状況開始…?
第一章の導入、くらいの部分です
“ゲーム”の詳細はもうちょい先ですが、お楽しみいただければ幸いです
1
「――高津悠。何か言い訳はあるか?」
「すんません……」
「ふむ。素直なのはまあ悪いことではない。席に着け」
クラス担任であるところの松崎先生の恩赦に頭を下げ、普段仲良くしている連中からのニヤけた視線を受けながら自分の定位置に辿り着く。いわゆる遅刻というやつだ。多分いわゆらなくても遅刻。刻に遅れるという読んで字の如くのミスである。
教室を見渡してみると、一つを除いて全ての席が埋まっていた。二、三年前は高校生にもなったら常に四分の一くらいの生徒がサボってるような風景というか殺風景を想像していたのだが、実際そんなことはなくみんな案外真面目である。ちなみに最後の一人は不登校とか言うわけじゃなく典型的な遅刻魔だからこの時間にいないのはもはやデフォルト。気にしない。
「なに高津、いつも早いのに珍しいな」
鞄を机の脇に置いて一息吐いていると、教卓の奥で淡々とHRを進めていく先生の声に特別気を向けることなく隣の席の男子が話しかけてきた。
葉月真司――名前だけなら爽やかイケメンっぽいくせして実際コメントに困るくらい中の中に属する顔を持って生まれた友達である。高校からの付き合いの割に親友と言っても過言でもないくらいの頻度で絡んでいる彼は、女子の一部に源氏名詐欺とか呼ばれてることを全く知らない。いつか素敵なタイミングを見つけたら暴露してやろうと思う。
「どーかしたのか?」
頬杖をついてこちらに体を向ける葉月。もしこいつが格好良くて俺が純粋な乙女でここが少女マンガの世界で背景が水玉トーンだったりしたら確実に惚れてるシチュエーションだけどオールダウトだから全然萌えなかった。何だそのポーズ。
「いや……まあ、どうもしてないってか、ただの寝坊?」
何で高津が疑問形だよ、と可笑しそうに笑う葉月に曖昧な表情を返しておく。答えるのが面倒なときにとっても便利な、笑ってるようで困ってるようで引きつってるようですらある芸術作品みたいな表情。またの名を苦笑いとも。もし心の声を聞ける奴がいたら親友にそんな顔を向けてる俺に最低のレッテルを貼ることになるだろうけどそんな得体の知れない超能力者にまでなけなしの気は配れないです。
なんとなれば、元よりキャパシティの少ない俺の関心は、目下例のアプリにほとんど集中していたからである。
――今朝のことを思い返してみる。
憑希。それに、契約。
序章をすっ飛ばしたせいでどうやって進めていくゲームなのかさっぱり分からなかったから、あの後色々と弄ってみたのだ。集中を切らさないよう音声は切った上で。
まず、アプリを開くと最初に表示されるメインページ。このページの右半分はアバターが占拠し、反対側にはメニューバーらしきものがいくつかあった。ただゲームを進めていかないと解放されない設定なのかほとんどが灰色で今のところ無意味なリンクである。
唯一機能していたのは〝アバターステータス〟という項目だが、試しに開いてみても大方の予想通りレベルやら――身長体重スリーサイズが小数点以下二桁の位まで詳細に書いてあるだけだった。誰が予想してるんだよそんなの。いくら思春期真っ盛りの男子高校生でもデフォルメキャラのサイズを知ったところで嬉しくはない。というか役に立つのかこの情報。
一応ゲーム進行に関係ありそうなものとして、スリーサイズのすぐ下に〝能力〟というワードが申し訳程度に点滅していたが、今は空欄だった。これも成長が進むと使えるようになるのか。ステータス欄に「攻撃力・防御力・HP」みたいな定番の数値が載ってない時点でバトル要素が感じられない育成ゲームでどう能力を使うのかも疑問ではあるが。
チュートリアルは完全にあれで終わりだったらしく、分かったのは結局これだけだった。
むう。
何が言いたいかって?
