じゅうさん
入学式から三週間が経った。
ようやく高校生活も慣れてきた傍ら、図らずしてこずかい稼ぎにも精を出すようになった今日この頃を僕はこうしてみっちり…………。
仕事の内容は、‘扇’という如何わしい組織が集めた書類、資料の整理整頓。
加えて、新人の僕の研修を兼ねたものをこなした。
これがまさか、勉強にも手が出せない曲者だったと今気付くのは早かったのか遅かったのか定かではない。
目下、妖異の特徴を覚えることに専念していながら、そんなことは資料の整理をしながら容易く完了し、次にこまめに様々なファイルを開いては伊狩先輩と陽菜先輩が選別した資料を僕がが収めるという、これが分担作業かと感心しているところだ。
大した作業ではない。がしかし。
この並ではないエベレスト山を前に、毎回僕は予め怖気付いた足腰を叱咤激励しながら作業に臨まなくてはいけない。脚立を使うので尚更だ。
さらに、どれだけ計算されてできた資料室なのか、項目が項目に結び、例えば逆算検索をかけても、慣れた者がすれば機械よりも早く目的の資料へ辿り着けるアナログ性能の完全性を考慮した整頓法にてんやわんやして時間が長引く始末だった。
最初は半ば脅されて入部届を提出して加入した後に予期せぬ大仕事を任されてしまったオカルト研究同好会ーーーーもとい、‘扇’という組織ではあったけど、ところがどっこい、徐々にこれがまた中々に楽しいものと僕は感じてきていたのは幸いだった。
主に、先輩たちとのおしゃべりが楽しい。
なぜ、こんな青春を謳歌し成績を修めるための建物で、こんなオカルティックな事務室が置かれているかというと。
学校内では、妖異が好みやすい負の感情を持った未成年者が多いため、さらに手早い処理で個体の特徴を理解、保存するため、だそうらしい。
そんな危険な場所に置いておいていいのかとか疑問も残るけど、最早組織の息がかかった上、教員にも関係者がいる学校でそんな大事件が起こるべくもないらしく、さらには結界やらが張り巡らされているお陰様で、こうも和やかに仕事に専念できるというわけだ。
また、先輩ら自身の研修も兼ねているらしい。
伊狩先輩は結界術の修行。
ハジメ先輩は‘眼’とやらの研究と強化。
弐ノ舞先輩は特に何もしてないけど、陽菜先輩は何故かファイルを開いて綴じて閉じては、頻繁に発声練習や早口言葉の練習をしている。
曰く。
「いざとなった時のためだよ。声が出なきゃ私は役立たずだしね」
歌もさぞ上手かろう。
いざという時との関係がイマイチ見えてこないけど…………。
その辺りが、およそ先輩方からの受け売りで理解したこの学校の全貌だった。
エラい裏世界に入り込んでしまった…………。
僕は生きて再び、堅気のシャバの空気を吸うことはできるのだろうか?
なんだ僕。
なんかカッコよくないか?
「秋人くんお疲れ様。陽菜もありがとう。今日の仕事は終わりよ」
「あー…………」
「お疲れさまー。ふー」
伊狩先輩の合図を伴って、僕は大きく伸びをし、陽菜先輩は小さく溜息をついた。
今の今まで取り組んでいた資料の選別。
果てしない量だ。
全くシビアな選別であり、かつ種類も膨大なので短時間単純作業とはいかない。
普段はこれを毎日、たったふたりでこなしていたというのだから頭が上がらないものだ。
まだ役立たずの僕が少しでも早く力になれたらと意気込む次第である。
「秋人くんの加入でとても早く終わった上に、まさかの明日の分が残らず終わったなんて。ありがとう」
「いえ、まだ全然勝手がわからなくて。え…………普段翌日まで繰り越しなんですか、この仕事?」
「十分。でも、たぶんできるようになってきたらもうひとり分の量が流れてくるから、頼んだわ」
しれっと、僕を慮ってくれた伊狩先輩は一転して残酷な予告をしてくれた。
涙がちょちょぎれてくる。
割とブラックなのではないだろうか、この仕事?学生の小遣い稼ぎの範疇を軽く越えている。時給いくらだ…………。
「やってられないですね。ていうか、これをハジメ先輩も一緒にすれば早く片付くんじゃないですか?」
「僕ごときがそんな大それた仕事を…………ミスをしない自信がない。特に夏希の隣では、尚更な」
「大げさなんですよ…………」
ハジメ先輩のそのセリフは割と真に迫った声色だったけど、目線指先は無断で持ってきたゲームしか追っていないのでどうも真剣な思いではないらしい。
