公園
苦しくて目が覚めた。
息を吸い込み呼吸する。胸のあたりにあるものはしっかりと動いている。
さっきのは夢だったのだろうか。僕は今ちゃんと息をしているし手も足も動いている。僕は生きている。
しかしここは何処なのだろう?
公園の休憩所ということはわかる。雨を凌げる屋根があって、屋根を支える柱もあって、お弁当をここで食べれるようにテーブルと長椅子もある。
僕はこのテーブルで寝ていたようだ。
テーブルは寝るところではない、そんな事はわかっている。
だがどうして僕はここで寝ていたのか全く思い出せない。
さっきの夢も、どうしてあの場所にいたのか全く思い出せない。でも夢っていうのは唐突に始まるモノだし思い出せないのも無理はない。
しかし今のこの状況は違う。ここは夢ではなくて現実。だから何故僕はここにいたのか、ここで寝ていたのか、それを思い出せないのが怖い。
とりあえずテーブルから降りて椅子に座ろう。考えるのはそれからだ。
僕はテーブルから降りて自分が座るあたりを手で軽く払った。綺麗になったなと思いそこに座る。
ひと呼吸入れて辺りを見回す。
ここは公園の休憩所、右側に見えるのは芝生が広がるエリア。日曜日は親子連れが大勢いて、皆楽しそうに笑顔にしている。
左側に見えるのはランニングコース。陽が昇る前にここはランナーでいっぱいになる。夏は陽が昇ってしまったら暑くてしょうがないからそれまでに走るのだ。
うん、ここは僕が知っている公園だ。
何回も来たことがある。友達と野球を遊びに、家族でお花見やバーベキューを楽しみに、たまには運動しようと走ってみたり、ボランティアで掃除をしたり。
別に珍しくもない、どこにでもあるような公園だ。敷地は広いけど別に普通の公園だ。
何故僕はここに? 全く思い出せない。
今は何時だろうか明るいから夜ではないことはわかる。腕を見たがそこには時計はない、僕は腕時計をしない、というか携帯で充分間に合うからいらない。
僕はポケットに手を入れた、しかしそこには目当ての物も何もない。
何故ポケットに入っていないんだ、僕は携帯を常に持ち歩いている。依存症ってわけじゃないけどないと不便だから。
僕は制服を着ている、僕が通う学校の制服を。
これを着てるってことは今日は学校があったってことだろう、そうじゃなきゃ着ないし着たくない。
時計がないため朝なのか昼なのかさっぱりわからないけど、僕は学校をサボったのだろう。そうじゃなきゃ制服を着ている理由がわからないから。
僕は学校は好きでも嫌いでもない。
学校に通うというのはただ人生の中の一つであって、そこは通過点にしか過ぎず勉強したり遊んだりバカやったりしたりして楽しんで、そして自分の人生を考え進路や未来に向かって進むスタートラインだと思っている。
しかし今はもう幼稚園から受験があるのでそこがスタートラインなのかもしれない。中学からだと遅いのかもしれない。
僕は毎日を楽しんでいる。しっかり授業を受けて、休み時間には友達とお話して、部活もするし委員会活動もする。たまに喧嘩をしている光景を見ることがあるけど僕は喧嘩などはしない、暴力では何も解決しないから。
だからこそわからないのはいじめだ。対象となる人物が気に食わないからいじめるのはわかる、誰しも何かしらのストレスをかかえていてそれを発散したくなる衝動に駆られるのは当たり前だ。
しかしそれを行動に移してしまうのは間違っている。心の中で何を思ってもいい、滅茶苦茶なことや残酷なことや。しかしそれを実際にやってしまったらそれは悪になり罰せられなければならない。人を傷つけるのだから当然だ、身体的な傷であっても精神的な傷であっても悪は許されない。
でも大人はそういう事実をすぐに隠してしまう、面倒なことに巻き込まれるのは嫌なのだ。大人がすぐに対処してくれたら悲劇は起きない、無視せずに真正面から立ち向かってくれたら悪は未然に防げる。
誰も助けてくれないから自ら命を絶ってしまう、それはとても悲しいことで辛いことで言葉では言い表せないぐらい寂しい。
こどもは何もかもが未発達で劣っている、誰もがそうじゃないけれど僕はそう思う。だから大人が僕らに教えてくれないと僕らは何も得られない。
大人の力を借りずに何かをやり遂げてしまうこどもはいる、しかしそんなこどもは僕の周りには一人もいない。この国は裕福で明日のことを考えて生きていないから平和ボケしてるのだろうか? だから皆大人ぶっていても所詮こどもで、無理やり大人になろうとしているこどもには敵わない。