……育成ゲームなのに育成する方法が分からないんです。
そんなイケナイ事態が発覚して布団の上で唸っていたら普段家を出る時間を大幅に過ぎていた、というのが遅刻の正直な理由だった。のだが、
「――言っちゃいけないって、契約だしなあ」
ボソッともらした呟きは、多分誰の元にも届いていない。
二時間目の授業科目は古文だった。高校一年の二学期であるところの今、古文の授業で習うことなんてまだまだ語句の活用やら何やらで、言ってしまえば暗記物でしかない。そして暗記物の授業にはもれなく催眠効果が付随されるのが常識だ。特に俺は昔から頭をこねくり回してぐちゃぐちゃ考えるのは好きな反面、単なる記憶力は残念だからなおさらである。
だが科目担当の教師がかなり雑談のバリエーションが広い人で、授業開始時にプリントを配ったっきり「やりたい奴はやれ、やりたくない奴は僕の話でも聞いていろ」と言い放つ唯我独尊スタイルは一部の反発を除いて大半の生徒には受け入れられていた。実際結構面白い。特に他の先生が見回りで近くを通るときだけやたら大きい声でカ行変格活用の覚え方を唱えるところとか。とっくに終わった一学期中間テストの試験範囲じゃねえかそれ。
そんな感じで授業開始から数十分経った頃、ふと今年で三十を迎えるらしい古文教師が老化に向かって鋭い視線を投げかけた。ああいや、誤植だ、老化じゃなくて廊下。さすがにアラサー男がアンチエイジングに着手してるとは思いたくない。
ともあれこれは誰かの足音を聞きつけたという合図である。もはや何を言われるまでもなく教科書を机に立て、こーきーくーくるくれっこよーと詠唱するクラスメイトたち。我ながら異様な空間だと思うが、これを足音が聞こえなくなるまでやるのが毎週の恒例になっている。高齢とは誤字らない。
サボるのに慣れている人間特有の動物的カンはやはり正しく、唱え始めてから十数秒後に教頭が教室の中を覗き込むようにしながら通り過ぎていった。だがまだ油断はできない。足音が消えるまで――、
しかし今回は意外な形で呪文が中断された。
「……おくれて、ごめんなさい」
結城夢乃。
一年三組三十八人の生徒の最後の一人、遅刻魔の彼女が後ろのドアを開けたからだ。
「――ああ。早く席に着け」
その言葉に緊張していた空気が一気に弛緩する。異空間から現世に戻ってきたような感じだ。それを比喩に出しても違和感がないほどカ行変格活用は宗教じみている、ということでもあるが。
ちなみに意外な形という表現なのだが、古文の授業は週一回、月曜日の二時間目しかないため、登校してくる平均タイムが四時間目終了十五分前という脅威の記録を持っている結城がこの時間に来るのははっきり言って珍しいわけだ。アンチエイジングにご執心な先生(勝手)とのやり取りがぎこちないのはそのせいだと言ってもいいほどである。
確か何時間目かまでに学校に着いていないと遅刻じゃなく欠席扱いになるらしいから、学校側にとっては遅刻魔じゃなく無断欠席常習犯くらいの問題児な可能性すらある。C級とB級くらい戦犯度が違う。
俯きながら俺から二つ右の席の椅子を引く結城。彼女は常に下を向いている。黒くて綺麗な髪はショートなのに前髪部分だけ少し長くて、その瞳を覆い隠してしまっている。
それがバリアの効果を発揮しているのか、このクラスで結城に話しかける人間はいなかった。庇護欲を誘う少女、という言い方をすれば聞こえはいいが、それは根暗な人見知りとも取れるのかも知れない。〝うるさい〟が〝明るい〟になり〝目立ちたがり屋〟が〝リーダーシップのある〟に自動変換される出来レース的な内申書みたいな感じで、人の評価なんて表裏一体ということだ。
まあそんなこんなで結城の遅刻の理由を知っている人はおそらく皆無なのだが、そんなことはどうでもいい。もしそれがどうでも良くない情報ならとっくに訊いてる。
