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神様の恋  作者: 橘 弓流
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人の世との関わりが始まる

 その頃、河野国の白金城の城主、高科晴明の元には祭りで預かった護符が届けられ、城内の祭壇がある社に祀られていた。

 滞りなく終わった祭りの後、晴明の近習の藤間征四郎は、晴明と城内の一室で話し込んでいた。端正な庭から鳥の囀りが聴こえる。だが、障子がぴったりと閉められ、外に声が漏れないようにしていた。


「で、どうした?改まって」

 晴明は上座に座り、ひじ掛けにもたれかかった。

「ええ……あの、ですね……烏間のうたという女をご存知でしょうか」

 征四郎は思い切って単刀直入に本題に入った。一瞬、晴明の顔が曇った気がする。

「ああ、知っている。幼い頃に遊んだこともあるな」


「うた……ではなく、本当の名は謡ですよね?」

 今度はあからさまに晴明の顔が曇った。

「それを外で口にしてはならんぞ。神にとって真名は人に知られてはいけない名だ。儂は幼い頃だったから、謡も幼かったし本当の名を教えてくれた。それに儂は嫡男だったからな……後々、この国を治める者として大神の周りのお者を把握しておく必要があったのだ。……だが、それを外で口にしたことはない。特に、あの娘は特別だからな」

 やはり、本当の名は謡。しかし……。

「特別とは?」

「ああ、うん……そうだな、征四郎はうたに会ったのか?」

 言い難そうな返事だった。

「はい、祭りの後に怪我をしているのを助けたのです」

「そうか。では、口外しないことを誓え。征四郎の処遇も考えなくてはならなくてはならんからな」

 何故、処遇……?とは。納得がいかないが、ここまできて話を聞かなかったことには出来ない。征四郎はごくりと喉を鳴らした。

「かしこまりました。お誓い申し上げます」

 頭を下げたのを見届けて、征四郎の瞳を見つめる。真剣な眼差しに晴明は観念したように口を開いた。


「あの娘は、烏間の一族の者で、迦羅須大神の孫だ。しかも大神の長男の一人娘で、次期大神に指名されている孫のしずかの婚約者でもある」

 あの助けにきた男が婚約者か。

 婚約者がいたのか。そうか……。征四郎は動揺を隠すように唇を噛んだ。

「烏間の中でも直系の姫だが、ただ……あの娘は神の中でも異端で、羽が無いのだ。直系の者で羽が無いことで幼い頃から虐げられてきたのだろう。母は気が触れて亡くなり、父はこの城との折衝役をしていたために、人の世に降りて流行病になり亡くなった」