そういうこどもが偉いと言ってるわけじゃ決してない。世界には様々な環境で育つこどもたちがいて、僕は、僕らは環境が良いんだってことをわからなければならない。
クラスメイトには様々な家庭の事情がある人がいる。お父さんがいない人、テレビで観るような大家族の人、親が亡くなって親戚と暮らしている人、一人っ子だから親の愛が凄くてうざがってる人。
皆色々で複雑だけど銃なんて持っていない、だから今日撃たれることもなければ明日撃たれることもない。
それが幸せなんだ、この国は平和でこどもが戦わなくていいから。こどもが銃を持たなくていいから。
それなのに何で命が消えるのだろう。
光り輝いて美しい命、それが消えたら真っ暗になって冷たくなってシンとしてしまう。鼓動はもう二度と聞こえなくて手足も動かなくて、美味しい空気も吸えなくて。
右目から涙が出てきた。
悲しい、とても悲しい、命が消えるのは悲しい。
僕は手で涙を拭った、こんなところを誰かに見られたら恥ずかしいから。ティッシュかハンカチがいるな、そういえば学校指定の鞄はどこにあるんだろう。
僕は座っている辺りを探す。
しかしそこには何もなくて、立ち上がって辺りを探す。すると反対側の長椅子のそばに鞄があった。
僕はそこまで歩いて、ボストンバッグ型になっている鞄を持ち上げる。
何か中に入っていてずっしりと重い。やはり僕は学校をサボったのだろう、そうじゃなきゃこのずっしり重い鞄をここまで持ってこないだろう。
僕が通う学校の鞄はボストンバッグ型とショルダーバッグ型にできる2WAY型だ。気分に合わせてボストンバッグ型にしたり、ショルダーバッグ型にしたりする。
その鞄を長テーブルの上に置いた。ティッシュかハンカチがあるのかどうか調べる。
外ポケットにだいたい入れてるからそこのファスナーを開けた、するとそこにはティッシュもハンカチも入っていた。
僕は青いチェック柄のハンカチを手に取り涙を拭いた。
これでオッケーもう誰かに見られても大丈夫。涙姿を誰かに見られるのは格好悪い、だから感動的な物語の映画や本はなるべく自分の部屋で見たい読みたい。
皆は平気で人前で泣くけれど、あれは恥ずかしくないのだろうか。
僕は恥ずかしい、泣いたら女々しいと思われてしまいそうだから。そう思われなかったら僕も人前で泣くのかもしれない。
ハンカチをもとあった場所に戻して、荷物が一番入るファスナーを開ける。
そこにはやはり予想通り教科書やノート、筆記用具に読みかけの小説、水筒やお弁当があった。
とりあえず水筒とお弁当を鞄から出してテーブルに置く。
持った時にわかったけど、水筒もお弁当も重かった。僕はお弁当を食べずに早退したのだろうか、そんなの全く覚えていない。
早退は調子が優れない時しかしない。因みに今は調子は悪くない、だから理由もなくて早退するなんてどういうつもりだと自分の行動に驚く。
何故早退したんだ、思い出せ学校での出来事を。僕は目を閉じて記憶を巻き戻そうとした。
僕がここで眠っていたのには必ず理由があるはずだ、それは学校を早退した事に原因があるはず。学校で何があった? 何か僕にとって嫌なことがあってそれで早退したのだろうか。そうだとするなら僕にとって嫌なこととはなんだろうか、それが解明されれば理由も原因もわかるはずだ。
しかし何も思い出せない、目を閉じて何も見えない世界が広がるだけだ。
飛行機かヘリコプターかわからないけど上の方から音が聞こえてきた、救急車かパトカーかわからないけど遠くからサイレンが聞こえてきた、思い出せないけど色んな音は聞こえてくる。
僕はため息を出して目を開けた。
明るくて眩しい、思わず手で光を遮る。光は指の間をすり抜けてきたから結局眩しい。
少しすると慣れてきて、僕はひと呼吸入れて落ち着いた。
もう目が覚めてから何分経過しただろう、時計も携帯もないから確認できない。何分経過しようが現状は全く変化していない、目が覚めてから時間が進んだだけだ。
もう何を考えてもわからないからこの場所から離れたほうがいいだろうか。
いつまでもここに留まるよりも、学校に戻るなり家に帰るなり行動したほうが何か思い出せるかもしれない。
早退したのに学校に戻るのは何だか悪いよな気がする、しかし僕が何故早退したのかがわかって原因を突き止められる。それがわかったら案外ここで眠っていた理由もわかったりするんじゃないだろうか、そうなるともう今すぐ行動あるのみだ。
テーブルに置いてある水筒とお弁当を鞄にツッコム。
そして鞄を肩にかけて僕は休憩所を出た。
学校に行くならランニングコースのほう、家に行くなら芝生のほうだ。僕は学校に原因を突き止めに行く。