これでも、僕からすれば伊狩先輩は親切だったと思う。仕事の仕方を丁寧に教えてもらったし、確かに、ちょっと話しかけづらい剣幕で作業をしていたけど…………。
彼女を口実に、やはり面倒はしたくないというのがハジメ先輩の本音だろう。
「足手纏いは放っておきなさい、秋人くん」
不届き者へは厳しい態度の伊狩先輩だった。
「手厳しいな…………秋人には期待してるぞ。僕が手を出せない分まで存分に遠慮なく片付けていってくれ」
「存分に遠慮なく自分のやる気を棚に上げないでください」
恐ろしい程に赤の他人面なこの先輩だ。
無関係の方に下手な期待をしていただきたくはないのは概ね僕も同じだ、ハジメ先輩。
「ははは…………まぁ、ハジメくんは次期戦闘要員だしね。それまで、今の所はどちらかというと、資料が必要な人へ伝えてくれるパイプだから」
「ナイスフォローだ、陽菜ちゃん。そう、僕も仕事をしている」
「そうですか…………役割が決まっているんですね…………」
「まだ実戦経験はないけどね」
「夏希、それは言ってはいけない」
全く罪悪感なしに陽菜先輩のフォローを受け取ってたぞ、この沢井何某というダメ先輩は。
伊狩先輩がチクったお陰で僕はハジメ先輩に騙される心配がなくなった。とても迷惑な人だな、ハジメ先輩…………。
よく思えば、そもそも‘次期戦闘要員’なのだから、そのニュアンスで騙されたとしても説得力がないか。
「とはいえ、本当にすごい量でした。でも僕が加入して増えるくらいなら、こっそり手伝うとかでよかったかもしれませんね。なんちゃって」
選別作業を繰り返す単純なものだった。
しかし何度も繰り返して言うように量が半端ない。
でも手の多さで解決する問題なら、わざわざ入部届を提出してまでの手助け、人助けをする価値はあるとは思う。
美人な先輩方のためならば尚のこと。
一人毎にノルマがあるなら元も子もない作業だったけれど。
もちろん冗談で呟いただけだ。
しかしあろうことか、突然、伊狩先輩が勢いよく立ち上がり、先程まで大量の紙に覆われていた折り畳み机の天板を強く叩いて悔しそうに歯を食いしばって机を睨んだ。
酷い剣幕だ。
いや…………まさかそんな不真面目が許されるわけがないと、しっかり弁えて苦笑いしながらの発言だったけど、割と禁句だったのだろうか。
彼女にとってはそんなズルには屈しないという、確固たる信念があったのかもしれない。
いや、恐ろしい…………申し訳ない…………わざとじゃないことを伝えなければ。
伊狩先輩を怒らせる初めての経験に、気遅れを気張って取り戻し、ごめんなさいと一言を言うのだ。
行け、行くんだ、僕。
残念ながらというか、ホッとしたというか、それはどうやら的外れであり、伊狩先輩を見くびっていたことに他ならないことを僕は次の瞬間理解した。
「その手があったわ…………」
…………ぶっちぎる気満々かっ。
「なんでもっと早く気がつかなかったの…………そのせいで面倒が増えるからハジメに手を出すなとは言ったけど…………それを塵に帰すことをこの手でしてしまうなんて…………」
仕舞いには顔を手で覆って自らの失敗を嘆く先輩だった。
シクシク、という感じで。
見た目によらずしたたかな人だな…………僕のさっきの感心を返せ。
でもこれまでにも、たまにこんなオーバーリアクションの伊狩先輩を見かけた。
コレクションしておこう。
脳内保存、脳内保存。
普段は常時ムスッとしているので、別の表情が見れたるとレアなのだ。
その上、可愛い。
「あぁ…………もう……………………。さて」
そして立ち直りも早い…………。
すでに鉄面皮の再展開を果たして、次の予定へ移行しようというのか、先輩。
見習うべき習性だった。
「今日はこれで失礼するわまた明日ねみんな」
先輩はほとんど棒読みでそうまくし立て、いつの間にかまとめていた荷物を持ってそそくさと部室をあとにしていった。
流れるような可愛げのある動作に一瞬見惚れてしまい、そのせいで彼女にはっきりとした挨拶ができたかどうか覚えていない。
可愛げ、というのは、なんだか急用を感じられる様子ではあるけれど、口角が地味に上がっていたからなにかの楽しみが待っているとか、そんな無邪気な面のことだ。
そんなことを訊ねるのも野暮だろう。
陽菜先輩とともに、その後ろ姿にだけ手を振って見送ったところで、陽菜先輩は大きく息を吐きリラックスした。
陽菜先輩程の人でも、あの伊狩先輩と同じ場所にいるのなら緊張していたんだろうか?
