糾弾と咎
謡と静は大神の住まう神殿の広間で大神を中心に叔父たちや重臣に囲まれていた。ちょうど、謡が祭りに参加する前のような状況だった。ただ違うのは、静も一緒に並んで責められていることだった。
「静が付いていながら人に顔を見られるとは」
「だから姫を参加させるのには反対だったのだ」
口々に二人を責める言葉が投げかけられる。謡は唇を噛み、俯いた。静まで巻き込んでしまった。自分が不甲斐ないばかりに静に迷惑をかけてしまった。
自分は仕方ない……だけど、助けに来た静には責任などない。叔父たちがそんな性格だから……そんなことだから……大神さまは息子ではなく、孫である静を後継者に指名したのだ。大神になるには、おおらかな広い心と冷静な判断が必要だ。繰り広げられる責められる言葉に胸が痛んで唇を噛んだ。
「申し訳ありませんでした。まさか人がいるとは思わず……。守りきれなかったのは私の責任です」
静が口を開き、大神に頭を下げた。そんな……静は何も悪くないのに。謡がちらりと隣りにいる静を窺うと、静は目を細めて見せた。大丈夫、そう言っているようだった。
「ま、終わってしまったことは仕方ないではないか。だったら、謡を人との間を取り持てるような存在にすればいい」
静の父である叔父が口を開いた。何を言っているか理解できなかった。幼い頃にしか憶えていない父と似ているが、何を考えているか分からないので謡は苦手だった。鋭い叔父の目が謡を捕える。薄暗い室内でろうそくが揺れた。
「そ、それは、どういうこと……で、しょうか……?」
絞り出した声は震えた。静が隣りで心配そうな顔をしていた。
「父上、どういうことですか?」
静も動揺しているようだった。
「そのままの意味だ。謡の父が昔は城と里との繋ぐ役割をしていたが、人との付き合いには損失もある、流行病で死んだようにな。それから何年も誰もその役を引き継がなかったが、ちょうど良いではないか。里の者では政のことは任せられん。顔も見られたことだし、娘が引き継げばよい」
おお、と声が上がった。そうだ、そうだと声が上がる。
「謡を!謡を……政の道具にすると仰るのですか!」
静の声が皆の声を裂く。
「静、声を荒げるな。皆の意見も分かる。謡の言葉を聞いていない」
大神の一声で皆が静まる。
「謡は人の世を見てみるか?そなたの父と同じようなこともあるかもしれない。だが、見てみるか?」
人の世を見る……。叔父たちの言葉とは違い、大神の言葉はスッと身体の中に入ってきた。
「父の跡を継ぐ気はあるか、という事だ。人に顔を見られたとなると、もう顔を隠す必要はない。それは、人との関わりが増え、呪いを受けたり、病をもらう事も増えよう……。それに人と関わることで邪気を受け、寿命が人と同じくらいになるかもしれん。そなたの父は顔を見られる事は無かったが、病になった、しかし……政を行う上で神と人を繋ぐ大事な役目を背負っていた。それは、次期大神になるに相応しい神であった。それを、今度は娘である謡が受け継ぐか?」
思いがけず父のことを言われた。次期大神に相応しい神……幼い頃に亡くなった父をそんな風に言ってもらったことなどなかった。女官は付いていたし、静も助けてくれたが、やはり寂しい思いはずっと付きまとっていた。誰も羽無しの思いは理解してくれない。それを唯一何も言わず可愛がってくれていたのは父だけだった。
「かしこまりました。その役、私がやります」
謡が頭を下げた。
「お待ちください!謡を政の世界へ入れるのですか!」
隣りに座る静が声を荒げた。
「私は大丈夫だから、静、心配しないで。私が人と烏間の架け橋になるから」
謡ははにかんだ笑顔を静に見せたが、静は納得しないのか不服そうなままだった。
「では、決まりだな。謡が父の跡を継いだことで、祭りの失態は見逃そう。これで良いな、二人とも」
有無を言わせず、静の父がその場を収め、ぞろぞろと退室していく。残ったのは大神と謡と静……三人だけだった。
「何も儂は咎を受けさせるために謡に人と関わりを持てと言ったのではない。静の婚約者として、この先、色々知っておかねばならぬ事も多かろう。謡は里のことしか知らない、だから、謡に勧めたのだ」