ランニングコースは十人ぐらい横に並んでも余裕がある広さで、他のランナーを気にすることなく走ることができる。
狭い場所だったら早く退いてくれないかな、当たったら謝って許してくれるかなと気を使ってしまう。マジで走る人、軽く走る人、ダイエットで走る人、色んな人がいるから退いてとは言えない。
今は走っている人は一人もいない、この時間帯は皆学校か仕事だろうか。
僕もたまにここを走るけどその時はそれなりに人がいて、走るのがちょっと窮屈だ。だから窮屈じゃない今はとても新鮮だ。
ちょっと鞄を置いて軽く走ろうかな、そう思って歩くのをやめて止まる。
誰もいないランニングコース、その真ん中で僕は一人立っていて、窮屈じゃなく広々としていて開放的で。
何だかとっても気持ちが良い、何で気持ちが良いのかわからないけど気持ちが良い。
僕は再び歩き出す、走るのはまた今度にしておこう。少し気分が良くなったけど目的を果たさないとモヤモヤがどうしても残る。モヤモヤは晴らさないとスッキリしない。
少し歩いたところで、木陰のあたりでお年寄りの男女二人が座っていた。
おじいさんは汗だくになっていてペットボトルに口を付けてがぶ飲みしている、おばあさんはうちわで仰いで心配している。どうしたのだろうか、何かあったのだろうか、僕でよければ役に立ちたい。
僕はどうしたのですかと大きな声でお年寄り二人に声をかけた。しかし反応はない、おじいさんは汗だくでおばあさんはうちわを仰いでいる。
少し距離があるから僕の声が聞こえていないのだろう、僕は二人に近づくために歩く。
おじいさんはペットボトルをそこらへんに置いて咳をした、おばあさんはおじいさんの背中を優しくさすって心配そうだ。
何だか危ないような気がする、僕が一刻も早く助けないといけない。重い鞄を背負いながら走った。
激しく揺れる視界にはおじいさんが手で口をおさえている姿が見えた、おばあさんはどうして良いのかわからなくて辺りを見回している。
もうすぐそこに行きますから、だから焦らないでください、僕ができることなんて限られてるけど放っておけないんです。
二人まであと百メートルぐらいになって、大丈夫ですかと声を出そうとしたとき、おじいさんは吐いた。手で口をおさえていたが隙間から出てくる、次から次へと水っぽいものが。
おじいさん! 僕は鞄をそこに放り投げて、急いで二人へと駆け寄る。
おじいさんはとても苦しそうで汗だくでおばあさんは何もできず口をぽかんと開けている。
この状況は危ない、早くなんとかしないと、僕が二人を助けないと。
「おばあさん、何か冷たい物はないですか? さっきのペットボトルはどこですか、まだ中身があったらそれで冷やしましょう。あと水筒のお茶でも保冷剤でも、何でもいいのでとりあえず早く体を冷やさないといけません!」
僕はおばあさんの真横で叫んだ、しかしおばあさんは無反応でおじいさんをただ見ていた。
「もういいです、僕がやります。だから携帯を持っていたら救急車を呼んで下さい、そうしないとおじいさんが危ないです! お辛いでしょうがやって下さい、そうでなきゃ――」
転がっていたペットボトルを見つけた、中身があるからこれなら冷やせそうだ。拾おうと手を伸ばした、しかし拾えなくてすり抜けた。
「えっ」
僕は拾い損ねたと思ってもう一度手を伸ばした、しかしペットボトルはこの手に掴めなくてすり抜ける。
一体どうなっているんだ? 何故掴めない、何故すり抜ける、意味がわからない。早く助けないと危ない、僕が助けないと助からない。
おじいさんは横になった、目が虚ろで汗が止まらない。おばあさんは叫んでいる、誰か助けてと大きな声で。しかし辺りには誰もいない、その声は青い絵の具で塗られたような空に吸収されているような気がした。
誰もいないということはない、僕がここにいる。しかし僕は二人に見えないみたいだから誰もいない事と一緒なのだろうか。
僕はこのまま見届けることしかできないのか、僕は何もできないままただ見てるだけしか。
二人を助けたい、それと同時に何故僕は二人に見えないのか何故ペットボトルを掴めないのかを考える。
さっき起きた時から考えることが多過ぎる、まだその一つも解決していないのに次から次へとまた考え事が増えてくる。考えれば考えるほどわからなくなる、それでもわからなくても考えないといけない。考えるのをやめてしまったら余計わからなくなるから。
誰かいないのか! 僕の声が聞こえる誰かはいないのか! 誰か助けてくれ、おじいさんを助けてくれ、僕は助けられないから!
