ごじゅうし
精神を統一し、意識を集中っ!
ぐぬぬぬぬぬぬぬ…………………………………………っ。
「…………秋人くん、できる?」
「もうちょっと…………あと少し…………」
「やっぱり土壇場ではキツいか」
あっさりと見限られたような気がした。
いや、もうちょっと期待してくれてもいいじゃないですか…………。
「そんなことはありませんって。あともうちょいなんですよ」
「初心者の癖に喋りながらできるはずないだろう」
ハジメ先輩の手厳しい一言が僕の最後の集中力を切った。
…………うう。
「やはり無理があるな。秋人、引き続き試行しておいてくれ。僕たちは別の突破口を探してみる」
「あ、はい」
さっきの5分間の手解きもそうだけど、ハジメ先輩はスパルタでありながら放り投げたりしない。
たとえ0に近い可能性だろうと、それを信じ、かつ自らも諦めない姿勢は、やはり尊敬すべき先輩なのだと改めて思う。
ハジメ先輩は座ったまま動かず、目を閉じて瞑想するよう沈黙した。
これは彼のアイデンティティであり、手段である。
‘眼’を使い、自分なりの能力で解決を図っているのだ。
どんな景色が見えるのだろう?
ハジメ先輩には感じているのだろうか?
妖異の頭を覗くことが、それはもう絶望でしかないことを。
獅子の頭を乗っ取ったと言われてるあの事件の際、頭の中で言われた声に従うと、意識が飛ぶ感覚を体験した。
けれど、幽体離脱や臨死体験であるような無重力感とやらは感じられず、代わりと言ってはなんだか、それとは別に感じたのは苦痛と怨念。
鳥肌の立つような負の感情が身体中を駆け巡り、それを誤魔化そうと何かに頭を擦っていた。
なにも考えたくない、思いたくない。
怨みたくない。
刹那、すぐにその感覚は失われ、元の意識が戻ってきたときには走ってきたからなのか、それともさっきのが影響してしまったのか、激しく息切れし、手足は痺れたように感覚がなく、そして憂鬱だった。
……………………。
もしあれが妖異の思考なのだとしたら…………僕たちは――――、
――――まだまだだねー。
…………!
――――前に教えたでしょ?
また…………あの声か?
――――だからさぁ、もっと
くっ…………集中できない。
幻聴なんて、できなかったときの言い訳にできるわけないからもっとなんか別の…………。
ん…………。
今の伊狩先輩の姿勢が際どくて脚と腰周りが気になってできなかったことにしよう。
――――怨みを感じろ。
それに従った。
そんな言葉が頭の中に響き渡った瞬間、僕の視界は渦巻き、黒や紫に彩られた――――いや彩られたなどという華やかな表現は間違いだ。
黒や紫に塗りたくられた――――世界に引き込まれ、僕ではない‘誰か’の感情がシナプスを刺激した。
それは声に言われた通り、なにも勿体付けず言えば、疑い無く怨恨だとわかる。
僕はなにを…………‘誰’を怨んでいるんだ?
「はぁ…………っ…………はぁ…………っ」
「秋人、大丈夫かっ?」
「っ…………ハジメ先輩」
…………ハジメ先輩は僕の肩を、痛いくらいの強さで掴んでいた。
僕を揺さぶり、それでやっと、僕は元の意識が戻ったらしい。
これが…………妖異。
「できたのね。でもこの分ではもう無理させられないか」
伊狩先輩は、僕のただならぬ息遣いで妖異とのコンタクトの成功、そのリスクについて得心いったようだ。
「はぁ…………いや…………大丈夫です。ちょっと不意打ちで…………」
「ダメよ、休みなさい。ハジメは警戒を続けて」
「伊狩先輩…………っ」
「なに?」
…………伊狩先輩は、苛立ちながら僕を見た。
けれど僕を見た瞬間、彼女の顔は困惑した表情に変わり、ハッキリと畏れを感じているのが見てとれた。
それもそのはず。
僕は、伊狩先輩をどんな目で見ているかわかっていない。
「できます…………」
怨みのこもった目を先輩に向けて、僕は自分の意思を示したのだ。
「これで最後よ。3度目は――――」
「わかってます」
自己嫌悪だ。
僕を気遣って離脱を促してくれた伊狩先輩を、あろうことかガン飛ばして引き下がらせ、また言葉をかけられては強く突っぱねる。
どうしちゃったんだよ…………僕は?
