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ごじゅうく

 数時間後。

 僕が気を失ってから目を覚ますまで。

 それまでとても頼りになる背中に運ばれていたことを微かに覚えており、無茶な移動をしていたせいか、着ていた服が捲れたり、股にきつく食い込んだりと、しかしそれ程良い思い出はない。

 ないというか…………あとで聞いたことだけど、それにしたって、男性におぶさることに抵抗のない男はオカマくらいだ。ましてや女性におぶされるというのもおかしな話である。

 ていうか‘おぶさる’という行為自体、恥ずかしいことだと僕は思っている。おぶるならまだしも。

 これを機に、改めて情けないことはしないようにしよう、などという決心をしたのであるが、延いてはなんでこんなことされてるのかと思いきや、原因は僕にあり、避けられないことであったのでできれば見逃して…………。

 気を失う直前に脳をフル稼働させた反動でブラックアウトしてしまったのだった。

 しかもその際に気持ちの悪い感情が押し流されてきて、精神もかなり蝕まれていたであろう始末だ。

 悪魔の囁きどころではない、慟哭。

 泣き叫び、咽び泣き、怒号をあげ、嘆きに溺れる体たらく。

 どうしてあんな醜い姿をしていたのか、その理由の片鱗を垣間見たような気がした。

 そしてそれは、以前、部室で資料の整理整頓をしているときに見たことがある項目だ。

 僕が知るより先に知られている、妖異の詳細――――。

 つまり、僕の前任者がいる――――この忌まわしい力は複数人に宿っているという推理となる。

 さしてトキメキを覚えたりはしないが、同じ境遇の者がいくらかいると、正直、気が楽になるのも嘘ではない。

 苦しいのだ。愚痴りたくもなる。

 それが、今までグッスリしていた僕が起きてから、なにやら策略に興じているふたりを尻目に考えていたことだった。

 できれば質問を投げてみたいのだけど、生憎、それを憚る程事態は切迫しており、目下どうやってこの騒ぎを夜明けまでに鎮めるかが大きな課題となる。

 それは通信機が通じなかった理由を目にしたせいでもある。


 強くその通信機のスイッチごと握ったまま気絶していた同僚を見て。


 気絶か…………よかった。

 犯人は妖異かと思いきや、実はそうでないらしいというのが、余計その異常性に違和感を覚えているという。

 なぜなら――――。

 妖異に喰われた者が容れ物を遺しているという不自然――――他に外傷がないけれど、明らかに人間の犯行。もしくはただ転んで打ち所が悪かっただけなのか…………。

 ハジメ先輩が言うには、恐らく他者が意図して襲ったと思われる。

 なら根拠はなにで、その当事者はどこへ行ってしまったのか。

 通信機からノイズが出てからだいぶ時間が経っており、もうその足跡を追うことは不可能だろう。

 今日に限ってこれだけ数多くの事件が舞い降りるとは、名だたる探偵たちが一同に会す他にあり得はしないだろう。

 事件毎に繋がりはあるのだろうか?

 なにがあったっけ?

 冬真先輩の逃亡から始まり、妖異及び怪異化妖異の出現、果ては不可解な気絶体と。

「おかしいわ」

 伊狩先輩は違和感を口にした。

「他の1班は…………どこ?」

 そう、これはおかしい。

 彼は1班に据え置かれたらしいひとりだったらしいけど、五人態勢で構えていたはずならば、他の四人は何処にいったというのか?

 もしかしてそれが、ハジメ先輩が事件だと確信する要素なのだろうか?

「今日中にわかるわけないだろ。できれば神内とかに任せられないか?」

「通信機は使える。今連絡をとってみるわ」

 ふと疑問が。

「えっと…………先輩たちは、妖異と直接戦ったりするんですか?」

 ちょっと前から思っていたことだったけど、そういえば単独で完全な撃破をしているところは見たことがない。

 雑魚であろうと常に他の家から戦闘員を派遣していたし。

「全くだが、僕らはそれだけの力を持ち合わせていない。精々、足止めくらいにはなるだろうが」

 やはりその程度の戦力か。

 てっきり、ハジメ先輩は体力で、伊狩先輩は応用力で実力はあると思ってたけど。それでも、その場を乗り切る術を心得ているくらいなのか、組織の決まりというのもあるだろうけど、決定的な戦力ではないらしい。

「あとは、緊急用にさっき校舎で使ったような武器が支給されるくらいか」

「あー、あれですか。あれは強力ですよね」

 あのカッコいいお札はいつ僕にくれるんだろう?

