じゅうご
私の好き嫌いの話に付き合ってほしい。
私は嘘が嫌いだ。
なのに私は嘘つきだ。
こんなことを言うと、やっぱり矛盾しているんだろう。
事実とは違うなら、それが嘘。
ハジメくんはこんな私でもファンでいてくれているけど――――。
ああ、ファンといえば、実は先日、もうひとり私のファンができてしまった。
哀川 秋人くん。桜庭高校に今年から在籍する、私の後輩だ。
とても嬉しかったけれど、彼らは私のことを過大評価している。
私は嘘つきだ。
これに偽りはない。
そして私は嘘が嫌いだ。
これも偽りはない。
つまるところ、私は自己嫌悪をしているのだ。
今でこそ自分の気持ちを偽ることなく表に出すことができるのに少し前の私は、自分の気持ちを押し殺して他人と接していた。
いや殺してはいない。
隠しただけだ。
例えば、友達に好きなものがあったとする。私はそれがどんなに嫌いなものでも、同じものが好きだと言う。
例えば、友達が誰かのことが嫌いだと言う。私はその誰かがどんなに好きでも、同じく嫌いだと言う。
最低だ。これが私だった。
いや…………実は今も変わらずこうなのかもしれない。
今、オカルト研究同好会のみんなに、嘘偽りなく接している気持ちが、いつか嘘だったと気づくかもしれない。
それほど私は、自分のことが信用できないのだ。
前から女子生徒が歩いてくるとしよう。
場所は桜庭高校の、2階廊下。
休み時間、B組のラクくんと話し込んできた帰りに自教室に戻っているところだ。
「あ、喜多町さん。おはよう」
「おはよう」
すれ違いざまに挨拶を交わし、立ち止まって会話することもなく、私は自分の教室に入った。
あからさまに避けていることはお分かりのはずだ。
せっかく向こうから声をかけてくれたというのに、どうせなら立ち話に花を咲かせて、最近の互いの成績なんかを生け贄に、互いをおべっか使ってひき立て合い、胡麻をすり合う壮絶なデュエルに興じてみても、いいノリなのではないだろうか。
なんて。そういう遊びになってしまうことを危惧して彼女との会話を避けている。カッコいい言い方かもしれない。
自分を圧し殺して建前を使うことに、私もう耐えられはしないのだ。
彼女も私を勘違いしているひとりであり、私がラクくんと出会う前からの付き合いの子。
猫を被って(猫といえばラクくんのことだけど)いた頃の私といっしょにいてくれた、端的に言って友達だ。
そんな友人に、そんなぞんざいな態度をとっている私は愚か者だ。
しかし昔の私と比べればマシなほうだろう。
私は彼女といっしょにいたときに、数えきれないくらいほどの嘘をついてきた。
未だバレていないそれらの嘘は、彼女に偽りの私を刷り込ませ、今でも彼女は、私が共通のアイドルの熱狂的ファンなどなど、様々な勘違いをしてしまっている。
私がそのアイドルのファン第一号だよっ――――それが彼女についた、始めての嘘だったかな。
我ながら…………適当過ぎて、よく彼女はそれを信じ込んでくれたな。猿がついた嘘の方がまだしもリアリティがありそうな。
ちなみに。ひとりで静かにしていた彼女に声をかけた私の心には、またひとつ正義を貫ける、というものがあった。
まったくもって意味がわからない。今更ながら私でさえそう思うのだが、驚くべきことに今更ながらそれが過去の自分であると気づくのだ。
そしてまるで他人事のように、私はそんな過去を嫌っている。
彼女のみならず、同じく形だけ友達になった全員に同じく嘘をつき続けた自分に、もっと真っ当になれ――――と言い聞かせるのももう、億劫だ。
幸か不幸か、人は些細な出来事で価値観が180度換わってしまうものだ。
昔々。幼稚園から小学校に入ってまで、私はそれほど、そんな息をするように嘘をついていた子ではなかったらしい。
純真無垢とでもいうのだろうか。嘘という言葉さえ知らなかった時分だ。
取っ掛かりは小学3年生。
私はいつも、もっと小さい頃から仲がよかった友達といっしょに仲良く遊んでいた。
大親友だった。
あるとき彼女がこう言ったのである。
「わたしって、とってもかしこいんだよね」
的な。
その言葉に、つい私は、
「ええっ?でもこないだの算数のテスト80点だったでしょ?」
いちいち細かい、思ったことをそのまま言ってしまう私だった。ちなみに、私は95点を取っていたはずなので、自慢の小学生時代だったと言えよう。
この時までは。
「なにっ?わたしがバカだって言いたいのっ?!」
当然の反応かもしれない。
