ひとつ
桜花爛漫の候。
春の暖かな風は僕の顔を優しく撫で、まるで今まで味わってきた艱難辛苦、その功労を労ってくれているようだ。
この憂き目において、僕の健やかな成長を讃えてくれる、かのように。
「んふ…………」
こんな恥ずかしい気持ちをあえて表すのは他でもない、この私立桜庭高等学校という名門を見事突破したからである。
まさか有頂天にならざるを得まい。
なぜなら地元では珍しく高い偏差値とハイセンスな制服、自由な方針とで人気なこの学校では、なんと可愛い子率も高い偏差値を繰り出し、自然、男子の受験率も上がる狭き門だからこそ、その功績の大きさは甚大だ。
倍率がどれ程の数値だったか、目眩を免れないことは必然であろう。
そんな勝利を辛くも収めたこの僕が、どうして有頂天にならざるを得ようか。
いや、ならざるを得まい。
ヴィヴァ、桜庭っ!エモシオン、僕っ!
「むふふふふふひ…………」
んぐ…………高笑いを堪えて、僕はこの窓際の席で悦に入った。
素晴らしきかな、我が人生。まさに勝ち組。いずれは大企業に勤めていそうだ、我ながら。
なんとなく不謹慎な受験動機は傍に置いといて、この日初めて昼休みのチャイムが鳴った。
そう、今日は入学後最初の授業日。
朝は哀川 秋人くんと呼ばれて初めて返事を返した。
「あいかわ あきひとくん」
「…………はい」
些細なことはどうでもいい。
さて、お昼ご飯を食べるとするか。
実はすでに連れを見つけてある。
彼らとは違うクラスだけれど、足を伸ばすのは吝かでない。むしろこちらから気を遣わせていただこう。
中を漁ろうとカバンに手を伸ばしたとき、しまった、親が今日も半ドンだと勘違いしていたことを思い出した。
朝は筆記具以外空っぽ、今や配られた4教科分の教科書でいっぱいになったこのカバンの中に弁当箱の気配はない。
友達を待たせるのも、足を煩わせるのも良いことではないが、仕方ないから食堂に連れて行こう。気遣いがものの数十秒で無駄になる例がこれだ。
幸い小遣いは程々あるわけで、見栄を張ったメニューを選ぶことができるだろう。
カツ丼で英気を養うのだ。舐り箸でこっちと己の弁当を比較する友達の光景が目に浮かぶ。
ついでに意地の悪い表情の僕の顔が目に浮かぶ。
カバンをほったらかし金は所持してクラスの顔見知りに手を振ってから僕は教室を後にした。
そして廊下を伝って向こうのクラスへ顔を覗かせれば目当ての面子と目が合い、僕が手持ち無沙汰だと理解したからか、彼女はそそくさと荷物に手を突っ込んだ。
まさか言わなくてもわかったのか…………素晴らしい。
片付けもあるみたいで少しかかりそうだ。人通りも多い引き戸の手前で突っ立っているのもなんだし、優雅に窓へ肘を引っ掛け待たせてもらうとしよう。
こちらからは中庭が見える。
ビオトープと、目線を上げれば特別教室。そこから上には音楽室や図書室とが積まれているようだ。
中学と似たような造りに、なんだか安堵感やがっかり感の複雑な気持ちが落ちる。
コンクリートの色だけが、少々小綺麗で若気のある青緑色に限りなく近い灰色を映しているのは気分が良い。
創立10周年だっけ?端数はよく覚えていない。
右に首を傾ければ渡り廊下が3段と、反対に目を向ければ…………校門が見えるのだが。その手前。
おや?
カーテンが外に吸い出されている教室。
窓を開けて空気の入れ替えでもしてるのだろう、今まさに使っている状態のそこに、制服を着た後ろ姿がチラリズムした。
男子生徒か?
別におかしなところはない。
ないけれど。
部活動の部室だろうか。なに部なんだろう。羨ましい。
「お待たせー」
「ああ、お疲れー」
そう、大したことではなかった。
明日には早速音楽室を使う予定があるようだし、間抜けかもしれないけど寄り道して覗いてみるのもいいかもしれない。
部活動に現を抜かす余裕は今のところないため、本当に覗くだけだ。
なんて、1日も待てない自分の不甲斐なさが哀しく思う。
我ながら酷い抑止力。
とはいえそれの行為が間違っているとも限らないのが自然だ。
だって目に入ってしまったのだから、気になって頭から離れないのもごく当然の結果である。
それが不思議だ。不自然だ。
どうして気になって頭から離れないのか。理由にはあまりにも説得力がない。そもそも理由がないにもかかわらず気になってしまうのだ。
そしてやっと違和感が、夕暮れの廊下を歩いている内に芽生え始めた。
遠目でははっきりとしなかったもの。
つまり、吹奏楽部が至る所で演奏練習に励んでいるこの建物の中で、この階だけにしかない静けさが、旋律もなにもなく統制が乱れている金管楽器や打楽器の音が壁をすり抜け越えてくる中、なにもない、誰もいないこの廊下が異質で異様だ。
この場所に何者の気配も感じられなかった。
そして、唯一。
この先の行き止まりにある教室は例外的に。
物音がする。
少しどころか完全に怪しい。
こんな都市部とは離れた田舎の有名高校でそんな大仰な陰謀が渦巻かれているとは露程も思わないけど。
確かめずにはいられない。
僕は目の前の扉にそっと手をかけて、ゆっくりと引いた。
‘オカルト研究同好会’なる部室で、果たしてなにが行われているというのか…………っ!?