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さんじゅうく

 ‘彼’は扉から飛び出して、受け身もとれずにバウンドしながらベランダの柵を飛び越えると、遥か下の地面に身体を強く打った。

 それまた助走をつけていたかのように、真下ではなく結構な距離を飛ばされてもいたりする。

 ずいぶん手荒く追い出されてるな。背中にカラフルなものも付けて…………いや、いったいどうなったらそんなものが?

 ここは中庭。

 ただでさえデカイ屋敷なのに、さらにさらに、ラクが入っていった建物がピッタリはまりそうなデカい中庭があった。

 ところどころ風化してるけど、明らかに洒落じゃないアスレチックが、至るところに確認できる。洒落じゃないとは、おふざけ用ではないという意味だ。身体を鍛えるものだろう、という意味だ。

 あるいは身体を痛め付ける?

 なに時代から持ってきたの?と訊きたい。


 さて。


 目下のところ、そんなことを気にしている場合ではない。

 私は中庭のど真ん中に未だうつ伏せている対象を視界に捉えるや否や、鮮やかに両手を振り払ってみせた。

 とたんに、突然地獄の門が開いたかのように灼熱が中庭を呑み込む。

 小雨だけど、まだ雨が降っていたため、ものすごい蒸気が生まれては消えた。

 最近同じようなものを見たような気がする。

 まぁそれはあのときと同じことをしたからだけど。

 左手は砲撃の合図、右手はさらに爆発を抑え込む結界の発動。故に焔は逃げ場をなくし、空高く渦巻きながら火力を上げていく。

 なにもかも再現だ。私は屋根の上でそれを眺めているだけで。

 今日は統率者として、仲間の士気の調整を一手に引き受ける者として。

 雨でお気に入りの服をずぶ濡らしながら。

 結果は得られなかった。もとより期待はしていなかったから、ガッカリともならなかったけど。

 焔にポツリと一点の影が浮かぶと、それを中心に赤みが掻き乱され、熱が唸り声をあげるのをやめたのだ。

 水蒸気もきれいさっぱり。すべてが焼け焦げて真っ黒になってしまった庭の中にひとつだけ色を点した‘あれ’。以前遭遇した脅威の成れの果て。


 あの怪異化妖異が存在していた。


 ずいぶんキツい整形をしてきたようで、面影はまったく無きに等しいけど、それでも独特のオーラ、妖気とでも言えるものを、あれは確かに纏っていた。

 そんな確実な身分証明を提示されて、わからないわけがない。

 一般人には…………それはわからないけど。

 しかも、少し見ない内にだいぶ器用になっていた。あれだけの業火を一瞬で、当てずっぽうの表現をするなら、おさめるように吹き消した。繊細さを身に付けてくるなんて、余計脅威が高まったとみえる。

 嫌なやつだ。

 ‘彼’は声を出す。

 顔に似合ったテノール声。前は聞けなかったものだけど、いやさ、ここでもハエの羽ばたきほども聞こえない。

 とは言え、ケチケチしたくないので、実はこんなことを言っているのだと訳させてもらう。

「うっとうしい。あの猫っ…………生きてやがったのかよ」

 ?

 いつの話だろう?あのときの?それとも、あのあとにまた接触していた?