怒ってることが、たとえ大した事情でなくとも、正しい反応だったのだろう。
しかし私は彼女がどうして怒っているのかわからなかった。
私は正しいことを言っただけだった。
嘘をついたわけじゃない。
些細なことだ。ありがちなことだ。
当時小学3年生の私が、建前を知らずに、友達相手に限らず、人にとって真実は必然、事実は事実だと思っていたことも、なんら特別な感情ではない。
というより。
嘘は泥棒の始まり。
真実が常に正義であるという、幼くも可愛くない、マセた考えを内に秘めていたのだった。
いや、好きなアニメのキャラクターがそう言っていたのだから、憧れて真似をしようと思うのも可愛いじゃないか。
純粋無垢。
そしてさっきのが、私に価値観を変えさせる、私にとって黒歴史の大革命の始まりだった。
真実は人を――――かけがえのない誰であろうと傷つける、と。
少し後に私はそう理解した。
なんだか全然わかってない。
真実ではなく、事実の内容が厳しかったのだと気づかなかったその頃は、事実でなければいいのではないかと思っていた。
次に会ったとき、私は自分が愚かだった、言い過ぎたと謝ったが、結局私は彼女に許してもらえることはない。
そのときの私の喪失感は、私を押し潰してしまうほどだったはずだろう。
家に帰ってからというもの、私は彼女が許してくれなかった理由を考えた。
やはり真実だったからいけなかったのか。真実が彼女を怒らせたのか。
その通りなようで的外れの答。
彼女とは、それっきり口も聞かず、中学から別々の学校になったこともあって、会っていない。
彼女も彼女で小さな人間だった。うん、今の私ならそう思えるくらい真っ当になったもんだ。
嘘を吐くよりむしろマシだとは、皮肉な育ち方にも程があるけど。
その後、私は新しくできた友達からようやく嘘を教わった。
その友達は私の知らない顔を持っていたというだけだったのだが、私は事実は隠蔽できることを知った。
そして嘘を吐き始めた。
私は正しさを変えた。誤ちに変えた。
真実を誤解させるようになりました。
誰かが傷つくくらいなら。友達がいなくなってしまうくらいなら、自分の気持ちを隠して偽った方が手っ取り早い。
またここに、ひとりの大嘘つきの誕生である。
一番怖かったのは自分が傷つけれることだろう、とは思わなかったんだろうか、私は。
自分で自分を偽っていたことを、見て見ぬふりをして嘘を吐いた。
さぁ。ずいぶん長々と自己批判をしたので、そろそろ私がどうやって改心するに至ったのか。ラクくんとの出会いを踏まえて開示しよう。
私は小学校の後半と、中学の3年間、ずっと嘘を吐き続け、嘘を貫き通した。さすがに成績を偽れる程の才覚はなかったけど。
正しさを貫き通したのだろう。誇るべきだ。
しかし、そんな誇り――――埃は、冬真 楽という箒で、あえなく掃かれてしまうことになるのだけれど。
桜庭高校に進学し、変わることなく約半年は嘘を吐いて過ごし、9月を過ぎた頃である。
その頃の私はというと、嘘に疲れていた。
嘘を吐くものが嘘に疲れていたとは、洒落がきいてるようにも思えるけど。
理由は、他人の嘘がわかるようになったからだ。
これも私の新しい才能として会得したものだ。
いろんな嘘をついてきたからだろう、バリエーションも豊富だ。なんなら今ここで嘘つき劇ができるくらい。場面ごとに約束されていた伏線をひっくり返すことができる。
冗談です。私は嘘が吐けるだけで文才はありません。
そう、ここまでくると、私は伏線を張って、嘘がつける程だった。
さらに言えば人は嘘を吐くまでにその仕草がある程度決まっているという。
あ、こいつ嘘吐くな、と事前に察知することはもちろん、嘘の裏に隠された感情でさえある程度まで解釈することに造作はない。
他人の嘘がわかるとは、つまりみんな吐いている嘘なんて、私がとっくの昔についたことありますよー、てことになる。
本人からすれば完璧な、バレることは絶対にあり得ないという自信作を、私は看破できる。
ひどい言葉でいうなら、低レベルな嘘。
嘘の解体職人を名乗れる。
そのせいだろう。
嘘をつかない人が、誰もいないことに気がついてしまったのは痛かった。
心から本心を言う人が誰もいないこの世の中。心に真実を閉じ込めてしまった人が大勢いた。
かわいい嘘からむごい嘘まで、みんながみんな、全員が嘘つきだったと、私は知ってしまった。
私の周りには、嘘つきしかいなかったのだと知った。