 その質問は伊狩先輩が答えてくれた。

「それは、秋人くんが正式に扇に加入してからだけど」

 ……………………っ?!

 なぬっ!

「えっ?じゃあ今までなんで散々の妖異討伐に付き合わされてきたんですかっ?!」

「勿論、あなたの体質を観察するためよ。あとは、ラクのやつに偶然巻き込まれたり」

 偶然巻き込まれたっ?!

 あり得ない。高が観察対象、ということは、ただのモルモットでしかなかったということか…………いや、そこまでネガティブではないだろう?ないよねっ?

 あと偶然ってなんだぁっ!伊狩先輩が勝手に連れ回しよってからにっ!

「扇は私たちのような元から領家があるのを除けば、部外者は憲法での成人年齢、つまり二十歳に加入する権利が得られることになってるの、バスッ、求人はしないの、ブスッ、内輪でほとんど人材は足りてるの、ドスッ」

 矢継ぎ早に三つの矢が飛んできた。

 くっ…………僕は参加してから今まで仕事を手伝ってきて、仕舞いには就職もここでいいやと割りきってしまっていたというのに、数にすら入れてもらってなかったとは幻滅だぁぅ…………。

 帰りたい。

「で、秋人をどうすればいいんだ?こんなところに置いていくのもなんだし、夏希が決めてくれ」

 もうその進路で決めてたから学校生活も程々に青春しようと、謳歌しようと蘭々と輝いていた時期も僕にはありました。

「私に押し付けないで。ここはどこでどの家が近いのか、それを確認してから」

 それもさっきのたった数秒で瓦解し、しかも巻き込んだのはそっちなのに今更、仲間ではないと…………?

「それだと他の連中から出遅れるだろ」

 あんまりだぁっ…………。

「そうだけど」

 で、今に至るが、なんだかわだかまりが…………。

 自分が一般人であることにショックを受けた。

 それと同時に、疑問が湧いてくる。

「あの…………」

「安全確保が先よ。どの道、私たちの力では限りがあるわ」

 まだ戦うつもりなのか?

「この場合って、僕ら3人で近くの家に避難すべきではないんですか?」

「それはダメだ」

 一刀の元、両断されてしまった。

 断固として拒否されてしまった。

 けれど納得できない。先輩たちの力に限りがあるとわかっていれば尚更。

「どうしてですか?」

「僕らだって戦える。なら少しでも戦力を多くし事態の終息を早めることができる方を選ぶべきであり、現状を把握し、状況を掌握する、その訓練も兼ねる大事なことだ。さっきはああ言ったが、いないよりはマシはということだな」

 …………僕は、淡々と語るハジメ先輩に対し、それは違うと、正しくないと感じていた。

 大人たちもできるならそうあってほしいと思うだろう。

 猫の手も借りたい状況というのが今まさに、事情がわかっている先輩をあえて残したまま、現状の打破に利用しようとするはずだ。

 でも違う。

 そんな理不尽な大人が正しいわけがあってたまるか。

 だって僕らは――――。

「僕らは子供だ」

 つい口をついて出た言葉が、さほど高くもなかった空気の温度を更に、一気に冷め上げる。

 自分でも、とても冷たい口調だと思った。

 けどこれが正しい。

 良識ある大人であれば、年端もいかない子供をこんな死地に留めない。

 僕らも、それに甘んじて安全な場所に避難しみんなの帰りを待つべきだ。

 彼らの、幹部の実力が折り紙付きならば、心配も骨折り損だということだろう。

 ハジメ先輩の目が鋭くなったのがわかる。

 彼の言い分も、間違いではない。

 力がないわけでもない。

 ただこの場では筋違いというだけだ。

「ハジメ、秋人くんの言う通りよ」

 バツが悪く俯いてしまった僕の代わりに、伊狩先輩が案を拾い上げ協調してくれた。

 胸を撫で下ろす。

 やはり、この人はその場のノリよりも常識を優先する敬うべき先輩だった。

「ラクを捜すわ。秋人くん、それだけは手伝ってくれる?」

「まぁ、そのくらいは」

 できれば連行しておきたいよなぁ…………。

 どうやって捜すか。

 ただ、妖異が点在する町を移動するのは無理がある。

 ヤマを張るなんて余計なことをするより、もっと確実な方法で見つけられないだろうか?


