にじゅう
勝負は庭で行われることになった。
「ルールは簡単。最初に怪異 狸奴を引きずってきた者が勝ち」
一番偉い女の人————扇さんと言うそうだ。彼女の物騒な物言いで説明がなされた。
「場所はこの伊狩邸敷地内に限定。庭からは出てもいいですが、塀は飛び越えないで。言うまでもないことではありますが、敷地内の備品は丁重に扱ってください」
緊張してきた。
着々とルールを提示されていく中で、扇さんは冬真先輩にもルールを与えた。
「そして怪異 狸奴は物理結界を使わない、攻撃をしない、逃げない、と、大体こんなものでしょうか」
扇さんはチラリと、キキさんに視線を送った。
「いいかな。お手並み拝見ってことで」
このふたりは勝負には参加しない。傍観者、よく言うと審判に値する。
参加するのは、冬真先輩は言うまでもなく、僕、後藤 キキさんを省く後藤家からふたり、山坂家直下 師走家ひとり、神内家傘下 東条家ひとりとなっている。それぞれ、中でも選りすぐりの人物でもって構え、勝負が行われる。らしいと伊狩先輩から聞いた。
なぜ伊狩家とその傘下たちは僕を手伝ってくれないんだろう。
明らかに不利だ。
なぜなら、僕に勝算があるとすればそれは冬真先輩の結界が効かないことだろう。しかしそれを考慮しても、相手は四名である。
しかもその手のプロフェッショナルときた。
彼らからすれば冬真先輩、怪異 狸奴は相手にとって不足がないだろう。
けれど僕には手に余りある。
たかがその辺の、一介の高校生になにができる。
せいぜい目で追いかけるくらいだ。そして凡人の動体視力を遥かに凌ぐ冬真先輩の身体能力もよく知っていた。
勝算は無きに等しい。
挑戦者は着替えもなく各自準備運動、もしくは集中するため瞑想にでも入っていた。
全員が冬真先輩をにらんでいた。
そのにらみにも個人差があるが、お手並み拝見程度で終わる気は、さらさらなさそうな雰囲気が満たされいている。
肝心の冬真先輩はというと、うつむいて地についた足の爪先を一心に見つめてこちらを見向きもしない。
そんな余裕を見せている場合なのだろうか。たしかに冬真先輩が、よもや人間風情にやられるようなことなんてないだろうけど、それは妖異、怪異を知らない素人の人間相手の場合だろう。
プロフェッショナルが相手だ。自信があるのは結構だけど、もう少し緊張感を持って完全アウェーな僕にエールでも送ってほしい。
「秋人」
僕の肩にポン、と手が乗せられ声をかけられた。
ハジメ先輩だった。
「ていうかハジメ先輩いたんですか?」
「今来たところだが状況は把握している。勝負が始まったら、まずラクはどこかに隠れるだろう。そのすぐあと、連中がラクを捜し始めることになっている。10秒だの100秒だの数える必要はない」
「いや確かにかくれんぼっぽいですけど…………僕はどうすればいいんですか?」
「お前は、しばらく待っていてもいいぞ」
「えっと…………」
「これはただの茶番だ。少しくらい様子を見てから連中にラクの実力を知らしめていた方が演習の参考になるだろう」
やだなぁ…………意地悪いなぁ。
「ただ順序は大事だ。始まってすぐにお前がラクを見つけたとする。そうなると、連中はお前の視線の先を狙うはずだ。闇雲な攻撃で、ラクに当たるわけはないだろうが、連中にとってはいいヒントになるだろう。それで勝負が決まれば演習の意味がない」
「なるほど。じゃあ、合図があるまで冬真先輩を見ない方がいいんですね」
「まぁな。健闘を祈るぞ後輩」
――――時間だ。
ハジメ先輩はそう言って、僕の肩に乗せていた手を外し、伊狩先輩たちの隣に並んだ。
そして挑戦者は好きな配置について準備が完了した。
僕は最初から立っている場所を動いていない。素人は下手なことはすべきではないと踏んだ。
できればこんな変なことに、素人ひとりをほっぽりだして欲しくなかったけど…………。
「では皆さん、準備はよろしいですか?」
扇さんからの問いかけに返事はひとつもない。
僕も声を出せないくらい緊張している。
でもそんな些末なことは指摘するに値しないのか、間髪入れずにハジメ先輩曰く、茶番の火蓋が切って落とされた。
「始めてください」
僕はまず目を閉じた。
ボーッとすることにしてしばらくやり過ごそう。
誰かすでに冬真先輩を捕まえていますように。そう祈るまである。
「ちっ!さっそく消えやがった!」
「どこへ?!」
