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神様の恋  作者: 橘 弓流
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人との出会い

 すでに東の空が白んできた頃。木々の間に赤や金の煌びやかな着物を着た人を見つけた。四人で中之宮に行く途中だった。祭りという名の儀式が終わった後、中之宮を綺麗にして清め、神社の護符を城へと持ち帰る任務だ。それは神域の森に入れる者は城主の認められたごく僅かな者しかいない。彼はその中の一人だった。

「すまん、先に行っていてくれるか」

 若い男は皆に言って、傾斜のついた木々の間を駆け上がる。

「何だ?大事な任務だぞ」

「ま、あいつがふらふらするのは、いつもの事だ。先に行っていよう」

 半ばあきらめて、残りの三人は歩きはじめる。


 その三人にも目もくれず、日陰であまり育っていない細い枝に手を掛けながら登ると、さすがに息は切れた。

 この木々の中でも太い木の幹に寄り掛かり、目を閉じている。生きているのか?男は近づいて手を口元にかざす。すると、かすかな息が掛かって、ほっとした。


 女だった。長い黒髪を束ね、頭には花を飾りつけられた金色の冠が一際目をひく。そして白と赤の装束。この先の大神宮に仕える巫女なのか。だが、こんな人里近くまで山を下りてきたのに面をしていない。辺りを見回すと、脱げた草履と、面が落ちていた。

 しかし……その煌びやかな装束が霞むような美しい女だった。黒髪は艶やかで、化粧もしているのだろうが赤い唇が少し開いているのが色っぽい。長いまつ毛……この瞼が開いた時にはどんな表情が見られるのだろう。その滑らかな頬に触れてみた。感触が伝わったのか、少しだけまつ毛が動く。ただ眠っているようだ。掌に当たった彼女の頬の感触は思った通り滑らかなものだった。思わず、ごくりと喉が鳴った。自分でも驚いて少し飛び退く。


 すると、脱げた草履を履いていた思われる足首が赤く腫れているのが目に入った。足を痛めていたのか。自分の袂から手拭を取り出し、力いっぱい半分に裂いた。

 ビッ、という布地が裂ける音が大きく響いた。

 男は息を飲む。起こしてしまっただろうか。しかし、いつまでもこんな場所にいたら風邪をひくし、何しろ怪我をしているのだから起こしても問題はない。

 男は腫れた足の状態を確かめようと手を出したが、触れる瞬間に戸惑った。色白の足は艶めかしく、それに自分のような者が触れても良いのだろうかと。

 だが、足が折れていては歩けない。この娘が住んでいる里はもっと山奥のはずだ。確かめなければならない。男は息を飲みながらも、その足に触れた。


「折れては……いないようだな」

 ほっとして、ゆっくりと手を離すと、痛みからか女の睫毛が揺れ、目を開けた。

「え……?何?」

 状況が飲み込めず、謡は口をぱくぱくさせた。

 いつの間にか朝になっている。そして、目の前にいる男。この男は人間……!

 そう思った途端、自分の面が無いことに気が付き、慌てて回りを見ると、少し離れた所に面が落ちていた。慌てて拾いに行こうとするが、足が痛くて動けない。両肘と手を使い、逃げようとするが、その時、片腕を掴まれてしまった。

「な、何をするの!離して!」

 キッと睨んだが、男は怯むこともなく謡の腕を掴んだまま放さない。

「いやっ!離して!」

 何をされるか分からない。睨んで暴れることが精一杯の抵抗だ。恐怖を隠して抵抗する。本当はガタガタと震えているのではないか。相手にそれが伝わっているのではないか。だが、そんな隙を見せてはいけない。


「怪我をしているだろう。それを見るだけだ」

 男はそう言うと、掴んでいた手を離して、裂いた手拭に竹筒の水筒から水を含ませる。ぎゅっと強く絞り、謡の足に当てると、腫れてじんじんと痛んでいた足に冷たさが伝わり、気持ちが良かった。呆気なく手を離してくれたことで謡は拍子抜けしてしまった。悪い人ではないのかもしれない。

「折れてはいない。腫れているだけだ」

 何事も無かったかのように冷静に告げた。そうか、思ったほどの怪我ではないのか、と安堵の気持ちがあるのと同時に、面をしていない恥ずかしさもあって、どうにも落ち着かない。

 だいたい、謡は人と話したことなどほとんど無い。現在の国を治める当主が小さかった頃、父親に伴われて一度大神宮で会ったことはあったが、それ以外に人と話したことなどないし、見たこともなかった。

 

 これが人間。自分と何も変わらない。力があるかどうか……そして羽があるかどうかの差だろうか。自分は神の一族としても不十分で、この手当をしてくれる人間と何も変わらないように思えた。

「ほら、綺麗な顔も台無しじゃないか」

 男は裂いたもう一方の手拭を濡らし、謡の顔に付いた泥を拭ってくれた。考え事をしていたせいで、何もかも彼に任せたままだが、さすがに顔に触れられるのには恥ずかしさがあった。

「自分でできるわ」

 顔を赤らめながら手拭を借りようと手を伸ばしたが、さっと違う場所を拭いてしまい、手拭を掴ませてくれない。

「いい、俺がやる。怪我人は大人しくしていろ」

 仕方なくされるがままになっていた。親切にしてくれているのだ。優しくしてくれるのなんて、知っている限りでは静しか思い浮かばない。こんな見ず知らずの人に優しくされるなんて思ってもみなかった。


