生と死
霊感があるちょっと不思議な女の子こと大神さんのおかげで僕は助かった。
明日香に天へと無理矢理連れて行かれそうになったけど、大神さんが明日香の肩に手を置いた瞬間おとなしくなった。
黒板の落書きがお化けの仕業だと思った新井先生は、悲鳴を上げて倒れてしまった。
僕や明日香はお化けなのだろうか。僕はまだそうじゃないと思う、しかし明日香はそうなのかもしれない。頭の中に流れたあの映像が本当だとしたら、明日香はもう戻れない。
「……私はどうなるの?」
抵抗することも泣き叫ぶことも諦めたみたいだ。
「悪いことをしたので減点ですね」
大神さんは眼鏡を光らせて言った。
「減点ってなんだかテストみたい」
「まあそんなもんです。こっちにもこっちのルールがあるんです」
「どこに行ってもルールに縛られるのかー」
「さあどうでしょう。この先のことは私も知りません」
僕はその二人をただ見ることしかできなかった。何て声をかければいいのかわからないから、とくに明日香には。
「私は跡形もなく消えちゃうのかな……」
「体や心、魂が例え消えたとしても皆の記憶には残ると思います」
「そうだといいけどさ、皆すぐに忘れるよ」
「そうでしょうか?」
「むしろ忘れてくれたほうがいいよ。私のことなんか忘れてほしい」
「先輩を愛していたお父さんやお母さんも忘れていいのですか?」
「こんな娘はいらないでしょ、こんな親不孝な娘は……」
「そんな事はないと思います」
「あなたに何がわかるの? 私の何がわかるの?」
「そんなものわかりません。ただ先輩と同じように悲しんでると思います」
「そうかな、もう私の部屋にある色んな物が見つかってそれを見た二人は娘が怖くなったんじゃないかな」
「それでも親にとっては自分達の子どもです」
「綺麗事ばっかり、そういう奴が一番嫌い」
明日香は僕のほうを見てきた。その表情は悲しくも寂しくも、嬉しくも楽しくも、辛くも何でもない表情だった。もう何をしても手に入らない、そこに意味なんて物はない、私はもうすぐ天へ昇るのだと受け入れているようだった。
僕は二人へと近づいた。僕に何ができるというのだ、中学生の僕が子どもの僕に何ができるんだ。
「……飛鳥君」
明日香は僕をじっと見た。しかし顔は変わらなかった。さっきはあんなに幸せそうな顔をしていたのに。
「僕に――――」
「私の気持ちはもう充分伝わっていると思うの。だからさ、ちゃんとした答えを聞きたい。自分勝手なものじゃなくて、飛鳥君の本当の気持ちを知りたい」
喋ろうと思ったら明日香は僕の声をかき消して喋り出した。
「こんな状況だからって気を使わなくていい、そんな事されるのが一番嫌だから。どんな結果が待っていようと私は受け入れて、頷ける」
その言葉はもう、最後の言葉なんじゃないかという雰囲気がした。
「僕の答えは……」
さっきと変わらない、好きでも嫌いでもなくてわからない。明日香の事が興味なかった、明日香の強すぎる片思いが怖いと思った、僕の心に明日香がいなかった。だから僕は首をふってもおかしくはない。何も悪くはない、傷つけるかもしれないけど恋や愛というのはそういうものなんじゃないだろうか。僕はまだ子どもだから詳しくわからないけど、恋や愛には様々な感情が交差して時にはそれが幸せへと傾きまたある時には幸せの反対へと傾く。心に留まるその思いの丈をぶつけるのが告白で、それが必ずしも成功するとは限らない失敗することもある。
失敗したら心がギュッと締め付けられたみたいに痛くなるだろう。悲しくて寂しくて、涙が枯れてしまうぐらい泣くこともあるだろう。それでも相手を思う気持ちがあるのなら潔く手を引くのが礼儀で、また新たな恋や愛を捜せばいいんだ。その新しい恋のほうが輝いているかもしれない、新しい愛のほうが心が動くかもしれない。そうやって人は出会い、別れて、いつか運命の人が現れるんじゃないかな。僕はそう思いたい。
出会いの数が少なくても大切な人が側にいたらいい。出会いの数が多くても大切な人が側にいたらいい。僕もそんな人が側にいるのかな。未来を想像しても僕の隣は霞んで見えない。
未来のことなんてわからない、僕は今を生きているのだから。今を一生懸命生きて、頑張って、楽しんで遊んで、そして立ちふさがる幾つもの壁を乗り越えたい。
この答えがその壁の一つだとしたら、僕は乗り越えるしかない。乗り越えなければ先へは進めない、立ち止まってはいられない。
「好きでも嫌いでもないよ。僕は――――」
そのあとも言葉が続くはずだった。しかしそれだけ聞いた明日香は何も言わず、静かに頷いてそして天井を見上げた。
天井からは光が降り注いできた。明日香を囲むように光る。
光は天井から出ている。そこに向かって明日香の体はふわっと浮いて、すり抜けていった。
僕は屋上へと急いだ。
足音が静かな廊下に響き渡る、二段飛ばしで階段を上る。
ドアをすり抜けて、天へと伸びる光の中に明日香が浮いているのを見つけた。
もう手を伸ばしても届かない。明日香は背中を向けていてその表情は確認できない。
僕はただ空を見上げた。
真っ暗な空に一筋の光がある。この光は天へと通じる道なのだろう。
「さあ、先輩も行きましょう」
大神さんが横から声をかけてきた。
「どこに行くの?」
「何言ってるんですか。戻るんですよ、その魂が自分の体に」
ああそうか。そうだった。僕はそれのために頑張っていたんだ。
大神さんは僕の前に手を広げた。するとそこから光が現れた。この今現れた光はなんだかあたたかいような気がした。
この光の先には僕の場所が広がっている。そこが僕がいるべき場所だ。魂が輝いている世界と魂が昇る天との境になんていつまでも居てはいけない。僕の場所へと帰ろう。皆待っている、そこで僕の帰りを待っていてくれている。
僕は光へと飛び込もうとした。しかしそこで振り向く。
「どうしたのですか?」
ここは生と死の間。だとしたらここには彷徨う魂が沢山いるはずだ。その魂たちはどうしてここにいるのだろう。自分の死を受け入れられなくているのか、未練があってここを彷徨っているのか、探し物が見つからなくてそれが見つかるまで探しているのか。
どんな事情か僕にはわからないけど、命が無くなった魂はもう戻ることができない。戻りたくても戻れない、選択肢はここに留まるか上か。
それはとても酷なことだと思う。突然失った命であっても、誰かに奪われた命であっても、命が無くなったら戻ることができないのだから。寿命がきた、末期の病気、それなら納得できるかもしれない。しかしそうじゃない人がここに来てしまったら。
「さあ帰りましょう。私達の世界に」
僕は大神さんに背中を押された。振り向きながら押されたから後ろがよく見える。生と死の間で彷徨う魂たちが何人もこっちを見ていた。
その表情がどうだったのかよく見えなかったけど、皆こっちに向かって手を伸ばしていた。皆戻りたいんだ、元いた世界に、家族や友達がいる世界に、魂が輝いている世界に。
僕は光の中にいる。とても眩しい、どこを見ても輝いている。
眩しくて目を閉じた。すると光を遮ることができた。
暗くなって、そして体が浮いているように感じた。なんだか水の中にいるみたいだ。ここはあの夢なのか、僕は海の中にいるのか。