「お前ら、ここにいたか」


 不意に、圧力がオブラートに包まれた心地よいテノール調に声をかけられた。

 声音さえ十代後半のように清々しいとは、秘訣がどんなものか確かめたくなってしまうけれど、今はそんなお茶目を行使できる空気ではなくなったらしく、それによって僕ら3人の身体が硬直してしまう程に、その人物が怒っていたのを感じ取れた。


 ――――神内 白鷺は特に、ハジメ先輩の方を見て腹を煮えくり返されているように見える。

 それもそのはず、あれだけの重傷を負っていたので、まだ療養中であるはずだから――――。

「ああ、探す手間が省けた。おい、秋人のことを頼んでいいか?あと一班が四人程行方不明だ。そっちの捜索もお願いしたいんだが」

 性懲りもなく怒っている人間に用事を頼もうとは、ハジメ先輩は今の状況をわかっているのか?

 伊狩先輩でさえ肩を強張らせているようにも見えるのに。

「ハジメ、お前ここでなにしてる?」

「見ての通り援軍だが?」

「そんな状態じゃねぇだろ?まだ怪我も治ってねぇはずだ」

 今更だけど、神内さんって口悪いな…………ら行は舌が回って当たり前だし、眉間のシワが増えるごとに名状しがたいオーラが溢れ始めている。

 それだけこの人が義理人情を重んじる人柄なのだと納得すると、なんだか僕も、謂れがないのに反省しなければと思えてきた。

「今すぐ帰れよ、ハジメ」

「お断りだな」

 凄まじい剣幕で、声を抑えて話す神内さんの言葉にも怯まず、ハジメ先輩は全く悪びれもせずに否定した。

「お前は昔から言うことの聞かねぇガキだったな。まったく意地張りやがって。もう狸奴を相手してる暇はねぇ。大人しく結に任せて帰らねぇなら――――」

「白鷺さん…………」

 一触即発。弱々しい声が割り込み、大事になりそうな喧嘩を一旦制した。

 声の主は伊狩先輩だ。

「ハジメは私が連れて帰ります。だから仕事に戻ってもらって結構なので…………」

 片方の二の腕を庇うように、罰が悪そうな呟き。

 ここまで腰の低い先輩は珍しい。心なしか、瞼が奮えているように見える。

 そんな心根が一蹴されるかも。見た目以上に短気な面が神内さんにあるのだろう、と思っていたのに、彼は思いの外、快く伊狩先輩の提案を持ち上げてくれた。

「ああ、じゃあ頼んだ、夏希。いいかハジメ。テメェには後で話がある。とにかく一番近い家で結界張って待ってろ」

 そう言って捨てた神内さんだったが、彼から動こうとする気配はない。

 こっちから帰り始めるのを待っているようだ。なら逆らわない方が身のためか。

 ハジメ先輩は、御愁傷様です。

「ハジメ…………」

 しかし彼は動こうとしなかった。

 伊狩先輩が催促しても、業の煮えた目で神内さんを睨み、こう告げる。

「いつまでも子供じゃない」

 僕と、神内さんが先程言った一言に、反論して。

「ガキだろうが」

「お前の主観なんてどうでもいい。僕に指図するな…………僕は今日、やることがあるんだ」

 ハジメ先輩は、思うところがあるらしく、頑として動こうとしない。

 それどころか、子供だと断言されたことによって更に自分の持論に根を張ってしまったと思われる。

 まずい…………さっき僕が同じことを言ったのも失言だったのではないだろうか?

 今度こそ止めたいのを憚られる程の空気が気化し始めた。

 伊狩先輩も、らしからぬオロオロした態度で声を出すのを躊躇っているらしい。

 ハジメ先輩と冬真先輩の間になにがあったのかは僕に知るよしがない。もっと追及したい好奇心もあるけれど、もしそれを訊く機会があるとするなら、先輩はその後、僕との仲を保ってくれるだろうか?

