リビング
玄関には靴が一つも置いていなかった。
靴は靴箱に入れてあって、玄関に出しっぱなしというのは我が家ではない。いちいち靴箱から出し入れするのは面倒くさいけれど、玄関に靴が出しっぱなしだとだらしがないように見えるからという理由でそうなったみたいだ。ついうっかり直し忘れると怒られる恐れがあるため、忘れないように注意しなくてはならない。
玄関に靴は一つもないけど、確実に誰かが家にいる。さっきお皿が割れた音がしたからリビングにいるだろう。食器棚には沢山のお皿があるから。
靴箱の上には花瓶に花が差してある。母が庭で育てている花と同じ花だ。
花の横には置時計がある。素材は木製で、そこに1から12までの数字が描かれていて、銀色の短針と長針が音をたてて動いている。
「ただいま」
僕はそう言って自分の家に帰ってきた。
僕の声は静かな家に響いたと思う。いつもなら誰かがいたらおかえりという声がある。しかしそんな声は聞こえてこない、僕の声は家族にも届かないのだろうか。
ただ自分の家に帰ってきただけなのに何故か緊張する。魂になったからだろうか、体が有るのと無いのでは全く違うということだろうか。
正面には階段があって、これを上れば二階へと行ける。階段の横にある廊下の先には、祖父と祖母の部屋があったり、お風呂などがある。左を向けばリビングがある、三階まで吹き抜けだから天井が高くて広々としている。右を向けば応接間があって、その横には客間があるから誰かが泊まるときはここを使う。客間の横にもお風呂はある。
リビングは左。僕は左へと顔を動かした。木製のドアはしっかりと閉められている。磨りガラスだと誰かいるのか影でわかるけど、そんなものはこのドアにはない
泥棒だとは思わない、家族の誰かがそこにいると思う。でも何故か緊張してしまう。何だか久しぶりに会うような気がするから。
この前家族と会ったのはいつだったっけ、昨日なのか一昨日なのか。
まあそんな事を考えても答えは出そうにない。簡単に答えが出るようなら僕は今頃もっと落ち着いているだろう。何もわからなくて焦っているから、嫌な汗が出るんだ。
僕は木製のドアに向かって歩いた。なんだか緊張して、それにちょっと怖いから、目を閉じて歩いた。
すると何かの音が聞こえてきた。派手な音楽、笑い声をあげる男の声、助けを求める女性の叫び声、全てを守ると言う男の声。これは多分映画だろう、祖母は映画を観ている最中にお皿を割ったのだろうか。
次に聞こえてきたのは、聞き覚えがある声だった。お皿割っちゃった、と寂しそうな声が右の方から聞こえてくる。この声は祖母だ、厳しいけど優しくて大好きな祖母だ。
僕は目を開けてすぐにその姿を見たかった。でも緊張で目を開けるのが怖い。
あの子の大切なお皿なのに、とまた寂しそうな声が右の方からきこえてきた。ごめんね割っちゃて、と祖母の声がきこえてくる。そして雑音が聞こえた、祖母は僕の名前を言ったのだろうか。
僕は目をゆっくりと開ける。眩しい明かりが入ってくる。
目が少し慣れたところで僕は右の方を見た。そこはキッチンで、床には割れた皿の破片が散らばっていて、祖母はそれをじっと見ていて手から血を流していた。
「おばあちゃん!」
思わず声をあげた僕は祖母へと駆け寄る。
血が出ている、祖母の手から。祖母は血に気づくと、動じることなくポケットから絆創膏を取り出してそれを貼った。ティッシュで手を拭いて、水で流して、そしてまた割れた皿をじっと見た。
祖母の目線の先にある皿を僕は見た。その皿は青色の、何か模様がついた皿だった。
僕は目を見開いた。この皿は僕の皿だ。模様が綺麗だからほしくなって、でも高いから僕のお小遣いでは買えなくて、家の前を箒で掃除していたら祖母がお出かけから帰ってきてこれお土産と言ってプレゼントしてくれたのがこの皿だった。
大事にしていた僕の皿、それが割れたというのは何だか不吉だ。
祖母はごめんよごめんよと割れた皿に目を向けて謝っている。別にそんなに謝らなくてもいいよ、僕はこの皿が割れたことに関して怒っていないからさ。それより怪我大丈夫? 祖母の怪我のほうが心配だ。
ごめんよごめんよ、たまには使ってあげないとお皿が寂しがるかなと思ったから。
