第50章:黄金の三日月、夜明けのプロデュース
「――今だよ、アイル!!」
ルルノアの絶唱が、
王都の空を支配していた漆黒の絶望を切り裂いた。
『ファンタズマ・アロー』によって穿たれた、
魔神アバドンの眉間のヒビ。
そこから溢れ出すのは、
飲み込まれ、圧縮され、
極限まで高められた十万人の「生」のエネルギーだ。
「……待たせたな。……この瞬間のために、
俺はルルノアを鍛え、お前ら(観客)を煽り、
この最悪な戦場を最高のステージへと組み上げてきたんだ。……さあ、サビの終わりだ。
世界中を真っ白に塗り替えてこい!」
ゼノスがコンソールの最終レバーを、
火花が散るほど限界まで押し下げる。
王都全域の魔導拡声器から、
ルルノアの歌声が「光の奔流」となって解き放たれ、
空中で待機するアイルへと収束した。
「……あはは、すごい……。
身体が、ルルノアの歌声で溶けちゃいそうだよ……!!」
アイルが黄金の魔力を全身から噴き上げる。
その背後には、ルルノアという輝く太陽。
そして王都十万人の祈りが、
巨大な光の翼となって広がっていた。
彼女が握る聖剣『月虹』は、
もはや鉄の塊ではない。
ルルノアの歌声を、
想いを、そして「ファンサの輝き」を
物理的な破壊力へと変換した、
概念的な一撃へと昇華されていた。
「……いけ、アイル。
……お前のその一振りに、
俺たちのライブの『アンサー』を込めてこい!」
「――『黄金の三日月』!!」
アイルが空を蹴った。
音速を超え、因果さえも置き去りにした一閃。
黄金の光を束ねた巨大な刃が、
夜空に巨大な三日月を描き出し、
アバドンの巨大な頭部を――そして、すべてを飲み込む虚無の肉体を、真っ二つに両断した。
ドォォォォォォォォォォォォォォン!!!
音すらも光に飲み込まれる。
魔神アバドンの巨躯が、
内側から爆発する光に耐えきれず、粉々に砕け散っていく。
飲み込まれていた四柱の魔力、
奪われていた街の体温、
そして人々の希望。そのすべてが、
黄金の粒子となって雪のように王都へと降り注いだ。
「ズ……ガ……ァ……ッ……」
最後の一欠片が消滅した瞬間、
王都を覆っていたどす黒い雲が霧散し、
水平線の向こうから本物の朝日が差し込んだ。
暗闇は去った。
人類が初めて、
魔王の「合理」を「熱狂」で打ち破った瞬間だった。
王都の至る所で、
人々が呆然と空を見上げ、
やがて地を揺らすほどの歓喜の声が上がった。
だが、地上百メートルの空中ステージの頂点には、
その歓声を聴く余力すら残っていない少女がいた。
「……あ、……」
十万人のバフを受け止め、
逆流させ、魂を削って歌いきったルルノア。
糸が切れた人形のように、
彼女の膝から力が抜け、
身体がステージの上に崩れ落ちそうになる。
意識が遠のき、
視界が白んでいく中で、
彼女は必死に誰かの姿を探した。
「……よくやった。……お前は、最高のアイドルだ」
硬い床に叩きつけられる直前。
ルルノアの身体を、強く、暖かく、
そして世界中の誰よりも信頼できる腕が抱き止めた。
「……お、じさ……ん……」
ルルノアが薄く目を開けると、
そこには、少し乱暴に整えられた黒髪の男の顔があった。
ゼノスだ。
彼は無愛想な顔のまま、
だが壊れ物を扱うような手つきで、
ルルノアをその胸に抱き寄せていた。
「……終わったぞ、ルルノア。……世界一のライブだった」
「……えへへ。……おじさんに、褒められちゃった……」
ルルノアの声は、
酷使したせいで枯れ、掠れてほとんど出ていなかった。
それでも彼女は、
ゼノスのシャツの胸元を、震える指先でギュッと握りしめる。
「おじさん……私ね、今、すっごく幸せだよ……」
ルルノアは、ゼノスの腕の中で、
溢れ出す涙を隠そうともせずに続けた。
「……思い出しちゃった。
私、ついこの前まで、ただのギルドの受付嬢だったんだよね。
毎日、誰かが持ってくる冒険の話を聞くだけで……自分には何もないって、ずっと思ってた」
ゼノスは何も言わず、
ただルルノアの背中を支えていた。
「そんな私の手を引いて、
アイドルにしてくれたのは、
おじさんだよ。
……おじさんが『お前は輝ける』って言ってくれたから、
私、こんなにたくさんのファンに囲まれて
……アイルちゃんや、
みんなと一緒に、世界を守ることまでできちゃった」
彼女は顔を上げ、
朝日に照らされたゼノスの瞳をじっと見つめた。
「たくさんの人が私の名前を呼んでくれて、
私の歌を聴いて笑顔になってくれる。
……それって、魔法みたいに素敵なことだね。
……こんな景色を見せてくれたおじさんのことが、
私、大好きだよ」
「大好き」という言葉が、
枯れた声で紡がれる。
それはファンに向けた台詞ではなく、
一人の少女が、
自分の運命を変えてくれた恩人へと捧げる、
剥き出しの告白だった。
「感謝するのは、俺の方だ、ルルノア。……俺はただ、自分の野望のために、お前を利用しただけだってのに……」
ゼノスは一瞬だけ視線を逸らし、
それから決意したように、
抱きしめる力を少しだけ強めた。
「……ルルノア。俺もお前が好きだぜ。……お前は俺の、最高傑作で……たった一人の、アイドルだからな」
ゼノスは一瞬だけ、ルルノアの額に自分の額を寄せた。
それはプロデューサーとアイドルの絆であり、
それ以上の、言葉にできない熱い感情の交換だった。
ルルノアの頬に、ゼノスの温もりが伝わる。
心臓の鼓動が重なり、
戦いの高揚が甘い安らぎへと変わっていく。
「……この娘を守るために、俺は地獄から這い上がってきたのかもしれねえな。
……アイドルを愛するのはファンの仕事だが、
こいつの人生を死ぬまでプロデュースし続けるのは、
俺だけの特権だ」
ルルノアは、ゼノスの腕の中で、
安心しきったように深い眠りへと落ちていった。
その顔には、
世界を救った英雄としての表情ではなく、
ただ愛する人の腕の中にいる、
幸福な少女の微笑みが浮かんでいた。
ステージの下から、アイル、カルティア、クローディアがそれぞれの想いを抱えて駆け寄ってくるのが見える。
朝日に照らされた彼らの前で、
ゼノスは眠る少女を抱き上げたまま、
ゆっくりと立ち上がった。
「……さて、アンコールはまだ続くぞ。
……四柱を失い、アバドンを潰された魔王ゼオ。
……あいつがどんな顔をして玉座に座ってるか、
拝みに行ってやらなきゃならねえな」
ゼノスは背後で静かに燃え尽きようとしている
コンソールを一瞥し、
そして腕の中の愛しい「宝物」を、
落とさないようしっかりと抱き直した。
「……行くぞ、野郎ども。
次のステージは、魔王城の玉座の間だ。
チケット代の代わりに、あいつの首を貰い受けるぜ」
王都に響く十万人の歓声。
それは、一人のアイドルが、
神話を打ち破り、
世界を希望の色に塗り替えた歴史の産声だった。