そうじゃなくて、俺が気になっていたのは結城が入ってきた教室の扉だ。見事に隙間なく閉められているのが女子力高いと言うかなんと言うかそもそも女子力って何だよどうやって数値化するんだよって感じだが、あそこは授業中からずっと少し開いていたんだ。もう九月中旬ということで、冷房をつける時期は過ぎているがまあ暑い。風を引き入れろ、と。窓は最初から全開だが逆サイドがこれだと空気の循環的に効果が薄い。
でも席が近いわけでもないのにわざわざ直しに行くのも面倒臭いし……と思って普通に意識を前に戻そうとした、
そのときだった。
「?」
動かない。
体が動かない。もっと言えば視界すら動かせていない。全力で前を向こうとしているのに、まるで金縛りにでもあったようにそれができない。
「なんだ……?」
何故か口だけは自分の思い通りになることが分かったものの、依然として状況は掴めない。寒気がした。怖い。自分の体が自分で制御できないというのは怪談の定番で、想像したことだってあるが、それを遥かに絶していた。
しかもこれは、金縛りとは違う。
がたん、と音が聞こえた。
「ん? どうした高津」
――自分が椅子から立ち上がった音だった。
教室中からの視線が殺到する。いやいや違う、別に立とうなんてこれっぽっちも思ってない。そう言って首を横に振ろうにも動かせない。どうなってんだよこれは。
体の自由を奪われただけじゃなく、操られてるのか? ……それともついに白昼夢見ながら夢遊病併発しちゃうまでに進化しちゃったのかよ俺。どこまでいくんだ。
とはいえ。授業中に寝落ちした可能性はないでもないけど、今起きていることが夢だとはとても思えない。なんと言うか、圧倒的にリアルだ。得体の知れない恐ろしさに鳥肌が立つ。
とりあえず周りに言い訳だけでもしておくか、と口を開こうとしたその刹那、
「え? ちょっ、ま」
「おい、高津?」
「うわああああああああああああああああああ!?」
俺は、いや俺の体はクラス中の注目を掻っ攫いながら唐突に走り出した。目指すはさっきからじっと睨めつけていた教室後方の引き戸。
「待てって! ストップ! 止まれってマジで!?」
俺の必死の制止も空しく俺は勢い良くドアを開けて外に飛び出す。俺に明確な目的があるのかは定かでないが、とにかく俺は疑問符を浮かべて教室から出てきた古文教師を振り切って廊下を全力ダッシュしている最中だ。……意味分かんねえなこの文章。同じ指示代名詞が二つのものを指すと文脈が崩壊する。
しかしとにかく、俺の体が俺以外の誰かの意思で動かされていそうなのは確かだった。
「て言っても、そんなこと、どうやって……っ!」
俺が、正確には誰かに操られているっぽい俺――面倒だから〝俺〟と呼ぶ――が校舎を縦横無尽に走り回っているため息が上がってきて、もうまともに喋ることすらできなくなってきた。小学生の頃はスポーツに生きていた覚えがあるが、中学三年間登下校以外の運動はほとんどしてなかったから〝俺〟の体力なんか高が知れている。すでにふらふらだった。
その辺の床でいいから今すぐ座り込みたいという希望に反して体は止まらない。体が言うことを聞かない、なんてまさか十代でここまで真剣に思うことになるとは思ってなかったけれど、これは世のエルダリイ様方の感じているそれよりも数段深刻な気がする。
〝俺〟は授業の行われていない空き教室を見る度に中をのぞき、少ししたらまた走り出すという、もう本格的に意味の分からない行動をしてくれていた。
「……も、う」
ここまで来たらもはや俺の手に負えるような問題じゃないだろう。精々が明晰夢であることを願うくらいだ。
だから、
「もう、どうにでもなれええええええええええ!」
俺は最後の絶叫と共に目を閉じ――ようとしてできないことに気付き、名状しがたい恥ずかしさに襲われながらその後しばらく走り続けたのだった。
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