第7章:騎士の矜持、古参オタの慟哭
ギルド『スターライト亭』の応接室。
重厚な木製の扉の向こうでは、
肌を刺すような、張り詰めた沈黙が流れていた。
ルルノアは豪華な革張りの椅子に深く腰掛け、
目の前に立つカルティアが放つ凄まじい気迫に、
借りてきた猫のように小さくなっている。
「……ルルノア。私は、自分自身を許せない」
カルティアが沈痛な面持ちで口を開いた。
その声は低く、まるでお通夜のような響きを帯びている。
「……えっ!? ひゃあぁ、私、また何かとんでもない失敗を……!?
ギルドの書類、全部燃やしちゃいましたか!?」
「違う。逆だ。……私は、君が、その、『デビュー』をしてしまうという現実に、
魂が千々に引き裂かれているのだ……!」
「で、でびゅー?」
カルティアは震える拳を握りしめ、遠い目をして語り始めた。
「覚えているか、ルルノア。一年前のあの日だ。
君がこのギルドに受付嬢として入り、
不慣れな手つきで依頼書を整理しながら……」
「誰もいない早朝のロビーで、
モップ掛けをしながら口ずさんでいたあの鼻歌を」
「……当時、血生臭い任務に明け暮れ、
心が鋼のように冷え切っていた私を救ったのは、
君のその無垢な響きだった」
「私はあの日、確信したのだ。
『この逸材を、受付のカウンターの中に
閉じ込めておいてはならない。
この光は、いつか全人類を照らすはずだ』と……!」
「そ、そんな前から!?
私、ただの新人雑用係ですよ……?」
「黙って聞け!
それから私は、君がギルドの裏庭で洗濯物を干しながらハミングするたびに、
人知れず物陰から耳を澄ませ、誰よりも深くその旋律を刻み込んできた!」
「私は……私は君が『ただの受付嬢』として、
ギルドの看板娘でいてくれる……
そんな平穏な、私だけの日々が続くと思っていたのだ!」
カルティアはガタッとテーブルを叩き、身を乗り出した。
「だが、昨夜の戦い……あの歌を聴いて理解してしまった。
君はもう、このギルドに収まる器ではない」
「君の歌声は、戦場を支配し、魔物を浄化し、
私の魔力出力さえも通常の何十倍にも跳ね上げた!」
「……嬉しい。君を一年間推してきて本当に良かった。
私の目に狂いはなかった……! だが、だが……!」
カルティアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「デビューするということは、君が『みんなのルルノア』になるということだ!
遠い都へ行き、手の届かない存在になり、
この『スターライト亭』の受付からいなくなってしまう……!」
「毎朝の『いってらっしゃい』が聞けなくなる寂しさに、
私は耐えられる自信がないのだ!」
「私の騎士道は、君という『推し』を失って、
明日からどこへ向かえばいいというのだぁぁ!!」
その時、ドアが遠慮なく開き、
湿布の強烈な匂いを漂わせた中年男が入ってきた。
「――情けねえツラすんな、古参様」
「……貴様。ルルノアを無理やり表舞台へ引きずり出そうとする無頼漢か。
私の心の痛みが貴様にわかるか!」
ゼノスは鼻で笑って、
彼女の向かい側に「よっこいしょ」と腰を下ろした。
「痛えほどわかるさ。
だがな、カルティア。
お前がここで彼女を受付に縛り付けておくのは、ファンじゃねえ。ただの執着だ」
ゼノスは、安酒の染みがついた
『魔界ドームツアー構想案』を広げた。
「いいか。お前が一年前から、受付のカウンター越しに注いできたその情熱を、
今度は『盾』として昇華させろ」
「彼女が『地下アイドル』から地上へ行くのが怖いなら、
お前がその隣までついていけばいいだけの話だろ?」
「……私が、ついていく……?」
「そうだ。地元のファンで終わるか、
彼女と一緒に世界を獲る様を目撃するか、選べ」
「……実際、昨夜のお前の出力は異常だった。
本人は気づいてねえようだが、あのアホみたいな、およそ20倍のバフは、
一年前からの蓄積が生んだ『報われてほしい』っていう執念の産物だ」
「その力があれば、ルルノアを狙うあらゆる厄介者を消し飛ばせる」
(……実際、元魔王の俺から見ても、
愛ゆえの20倍の出力はもはや戦術兵器だ。
これなら最強のボディーガードが務まる)
「カルティア。お前に提案がある。
ルルノアの隣に立ち、彼女を守りながら共に戦い、
共に戦場に立て」
「……『推し』を一番近くで見守り続けられる特等席を、お前にやる」
カルティアは、雷に打たれたような顔をした。
「特等席……。
私が、受付カウンターの内側よりもさらに近く……
彼女の隣で、ずっと……?」
「カルティアさん……」
ルルノアが、不安そうにカルティアの小手を、
指先でちょんと突いた。
「私……カルティアさんがいなくなっちゃう方が、
寂しいです。
……受付じゃなくなっても、
一番近くで私の歌、聴いててくれませんか?」
天然の、そして破壊的なまでの
「古参へのキラーフレーズ」。
カルティアの理性が、派手な音を立てて全壊した。
「……っ……。……致し方ない」
カルティアは顔を真っ赤にしながら、決然と言い放った。
「……ルルノア。
君がそこまで、私という『最古参』とやらの力を
必要としているのなら」
「……たとえ地の果て、魔界の果て、いや魔王の玉座の目の前でも同行しよう。
これは騎士の任務ではない」
「……私の、『人生』のすべてを懸けた誓いだ!」
「やったぁぁ! ありがとうございます、カルティアさん!」
ルルノアがカルティアの腕に抱きつく。
「ひゃぅっ!? 近い……が、これが、これこそが『認知』の重み……!
報われた、私の一年間が今、完全燃焼しているぞぉぉ!」
悶絶しながらも歓喜に震える女騎士を眺め、
ゼノスは冷徹に勝利を確信した。
「よし、契約成立だ。……おいカルティア、その鉄臭い鎧は脱げ」
「次は『現場』で目立つ、かつ防御力も兼ね備えた特注の衣装を仕立てる。
ルルノア、レッスン開始だ」
「ええっ、もう!?
おじさん、スパルタすぎますー!」
「ふん、私は構わんぞ!
ルルノアの成長を一秒たりとも見逃すつもりはない!」
「さあ『プロデューサー』、私に何をすればいいか命じろ!
ルルノアのステージのサポートか!? それとも不届き者の排除か!?」
「……全部だ。行くぞ!」
かくして、重すぎる愛を抱えた最古参兼ガードマン兼ユニットメンバーを擁する、
史上空前のアイドルプロジェクトが本格的に動き出したのである。