「落ち着け!もしかしたらもう庭から出たのかもしれないっ」
「じゃあ俺たちは中だ!行くぞ!」
瞼の向こうで様々な怒号が響き渡り、誰かが僕の側をすれ違ったのか、風がすり抜けていった。
あとには、ガサガサ、ザッザッ、チャポンッなど、必至に冬真先輩を捜索する音が聞こえる。
「中にもいない!」
「まさか敷地を出たんじゃないだろうなっ?」
「探せ!」
「秋人くん、そろそろいいわ」
早いな…………僕はゆっくりと目を開けた。
まぁどうせ見つかりっこない。
結界を張れるとはいえプロ相手にそこまでの道理が通用するはずがないし、その内手がかりでも見つかって僕の出番が出てくるはずもない。
目を開けた瞬間に誰かがこれを終わらせてくれることを期待する。
そして驚愕すた。
扇側は、未だに辺り一面をくまなく捜していた。扇さんの忠告なんていざ知らず、植え込みなどが蹴散らされ大変な状態だ。
それでの、全くその被害の被らない場所がひとつあり、そこだけは誰もが手をつけようとも、そこに気を向けようとさえしていなかったのである。
僕にはそれが理解できない。
だって――――。
冬真先輩はそこにいるからだ。
もといた場所からは一歩たりとも動いておらず、どころか胡座をかいて、頬杖をついて、退屈そうにしてそこにいた。
庭のど真ん中で、逃げも隠れもせず堂々と座っていた。
そんなもう狙ってくれと言ってるような格好の的を、こんなわかりやすい冬真先輩を、なんでみんなは無視してるんだ?
「秋人、もういいぞ」
ハジメ先輩がお開きを促したのが聞こえる。
いや、マジで信じられなくて、動けないんだけど。
「まてぇっ!お前ぇっ!」
?!!
「お前………そう勝手に終わらせんじゃねぇぞ、坊主…………」
東条さんだっけっなんですか…………っ。僕はまだなにもしておりませんがっ。
「俺だって見えてんだよっ!そこだろ!」
ビシィっと指差された場所は、冬真先輩をまっすぐに————?!
————まっすぐに逸れてその先の岩の上を指差していた。
おしい!でもハズレ!全然見えてないじゃん!
「そこだなぁっ!」
違うけどまぁいいかっ!
と、突然、そこにクナイが場に投げ込まれ地面に突き刺さった。
複数あったそれは冬真先輩のいた場所にも突き刺さり、危や冬真先輩はそれを間一髪で避ける羽目になった。
完全に誰も把握しない不意打ちだったのに、それでも当たらないのか。
「外したっ」
クナイの持ち主は眼鏡の素敵な女性だ。
まさか…………そんな…………メガネっ子くノ一?!
冬真先輩は避けるときの勢いに任せ、バック転、バック宙を繰り返し、さすが豪邸だけある風情ある池をひとっ飛びしてその後ろに植えられた松に着地した。
その際の着地の仕方がクールで、足をつけることなくそのまま枝にお尻をつけ、スムーズに高みの見物へと移行した。
自由極まりねぇ。
「秋人、どうした。もう終わってもいいんだぞ?」
「いや、だってハジメ先輩…………今、冬真先輩、松の上に…………」
僕のその言葉を彼らは聞き逃さなかった。
一斉に松にその矛先が向けられ、その攻撃は、罪もないただの松を粉々にするまでに至った。
冬真先輩は瞬時にに場所を変えてことなきを得たけれど、降り注ぐ元は一本の木であった屑をこの身に受けながら僕はもう帰りたいと心の底から思った。
いやさ心底願った。
意気消沈の僕を傍目に、扇側の人たちは見失った、もとよりまだ見えてすらいない冬真先輩をまた捜す羽目になったのである。
必死だな。
「秋人。今のはシャレになんないって、危なかったぞ」
「だったら真面目にやってくださいよ。こっちがバカみたいじゃないですか」
「いやいや、結構みんないい線いってるし。それにおれは巻き込まれただけだし。付き合ってやってるだけでもありがたいと思ってほしいな」
えっへん、てか。
「それにしてもバカにしすぎです。もっと空気を読んでください」
「おれそういうの苦手だから。難しいよな、人間社会って」
こいつめ…………。
「まぁ次は気をつけてくれよ。あんまり指差されると、一回くらいは当たっちゃうかもしれないからさ」
「知りませんよ」
「よし。じゃおれ行くから。とうっ」
ガシッ。
「………………」
「忘れてた〜…………」
開始から5分33秒。
茶番にしては伊狩家の庭の松を折るという犠牲を出してしまったけど。
怪我人等は出ず、僕は冬真先輩の結界を破ることができるということを、証明した。