 と、そんな心配をしている内に、譲らぬ闘志がぶつかり損ね、またも窮地に一生を得たような拍子抜けを拭いきれないながらも、あっさりと割り込んで来る影が現れた。

 緊迫した空気を顧みず、彼は血相を変えて神内さんに耳打ちし、報告をした。神内系の傘下の人らしい。

 神内さんはそれに、眉をひそめて頷きを返す。

「狸奴は結と殺り合ってなかったか…………?なんでそんなところに…………」

 辛うじて聴こえたのは、驚愕が入り雑じって漏れ出ていたその言葉だけだったけれど、幹部たちでさえ掌握し切れない事態が発生しているのだけはわかった。

 その渦中に冬真先輩――――怪異 狸奴がいることも。

「ラクを確保する時間があまりないわ」

 悔しさを噛みしめるように伊狩先輩は呟いた。

 ここからどう動くべきか。神内さんに撤収を誓ってしまった以上、彼の前で勝手な行動は控えるしかない。

 もう関わっていいわけがないのだ。

「でも、なんで?冬真先輩だって柔じゃないですし、言う通りに帰った方が後のイザコザもなしで済むでしょう?」

「約束してるのよ。ラクが…………間違ってないから、私がみんなを説得しないと」

 重そうなものを背負っている。そんな印象を残す顔で、そんなことを答えられた。

 冬真先輩が無闇に約束を破る人ではない、ということはない。


 でも信念は持っている。

 これが終わったら彼は元に戻るのだと、彼女は信じているのだ。


「狸奴は今どこに?」

 気がその話題にいってしまったせいなのか、段々と会話を交わす神内さんらの声が大きくなり始めた。

 耳打ちもやめている。

「狸奴は今、建設現場で扇と応戦しているところにひとり、もうひとりは、2丁目で我々の追撃を逃れながら一匹の妖異を追い回しています」

 ふたり?

 なんで別れてるんだ?

 たぶん、結さんが闘ってる方が、猫耳の女の子なんだろうな。

 でももう一方の存在は、意味がわからない。

 身体は一つしかあり得ない。

 それを…………攻撃する必要があるのか?

 仮に猫耳を狸奴Aとして、狸奴Bは扇を攻撃してるわけではないという情報だ。三つ巴だなんて、ぶっちゃけ避けたい状態ではあるだろうし、冬真先輩の力を借りて即時収束を図るのも一向だ。

 そっちの方が早く事態の収拾を図れるだろう。

「狸奴を相手している暇はねぇだろ。余計なことはやめさせてさっさと雑魚の方を片付け――――って、ハジメ、てめぇ!」

 神内さんが提案のためにハジメ先輩から目を背けた瞬間だった。

 先輩は、くるりと回れ右をし、疾風怒濤の速さで角に曲がり見えなくなってしまった。

 反対側になるけど、恐らくは遠回りで2丁目に向かっているのだろう。

 僕らは呆気にとられながらも、一歩遅れてそれを追いかけ始めることに――――。

「なっ、お前らっ?!」

 ――――することができなかった神内さん。

 なぜなら、ハジメ先輩とは逆方向に、神内さんと傘下の人の脇をすり抜けるように2丁目への正規のルートに伊狩先輩が駆け出したからだ。僕は咄嗟のことに戸惑ったけど、彼女のあとを追うことにした。

 伊狩先輩の行くところ必ず同行しなければならないという、本能的服従感に沿って行動しているんだけど、彼女の心理は窺い知れない。

 先回りしてハジメ先輩を止める為か、はたまた、志し同じくして冬真先輩と接触しに向かっているのか。


「チッ、また逃げ足の速い…………」

 舌打ちをしたのは神内さんだ。

 ハジメ先輩はまんまと彼を出し抜き、逃げ仰せてしまった。僕と伊狩先輩は、神内さんの追跡にとうとう捕まり、体力の限界を迎え立ち尽くしていた。

 速い…………術式特化なら体力面を凌駕できるかと高を括っていたのが運の尽き。走り始めて200メートル程で追い付かれてしまった。

 撹乱のため小道を使い、まさかこっちが先回りされてるとは思わなかった。

「たくっ、ハジメはどこ行きやがった…………」

 そんな悔しいのなら、なぜ僕の追跡を選んだのだろう?チョロいと思われたのだろうか?

