じゅうく
どうしよう、怖い。
目の前には、僕が姿を現すなり一斉にこちらを睨んでくる大人が大勢いた。
なにも悪いことはしていないのに、無実のまま罰を与えられて僕もそれに逆らえないだろう未来が見えてしまう。
身体が自然と真っ直ぐ、背筋がピンっとなった。
なんだか自分の個人情報が、それだけで流出しているような感覚がある。特にハジメ先輩辺りから。
「誰だ、そいつは」
ゴツい声で言わないでください…………怖い……………。
陽菜先輩に連れられて来ただけでなんの要件も聞かされていない僕としては、どうしてこんな目に遭っているのかさっぱりわからない。
でもオカ研が関わるというのなら、十中八九、僕の体質に関することで呼ばれたんだろう。
「部外者だろう?」
部外者です。
「早く続きをしてくれ」
口を開く度に偉そうな言葉遣いが聞こえる。
しかも全部同じ、一列の先頭に座った小太りな中年の人からだ。ポジション的に多分リーダーなんだろうけど、小言の多い人なんだろうな。
「伊狩さん。紹介したい者というのは、彼のことですか?」
きれいなお姉さんが鈴のような声色で伊狩先輩に訊ねた。
その人が一番前にみんなに向かって座ってるってことは、一番偉いのは彼女で、偉いながらその対応も偉いのだろう。
でも偉そうに感じない、まさに大人の女性と言って差し支えない姿勢を感じる。
なんだか余計に気を引き締めないとと思った。
「はい。彼の名は哀川 秋人。私の学校の後輩です」
「誰でもいい。そんな奴をなぜここに連れて来た」
ゴツい声は僕のことをお呼びでないと物申している。
こっちだって好きで来たかったわけじゃないのにっ!
「静かに」
刹那、茶々を入れた小太りな人が急に表情を強張らせる冷たい声が響いた。
それは彼だけでなく僕や他のみんなですら気圧される声をしていた。
伊狩先輩に似てたけど、少し違う……………。
伊狩先輩のよりも、身体が危険信号を発する、より明確な。
————脅しのような注意喚起をされたんだ。
大人の女性だとか、もしかして過小評価どころか僕が評価なんてするのはおこがましいのか…………?
落ち着け…………一応僕は流れ的に庇われただけだ。
「伊狩さん。続けてください」
この偉い女の人は只者じゃない。
そして、けれどそこはさすがの伊狩先輩。
物怖じする様子もなく催促を受け入れた。
僕だったら恐怖で声が出なくなっただろうに。
「はい。彼を連れてきた理由はとある彼の体質から、彼自身の身の安全のために保護したんですけど」
案の定、僕の体質が語られた。
保護か。少し前にハジメ先輩から僕の体質の危うさを伝えられた。
その意外な不便さに驚くべきことだったことをまだ覚えている。
「その体質とは?」
「結界の類が効かないものです」
ざわつきが起こった。
この体質は稀有なものだとは聞かされてたけど、これほどみんなに驚かれるものだったのか。
珍しい。
少しだけ嬉しいような気分がした。
「どれくらい無効化されますか」
「それはまだわかりませんけど、少なくとも、我々の結界に潜ることは容易です」
またさらにざわつき。
またハジメ先輩の考察によると、僕は結界の類のみが効かないだけでなく、呪いの類でさえどちらに左右するのかがわからないと言う。
効かないのか妨げるのか、或いは効いてしまうのか悪化してしまうのか。
まさか実際に呪いをかけて検証だなんてことは勘弁してほしいけれど。
「例えば、ラク…………狸奴の結界さえも」
さらに大きくざわついた。立ち上がりかけた人さえいる。
「それは本当か…………っ?」
こんな風に目を見開いて凄む人も。
どうやら僕の異質さは冬真先輩の特殊さを、逆にこの僕の異質さも冬真先輩の特殊さをいかなるものかを咄嗟に理解できる材料になるらしい。
初めて冬真先輩を見たときのことをオカ研部員に話したときも、似たように立ち上がられて驚かれた。
おかげで冬真先輩の妖異狩りには必ず同行させられていたから、勉強が進まなかったと言い訳がしたい。
危ない目にも散々遭った。
特別扱いをしてくれるよりも、そろそろ放っておいてほしい今日この頃である。
「それは不可能じゃないのか?」
なんて言葉も飛ぶ。
話題に組み込まれたはずの冬真先輩はこの現状をまるでつまらないという風に聞いているだけだった。
この人は日頃からウトウトしていてよくわからない部分が多い。
全てに無関心を装っておいて、なのに頭と成績がいいなんて、本当に猫みたいに気まぐれな人だ。
彼がなにか言えば、内容が補填されてもっと話が進むかもしれないのに。