 高貴な姫だったのか。それと共に辛い思いも背負っていたのかと思うと、心が痛んだ。

「征四郎は会ったのだろう?あの娘はどのような様子だったか?」

 あの時の謡は。美しい女人だった。気丈に振る舞っているようだったが、そんな境遇だったとは。だからか……親切に慣れていないような感じがした。


「美しい女人でした。少ししか話してはいないので、そのような境遇だとは知らずに詳しく話せず申し訳ありません」

 あの時のことを詳しく話すのが勿体ない気がした。あれだけは自分だけの記憶だ。

「そうか。実はあちらの烏間から書状が来てな。長年空白であった人と烏間の折衝役を彼女に任せたいというのだ。顔も見られたことだし、もう良いということだろう」

「彼女を……?」

 まだ若いのに大事な役目を任せるというのか。

「そうだ。そして、ここまで聴いたのだから、こちら側としては、征四郎に任せたいのだが、どうだろうか……征四郎、この任を受けてはくれぬか?」

「私が……ですか?私で……よろしければ、お任せください」

 内心、彼女に再び会えるのが嬉しかった。ただ単純に。しかし、婚約者がいるとは、いや……十七か八か、それくらいの歳なら、すでに嫁いでいても良い年齢だ。

 何故、自分はそこまで彼女を気にしているのだろう。唇を噛んで、自分の何とも言えない気持ちを抑える。それを知ってか知らずか、晴明はニヤリと不敵な笑みを漏らした。

「珍しいな。征四郎がそこまで女人のことを気にするとは。いつも気のないそぶりなのにな」

 晴明は自分の気持ちを見透かすように言った。そうかもしれない。何故、気になるのだろうか。


 そして書状を携えた征四郎と、もう一人の晴明の近習の朽木太朗が里の現れたのは征四郎が晴明と話し合った七日後だった。

 二人は神社の横を抜け、中之宮を通り過ぎ、長い山道を抜けると烏の里がある。二人は神門の前で呆気に取られる。それは、朱塗りの大きな神門で、周りをどこまで続くのかという朱と緑の塀が続く。神門は精緻な彫刻が目を引く。城の追手門は大きさだけは立派だが、このような綺麗な門は見たことが無い。多分、どこの神社や寺にもこんな立派な門はないはずだ。

 それでは……この先は?期待と不安が入り混じる。この先には大神が住む神殿や烏間の一族が住む社があるのだ。

 

 二人は緊張しながらも、門を叩く。すると、門番と思われる面を被った男が二人出てきた。

 大神に取り次いでもらえるという。少し待ち、そして通されたのが神殿の手前にある控えの間だった。ここにくるまでに朱塗りが美しい社が幾つもあった。烏間一族が住むと思われる社は更に塀に囲まれ、里の者と分けているようだ。門を通る時に、大きな鐘の音が鳴らされ、人が来たことを知らされた。通りかかって会う里の者も、鐘の音を聴いたので面を被っていた。

 初めての場所。異空間。不思議な感じだった。厳かで言葉にできないくらいだ。神聖な空気が流れるようだった。

「ここでお待ちくださいませ」

 礼をして面で隠れて分からないが、男が出て行く。戸を閉じられ、障子を開け離れた縁側には玉砂利が敷き詰められ、端正な庭が広がり、他にも朱塗りの社や、荘厳な彫刻が見えた。何となく落ち着かない。

「すごいな、ココ……」

 太朗がため息を吐きながら言葉を漏らした。

「ああ、そうだな」

 お互いに緊張していた。いつもは饒舌な二人も言葉が出ない。しばらくして先ほどの男が戻ってきた。

「お待たせいたしました。ご案内いたします」

 廊を進み、一際大きな社へと近づく。ここが迦羅須大神の住まう神殿か。人ならざる神、この国を守ってくれている神の元へ行くのか。ごくりと喉が鳴った。そして、数段高くなっている社への階段を登ると、先を歩いていた者が跪いた。


「大神さま、お二人をお連れ致しました」

「入れ」

 低い声だった。それだけで威厳を感じた。戸を開けると、中には他に二人の男が同じく面を付けて座っている。中心には、身体の大きな長く白いひげを蓄えた男が座っていた。面も他の者とは違い、飾りも付いて明らかに身分が違うことが分かる。

 この方が大神さま……。

 二人は大神と向かい合うように座ると頭を下げた。

「私は藤間征四郎、隣りにいる者は朽木太朗と申します。以後、お見知りおきを」

 そして、書状を大神の傍に控えていた男の一人に手渡した。すぐに大神の元へと運ばれる。

 しばらく書状を読んでいたが、やがて顔を上げて口を開いた。

「役目、大義であった。晴明の書状の通り、以前のように、こちらも神と人との関わりを受ける。人が供物と信仰、そして見返りとして、こちらも巫女を使わそう。戦や祭り、その神事を巫女が執り行う。だが、戦の前に巫女が神事を行っても必ず勝てるわけではない。それは、神の加護を受けた者の心がけ次第だと心得よ」