「2丁目でしょう…………ラクがそのままじっとしているはずがないけど、結界が張られてなければハジメでも追えるわ」

 神内さんの愚痴を、伊狩先輩は膝に手を置き、肩で息をしながら答えた。気を回す余裕がないのか敬語が疎かになっている…………。

「しゃらくせぇ。狸奴をパクった方が早いってわけか」

「高いところに昇って、見渡した方が早いと思うけど…………ラクのことだから屋根とかに」

 あり得る。

 そうであれば伊狩先輩の視力であれば発見できるだろう。

 空も白けて来ているので効率も上がるはずだ。

「チッ、念のため秋人の目は必須だな」

「そういうことになるか」

 いい感じに、僕らの罪咎がウヤムヤになりそうだった。

 それに、ちょっと大人でカッコいい人に名前を呼ばれるのは、なにかしらのトキメキを覚える。いや、腐った意味ではなく。

 それとは関係なしに、なんだかまた嫌な予感が背筋を走ったような…………。

「秋人くん 、階段を作るからラクを捜すのよ」

「やっぱりかっ!?」

「ことは一刻を争うと言っても過言でない。なら眼を持ってるあなたが直接上がる方が、効率がいいと思わない?」

「思いますけどっ、思いますけどっ!」

「お願い…………あのふたりを止めなきゃ…………」

「…………」

 なんて顔をされるんだ…………。

 眼というなら、彼女がその眼に宿らせる灯火。あまりにも小さいけど、手をかざすだけで消えてしまいそうだけど、僕はそれが消えてほしくないと願っている。なにより僕だって仲間が争う姿を見るのはごめんだ。

 なら迷う必要なんてないじゃないか。

「わかりました。僕に任せてください」

「頼んだわ。歩くだけでいい、コツはいるけど、足元に結界を敷いていくから、慎重に」

 ことは一刻と――――。

 ならば、なればこそ。


「チンタラ歩いてる暇があるかぁっ!」


 第一歩の跳躍のために、僕は強く地面を蹴った。

「らぁぁぁぁっ!」

 そして軸足の膝をあげると同時に、上の足裏で、手応えを逃がさぬよう見えない階段を思いっきり踏み込んだ。

「ぁぁぁぁああっ?!」

 が、それは外れたけれど、想定内だ、引き上げていた次の足を直ぐ様前に出し、失敗を埋めるべく有らん限り回した。

「ああぁぁぁぁ…………っ?!」

 が、それも宙を蹴った。中々手応えを掴むことができずに、二転三転と脚を必死こいて回して、そして思い出す。

「…………ぎゃふぅっ?!」


 僕の体質のことを。


 なんで忘れていた?

 そこ一番大事だったはずだけど…………盲点か?

「……………………秋人くん、大丈夫?」

 説明しよう。

 伊狩先輩からの視点で述べるなら、意気込み十分に飛び立った後輩の足元を支えるため、自ら、疲れた身体に鞭を打ち無理矢理能力を行使した彼女は、目測を誤ったのか宙に浮いたままの、それでも走り続ける後輩の姿を見て諦めずに正確な位置に結界を張った。

 今度はドンピシャ。束の間の安堵、それをさせる暇もない後輩の勢いや剣幕、二段三段と次々に階段を構築していったが、未だ身体が持ち上がらない後輩を見て違和感を覚える。

 まるで足が結界の板を踏み抜いているかのような。

 そして思い出す。

 あ――――。

 ――――秋人くん、結界に触れないんだった。

「…………ぎゃふぅっ?!」

 伊狩先輩は最後に、顔面から受け身もとれずに地面と喧嘩しに行った後輩から目を背け、その哀れな姿と痛々しさを捉えぬよう真摯に努めた。

 しばらく流れた余韻が冷めた頃に、彼女はようやく身動きしない後輩に声をかけたのだった。

「……………………秋人くん、大丈夫?」

「だ、だいじょうぶでフ…………」

 正直、そんなはずはない。

 いつぞやの、和真に後ろから突き飛ばされたとき同じような苦痛を味わったことがあるだけに、それが割り切れているのかいないのかよくわからない不甲斐なさと体裁の悪さに、穴があったら入りたい。

 想像してくれ。いや、しないでくれ。

 先輩の危機に際して出張っていったはいいものの、その傷はなんだと問われた折、胸を張って名誉あるとは口が裂けても言えない傷を負ってしまった、この愚かな少年の末路など。

 うっかり跳んで着地できずに鼻がズル剥けになってしまった、とか妙にリアリティのある傷を、頼むから目を反らし続けていただけると助かる。

 すると、不意に甘く芳しい香りが無事であろう鼻の内部をつき、その源を確かめようと顔を向けると、思わず頬の力が綻んでしまった。

「打ち所は悪かったみたいだけど…………骨とか折れてない?あ、白鷺さん、代わってください…………」

 傷の具合を確かめるために顔を寄せてきた伊狩先輩、改めて見ると大きな眼にキリッとした眉と、筋が宜しい真っ直ぐで落ち着いた鼻、ぷっくりした唇と頬が、暗くても真っ白でキメ細かい肌の上に乗っている奇跡がそこにあった。

