の腕がぐいっと引かれた。思わず身体が征四郎の方へ向く。驚いて顔を見上げてしまった。

「泣きそうな顔してる」

 征四郎が動揺を言い当てる。そんな言葉は聴きたくない。

「言わないで」

 だが、泣きそうな顔とは逆に征四郎は笑った。掴んでいた腕を離し、謡の頬を撫でた。温かいごつごつとした男らしい掌が謡の頬を撫でる。どきりと胸が跳ねるのも感じたが、それと同時に安心した気持ちも湧いてくる。

「ありがとう、不思議な体験だった。それに、こんなに早く戻れるのは謡のおかげだ」

 征四郎は今度は真面目な表情をしていた。離れるのが寂しくなってしまうから、そんな顔をしないで欲しい。

「大丈夫、そんな顔をしなくても。すぐに会えるさ」

 そう言うと、謡の頬からも離れて、一歩下がる。そして、踵を返すと山を下りていくために歩き始めた。

 謡はただその背中を見送るだけだった。今度は風が謡の頬を撫でる。それは征四郎の温もりとは違い、ひどく冷たく感じた。


「謡」

 ひゅうという風の音と共に呼ぶ声が聴こえた。低い落ち着いた声は、いつも聴いている声。そっと後ろを振り返ると、そこには神事を終えたと思われる静がいた。静は神事が終わってすぐにここに来たのだろう……袴が神事の時に履く雅な物だった。

「静……」

 黙って出てきてしまった。この後、怒られるのだろうか。窺うように目を見た。

「どうして黙って出てきた?」

「静が怒ると思ったから。ここは神域だから私が来ても問題ないはずよ?私、もう子供じゃないのに」

 謡は拗ねるように言い訳を始めた。だが、心配性の静に届くかどうか……いつも心配ばかりしてくれるのに、そんなことを思ってはいけないと分かっているのに。自分の醜い心が嫌になる。なんて我がままなのだろう。

「そうか。そうだな、謡はもう子供じゃない。いつも心配ばかりしているが、謡には迷惑だっただろうか」

 静に怒られると思っていたのに、そんなことを言われるとは思わなかった。

「違う!静にはいつも助けられているの!迷惑なんかじゃないわ!」

 必死に否定すると静は謡の頭に手を置いた。いつもの静の掌。征四郎とは違い、細い繊細な指。征四郎は鍛えられた指をしていた。やはり武士ということを感じる。

「そうか。謡は私にとって大事なのだ。決められた婚約者というだけじゃなくて、本当に大事だから心配する。それを分かって欲しい。謡に何かあったらと思うだけで私は耐えられない……本当に大事な存在なのだ」

 真剣な眼差しで言われた。静のことは信じている。だから、あまり心配をかけたくないという思いもあって勝手に出たのもあるのだ。


「ありがとう、静。それと……勝手に出てきて悪かったと思ってる」

 うな垂れると、急に目の前が暗くなった。静が謡を引き寄せたのだ。ぎゅっと腕の中に閉じ込められる。幼い頃は、この腕の中で何度安心したことか。それほど触れることが無くなった今でも安心できる場所だった。とくん、とくん……静の鼓動を聴く。征四郎と一緒の時とは違い、身を任せていたくなるほどの安心感。

「帰ろうか、謡」

 謡は静の腕の中で小さく頷いた。すると、静は背中に隠していた羽を広げ、風を起こし飛び立った。ただ、その場では木々の枝と周りの草が揺れ、葉擦れの音が聴こえるだけだった。

「あの男……俺に見せつけたかったのか」

 まだ征四郎はその場にいた。少し離れた場所で謡がちゃんと戻るかどうかを見守っていたのだ。謡は神で人である征四郎には見当もつかない力を持っているが、やはり女だから心配で帰るまで離れた場所で見ていたのだ。それが、静という謡の婚約者が現れ見せつけるように抱き上げて戻っていった。

 しかし、悔しいが現実。静が謡の婚約者であることには変わりがないのだ。征四郎は唇を噛みながら、山を下りた。せっかく楽しかった時を過ごしたのに、最後に見せつけられたのが悔しい。だが、どうしようもない……やりきれない想いを抱えて帰って行った。


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