 心がけ……という言葉がやけに耳に残った。必ず神の加護を受け続けるわけではないのだ。道具などと同じ使う者次第ということか。

「かしこまりました。ありがとうございます」

 征四郎と太朗は頭を下げた。


「それで……ですが、その巫女とは?」

 征四郎は分かっていながらも尋ねた。

「ああ、うたという娘だ。先代の城へ出入りして神事を行っていた者の娘になる」

 隣りにいた男が口を挟んだ。

「うたはどうした?どこにおるのだ」

 もう一人が口を開いた。

「いつもの滝にいるのだろう。誰か呼んでまいれ」

「あ、あの!私も行っても良いですか!」

 自分でも自然に口を出た言葉だった。征四郎は前のめりになっていた。

「何を言っておる。烏間一族の神聖な場所だぞ、人の分際であるそなたが入れる場所ではないわ。この神殿さえも本来ならば人ごときが入れる場所ではないのだぞ」

 書状を手渡した男が声を荒げた。そうか……そんなに大事な場所なのか。簡単に思っていたが、それほどに神聖な場所なのか。もう一度、二人で会いたかった。せっかく話す機会が出来たのだから早い内に彼女の顔を見て話してみたかった。


「そう……ですか。申し訳ありません」

 明らかにガッカリして、ゆっくりと腰を下ろす。

「いや、良いだろう。そなたは、怪我をしたうたを助けた者であろう?大事な孫娘を助けてもらった恩が儂にはある。その願い、叶えようぞ」

 大神が横に控える二人を制して、低い声で言った。二人は不服そうだが、征四郎には嬉しかった。

「ありがとうございます!」

 思いがけない心遣いに礼を述べた。しかし、まだ彼女を助けたとは言っていないのに何故、大神は自分が助けたと分かったのか。考えが読めるのか、それが神の力なのか。こんな事を考えているのも神の前では裸同然なのか。肝が冷えたような感じがして、顔を強張らせてしまった。

「ふん、何故分かったか考えておるな。そなたから、うたの気配が少し残っていたからだ。うたと会わなければ気配は移ることはないからな」

 考えを読まれたわけではないのか。ホッとして、ため息を吐いた。

「はははっ!真っ直ぐな男だな。よし、うたを呼んでまいれ。誰か案内してやれ」

 大神は笑いながら、この神殿まで案内してくれた男を呼んだ。


 そして、その男の案内で外に出た。来た道を戻る。朱塗りの社を横目に塀を抜け、入ってきた門の横を通り過ぎる。するとすぐに様相が変わった。ここは神の一族でも身分が違う者たちが住まう里だった。しかし、城下とは違い、それなりに立派な家々だった。農民たちが暮らしているような家でもなく、商家とも違う。

 ここが神の里か……。鐘が鳴ったので出会う者は面を付けていて、珍しそうな好奇の目を征四郎に向けてくる。人がこんな里に入ることはないのだろう。面を付けていなければ、ただの人に見えるが……。

「この先でございます。どうなされますか?お一人で行かれますか?」

 男が振り返り征四郎に訊いた。他の場所とは違って竹垣で囲われ、入口には質素な門がある。扉は閉まっているが、鍵はかけられてはいない。

「ここから林が続きますが、道に沿って行けば迷われることはないはずです」

 征四郎に判断を委ねる。

「分かりました。ここから一人で参ります。貴方はどうされるのですか?」

「私はここで御待ちしております。もう一人の使者の朽木さまは、別の部屋で御待ちになっておられます。お話もあるでしょうが、なるべく早くお戻りくださいませ」

 男が告げると、征四郎は礼をして木戸を開ける。


 一人で道を進んだ。人ひとりが通れるほどの道が杉林の中にある。そのまま進むと水の音が聴こえた、滝が近いのが分かり、歩みも自然と早くなった。すると、水音に混じって女の声が聴こえてきた。歌っているようだ。林を抜けて、視界が開けると岩場が続き、大きな滝が見えた。その流れを見守るように川辺でたたずむ女がいた。

 あの時とは違い、上下真っ白な装束で後ろで束ねた黒髪が印象的な後ろ姿だった。


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