「さて、私たちも片付けが終わったところで、お茶でもしますか」
「お茶…………?そんな設備がまさか学校で許されるわけがないんじゃないですか?あぁ、自販機があるか。わかりました、ちょっと駆け足で買ってきますので、陽菜先輩は少し待っていてください」
財布が痛いけど、幸い小遣いに余裕があるし、ここでさらなる美人な先輩の信頼を勝ち得るために僕は万難を排してその手足となろうと手を挙げた。
ぶっちゃけ、親切に対する報いがしたい。
だからこそ、進んでのパシリに名乗り上げることができた。
我ながら、見上げた忠義心だと自画自賛を建前たところで、陽菜先輩に止められるという。
「それには及ばない。秋人くん、ここを見たまえ」
そう言って、陽菜先輩は資料で敷き詰められた棚の最下段、扉の備えられた段のまた一番右端から、電気ポットを取り出した。
あっさりと、先輩の威厳を見せつけられてしまったということだ。
「なんとっ?!」
「秋人くんはコーヒーかな?一応、お茶もいろんなのがあるけど」
「あ、じゃあコーヒーで…………って、これって無断に持ってきてるんじゃ…………」
「細かいことは気にしない」
陽菜先輩はまたそう言うと、次に電気ポットを出した隣の扉から、ハンドルが付いたすり鉢のようなものを取り出した。
しかし見覚えがある。
まさしくそれは、名前のわからないコーヒー豆を挽くなんとかだと断言する。
「なんですか、それ?」
「コーヒーミルだよ」
「なんでそんなものが?」
「コーヒー豆を挽くためかな?」
「それはわかりましたけど、その段階から?」
「今日は秋人くん好みのブレンドを考えてみたからねっ。このくらいかな?じゃらり、と」
「豆も?!」
何種類かあるだと!?
そして案の定、ドリップの装置がいつの間にやら机の上に乗っていたりする。
「これってどのくらいかかるんでしょうか?」
「私は慣れてないんだけど、そんなにかからないよ。豆の香りを香わって、楽しみにお待ちなさい」
「はぁ…………」
そして静かな時間が漂った。
ゴリゴリゴリゴリ。
ゴリゴリゴリゴリ。
……………………。
「あっ」
突然、陽菜先輩が大きな声を上げた。
びっくりして、やっぱりなにかマズかったのかと心配してしまう。
「お湯沸かすの忘れてた」
「えー…………」
「ごめんごめんっ。じゃあもうちょっと待っててね〜」
陽菜先輩はコンセントに水の入った電気ポットのプラグを差し込んで、スイッチを押した。
これは許可を頂いて置かせてもらっているものだったはずだ。
また、静かな時間が流れ出す。
ツー…………。
ツー…………。
スー…………。
ポットから蒸気が出る音。
蒸気とその向こうに美人。
いい…………。
ゔゔゔ、ゔゔゔ。
おや?
無粋な振動音が沈黙を掻き消しおったぞ?
