黒猫のひだまり
その日は、陽射しが穏やかな秋晴れだった。君はボクの前に、現れた。
黒猫のひだまり
使われていない稲畑、敷かれた藁に温かみを感じ、ボクはその上で丸くなった。時々吹き抜ける冷たい風がボクの黒い毛を撫でる。
「あ、見て黒猫」
「本当だ、不吉ー」
上から聞こえる声に耳をかたむければ、そんな言葉が出される。
――不吉? ボクが?
不思議に思い声のした方を見上げれば、そこには誰も居なく、少し遠く離れた所に人間の後ろ姿がふたつ見えた。
バサッ
そんな音が鳴ったと感じると、全身を黒に染められた大きな鳥がボクの隣に着地する。
――カラスだ。
ボクはこの生き物を知ってる。大きなクチバシと翼を持ち、よく綺麗なものや鳩を追い掛けてる。そういえば、前に仔猫がカラスに追い掛けられてるのを見た。
「うわ、カラスと黒猫が一緒にいるよ。」
軽蔑めいた声。まただ、また人間。チラリと横目で見れば、嫌悪の瞳。ボクはこの瞳の色が嫌いだ。でも、こんな瞳で見られる理由が分からない。
――ボクとカラスが一緒にいるから? そんなにいけない事なのかな。
ボク等の共通点なんて、黒ということだけなのに。
隣のカラスをジッとみつめる。その視線に気付いたのか、カラスはボクを見た。
「なんであんな風に言われるか、不思議かい?」
ボクの疑問をすくいとる様に、カラスは尋ねてくる。ボクは黙って、控え目に首を縦にふった。
「黒猫とカラスは昔から嫌われ者なのさ」
「でもボク何もしてないよ?」
「人間とはそういうものだ」
そう言ってカラスは、漆黒の翼を羽ばたかせ、空のかなたに消えていった。
ボクはそれをしばらくみつめ、再び身体に顔をうずめる。緩い陽射しに包まれながら、カラスの言った言葉を思い出す。もしその言葉が本当なら、人間はなんて理不尽な生き物だろう。黒いって事だけで嫌われちゃ堪らない。
――ボクには人間の心が一生理解できないだろうな。
誰に主張するわけでもなく、心の中で呟く。
あたたかな日溜まりに、だんだんと瞼が重くなる。少し冷たい風を感じながら、甘い睡魔に誘われ、ボクは瞳をふせた。
「ニャーニャー。寝ちゃってるのかなぁ?」
どのくらいたっただろうか。高いソプラノ声に眠っていた意識が戻る。その声が自分に向けられたものだと気付くのに、少し時間がかかった。
――だれ?
片目だけで見上げると、ある程度距離のある位置に一人の女の子がしゃがんでいた。
「かわいいな、野良猫?」
首をかしげ、キラキラと瞳を輝かせながら尋ねてくる。
――かわいい? ボクが?
さっきの人達と言ってる事が逆だ。
「ボクは不吉の象徴なんだろう? 君はボクの事が嫌いじゃないの?」
「んー? ハイハイ。かわいいな」
ボクの言葉が通じないのか、まったく見当違いの答えが返ってくる。
その女の子は、ボクに近付く動作はしなかった。ただずっと、一人で話してるだけ。ボクが時々返事をすると、嬉しそうに笑った。その笑顔は、嫌いじゃない。お日様みたいに、ぽかぽかするから。
「首輪してないけど、どこの猫ちゃん?」
ボクがそれに答えたって、君は理解できないじゃないか。なのに、なんで色々尋ねてくるのかな。
真上にあった太陽は、いつのまにか、西方へと移っていた。そろそろ風も冷たくなる。ボクは軽く伸びをし、欠伸をひとつこぼした。
「寒っ…風吹いてきたし、帰らなきゃ」
女の子はそう言って、立ち上がった。ボクは天を見るくらい首を曲げなきゃ、女の子の表情が見えない。
――帰るのかぁ。
悲しいと感じたわけじゃないけど、少し名残惜しいな、なんて思った。
女の子は、着ている上着の前のボタンを留める。そして、ボクの方へと歩み寄り、手を伸ばした。触れられる事に不慣れな為か、嫌と思ったわけでもないのにボクは素早く身体を起こし、女の子の手を避けていた。
「あらら…、まぁいいか」
そう言って君は笑ったけど、それはどこか寂しさがみえるだった。触れるものがなくなった女の子の手は、しばらく宙をさまよい、おずおずともとの位置に戻される。
ボクは、後悔した。なぜか、なんて聞かれたら困るけど。
オレンジにそまっていく空。女の子はそれを少し上目に見てから、ボクに背をむける。
「帰るの?」
ボクが尋ねると、それに反応したのか、君は遠慮がちに振り返った。なにか言いたげに、視線を泳がせる。ボクはちょこんと座り、女の子の言葉を待った。
「えっと…名前分からないから、なんて呼べばいいんだろう。黒猫ちゃんでいいかな?」
そのままじゃないか。そう思ったけど、初めてつけられた名前に、ボクは少しだけ嬉しくなった。少しだけ、だよ?
「ばいばい。…それから、また明日。ちゃんと来るから、待っててね」
女の子は破顔してそう言い、ふんわりとしたスカートをひるがえしながら、沈みかけた太陽へと走っていった。
――行っちゃった。
取り残されたボクは、女の子の走る姿を見えなくなるまでみつめる。少しずつ、それでも確実に女の子の姿が遠くなる。ちょっと、切なかった。
「やぁ、なにを話してたんだい?」
いつから居たのか、カラスがボクの側に寄り、興味深げに聞いてくる。
――遠くに行ったと思ってたのに。
だけどボクは何も質問しなかった。さして気になるわけでもない。猫はそういう生き物。
「あの娘、ボクをかわいいって言った」
畑に敷かれた藁の上を歩きながら、答える。カラスもボクの後についてくる。
「ほぉ? また物好きな人間だな」
「物好き?」
「変わり者って事」
「ふぅん……」
――そうか、あの娘は『物好き』なんだ。
黒猫は、不吉。嫌われ者。そんなボクをかわいいと言う君は、変わってるんだって。
でもボクは、嬉しかったよ。こんなボクに、笑顔でまた明日、って言ってくれた。大きな夕日を背景に、優しく微笑んでくれた。
ねぇ、ボク人間を少しだけ、好きになった気がするんだ。
空はオレンジと青が混ざり合い、一番星が輝いてた。寝所を探し、あてもなく道を歩く。
未だについてくるカラス。身体を凍えさせる夜風。保証のない約束。消えそうな三日月。
今夜はきっと、いい夢がみれるだろう。
愛して下さいなんて言わない。でも、嫌いにならないで。痛んだ心を、癒してくれますか?