アリとキリギリス
彼は、占い師としては、温厚な人物であった。
というか、占い師というのは、温厚な人物であるか、最初のうちは、たいていは温厚な人物を装っているものである。
しかし、めったにないことであるが、彼はつい我を忘れて腹を立てた。占い師は、怒っていた。声を荒げることはなかったのだが、客を見る上目遣いの目には、紛うことのない怒りの炎が燃えていた。
「あなた、自分の運命をほんとうに知りたいならば、ウソを言うのは、良くないですよ。わたしは、誠心誠意、親身になって、あなたのことを考えているのです。そんな私のことを……」
占い師は、客の男のことをよく知っていた。というか、この町で、この客の男のことについて、無関心でいられぬものは、ひとりもいない。
この男は、短気で、喧嘩早くて、しかも、人並みはずれた腕力の持ち主であった。行く先々で、人を怒鳴りつけては、因縁をふっかけ、喧嘩を売っていた。この男、上機嫌なときでも、迷惑な人物だった。人をひとつきで、あの世に送りかねないような、鋭い悪態で、イヤミなどを考え出すのに、非常に長けていた。ある意味、知恵者でもあった。ということで、町の人にとっては、まさに厄介者であった。
ひとは、こいつに関わり合って、気分を害されたくはなかった。トラブルに巻き込まれたくなかった。だから、この男を避けて暮らすために、情報が必要だと考えてかもしれない。町の人びとは、顔を合わせると、まず、挨拶代わりに、この男の噂話や、この男に関する情報の交換を行っていた。
ところで、この男、やんちゃではあるが、もう若くはなかった。この男の同世代の友達といえば、もうとっくの昔に結婚しており、家庭に入り、落ちついており、子どもが中学生や、高校生になるものさえもいた。
この男は、今や、年の離れた仲間と付き合ってもらうために、虚勢を張り、粋がって見せていた。そのためには、それなりの金が必要であるのだが、この男は、どうやって手に入れたか知らないか、金は、まったく不自由している様子はなかった。
噂によれば、この男に貢いでいる女がいるとか、ヤバい仕事の元締めをやっているという。しかし、この男の悪運とでも言うものが、まもなくつきて、とんでもない不幸が、この男を襲うと、この町の住人たちは信じて疑わなかった。この町の住人は、この男に破局が訪れるのを今か今かと待ちわびていた。この占い師をのぞいては……
――独身貴族!
町を颯爽と闊歩するこの男の姿を見るびごとに、占い師は、心の中で、こうつぶやくと、この男の後ろ姿に微笑みかけていた。というのは、占い師には、この男の振る舞いや性格などのすべてが、自分の若い頃と瓜二つに思えたのである。いまは、見る影も無い、落ちぶれた占い師ではあるが、この男の姿を見かけると、「昔は、俺もちょうど、あんな風だった。俺も、根っからの独身貴族とやらいうやつだか、その点も、やつも全くおんなじだ」という思いで一日が気持ちの良いものになった。
――なぜ、お前は、俺に飛んでもない裏切りをしてくれたのだ? お前は、俺の夢だったのに、お前は、俺を最悪の形で裏切った、『ほおってはおけない女ができたので、この浮き草ぐらしをやめにしょうと考えているんだ。俺の未来は、どんなものになるか占ってくれないか?』だと!お前は、俺とおんなじ独身貴族だ。そして、将来のことなどお構いなしに生きるキリギリスなんだよ。どうだい、お前は、何もかも、俺とそっくりじゃないか。それが、カタギのアリの生活にもどれるわけがない! そうだ、俺を冷やかすためのウソなんだろう。そうだ、ウソに決まっている!
占い師は、この男を再会することもせず、心の中でつぶやき続けた。この男は、占い師の心を察してか、見料に、一万円札を渡すと、黙って立ち去った。
翌日、占い師がいつものように、店を開く準備をしていると、中華料理店のおやじが飛んできた。あの男の噂ばはしをするためである。その日、この町では、あの男のことが、いつも以上に大きなニュースになっていた。あの男は、恐ろしいほどの額の借金を抱えた、もう若くない女優と結婚したというのだ。女優の借金を一時、あの男の親が肩代わりすることになったそうである。その条件として、あの男は、親の会社に入り、カタギの人間となることを約束したというのだ。
「ふざけんな!」
一日中、あの男の結婚ばなしの美談を聞かされつづけてきた占い師は、怒りを爆発させた。
しかし、中華料理店のおやじは、あちこちで繰り返し話してきた同じ結論を、占い師に対しても話さずには立ち去るわけにはいかない。中華料理店のおやじは、占い師にいった。
「俺も、あいつは、心底からのキリギリス人間だと思っていた。ところが、違っていた。本物のキリギリスかもしれないが、血筋は、働き者のアリさんだったというんだからね~~〜!」
――そうか!
中華料理店のおやじのひとことで、その日一日占い師の抱えていたモヤモヤが晴れた.占い師の頭には、かつて気ままに生きる独身貴族には、似つかわしくない音痴な口笛、上機嫌なときに、みせるぎこちないステップが浮かんだ。
「あいつの本質は、じつは無粋なアリだったということか。たしかに、あいつが、本物のキリギリスなら、あんなに歌や踊りが下手なはずがない」
了