「我々でさえ、この化け猫の結界を突破することができないのに素人がどうやって…………」
さらっと冬真先輩を化け猫呼ばわりしていても誰も突っ込まなかった。
当の本人でさえ頬杖をついて、最早自分のことは無関心であるかのように振舞っている。
「事実です」
伊狩先輩は退かない。
そうだ。
試せばわかることなんだから。
ただ整理が追いつかないのかこの場の多くの人が鵜呑みにできていない。
代表して問おうとするのは、あの偉い女の人だ
「昔にも結界の類が効かないという輩はいましたけど、それと同じ事件かしら」
「だが扇、それはもう明治時代のことだ。ここにいる全員はそれがどんなもんかなんて体験談でしかねぇだろう?」
「それはそうね。協会に訊けば詳しい資料をくれるだろうけど」
「それは回りくどい。ここで試せばいい話だろ」
これが会議か。
意見に意見を重ねて話が進んでいく。
ぶちゃけこういう光景は好きだな、僕。
ただ喋ってるのは3人だけで、他の人は組んだ足をモゾモゾさせていたりする。
あまり動かないのはしっかり話を聞こうとしている人だけだ。
その中で、微動だにせずかと言って口も開いたりせずに沈黙を守っていたひとりの女性が、ここに来て初めて手を掲げた。
「キキさんですか。どうぞ」
キキさん、と呼ばれたその人はなぜかとても、柔かな笑みをずっと浮かべていた。
「ご指名どうも。こうするのはどうだろう?あたしんとこから何人か使って狸奴くんと戦わせてみる」
そして提案した。
「キキさん、話を聞いてましたか?今はその少年の体質について————」
「もちろんもちろん、それは承知してる」
キキさん、は随分軽そうな人だ。
それだけ周りに対して自信があるのか。
証拠に、彼女がひとつの列の先頭に座っていることが実力を窺わせた。
「簡単なことをさせてみようと思って。彼にも手伝ってもらおう。あたしらが狸奴くんを捕まえるのが速いか、彼が狸奴くんを捕まえるのが速いか、競争ってやつだよ」
キキさんは楽しそうにそれを述べた。
それに呆れたのか溜息をついて肩を竦める人はいても、どうやら異論はないらしい。
そしてみんなが僕と冬真先輩を一瞥し、では、と立ち上がって準備に取り掛かり始めた。
その素早さといったら、もしかしてこの人たちの性に合っているのは喋ることではなく、暴れることなんじゃないだろうか…………?
唯一立ち上がっていないのは、一番偉いはずのあの女の人だけだ。
「面白くなってきたねっ」
隣にいた陽菜先輩もなぜか楽しそうだった。
意外と修羅場が好きなのかもしれない。
さらっと話が一段落したけど、要は冬真先輩を、僕か、或いは対妖異のプロフェッショナルが捕まえるという。
そしてそれは、どう考えてもとんでもないことだ。
「陽菜、秋人くん、お茶いる?」
そう声をかけてくれたのは自由の身になった伊狩先輩だった。
「夏希ちゃんおつかれー。手伝おっか?」
「お願いするわ。全員分淹れないといけないから…………」
「嫌そうだね…………」
「これだからウチでしたくないんだけど…………」
嫌そうだな…………強かな伊狩先輩だったけど、そんな彼女のもとに、ある人物が側に寄って声をかけてきた。
「や、夏希ちゃんおひさ」
なにを隠そう、今回のトリックスター、キキさんだ。
親しげなのを見ると、伊狩先輩と知り合いだな。
「その子夏希ちゃんとこの子なんだねぇ。前に見かけた気がするよ」
「そうなんですか、キキさん?」
「うん。あのハジメくんに振り回されてたからよく覚えてるよ。肩車してたし」
「なにやってたのあなたたち…………?」
変なところ見られたな…………ハジメ先輩とも知り合いか。
結構、親密な付き合いがこの組織においてされているらしい。
それからしばらく、彼女らは陽菜先輩も交えて世間話に興じ始めた。
準備といいながらほとんどの人がそんな風に談笑している。
これからなにをするのか、よくわからなくなってきたんだけど…………。
冬真先輩は————トイレにでも行ったのかもうその場にいなかった。
そういえばここのトイレはどこだろう?
なにをするのかわからないけど、始まる前に僕も用を足しておきたい。
「にしても面白い展開になったよね。これって言うなれば夏希ちゃんが相手の親だから、同じ親として挨拶でもしておこうかな。どうぞお手柔らかに」
「はい。挑むところです」
それよか。
伊狩先輩が笑顔だった。
伊狩先輩が笑顔だった。
伊狩先輩が笑顔だった。
僕はこの日を一生忘れない。