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神様の恋  作者: 橘 弓流
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神の里

 羽無し……。子どもの頃からこの言葉が(よう)に付きまとう。姫ということで周りの者には陰で言われ、血のつながる者には正面から言われた。

 自分以外の一族の者にも羽が無い者は何人もいる。ただ、それは力が半分で出来損ないを意味していた。生まれ持っての力は、どうしようもない。一族の中で婚姻を繰り返し、血が濃くなってしまったのだと祖父である大神は仰っていた。その大神の血族・烏間(からすま)の中でも謡が生まれたことで「羽無し」が出た。謡の父は大神の嫡男……直系の者が「羽無し」で不吉の象徴の様に言われ続けて育った。


 それはまだ神々と人々が共存していた時代……これは戦国の世でも続いていた。神の住む国の国主は神を敬い、神は国と民を守っている。河野国の山深くに住む神とその一族もそうであった。迦羅須(からす)大神(のおおかみ)を筆頭に人ならざる力を持っている。大きな黒い羽は普段は背中に隠し、俊敏、人ならば見られないような遠くの物を見通す力など様々な力を持ちながらも、その力を戦の道具とされないためにも山深くに暮らしていた。

 その里は烏の里と呼ばれ神域とされ、限られた者しか立ち入れない。逆に一族も人の里へ行ける者が限られている。それは唯一、人に顔を見せて良い者なのだ。他の者は人に顔を見せてはならない掟があり、人と会う時は面を被っている。そんな一族は、烏ノ民、もしくは天狗と呼ばれた。


 今夜は烏ノ神社の祭り。謡たち烏間、大神の血を引く一族と重臣は山の中腹にある神社から少し離れた中之宮でじっと祭りの様子を窺っていた。それほど大きくはない中之宮は神社と同じような作りをしており、ただ祭りが滞りなく行われているかを大神一族が見守る場所だ。そして祭りが終わると、一族は神社まで降りて大神への供物と引き換えに大神からの護符を授けるのが習わしだ。祭りの供物と祈りは大神の力となり、この国を守護する。いわば、民と神の取り引きのようなものだ。この護符は国を治める当主の元へ運ばれ、城の中の社で一年間、大事に祀られる。


 中之宮からは力を使えば、かなりの距離があっても祭りの様子が窺える。その中之宮で酒を飲みながら祭りが終わるのを待ち、深夜になって神社へ向かうのだ。

 謡もそれほど飲めない酒にちびちびと口を付けながら、祭りが終わるのを待っていた。周りを見ると騒ぎながらも酒を楽しんでいるようだ。しかし、謡はその輪の中には入っていけなかった。


「謡も今回の祭りに参加するがいい」

 数日前に祖父である大神に呼び出され告げられた事だった。大神は里の中でも小高い場所の大神宮の中の神殿という屋敷にいる。それを取り囲むように烏間一族の屋敷があるのだが、いくら生まれ育った場所で、祖父といえど大神の住まう神殿で緊張しながらの対面と告げられた言葉……謡は言葉が出なかった。

「謡姫もですか!」

「さすがに無理だろう」

「大事な祭りに謡を?いや、どう考えても足手まといだ」

 大神を取り囲む重臣、そして大神の息子たちである叔父の言葉が謡の胸に刺さる。自分でも分かっている、足手まといだと……。儀式はどうやるかくらいは知っている、だが、中之宮から神社までは飛ぶのだ。羽が無くとも空を走るように身軽に跳ねていくことは出来るが、飛ぶことは出来ない。無理だ。謡はぐっと唇を噛んで俯いた。

「謡も十八だ、そろそろ次期大神である(しょう)の助けにならなければならん。祭りと儀式も見ておく必要がある。それに、そろそろ婚礼の儀を行わなければならんしな」

 大神の言葉には誰も逆らえない。有無を言わせず謡も祭りに参加することとなった。

 大神を中心にその下座に連なる叔父たちと重臣たちの冷たい視線が痛かった。ぴったりと閉まった障子や襖も圧迫感を増幅させる。大神は祭壇の上にいるが、その姿に視線を送ることは無く、磨かれた床板に両手を付き、謡は頭を下げた。重臣たちの位を表す袴の色だけが目に入った。

「かしこまりました」

 すっと衣擦れの音だけを残し、謡は重苦しい空気の漂う大神の間から出た。この大神宮にいる女は全て真っ白な上衣と袴を着ている、その袴の裾が足に絡んでいるが、気にもせず、す、す、す……足袋の音をさせ、表へと出る。


 深呼吸をして、ようやく生き返った気がする。重臣や叔父の言い分も理解できる。自分は羽無し、移動には飛ばなくてはいけない。そして、自分は人間よりも早く移動は出来るが、せいぜい木の枝を跳んで移動するだけだ。


 謡には擁護してくれる親はいなかった。母は重臣の中の娘で、次期大神であった父に嫁いだが、謡を産み、羽が無いと分かると気が触れて自ら命を絶った。謡を羽が無いと分かっていても大事にしてくれた父は七歳の時に大神の名代で城に行った折に流行病をもらい、そのまま亡くなった。母方の祖父母は謡とは絶縁しており、最早、血のつながっていて話をするのは、父の弟の叔父二人といとこ、そして大神くらいだ。そして、父が生きていた頃に大神の名の元に決められたのが、従兄である静との婚約だった。六歳も年上の彼にとっては迷惑だろうが、静は何も言わない。大神は絶対であるからだ。その時に、叔父ではなく、静が次の大神であることも決められた。