叫んだが無意味だろうか、二人に聞こえない声が誰に届くというのだ。
その間にも事態は悪化する、おじいさんを見るだけでそれはわかってしまう。何でこんな時だけわかるんだ、そんなものわかりたくないのに。
おじいさんが何か喋った、おばあさんは耳を近づける。
無意味でも、誰かにこの声が届かなくても叫ぶしかない。誰か助けてくれ! お願いだから助けてくれ! 早く助けてくれ!
おばあさんは頷くと黒いリュックのファスナーを開けた、そしてそこから携帯を取り出して震える手で何か番号を押した。
泣きながら早く助けてと叫ぶ、吐いちゃって苦しそうでと叫ぶ。おじいさんはそんなおばあさんの手を握って、苦しそうだが笑顔だった。
僕はその場に崩れ落ちた、何もできなかった自分が情けなくて。俯いていると二人の声が聞こえてくる。
「やっぱり暑い日に出歩くもんじゃないな」
「ごめんなさい……」
「いやいいんだ、それより冷やしてくれないか」
「はい」
「もうダメかと思った、今もしんどいけど」
「今は喋らないでください」
「さっきそこに少年がいたんだ、必死に私を助けようとしていた」
「誰もいませんでした……」
「いたよ、この目で見た。少年に元気づけられたのかもしれない」
「……」
「だから戻ってこれた、お前を残して逝けないから」
「おじいさん……」
僕は顔を上げて、おじいさんとおばあさんを見た。おじいさんには僕が見えていた、しかし今は見えていないようだ。何故僕が見えたんだろう、また考え事が増えてしまった。
助けられなかったけどせめて助けが来るまで二人の側にいよう、それぐらいしないと申し訳ない。
ただ待ってるだけじゃ時間の無駄なので、まず放り投げた鞄を取りにいこう。僕は二人を気にしながら前を向いて歩く。
しかしすぐに目線は下になって、おじいさんを助けられなかったことが僕を苦しめる。
二人には僕が見えなかった、それにペットボトルを掴めなかった、だから助けられなかったのも無理はない。悩むことなんてない責めなくても構わない、それでも僕は悩むし責める。
鞄を放り投げた辺りまで来た、しかし鞄はどこにもない。
おかしいな、ここらへんだと思ったんだけど、もう少しあっちだろうか。僕はベンチやゴミ箱、自動販売機の辺りも探した。しかしどこにも鞄はない。
そこにあったベンチに腰をおろした。もう何が何だかわからない、おかしな事ばかりが次から次に僕に襲いかかる。何故僕なんだ、何故どうして何で。
ランニングコースには誰もいない、この光景がさっきは新鮮に見えたが今は不気味に見える。
色んなことがありすぎて頭がおかしくなりそうで、僕という人間もおかしくなりそうで、今のこの状況がおかしいからそうなるんだ。
考えたらおかしくなるのだろうか、それならもう考えないほうが楽なのだろうか。
いやいやそれはダメだ、おかしくなっても考えないと何もわからない。おかしくなって自分じゃなくなったら、それはそれでもう諦めが付きそうだけど。
それにしてもおじいさんは何であんな状態になってたんだ、今日は全然暑くないぞ、というか暑さも何も感じないぞ。それなのに何故あんなに暑がっていた、全くわからない。
僕は近くにあった木をなんとなく見た、するとそこには何かいた。気にくっついているのか、とまっているのか、そこで毎年聞き飽きる鳴き声を出していた。
僕は口をぽかんとさせた、そこに蝉がいるから。
今は夏なのか、でも全然暑くないぞかといって寒くもない。一体どうなっているんだ、またわからないことが増えてしまった、また考えなければならない。
そうか、だから僕は夏用の制服を着ていたのか。
それがわかったところでどうにもできない、これは一つ謎が解明されたことになるのだろうか。とにかく今は夏、ようやくそれがわかった。
今が夏とわかっても、鞄の行方はわからない。足がニョキっと生えて歩いていったのだろうか、それとも羽が生えて飛んでいったのだろうか。
鞄は気になるが、そろそろおじいさんとおばあさんの所に戻ろうと歩こうとしたその時。
「この鞄キミのかな?」
後ろで声が聞こえた、僕は思わず振り向いた。