 人形よりも暖かい、本当に人間でありながら、マジで天使のようで、いつまでも眺めていたい至福の刻…………なのに。

「どれどれ。派手にいったなぁ」

 眉目秀麗なイケメン面がバトンタッチした。

「ひでぇ…………お前よく落ち着いていられんな。俺でも痛みで悶えそうだ」

 悪い人ではない。悪くはないんだけど…………あんたじゃないんだっ!


 僕は伊狩先輩に手当てしてもらいたいんだぁっ!


「なんか妙な圧力が…………とりあえずこれで傷は塞がったが、ちょっと残るかもしんねぇな」

「そうですか…………」

「なんで残念そうなんだ?まぁ、あんなこけかたならわからんでもないが、あんま気にすんなよ」

 言ってもらってなんですが、これは僕が生涯忘れられないトラウマになりそうだ。高所恐怖症に拍車がかかったみたいな。

 学校の階段、昇れても降りれるだろうか…………?幸い、しばらくすると夏休みだ。

 あと天使は両性具有だと心得ておこう。幸福は、一瞬で雄になるのだと。


 意味がわからない思考が一段落したところで、今度はハジメ先輩の問題について考えなくてはならない。

「今更、追い付けるような脚の人ではないですし、冬真先輩を捜す方が賢明なんでしょうけど」

「それはさっき出た結論ね。とりあえず足を使って捜す羽目になったとしても――――」

 なんだろう?

 伊狩先輩はまだ居心地が悪そうにしている。

 僕を直視してくれないので視線の先を追ってみると、なるほど、あの不動明王の目を逃れられない限り、僕らの勝手は許されないということですか。

 思わぬ怪我人が出てウヤムヤになってたと思っていたのに、彼――――神内 白鷺は先程の剣幕を再燃焼し、蛇が蛙を睨むような目で、僕らを牽制していた。

 子供は寝る時間、とはもう言いがたい時刻であるものの、退っ引きならない事情でズルズルとのさばってしまったものの、ここまでの夜遊びを見逃してくれたのはある意味親切だろう。

 そろそろ堪忍袋の緒が切れそうに見える。

「伊狩先輩、ここはもう、大人に全部任せた方が無難なんじゃないですか?」

「そうね、怪我人が出たことだし」

「その言い方わざとでしょうか…………!」

「冗談よ。どうしたものか」

 ふざけてる場合じゃないんだけどな…………まだ帰るつもりがないらしいけど。

「あ、いいこと考えた」

「はい?」

「えい」

 唐突に僕の額を軽く弾く、可愛らしい伊狩先輩の仕草にドキッとしてしまったのも束の間――――。

 ふぁ…………?

 なんだろう?頭がボーッとしてきた。

 けれど、夢現というよりは、本当になにもかも考えられない状態。シナプスの活動が押さえ付けられているような、息苦しい感覚に全神経が覆われた。

「白鷺さん、大変です。秋人くんが立てないみたい」

 辛うじて聞こえてくる棒読みは、そんな中で安心できる声音で、眠りに誘われるのにこれ程快適なトーンはない。

「こりゃ本格的にやばそうだな。悪いとこ打ったか…………」

「秋人くんをこのまま放っておくこともできません。白鷺さんが彼をおぶって連れてきてください。私が結界を張りますから」

「しゃあねぇ。よっこらせ」

「それじゃあよろしくお願いします」

「は?おい夏希、どこ行く――――おい?待てってっ!」

 結局誓いを守ることができずに男に抱き抱えられてしまった僕と、僕を下ろすこともできないまま途方に暮れてしなった神内さんは、もしかしたら貧乏クジコンビとしていい感じに相性がいいのかもしれない。

 とりあえず僕は、事情もわからぬまま一足先に休ませていただくことにした。

 伊狩先輩がひとり。伊狩先輩がふたり。伊狩先輩が3人。伊狩先輩が…………。

終わらない…………。

だらだらと引き伸ばして申し訳ありませんっ!別に人気作品でもないのに物語をこれでもかと詰め込んで誠に申し訳ありませんっ!

ぶっちゃけあと10話くらい続きそうです…………。

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