煩い叔父、重臣がいなくなった後、大神が本音を漏らした。
「分かっております。ありがとうございます、精一杯務めさせていただきます」
謡は再び頭を下げた。大神は大きく頷くと、彼もまた退室していった。最終的に残されたのは謡と静。
「悪かった、私がもう少し早く迎えに行っていれば、謡はこんなことにはならずに済んだかもしれないのに」
悔しさを滲ませる声だった。しかし、済んでしまったこと。神と言っても、大神以外は仲間である神の先身はできない。仕方ないことだったのだ。
「いいの、大丈夫、静。私も静の役に立てるように頑張るから」
「それに……」
静は口籠る。他に何か心配なことがあっただろうか。一呼吸置いて、静は口を開いた。
「言わなかっただろう……。私が謡の真名を口にしてしまったことを」
あ……そうだった。征四郎という男に名前を知られてしまったのだった。
「いいの、静は何も悪くないから。私を助けに来てくれただけでも嬉しい。助けに来てくれたのに咎を受ける必要なんてない」
静は納得いかない様子だったが、謡は首を横に振って否定した。それに人の世界を見てみたい。どんな人間がいるか分からないが、もしかしたら……また征四郎に会えることもあるかもしれない。あのような蚊の鳴くような声でしか礼を言っていないし、別れも静が迎えに来たので、何も言わずに別れてしまった。自分の飲み水を全て使ってまで自分を助けてくれたのに……。会える時があったら、ちゃんと礼を言いたい。
考え事をしていたせいで隣りの静が立ち上がったのにも気が付かなかった。
「謡、戻ろうか」
静が謡に手を差し出す。それに手を重ねると引っ張り上げるように謡を立たせた。細やかな気遣いが出来る静は、やはり次期大神の器だと思う。静のためにも自分は烏間と人との懸け橋にならなくては。
「やはり、静に迷惑かけたのね」
二人の間を裂くように、甲高い声が室内に響いた。藤だった。
「藤、そんなことを言うな。謡は何も悪いことはしていないではないか」
静が庇うように謡の前に出る。
「最初から連れて行かなきゃ良かったのよ。人に顔を見られるなんて失態、信じられないわ」
分かっている。烏間は謡の年齢にはとっくに祭りに参加している。羽が無いために、ずっと参加できずにいた。やっと参加できたのに、こんなことになってしまうとは。しかも、静に迷惑をかけてしまった。自分は仕方ない、だが、こんな風に静が責められることが心苦しい。
「皆に迷惑かけたと思っている。静にも藤にも……」
藤は謡が謝るとは思わなかったのか拍子抜けしたように一瞬口籠る。
「な、何よ。分かっているなら最初から遠慮すれば良かったのよ」
それも分かっている、それでも……見てみたかったのもあるのだ。ずっとお荷物のように扱われていたから、皆と同じように祭りに参加してみたかったのもある。せっかく、大神直々に参加してもいいと言われた祭り……嬉しかったのもある。だが、こんな結果になったのは自分のせいだ。
「うん、でも……静も藤も……ありがとう。初めて見た世だったから、こんな事になったけど嬉しかった」
「それは静が助けてくれたからよ。ちゃんと自覚しなさい」
藤の言葉はどこまでも厳しい。でも本当のことだ。
「藤もありがとう……中之宮で歌を唄った時……」
それ以上は言葉が詰まって言えなかった。せっかく藤が助け舟を出してくれたのに。
「私、ちょっと出てくるね」
俯きながら言うと、謡は二人を置いて神殿を抜け出した。藤に責められるのは慣れているはず。だが、静と藤が並ぶと似合いの二人のような気がして落ち着かない。婚約者は私なのに……そう思わずにはいられない。
「醜い心」
ぼそりと呟く。藤に嫉妬しているのだ。美しい藤……それに比べて、羽の無い自分。婚約者という立場があるから、まだ静の隣りにいることを許されている気がする。
静が好きかどうか……これが人の言う恋か……それは分からない。ただ、静は自分を唯一差別もせずに接してくれる大事な存在。
謡は再び滝に行き、気の済むまで歌い続けた。その頃にはすでに夕方になっていた。