 この疑問は語り部としてのものなので、あまり深く考えないでほしい。

 ‘彼’は建物から出てくる猫を――――すなわちラクを睨み付けた。

 怨みでさらに妖気の厚みが増したかのようだ。私は迎撃が瞬時にできるよう、合図を送った。

 と言っても念のためにね。ここからはラクの仕事。

 お互い遠く離れてしまったので、今度はラクから、私のいるところでも聞こえる声で‘彼’に呼び掛けた。

「5日ぶりっ」

 また報告してなかったのか。すごく最近だし。接触はその一度だけじゃないかもしれないわね。

 この予想は私の勝手だけど、ラクに未来はない。

 お仕置きを考えなくては。

 ラクは話しにくいからか、5メートルかそれくらいの高さがあるベランダから飛び降り、受け身もとらず着地して、テクテクと‘彼’に近づいた。

 なにを話しているのかは聞こえない。聞こえないけど、内容は以下の通り。

「しつこいんだよ。猫…………」

 ‘彼’は苛立ちを顕にしていた。

「お前がな。生誕日にやられとけばよかったのに」

「前は負けたくせに、威勢がいいな」

「具合悪かっただけだ。気分悪くなって」

「負け惜しみはいい!なんなんだよっ!なんでほっといてくれないんだよっ!別にお前らにチョッカイだしたわけじゃないだろっ?!」

「ああ、直接はな」

 と、いきなりラクは右手にあった――――刺さっていた細長い杭を引き抜き、間合いを瞬きの間に詰め寄ると、時計回りにクルリと回転して、それを剣のように敵に振り回した。

 ‘彼’は苛立ちのせいか、とっさに行動がとれず、間抜けにも顔の右側にモロにくらって地面に突っ伏すことになってしまった。

 そこへラクが追撃、ゴルフのスイングを片手でするように杭を‘彼’の脇腹目掛けて斬り上げた。

 けれどそう何度もヘマするわけがなく、優れた瞬発力でうつ伏せから逆立ちへと移行して杭を避けた‘彼’は、そこから回転を加え蹴りを繰り出した。カポエイラの真似事か。

 ラクは左手でそれを受け、斬り上げた杭の流れを殺さずに、真一文字にそ薙ぎ払う。

 しかし当たらず、それを区切りにふたりは距離を広げた。

 ほんの少し間だけど、激しい無酸素運動をしたはずのふたりに、息切れや、汗ひとつ、疲労の色は見えない。

 体育ができる男子、といった感じ。

 そして、むしろ眼の色を変えてお互いを睨み合う余裕。

 よく似てる。あのふたりは。

 まだ付き合いが長くないというのに、すでに仲はハジメよりも悪そうだ。

 ハジメ自身も、‘彼’とはもう友達になろうとも思ってないでしょう。

 歯を見せて敵意を顕にする‘彼’と、冷静に動きを読み取り確実に相手を倒そうとするラク。

 こうしてよく見ると、勝負はもう決まったように思える。

 束の間の休憩が終わったふたりは、ほぼ同時に戦闘を再開した。

 戦闘?

 喧嘩と言った方が適切か。

 不良のね。

 次の流れを汲んだのは、またしてもラク。

 空手の‘彼’が繰り出した、突きの右左、左足の蹴りと右足の踵落とし。ラクはそれぞれを身体のひねりの避けと左手の受けだけでしのぎ、右手に持ったその杭で隙あらば人体の急所となる部分に次々と当てていった。

 規則正しく、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ズドッ、というように。

 他愛もない、ダメージが通ってるかどうかもわからないけれど、確実に、それは‘彼’へ、如実に、蓄積されていった。

 急所を当てられるということは、必然スタミナを奪われているとも言えるわけである。だから‘彼’のように闇雲にただ目先の敵の顔を狙い、肩を狙い、脇腹を狙い、脚を狙い、としているだけでは、簡単に見切られ、五月蝿い小攻撃を続けざまに叩かれ、スタミナが限界へ近づいたところを強引に隙を作らされてトドメを刺される――――のがオチだ。

 ‘彼’はそれがわかっていない。

 わかっていない――――のではなく、まるで避ける必要もない、とでも思っていそうなほど、‘彼’はあからさまに防御をしていない。

 なにか理由があるのか、はたまたヤケクソか。もしくはそれほどまでに余裕だと勘違いしているのか。

 このままでは呆気なく勝負がついてしまう。もう‘彼’の表情から察するに、限界は遠くないだろう。

 別に‘彼’の味方をしたいというわけではないけど。

 さっさと終わってくれればいい。

 と、思いが通じたのか、散々小ぶりながらも痛い攻撃に耐えていた‘彼’だったけれど、とうとう強引な強攻撃を下すまでもなく、ラクの顔面に蹴りを入れようと右膝をあげたときに、若干身体がぶれた瞬間をラクは見逃さなかった。

 瞬時に相手の意図を読み、しゃがみ、そして‘彼’が膝を伸ばす前に、その軸脚の筋肉を杭で満遍なく叩いた。

 内も外も、交互に同じくらい強い力で、叩き込んだ。

 するとどうなるか。

 案の定、対処しようと思っても手遅れであり、‘彼’はよろめき、バランスを保てず軸脚の膝が折れる。

 そして――――トドメだ。

 怯んだところを、ラクが今の姿勢から立ち上がる流れを利用し、うろたえる‘彼’に、人体の脳天から貫いている筋、股から顎までの、身体の中心線を一気に―――― 斬り裂いた。

 ‘彼’が真っ二つになったのではないか、と思うほど豪快に。

 しかしそんな残酷な描写をするまでもなかったが、衝撃に耐えかねた杭がバラバラに砕けたり、‘彼’の口から血飛沫が飛ぶ程度のことには、なった。

 ‘彼’は宙に浮いた。

 ラクは手元に残った杭の残骸を投げ捨て、‘彼’が地に落ちるまでを、凄惨な眼差しで眺め、そして――――。

 バサリ。

 まるで羽衣のように緩やかに‘彼’は倒れた。

 この勝負は、ラクの圧勝ということで。

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