だから失望していたのだった。
私が信じた正しさはなんだったのか。みんなも私を騙していたのか。それなら――――嘘をつくとは、なんなのか。
思春期だ。私は哲学にはまってしまったと思ってほしい。
そして都合のいい時に限って真実という体の暴言を吐く彼らにどう感心しようって話なのだよ。
お待たせしましたー。
ラクくんはこれから出るよー。嘘じゃないよー。
同じく9月を過ぎたころ。嘘に疲れていた私は、ある放課後、違うクラスの教室にひっそり残っている男子生徒を見かけた。
特になにかを思ったわけではない。ただ単に勉強の息抜きで友達100人を目指していただけだと確固たる目標があったのだ。
嘘をついてね。
彼はボーッと、窓際の席で、窓の外を眺めて座っていた。
これはカモだなと思い、私は音をたてないよう、そーっと近づき、ビックリさせてやろうと思って、いきなり声をかけた。
「こんにっちわっ」
第一印象は大事だ。ひとりひとりに違う第一印象を与えている。このときの私は、試みにテンションあげあげを演じようとしていたはずなんだけど。
彼はゆっくりと私の方を向き、まるで興味なさそうに、ひとこと。
「ああ、ビックリした」
全然驚いていなさそうだ。驚くほどの冷めっぷり。滑った私が恥ずかしいっ。
それでも私は根気強く。
「なにしてたの?」
見ればわかるだろうに、ということを訊いてみた。
「ああ。有名な芸能人がおれに間違い電話かけてこないかなぁ、と思って」
見てもわからない。
絶対嘘だ。
なぜそんなにもあからさまに…………。
このときの私の心境に、その程度で人を騙せると思ってるのかな、なんていうものがあった。
嘘は人を騙せるものでないと。ベテランの私は心の中でダメ出しをしてやった。
私は根気強くスマホを見せびらかして言ったのだ。
「私は一回あるよ。芸能人の間違い電話」
聞けっ。これが嘘だっ。お手本だっ。
すると、
「マジでっ?」
…………。
「誰だったっ?誰からだったっ?」
「え?いや。あの…………」
食い付きが半端ない。お返しにとばかりに、低レベルな嘘をついただけだったのだが…………。
とにかく私は、嘘を続けた。
「ええっと、桐沢 明奈ちゃん…………」
おっと大きく出ましたね私。
とたんに彼は目を輝かせて、
「あのアイドルからって!お前すごいな…………」
退くに退けなくなってしまった。
まさかファンですか…………。
「なんて言ってたっ?」
「すぐ切れちゃったなぁ」
目が合わせられなくなってきた。
「そっか。残念だったな。でもお前運がいいよなぁ。普通かかってこないのに」
かかってきませんっ!かかってこないんですっ!
「い、いや、まさかそんなことを待っている人がいるなんてビックリだよー。どうして君じゃなくて、私だったんだろうねー」
冷や汗だって半端じゃない。
どうしてか。
私がこの時しまったと思った理由に、あまり根拠はないけれど。
「ほんとに…………うらやましいっ」
バレたらやばいんじゃないかっていう、雰囲気を感じてしまった。
「でも君、面白いこと考えてたんだね」
私が現実逃避にも程がある彼の話を引っ張って誤魔化すことにした。
「うん。今日は部活が休みだから、暇潰しに」
暇潰し。
なんだ私と一緒で暇なのか。
しかしここまで嘘がクリーンヒットする人は珍しい。
それからは、なんとか言いくるめて逃げることができたけれど、彼の印象が強すぎて、逆に興味が湧いてしまったのはよかったと今では思う。
ある意味嘘が通じない人物――――というものに、私は初めて出会ったのだ。
その日から、私の嘘の価値観が動き出した。
別の日。
私は休み時間に、彼とばったり出くわしてしまった。
「あ」
「あ」
…………覚えられてるな。
「よー。誰かさん」
名前か。そういえば言ってない。
別にこれなら嘘を吐くものでもない。
これだけは私は偽らずに名乗れる。
「おはよう。こないだぶりだね。自己紹介も遅れたね。私は喜多町 陽菜っていうんだよ」
「うん。よろしく、陽菜」
笑顔で言った彼だが、ほとんど初対面で呼び捨て?
「おれは冬真 楽。楽って書いてコノム。ラクでいいよ。1年B組、オカルト研究同好会所属」
これはこれは、ご丁寧に。
「よろしくね。ラクくん」
友達は選ぶべきではない。それと等しく、言葉を選べる友達は持つべきだ。
さしあたっては、まずは自分の接し方を変えてみる必要があるので、自分を殺す覚悟をしておいた方がいい。
これは教訓だよ。嘘かもしれないけど。