そう言いながら祖母は新聞紙を広げて、その上に割れた皿の破片をを一つずつ置いた。あの綺麗な模様はもう再び見ることができないぐらいに割れてしまった皿は、割れたことによってより一層寂しそうな感じがした。
割れた皿を新聞紙に包んで、ゴミ箱へと入れた。祖母はゴミ箱の中をじっと見ている。その姿は何だかとても寂しそうだ。それは皿を割ったからなのか僕がこういう状態になっているからなのか。
テレビからはド派手な音楽が聞こえてくる。祖母の寂しそうな表情と全く合っていない、今音楽を流すとしたらこれじゃない。
祖母はソファーへと歩いて行った。コーナーソファーに座ってテレビへと目を向けている。
Lの形を形をしたソファーはブラウンのレザーが落ち着いていて、撥水性が高く、機能性も優れている。手触りも良くて気持ちいい。
僕はよくここで足を伸ばして横になっている。それはあまり行儀はよくないけれど、ソファーを独り占めしているような気がして気分が良いのだ。
テレビにはマスクを付けた男が、主人公だろう男とにらみ合っている様子が映っていた。緊迫した音が鳴る、ヒロインだろう女性が手足を縛られている様子も映る。これはクライマックスだろうか、この映画は観たことないけどそんな雰囲気がした。
マスクをつけた男が右手を前に出して、主人公だろう男が舌打ちをした。すると次の瞬間マスクをつけた男の手から炎が出てきて、主人公だろう男のほうへ向かって飛んでいった。手足を縛られた恐らくヒロインの女性は、やめてと絶叫する。
そのクライマックスだろうシーンを祖母は微動だにせず観ている。
映画の世界に入り込んでいるのだろうか、それだけ集中しているのだろうか、それが普通だろう何時間とかけて観てきた映画のクライマックスなのだから。そこを観ないと意味がない、どんな物語でも最後が肝心というじゃないか。途中どんなに素晴らしい展開を繰り広げても、最後が残念な形で終わったのならそれは一気に評価を下げて駄作になってしまう。
僕にもそれを体験した経験がある。数年前流行ったミステリーもので、登場人物はどれもこれも一癖あるし全員が怪しく見えていったい誰が犯人なのかわからなかった。自分なりに推理をしたけどそれが正しいのか間違っているのかわからなくて、ネットで皆はどういう推理をしているのかを調べた。するとそこには僕とは全く違う考えが幾つもあって、なるほどと納得してそうなのかとまた僕を悩ませた。
そしてその作品の最終刊が刊行された。僕は読みたくて読みたくてしょうがなかった。読みたい気持ちを押し殺してその日は学校でちゃんと授業を受けた。
授業が終わり、ショートホームルームも終わって、起立して礼をして学校での一日が終わって僕は駆け出した。何かクラスメイトに声をかけられたような気もするけれど、何か大きな声で先生に注意をされたような気もするけれど、そんなの気にならないぐらい早く読みたかった。
学校を出て本屋さんへと急いだ。本屋さんはそんなに遠くない、直ぐについて目当ての本が置いてある所まで歩いた。するとそこには全国民大注目の最終刊というポップが目立って、新刊コーナーを埋め尽くすぐらい沢山置かれていた。
僕はその埋め尽くす中からひとつを手にとって、誰が犯人なんだと胸をドキドキさせながらレジへと急いだ。レジは混んでいなくてすぐに順番がきた。財布からお金を出して、支払いを済ませて、本を受け取って、すぐに家に帰って制服のままページを捲った。
最初からクライマックスとはこの事かと思うぐらい怒涛の展開で、こんなにも文字を読むスピードは早かったかなと思うぐらい次々ページを捲った。予想していた展開はどれも外れた、だから果たして最後はどういう結末になるのか予想できなかった。
しかしクライマックス、今まで盛り上げるだけ盛り上げて一気に裏切られた。なんだよこのラスト、今までのはなんだったの、何で最後にこんな雑に、作者どうしたんだまるで別人になったみたいだ、あまりの酷さに怒りさえ込み上げてくる。
祖母はリモコンを手にとって、ボタンを押した。するとテレビは真っ暗になった。祖母はこの映画を最後まで観ることなく、テレビから目をはなして目を閉じた。




