共に天へ
僕は天井を見上げた。
そこにあるのは何の変哲もないただの天井であり、それ以上でもそれ以下でもない。
明日香は人差し指を上に向けている。その先にあるのは天井。
天井に何があるというんだろう。明日香は僕に何を伝えたいのだろう。
「もー鈍いな。その先だよ」
その先とは何だ。天井の先ということか。その先にあるのは屋上、その先にあるのは空、その先にあるのは。そうかそういうことか、明日香の伝えたいことがわかった。
「そういうことか」
「すぐにわかってよ、いちいち説明する気になれないし」
明日香が言っていた上とはつまり天のこと。そして帰る場所がないと言った。それはもしかして、明日香の命はもう。何故そんな事になったんだ、命を落とすなんて。
「私はもう戻れない。この場所に、慣れ親しんだ場所に、家族のもとに」
さっき見た映像のあとに命を落としたのだろうか。その映像は頭の中に流れてこない。直接明日香から聞けということか。
そういえば金髪の姿が見えない。どこに行ったのだろうかこんな時に。さっきまでそこにいたのは確かだ、しかし今ここにいない。この教室に今いるのは僕と明日香、その二人だけだ。
「……ひょっとして金髪を消した?」
「そんな事しないよ。彼はもう必要ないから元に戻ってもらっただけ」
「どういうこと?」
「私達はこの世を彷徨う魂、でも元は体と一緒にいた。体と一緒にいるのが普通で当たり前。だから元に戻してあげた」
「元に戻してあげた……」
その言葉に引っ掛かった。金髪がいないのは明日香が元に戻したから、そんな事ができるのだとしたら僕を戻すことなんて簡単だ。しかしそうしてくれないのは僕のことが。
「私はね、愛や恨みや好きや嫌いという感情が強いの。だから手に入ったのかもしれない、この力を」
その力で僕の記憶を消したのだろうか、その力で僕をここに呼んだのだろうか、その力で思い通りにしようとしているのではないだろうか。
「強制はしたくなかった、力づくとか野蛮じゃん。でもしょうがないよね」
明日香はニコっと笑った。目は真っ赤だけど、不安や悲しみは無いように見えた。
僕の方に向けて掌を開いた。僕は咄嗟にそれを避けて、机を盾がわりにした。邪魔者をこの場から消して、不安や悲しみは枯れ果てて、そして実力行使に出るようだ。こうなってはもう止めることができない、僕は逃げるしかない。
「逃げても無駄だよ。飛鳥君は私と共に天へ昇るの」
明日香がこっちにくる。僕は廊下に逃げようと腰を下げながら走った。こんな時に頭の中に映像が流れてきた。それは明日香が屋上にいる映像、フェンスの向こうで壊れた蛇口のように流れてくる涙を制服の裾で拭っている。私は何も悪くないのに皆で私をいじめる、私をいじめてそんなに楽しいの、楽しくなんかない私は辛くてしょうがない。
明日香と目が合う、僕はまた動けなくなると思い直ぐに目を逸らす。
頭の中に映像が流れる。ドアが勢い良く開いて先生や、警察らしき大人が何人もやってきた。私を捕まえるためにもうそこまできている、何で私が捕まらなくちゃいけないの、悪くないのに悪いのは飛鳥君なのに。私の愛に気づかない、受け入れない、支配されない飛鳥君が悪いのに。悪いのは飛鳥君、全部飛鳥君、私はアイツのせいでこんな目に合っている。
そこで恨みが出てきたわけか。廊下へとどうにか出られた僕は向こうから歩いてくる二人に気付いた。
頭の中に映像が流れる。大人達はフェンスへと寄ってきて声を出した。やめろ、そのままじっとしていなさい、そんな事をすればお母さんが悲しむぞ、さあ早くこっちに来なさい。私はその声に振り向いた、そこにいるのは私を捕まえようとしている大人達、私をどうしても悪者にしようとする大人達、守ってなんかくれないどうせすぐ私に冷たくする大人達。今ここで素直になっても私が連れて行かれるのは変わらない、飛鳥君が今どんな状態なのか知らないけどそれも今すぐ治らない、クラスメイトや友達や他のクラスの人や後輩達の目は冷たいままだ。
