本館二階
階段を上がって、三年生の教室がある階に来た。
僕は毎日ここに来て勉強している。それは義務教育だからなのか、嫌々なのか、なんとなくだからか、未来のためにか。
お昼休みはまだたっぷりとある。皆お昼ご飯を食べて、遊んだり喋ったりして楽しむのだろう。
お昼ご飯はどこで食べてもいいけど、基本的には自分のクラスで食べる。食堂があるけどあそこは教室の倍騒がしくてゆっくりできやしない。
僕はゆっくりしたい。友達と喋りながら適当に。
だから教室でお昼ご飯を食べるほうが多い。たまに食堂でも食べるけど居心地は良くはない。
僕は自分の所属するクラスを目指して歩く。
一番奥の教室だ。日当たりがよくて、風通しもよくて、グラウンドの様子がよく見える教室。
夏はちょっと暑いけど冬なんかはポカポカして眠くなってくる。風通しがいいから全室クーラー完備のこの学校だけど、うちの教室はクーラーいらずになることがある。グラウンドを見れるのはいいけど、声も聞こえやすいからうるさいときもある。
そんな教室、僕の席はどこだったっけ。
覚えていることもあれば、まるでポッカリと穴が空いたように忘れることもある。僕はそのポッカリと空いた穴を埋めていかなければならない。
全部の穴が埋まったとき、僕は全部思い出すのだろう。
今僕の記憶の穴が一体幾つ空いているのか、それはわからないけど一つずつ埋めていくしかないだろう。そうするしか今の僕はできないから。
何クラスか通り過ぎた。
教室から楽しそうな笑い声が幾つも聞こえてくる。美味しそうな匂いも漂ってきたけど、お腹は全く空かない。
僕は暑さも感じず、空腹にもならない。そして夏だというのに喉も乾かない。
何故そうなったのかはポッカリと空いた穴のどれかに答えがあるのだろう。僕はそれを埋めるよりも、一番奥の教室に向かう。
何人もの同級生とすれ違う。僕をすり抜けるときもある。
話しかけても意味がない、僕が見える人は限りなく少ないようだから。僕の存在に気づいたら、向こうから声をかけてくるだろう。
だから知ってる顔が横切ったとしても、僕は声をかけずにただ歩く。
前方から不良グループに所属する三人が歩いてきた。金髪とタバコと大食いだ。
三人とも先生の手を焼いている生徒だ。三人のなかの一人は僕とクラスが同じだ。
「あーお腹すいた、弁当だけじゃ全然足りない。ちょっと一年使ってパンかおにぎり買いに行かせようかな」
「お前は食べすぎなんだよ。俺はタバコ欲しいな、一年使って買いに行かせたい」
「前から言ってるけどタバコって未成年は吸っちゃいけないんだよ? そんなこともわからないの?」
「知ってるって、でも良いんだよ俺が吸いたいんだから」
「じゃあ何も言えないな。あーお腹すいた、一年に電話するわ」
「でお前はさっきから何黙ってるの? 今日全然元気ないね」
「……うるさい」
「あー俺俺、今から適当に購買部で買ってきてくれる。うん、お金は後で払うから、うん」
「うるさくねーよ、お前が静かすぎるんだよ」
「……ほっとけ」
「それとさ、コンビニに行ってポテトとチキンと肉まんも買ってきてね。うん、急いでね」
「何かあったのかよ、今日機嫌悪くない? ほらタバコあげるから機嫌直しな」
「ありがとう、でもちょっと一人にしてくれ」
金髪がこっちに走ってきた。
この三人は不良グループの中心だ。不良といっても漫画やドラマで見るような、あそこまで酷いものじゃないけど。それらと比べたらまだ可愛いものだ。
金髪は僕と同じクラスだ。名前はよくある名前で、それが気に入らないとか言ってた気がする。
金髪は僕と目が合った、しかし僕には気づいていなくてすり抜けた。
「おい待てよ、お前にもおにぎりわけてやるから!」
「タバコ箱ごとあげるよ!」
あとの二人ともすり抜ける。
三人はよく問題を起こす。くだらない事、馬鹿なこと、迷惑をかけること、それを楽しんでるのかやめる気配は一向に感じられない。
彼らはその行為を恥ずかしくないのだろうか。まだこどもだから許される、それはそうだけど見てて痛々しい。
僕は絶対そんな事はしない、する意味がわからない。
人に迷惑をかけて申し訳なく思わないのがおかしい。反省する気もなく、またそれを繰り返して楽しんでいる。
親は何も注意しないのだろうか。それが一番の問題だ。関心がないのか、触れたくないのか。
僕は足を止めて振り返る。
廊下の先には三人がいて、金髪は俯いているよに見えた。
その様子に二人は心配しているのか、何やら声をかけている、背中をさすっている。
僕はまた前を向いた、また歩く。
仲間意識はある、しかし仲間以外はどうでもいいのだろうか。悪い奴らでは決してない、自分の行いを正して反省すれば友達になれる三人だろう。
また何人かとすれ違う、すり抜けられる、誰も気づかない。
窓側で喋っている女子が二人いる。
「夏休みどうしようかな」
「そりゃ勉強でしょ。私達中学三年生、受験生なのだよ」
「あー言わないでー」
「現実を見なくちゃさ、もう勉強してないとヤバイよ」
「うん知ってる、でもなー」
「でもじゃない、志望校とか決まってないとしてもとりあえず勉強」
「あー嫌だー勉強消えてなくなれ、ザキだ! ザラキだ!」
「あんた大丈夫? ちょっとジュース奢るから落ち着こう」
そうだ、僕も中学三年生で受験生だ。
志望校は決めてある、あの有名校に行くんだ。担任は今の成績で大丈夫と言っていた、内申も問題ないと。だから焦る必要な全くない、焦らずゆっくり丁寧に、今まで通りにこなしていけばいい。
そう思ったら一問でも多く問題を解きたくなった。
僕はこんな状態になっていなかったら今頃どんな勉強をしているだろう。数学か、古文か、英語か。
もう目的地はすぐそこだ。
僕の視界に映ったのは、僕のクラスのプレートだ。学年とクラス、どっちも数字が書かれている。
ここに何かあるに違いない、僕がこうなった原因の何かが。
何故そう思うのかはわからない。何かあってほしいという願いと、絶対何かあるだろうという謎の確信が心で手を繋いでいるのかもしれない。
そう思うと急ぎたくなる。僕は駆け出した、視界は揺れてどんどん僕の教室が近づく。
走っていて何人も後ろに流れていく。仲が良いクラスメイトが、担任の先生が、ゲーマーで有名な女子が、お菓子作りが得意な男子が、皆流れていく。
はあはあと息が乱れる。暑さや空腹はないけど、身体的な疲れはあるみたいだ。どうせならそれもいらなかった。
揺れる視界に映ったのは僕の教室。
ドアや窓は閉まっていた。冷房をしているから閉めているのだろう。
僕は少し緊張している。だから手が震えていた。足は大丈夫だ。
教室の中から誰かの笑い声が聞こえてくる。僕はこの笑い声が響く教室の中、手がかりを探さなくてはいけないのだ。
何かがある、それだけは何故か自信がある。
僕がいつも授業を受けている教室だ、一番後ろの席で授業を受けている、休み以外はここで勉強している。
僕は制服を着たまま公園の休憩所で寝ていた。制服を着ていたから学校で何かあったのだろう。
何があったんだ学校で、僕は学校でいったい何を?
恐る恐る僕はドアへと歩いていく。
ドアを開けようとドアノブへ手が伸びることはない。僕はドアへと歩いて行って、すり抜けて教室へと入った。