「謡、待つんだ」

 静かだが低い声に呼び止められた。廊を歩いていた足を止めて振り返ると、声の主、静が口元を引き結び立っていた。

「静……。何?」

 眉をしかめて訊きかえす。この大神の神殿から離れたかった。好きな場所ではない。後から話し合いが終わった重臣たちと顔を合わせる前に、離れてしまいたい。

「謡、大丈夫だ。私が助ける。だから安心して祭りに出れば良い」

「あ、ありがとう。でも……私、本当に足手まといだから……」

 静はいつもこうだ。淡々としていても、謡を助けてくれる。誰も……それこそ、大神宮に仕える者たちが、どこか遠慮がちに謡に接するのに対し、従兄の静だけが普通に話してくれるのだった。

「かまわない。そなたは私の従妹であり婚約者なのだから、助けて当たり前だ」

 そうだ。ただの婚約者という立場上、助けてくれるのだ。それでも、味方がいない中で、静の申し出は嬉しい。

「途中で追いつけなくなったら、置いていって良いから」

「分かった」

 冷たいようだが、静はあまり感情を出さないので、これでも精一杯の言葉をかけてくれていると思う。


 そこへ、二人の会話に入るように後ろから声が聴こえた。

「謡、貴女も祭りに出るのね。今ならまだ間に合うわよ?出ませんって大神さまに言ってらっしゃいな。恥をかくのも、それを助けるのも静の仕事になるのよ」

 もっともな言葉を掛けるのは、謡よりも四歳上の従姉である(とう)だった。美しく妖艶で背の高い静と並ぶと似合いの二人に見える。年齢も近いのもあるだろう。謡は二人を見比べ、俯いてしまった。確かに藤の言うことは当たり前な事だ。

「でも、もう言ってしまったから。藤にも迷惑かけるかもしれないけど……」

 藤の返事が怖い。謡は逃げるように背を向けた。


「私、行くところがあるから!」

 二人の顔を見ずに、逃げるようにして表へ出た。そのまま走り、大神宮の門を出る。そして、里の家々を横目に走った。里の者が謡に次々と頭を下げているのも見えた。里の者も神の一族だが、皆、人間と同じように暮らしていて、さほど変わりはない。

 その横を通り過ぎ、小さいながらも田や畑があるあぜ道を通り抜けると林があり、その先には清い水が流れる滝があった。禊や儀式でもないかぎり、誰も来ない場所だ。謡は思い切り走ったせいで息が切れていた。大きな岩がごろごろとして歩き難いが、岩につかまりながら水面へ近づくと、滝からの水しぶきが顔を濡らした。それも構わず、謡は手を出して水をすくい飲み干した。やっと一息吐けた感じがする。


 実際、嬉しかった。今までなら普通の烏間の者は十六で祭りに参加している。羽がないために、ずっと伸ばされていた祭りへ出ても良いと大神が言ったのだ。何となく少しでも認められた気がした。

 辺りを見回すといつも通りの風景で、緑が鮮やかで滝の水の音だけが聴こえる。

 謡は一息吸い込むと歌い始めた。


 その頃、逃げ出した謡を見ていた静と藤はため息を吐いていた。

「可哀想に……逃げるようにして……。藤、そなた、謡に対して言い過ぎではないのか?」

 静が歩きはじめると藤も少し後ろを歩きながら付いてくる。

「は?言い過ぎですって?誰もあの子を遠巻きにして陰口ばかりじゃない。ちゃんと聴こえるように、はっきり言った方があの子の為にはなるわ。それに、あの子は自分を卑下し過ぎよ。あの子は気づいていないようだけど、羽が無い代わりに、他の誰にもない力も持っているし」

 少し悔しそうに藤は視線を下げた。

「そうだな。でも、藤、少し言い方が厳しい。もう少し優しくしてやれないのか」

 静が腕を組んで、外の空を見た。朱と緑が鮮やかな塀の向うの空は陽が傾き始めていた。

「私は本当の事を言っている分だけ優しいと思うわよ。何?静、あの子がどこ行ったか心配なの?あの子なら、いつもの滝に歌いに行ったのよ」


 その名の通り、謡には歌がある。大きな声で腹の底から声を出すと、もやもやとした気持ちが和らいだ。小さな頃から、悲しいこと、悔しいこと、気持ちが塞ぐとこの場所に来て歌った。父が死んだ日も……。唯一可愛がってくれた父が亡くなり、謡には頼る者がいなくなった。もちろん、姫ということで女官などは付くし、生活はしていける、しかし、本当に心許せる者は誰もいなくなってしまった。それから、謡は孤独と戦いながら生きてきた。それも、歌があるおかげだ。

 ここなら神聖な場所なので里の者も滅多に来ない。この滝に近づいて良いのは烏間の者くらいで、それは暗黙の了解だ。紐で首から下げている勾玉を握りしめた。これは生まれた時に大神から授かる物だ。烏ノ民は皆、生まれた時に大神から勾玉を授かる。謡の石は透き通った透明の石だった。それに謡は父の藍色と母の赤の勾玉を下げている。二人の形見だ。

 その日、謡は陽が暮れるまで歌った。


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