僕の前に明日香が現れた。歩いてくる二人に気を取られて逃げるのを忘れていた。
頭の中に映像が流れる。私は生と死の間に立った、すると後ろからやめてだの早まるなだの引き止めるために様々な言葉が聞こえてくる。何だか面白くなって私は笑った。もう私はこれからどうするのか決めたからいくら止めても無意味なのに。私はここから飛び降りる、これは飛鳥君への恨みでありそして愛なのだから。私がいなくなってから気づけばいい、受け入れたらいい、支配されればいい。その時私はもういないけど、飛鳥君はもがき苦しむだろう。
そのために自ら命を投げ捨てたのか。明日香は僕の方に掌を広げた。捕まえたという声が聞こえた。
頭の中に映像が流れる。私は振り向いて、フェンスにしがみつく大人やフェンスを上っている途中の大人に手を振った。サヨウナラ、その一言を最後に私は飛び降りた。衝撃がきて命が消えるまでの時間はあっという間だっただろう。しかし私には長く感じた。飛び降りた瞬間スローになって、皆私の方を注目しているのがわかった。運動場から私のことを見ているマスコミ気取りの奴らはこっちに携帯を向けている。パシャパシャと光った、その画像をどうするの? ツイッターにでも載せるの? 動画だったらさらにタチが悪い、屋上から落ちてみたとかそんなタイトルで投稿するの? バカみたい、馬鹿ばっかりだここにいるのは。
「やっと捕まえた」
そこにいたのはあのメガネっ娘だった。メガネっ娘は明日香の肩に手を置いて、そして後ろから来るもう一人に声をかけた。
「先生、今捕まえました!」
「あのねー大神さんそんな事より早く帰りなさい、今何時だと思っているの?」
「八時ですが」
「あなたがここにいると帰れないの。だからもうお願いだから帰って」
「私は学校が好きです」
「それは嬉しいことだけど、帰りが遅いと心配するわよ」
「大丈夫です。娘は今仕事してるんだなと思ってますよ」
「仕事って……あなたの仕事は勉強することよ」
「今帰ってもいいんですか? 新井先生には見えないかもですがここにはいますよ」
「えっそうなの? ここにいるの? それは怖いわね」
「しかも見てくださいよ、ドア空いてるし電気点いてるし黒板に何か書いてますよ」
「……ホントだ、なにこれ。好き、嫌い、わからない? なんのことやら」
「ここのクラスってあの先生ですよね、あの人怖くて厳しい感じがして苦手だなー」
「確かにここはあの先生が担任ね。それならこんな落書きを残して帰るなんておかしい」
「この落書きお化けの仕業かもしれませんね」
教室からキャーという悲鳴が聞こえて、そして音が鳴って静かになった。教室を伺うと新井先生が倒れていた。怖くなって気絶したのだろうか。
「さてと、仕事しますかー」
メガネっ娘は僕のほうへと向いた。僕は後ずさりした。
「君には用はないよ、だから怖がらなくて大丈夫」
眼鏡を光らせて、メガネっ娘こと大神さんは明日香のほうへと歩いて行った。
「捜したよ、なかなか見つけられなかった」
「……隠れていたからね」
「随分暴れたみたいだね。あの男の子に恨みがあるの?」
大神さんは僕へと人差し指を向けた。
「それよりさ私後輩でしょ、先輩にその態度はないんじゃない」
「あっスミマセン。私は二年生の大神と申します。霊感があるちょっと不思議な女の子です」
なんだか流れが変わった気がする。でもとりあえず安心だ、僕は助かったのだから。