「ありがとう……ございます」

 蚊の鳴くような声で謡はぼそりと呟いた。しかし、しっかりと聞き届けた彼は、にっこりと笑って手を離した。

「どういたしまして。俺は城主・高科晴明さまに仕えている、藤間(とうま)征四郎(せいしろう)。貴女はこの先にある大神さまの里の者だろう?」

 頷いて良いものか分からず、黙ったまま俯いた。藤間征四郎と名乗った男は、ちらりと顔を覗き込んだようだが、知らないふりをした。自分の身分を明かして良いものか。

「そちらに落ちている面といい、この装束といい、貴女は神なのか……」

 何も言わないことが肯定と受け取ったらしい。それはそうだ、城主の名代でこちらの山に清めに入っているのだから、ある程度は神の里について知っているだろうし、神の一族についても知っているのだ。


 しかし、こんな怪我をしている神など……どうなのか。明らかに自分は神としての出来損ない……羽無しだから。

 汚れをふき取り、水筒にあった水を使い切り、征四郎は手拭をぎゅっと絞った。顔だけではなく、装束に付いた泥も拭い始める。

「あ……貴方の水が無くなってしまったわ」

 水筒に入れていた水を使い切ってしまった。それに気づいて、謡は顔を上げた。すると、屈託ない笑顔を向けられる。

「大丈夫、気にしなくて良い。この山は水が豊富だろう、どこかでまた汲めばいいさ」

 こんな笑顔で何も気にせず話しかけられたのは初めてかもしれない。外の者と話したのも初めてだが、こんなにも嬉しいものなのだろうか。それに、向けられた笑顔にどきりとさせられた。自分がどんな表情をしているのかも分からず、ただ征四郎の顔を見つめた。


「うん?どこか痛むのか?」

 謡は首を振って否定する。違う、痛いのは足だけど、どきどきする胸も痛い。それが何かは分からないけれど。

「そうか、大丈夫ならいい。その足じゃ歩けないだろう、俺が送っていこうか」

 あ……そうか。静。

 朝になってしまったが迎えには来ない。静は大事な役目があるから迎えに来られないのかもしれない。でも……本当は見捨てられたのでは、という考えが脳裏をよぎる。

 足手まといの自分。確かに藤の言っていた通りだった。分かってはいたけど、そう考えると辛い。静、静は違うよね……そう思いたい。唇を噛んで俯くと、安心させるように謡の髪を撫でた。驚いて顔を上げると、再び笑顔が目に入った。

「名は……?」

 謡は一瞬だけ息を飲んだ。本当の名前を教えるわけにはいかない。

「うた……と申します」

 真名を教えてはいけない。里の者は自分の名を知ってはいるが、それを外には漏らさない。外と交流がある者も真名は使わない。いつ何に使われるか分からないからだ。もし、呪いでも受けたら大変だ。

「うた……歌か。綺麗な名だ」

 謡は目を見開いた。まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。綺麗という言葉は自分には似合わないと思っていた言葉。いつも綺麗、美しいという言葉は、藤に向けての賛辞だった。羽の無い自分には関係ない……皆のような綺麗な羽はないのだから。

「ん?変なことを言ったか?」

 首を傾げて不思議そうな顔をする。謡は首を振った。

「何も……。でも、ありがとうございます」

 満足気に征四郎は頷くと、立ち上がり、手を差し伸べた。

「ほら、帰るだろう?送るから」

 この手を取っても良いのだろうか。ためらいながらも、恐る恐る手を差し出そうとした時だった。


 びゅうっと風が吹く。

 来る。

 その風で二人は袖で顔を隠した。その一瞬だった。

 謡はその一瞬で抱きかかえられていた。

「謡っ!大事ないか!」

 その抱きかかえた声の主は迎えにくると言っていた静。低い声。いつもは落ち着いているのに焦りが感じられる。細いながらも逞しい腕の中に閉じ込められた。

「し……!しずか!」

 謡は静の真名ではなく別の名で読んだ。静はこの征四郎という男の前で先ほど謡の真名を呼んでしまっていた。

 明らかに静はハッとして身体をびくりと震わせた。その後、静は力強く抱きしめる。痛いくらいだった。


「しずか!この人が私を助けてくれたの」

 征四郎に何か危害を加えでもしないかと、謡は落ち着かない。それくらいの気迫が静にはあった。

「そうか。男、大義であった。しかし、このことは忘れろ。良いな」

 静は征四郎を見下ろすと、淡々と言った。征四郎はというと、急な静の登場に驚き、何も言葉が出てこない。謡が見惚れた笑顔はそこにはもう無かった。

「な……何なんだ、いきなり……。忘れろって……?」

 征四郎も動揺を隠せない。

「征四郎どの……」

 謡がぽつりと零す。その言葉に征四郎も謡の瞳を見つめた。お互いに言葉が出ない。

 しかし、謡が征四郎の名を呼んだのが気に食わなかったのか、静は謡を抱く力を強くする。痛いくらいだった。

「行くぞ」

 そう言うと、静は隠していた美しい黒い羽を広げ、飛び立った。音も立てず美しい。ただ風が二人がいたことを表すように、征四郎の顔を撫でた。


「何だったんだ。忘れろと?」

 征四郎は二人が飛び立った後を見上げた。何もない。だが、目を移すと、そこには謡が履いていた草履と面が落ちていた。それを近づいて拾い上げると袂に入れた。

「忘れられるか、あんな女を」

 謡の綺麗な顔を思い出す。

「そういや、うたと名乗っていたが……よう、と男は言っていたな。歌ではなくて謡なのか……?」

 本当の名は謡。征四郎は納得したように頷くと、先に行っている仲間を追うように中之宮に向かった。


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