「秋人、さっきは闇雲にラクを捜せと言ったが、だがそれでは非効率だな。僕がまず‘眼’を使い、ラクを見つけたあとお前の‘眼’で妖異を操って、最短距離でここまで来させる。場所の目星はつけるかな」
「ハジメ。そこでちょっと疑問があるんだけど」
淡々と投げられる指示を聞きながら、僕は‘眼’使い方を復習していた。
伊狩先輩はその間に懸念事項を伝える。
「ラクをここまで来させるのには特に異論がなかったんだけど、妖異は結界を張っていれば囲まれることはない。なら結界を張りながら外に出れば誤魔化すことは可能じゃないかな?その上でラクに見つけてもらう」
「それは不可能ではないな。しかし、あの‘妖異’が雑魚よりも眼がよかった場合に成す術なく叩かれるよりは、より確実な可能性に賭けてみるのも戦略だ。お前らしくない疑問だったな」
「…………ちなみに冬真先輩も、伊狩先輩の結界の中を見通すことってできるんですか?」
僕のそんな唐突な質問に、先輩ふたりはポカンとした顔をした。
それって、つまり…………。
「考えたことなかったわ…………」
やっぱりかっ。
頭痛でもしてきたのか、伊狩先輩はこめかみを押さえた。
まぁ、要は監視対象だっただけで能力を把握されていたわけではなかったようだ。力は使っただけでも咎められてたからなぁ、冬真先輩。ポテンシャルを把握することに義務を置かれていなかったとみえる。
けれど手詰まりというわけではない。
たとえ冬真先輩の視界では結界を見破れなかったとしても、目の前で姿を現してやれば済むことだ。
「まだ気掛かりが」
と、伊狩先輩は人差し指を立て打ち明けた。
「怪異 狸奴が表面に出ている今のラクに、私たちがどう写るのか」
これには全員で頭を抱えるしかない。
味方であるならば、邂逅一番、出会い頭に扇 結さんとぶつかる必要はなかったのだ。大人しく同行させればよかった。
ただ、狸奴である一面を知らない僕らとしては、冬真先輩が味方であるのかも疑わしい。
状況がギャンブル過ぎる。ひとつでも勘をミスればアウト。
考えれば考える程、幾重にも重なった留意点があがり、それらを全て解きほぐす効率がグンと下がった。
とはいえ、やはり知能指数は高いこのふたり、先輩方だ。
「では全てを逆手に取るまでね」
「だな。まずは結と交戦中のラクを、どこかを彷徨いているであろう怪異化妖異と引き合わせる。結もいっしょに連れてこれれば重上だ」
「そしてその隙に私たちは結界を被ってここから脱出。去り際に何匹か雑魚を殺っていっても余裕があると思う」
「決まったか。じゃあ僕はラクと‘妖怪’の方を捜す」
「妖怪?」
「長ったらしいだろ。いい加減略せ」
「正式名称は上が考えてくれてるはずだけどね」
述べつ幕なしに戦略を立てていったこのふたり。
かくれんぼとか、鬼ごっことか強そうだなぁ。
それが正しい戦略かどうかは、僕には判断できないけど。
「じゃあ先輩。僕はなにをすれば?」
なんて、訊いたはいいけど。
おふたりは質問の意味がわからなかったように首をかしげた。
いや…………まんまの意味だったんですけど。
「今の話を聞いていてなんでわからないんだ。意外と出来が悪いんだな、秋人」
ショックっ?!
むしろずっと最初から幻滅されてた方が気が楽だったような気がする、中途半端な期待されてたよっ!
「うぁ…………」
「秋人はさっき言ったことをやれ」
「いや、それって」
「僕が場所を教えるから、そこを集中して…………妖異をけしかけろ。できるな?」
立ち上がりながら指示をまくし立て、ハジメ先輩は扉の前に向かい合った。
つまり、
「状況開始」
伊狩先輩の掛け声で僕もハジメ先輩の次の指示を待つ。
それ以外やることがないんだけど、強いていうならさっきの感覚を思い出すことだ。
ヒントはある。
「秋人、2階、北棟、東の階段から2番目の前にラク。ここと繋ぐ渡り廊下に妖怪、その周りにかなり妖異がいる。妖怪の方にちょっかいをかけろ、それでラクが気づくはずだ」
「了解」
コツはこうだ。
妖異の怨みを受け入れる。
それが当たりだったようで、途端に僕の視界があっさり暗転。徐々に眼が慣れてくると、身体の自由が利かなくなるほどの憎悪と怨恨が押し寄せ、結果動けなくなってしまった。
自分が誰なのかさえ忘れてしまう。
なんのためにここにいるのか。
なにかすべきことがあったんじゃなかったのか。
自分はもっと大事なことがある。
あいつさえいなければ――――あいつさえいなければ――――。
あいつさえ――――死んでしまえば。
あいつとは恐らく僕が会ったこともない相手だろう。
すると目の前になにかが通った。
脚?
その後ろにヒラヒラしたものが着いていっている。
辛うじて動く首を動かしてみると、見えた背中は見覚えがあった――――それになにか、しなければならないような。
刹那、閃いた。
あいつを殺れ。
僕がそう思考した瞬間に身体が突如動きだし、その背中に向かって腕を振り上げた。
そしてまた視界が暗転する。
次も同じように、誰かを怨んでいる念。
目の高度が天井近くまであるためか、もう柱としてしか存在しているだけなんじゃないかと思うほどのっぽりしている。
のっぽりってなんだ?
そして捉えたのは、人に襲いかかっているちんちくりんななにか。
あいつらはなにをやっているんだ?
興味はない。
いや、あいつらを殺らなければならない。
永遠に続くと思われた怨みをリレーは、唐突に幕を閉じた。
あれから次々と乗り換えては、強制的に妖異の怨みの対象を妖怪に向けさせ、今頃どんちゃん騒ぎへと発展しているだろう僕の功績を――――。
それが巧くいったかどうかわからないまま、僕の元の意識が戻ることは、このときなかったのである。
ここまで巧くいくとは正直思っていなかった。
――――手伝ってあげよう。
そんな幻惑がいつだったか聞こえた気がする。