誰だ?マナーモードであっただけでも不問としよう。
「おっと、失礼。メールだ」
「ハジメ先輩いたんですね…………」
「おいやめろ。後輩からもそう言われるのは心外だ」
みんなから言われまくってるなこの様子じゃ。
そしてここにいるみんなが自分のケータイを確認した中、バイブレーションの元は彼のものだったらしい。
懐かしのガラケーだ。渋い。
即座に、ハジメ先輩はケータイをポチポチとし始めた。
そしてすぐに。
「秋人」
「はい?」
先ほどと打って変わって、真剣な面持ちのハジメ先輩が、懐かしい折り畳みガラパゴス携帯をぱかっと閉じて、僕にメールの用件を話してくれた
「夏希から伝言だ。ラクがうろちょろしているのを見たらしい。自分は手が離せないことがあるからラクの動向を監視しろ、だと」
「…………あー、はい」
「お仕事か。仕方ない。今日はこのブレンド、私が頂くとしましょう」
「すまないな、陽菜ちゃん」
それは困る。
キタマチブレンドは是非とも味見しないといけないのだ。
断ろう。仕事で疲れたし。
「いや、その前に、僕だけで冬真先輩を監視するのは無理があるというか…………」
陽菜先輩のコーヒーが飲みたいのもあるけどこんな時間に駆り出されたら後からキリがない。
折角ホッとした時間なのに。
「心配するな。僕と行けばすぐ終わるはずだ」
「ハジメ先輩も?」
「あぁ…………なに、簡単な仕事だ。報告書をまとめるだけだし、それは僕の仕事だから、お前はいてくれるだけでいい」
「やだハジメくん…………」
「いたら役に立つだけで深い意味はないんだが陽菜ちゃん…………」
「いってらっしゃーい」
「いってくる、が陽菜ちゃん。ゆっくりしてるのもいいが、もう下校時間だぞ?」
「んなっ?!」
————コーヒー飲んでる場合じゃないよトホホ…………。
陽菜先輩とは、それから別れた。
これが終わったら、僕たちもまっすぐ家に帰るのだ。
ハジメ先輩と廊下を歩くのは2度目である。
それほど時間が経ったわけではないけれど、感慨深くもないけれど、そのときとは違う空気を僕は感じていた。
ハジメ先輩の雰囲気が、なんだか怖いように思えるからだろうか?
少し前にハジメ先輩が冬真先輩を嫌っているという事実を知り、これから行う仕事が冬真先輩絡みだというだけで、彼は気後れし、苛立っているのだ。
「ラクはいずれ、‘扇’の本部から協定違反を指摘されなければならない」
「えっ?」
唐突に話されたのは、冬真先輩の境遇。
‘僕ら’との関係だった。
「ラクは‘扇’の人間じゃない。そもそも監視対象程度のやつだから人権も無視されてるくらいだな」
「それは前に聞いた気がします…………やり過ぎじゃないかと」
「そうだな。まぁつまり、やっとその監視という仕事が始まったばかりなんだがーーーー」
「いや、始まったばかりって」
オカルト研究同好会として、彼らはいつからか同じ環境に身を寄せていたはずだ。
四六時中、とはいかないものの、長時間一緒にいたであろうことは明白なはずだ。
それなのに、仲間というよりはーーーー監視対象か。
「確かに始まったばかりではないな。正確には再開したってところか」
冬真先輩が単独で妖異を狩り出したのは、結構最近かららしい。
その間、彼は結界という非科学的なバリアーの中で狩りをしていたわけで。
「だからその意味のわからない挙動に、僕らは近付くことができなかった。お前が来るまでの話だが」
「僕の、体質」
「なにも、上から言われてラクを泳がせているわけじゃなかったんだが。むしろ手をこまねいていたことがバレれば、どんな仕置が下るかわからない」
「仕方ないんじゃないですか?冬真先輩の結界ってーーーー」
「並じゃない。それに上等どころじゃない、言ってみれば極上ものだとか言われてる」
会話が楽しくなってきたのか、茶目っ気を込めたことをハジメ先輩は言った。
でもそのとき振り向いて僕の方を見たハジメ先輩の目は笑っておらず。
むしろ嫌悪感を隠そうともしない。
「‘怪異’とは、よくわからないものだ」
「怪異?」
「僕らとは違う進化の過程を踏んだ存在のことだ」
「え…………?」
「ああ。怪異ってのはラクのこともそうなんだが…………今の所、定義としては人間に進化した‘なにか’が当てはまればいい」
「?」
「急な講義ですまんな。理解されるには遠く及ばない説明だが、それだけあれば説明がつく。要するに‘生きている間に転生’と考えれば間違いない。今のうちに覚えておけ」
なるほど。
いや、それは不可能だ。
「そんな意味不明なことが、起こるもんなんですかね?」
ハジメ先輩は、階段の踊り場まで来て立ち止まり、設けられた手すりにもたれかかった。
屋上まで続く階段だ。
「僕たちはその意味不明な世界で‘仕事’をしている」
ーーーー大した疑問は必要ない。邪魔だ。