自殺を願うものたち
わたしには分からない。わたしがどうしてこの場所で死のうとしているのか。もっと自然に死のうとしないのか。
「……あなたには、わかるんですか?」
ただわたしが間抜けだった、というだけかもしれないけれど、もっと別の理由があるようにも思う。
そして青年は、まるで簡単な問いかけに答えるように、なんともなしに答えた。
「君が人間の世界を嫌っているからだよ」
その答えがあまりに意外で、わたしは反論をするように主張した。
「……わたしは人間が好きですよ?」
「人間が好きと、世界が好きは違うだろう。人間の作った世界とはいえ、それが人間にとって好ましいものであるとは限らないのだから。人間が好きだからこそ、世界が嫌いということもあるはずだ」
この言葉にはぐうの音も出なかった。
そしてこの言葉は、わたしが見ようとしなかった現実なのかもしれなかった。
「君は世界が嫌いだから、この世界に泥を塗りたくて、石を投げてやりたくて、この場所で死ぬんじゃないのかな」
「……そうかもしれないですね」
いわれてみれば、しっくりとくる。もしかしたら無意識に、そんな思いがあったのかもしれない。
「まったく、自殺をするような人間は、どいつもこいつも似たようなところがある」
「似たようなところ? ほかに自殺をしようとした人を知っているのですか?」
「自殺をした人間も、知ってるよ」
「…………」
その言葉になんと返したものかと口を閉ざしてしまう。
そんなわたしに青年はどこか苦い思いをにじませながら、
「自殺をするような人間は、ぼくの知る限り世界が嫌いな人間か、世界に嫌われた人間だ」
「……自分が嫌いな人間は含まれないのですか?」
わたしは、自分の存在を疎んで黄泉に近いこの場所にきたのだと思っていた。
青年が言うには、わたしはそれが理由ではなく、世界が嫌いなのが理由だという。
それには納得したが、だからといって自分嫌いゆえの自殺がないとは思えなかった。
けれど青年は残念そうに眉根を小さく寄せながら、頭を小さく左右に振った。
「ぼくの知る限り、ないね。火のないところに煙は立たない。そして人間は、煙を見たらその下に火を思い浮かべる生き物だ」
「はあ」
「自分が嫌いというものは大体において煙――つまりは結果のほうだ」
そういうと、人差し指を立てて、青年はひとつのたとえ話をした。
「たとえば、いじめがあったとする。いじめの理由は、ただなんとなく、という身も蓋もないものだった。けれどいじめられていた人間は、きっと自分が悪いから、という理由だと思った。そして、悪い自分のことが嫌いになった……実際は、ただ運が悪いだけ。つまり、世界に嫌われただけだったというのに」
「…………」
わたしはその言葉に静かにうなずいた。
なるほど、そう考えたのならば、自分が嫌いというのは本来、何かしらの結果なのだろう。わたし自身にも心当たりがあった。
「わたしは、人間が好きです。だから、人間の暮らすこの世界のことが嫌いな、わたし自身を嫌いになりました」
「自分を嫌いたい人間は、すべからく不幸になりたい人間だ。そんな人間はいるほうが不自然だ。けれどそんな人間も、確かに少なくなく存在する」
「……そうですね」
わたし自身がそうなのだから、その言葉を否定する材料など、わたしにはなかった。
これがわたしの父ならば、否定できたのだろうけれど。